日 記

(2011年10月)


<Welcome from Fukushima - Konno>

◇ いろいろ忙しかった土日。10月の最終日。研究室で、仕事。来月9日東大安田講堂で開催される「東大DIF(デザインイノベーションフォーラム)2011」のパネルディスカッションのパネリストで発言すると言うことで、そのための準備(自己紹介等)。
 女川での行動と福島での様子。うーん、なかなか迫力がない。女川は二人の娘の支援行動の話をしようか、福島は大学の支援活動の動きや学生のボランティア活動の紹介をしようか、私がやるべきことではないかも知れないが、伝える責任はあるかも。自分の少ない行動だけでは、折角の機会が惜しい。取材に急ごう。女川と福島をどう結びつけるか、これが私の課題かな。

 土曜日には、全国の生協労連の活動交流会が福島の温泉で開かれる。労働組合の問題について話さなければならない。労働組合の先頭に立っている活動家に、何を話せるのか。これは指導を受けるつもりで、ゼミで報告するつもりでやるしかないかな。組合運動自体も、最近は実践的にやることはないし。
 ということは、所詮、研究者は他人の実践をいかに位置づけるかが役割と考えれば気は楽になる。

 NHKの鶴瓶に乾杯(相馬市を7年ぶりに訪問)、NC9で紹介された、作付けできなかった南相馬の農村婦人と長野栄村の農民との交流。栄村で僅かに残された田圃で稔った稲穂を嬉しそうに握り締める南相馬の婦人の感動を見て、涙が止まらない。お金に変えられない生産の喜びの剥奪。悔しさ、憤り、情けなさ・・・。
 世界の人口70億人目の生まれた日。明日から11月、年賀状の発売も始ります。希望の新年を迎える準備をしたいと思います。(10/31)<7922>


◇ 日曜日の夜。行事続きの土日が終わります。
 昨日29日の土曜日、大学では大学祭(福大祭)。構内には、とても自動車の駐車するスペースもなかろうと、パス。
 午後から、行政社会学部時代に、卒業生と教員の研究会として始めた「地域社会研究会」の第12回の企画に参加しました。今までは、宿泊(温泉)が伴う懇親会的な色彩が強かったのですが、今回は、卒業生が独自に企画、素晴らしい研究会でした。テーマは、「東日本大震災の被災地の希望を考える」。

 まずは、福島大学災害ボランティアセンターの高橋あゆみさん(4年生)の実践報告。素晴らしい組織性と積極性。200人以上の学生を組織し、実践し、他大学や全国の仲間と連携を強めています。「学生の力実感した」との成果報告に、感動しました。
 続いて、陸前高田市職員で働く卒業生の大和田智広さんの「”市街地壊滅”陸前高田市の震災後 7か月を語る」と出して、生々しい被害・復興に向けた実践活動が報告されました。市役所には、5人の卒業生が働いていたようですが、2人が犠牲となりました。市役所全体では約4分の1の100名の犠牲です。市全体で1700人の犠牲、本当に痛ましい災害でした。
 救助、復旧・復興のための活動において、学生・卒業生のこうした活躍を誇りに思います。

 研究会を中座して、研究会と並行して開催されていた、卒業式のなかった昨年度の卒業生を励ます集い並びに学部・学類同窓会総会・懇親会に参加。我がゼミ5人にメールで誘いましたが、1人が山形から来てくれました。2人は、就職した福祉施設での業務の関係上、残念ながら出席できませんでした。元気に働いている話を聞き、安堵しました。

 この集会も中座し、元学長の吉原先生や、元監事の佐藤先生ご夫妻(静岡)の皆さんの懇親会に合流。楽しいひとときを過ごしました。

 今日30日・日曜日、福島市の四季の里で開催された「なくせ!原発」の集会に参加。47都道府県から、約1万人の参加者でした。震災前は子どもたちの喚声で溢れていましたが、いまはその声も聞けなくなった四季の里に、子どもたちの喚声ではなく、子どもたちを放射能から守ろう、原発をなくそうとの親たちの声で溢れました。佐藤栄作前県知事、志位共産党委員長の挨拶もありました。
 福島駅前に戻って、同僚と卒業生でしばし懇談。福島の復興に向けて、決意を固める日でした。(10/30)<7898>


◇ 金曜日・午前中、大学研究室へ。手直した約束の原稿(この前は仮提出)を送信。1万5千字が結局2万7千字ほどになってしまったが、恥を書くつもりで出してホッとしています。原稿を書くことは、恥をかくこと。以前は、恥をかいて恥をかいて成長していくという気になっていたが、そうも行かない年頃になってしまいました。
 午後、妻の仕事があるので、帰宅。見守りです。いい天気なので、眠くなります。

 夕は、東北大法学部の同窓会(福島支部)。300人ほどの名簿はありますが、出席は30人ほどか。水野教授の話を聞いて、後は懇親。県庁職員と弁護士が主な階層か。平成15年卒以降は、会費5000円と割り引いているので多いのかなと思いきや2人のみ。高齢化しています。出席者は。昨年までは、本務が忙しく出る事は出来ませんでしたが、初めてですが出れるのは暇な証でしょうか。こちらは同年輩というわけでないので、共通の思い出はなく、新たな付き合いです。

 女川の若手に電話。選挙の話も聞きました。震災以来延び延びになっていたので、ここで新規巻きなおし。新しい気持ちで進むことになるでしょう。(10/28)<7878>


◇ 研究室での仕事。飯舘村の職員の方が仕事の依頼に来ました。何も出来ませんが、できることを協力したいと思います。
 昨日は、大学に村の執行部が、別の件で来て、短時間ですが懇談しました。今は、仮設住宅や、借り上げ住宅に住んでいる村民への情報伝達に苦労しているとのこと。災害FMのキーステーションを大学構内に作って、放送出来ないだろうかとの雑談。こういうのは好きなので、女川でも災害FMでやっているとの話をして、少し相談を始めています。エリアは広くならないでしょうが、大学からだと、松川の仮設住宅や、福島市内の方々に伝達できるのでは・・。こういうのは、組織的に検討するというよりは、脱輪してもいいからやる人が欲しいのですが、・・。誰かを動かすよりも、自ら動いた方がいいのかな?

 女川の姪から、居宅介護支援事業を開設するとの嬉しいメール。「(私の娘から)ファンヒーターを支援してもらいました。朝晩冷え込むようになりましたから出番は近いようです。さて、11月の1日に居宅介護支援事業所を女川で開設する運びとなりました。女川町の一般の民家の六畳間を借りて管理者兼ケアマネ兼事務員のように一人での独立です。・・・・お母さんやY子やじっちが見守っていてくれるのでちょっと頑張ってみようかと思っています。」。早速、よかったねと返信。予定では、3月末に開設の予定でした。大津波は、全てを流してしまいました。家だけでなく、母親も妹も、そして妹の娘(姪)も亡くしてしまいました。数週間後、避難所から入院した父親も、急逝。彼女の立場で考えると、両親・妹・姪の4人を喪いました。どんなに悲しく、辛かったことでしょう。想像もできません。
 夫はじめ、自分の家族の応援もあったのでしょうが、困難な中、初志を実現して進もうとしています。開設しても、大変なことは多いでしょうが、焦らないで頑張って欲しいと思います。

 行方不明のまま葬式を行いましたが、骨壷には、形見といっても葉書等。形見すらも流してしまったものですから、殆んど空箱です。ふと、戦地に赴き、戦死したとの公報のみで葬式を挙げた戦争時代の話を思い出しました。どんなにか、空しいことだったのでしょう。震災も自然災害ですが、残された者にとっては戦争の悲劇と同じです。忘れることはないでしょう。「生きていることは、亡くなった者の未来」との言葉を見ましたが、亡くなった者の残念な気持ちの分も、生きることにしましょう。(10/27)<7855>


◇ 比較的ゆったりした研究室生活。仮提出の原稿を削りながら、まとめています。
 同僚のM先生と食事を共にという約束をして、遅めですが、折角だからと学外に車で出ました。話に夢中になっていて、松川周辺のレストランを行き過ごしてしまい、二本松へ。
 狙いの鰻屋を目指しましたが、定休日。水曜日って定休日が多いよね。それでは、蕎麦屋へ。そこも時間が過ぎていて、昼の時間は終わり、夕方に再開店。まさか昼食を夜まで待てないので断念。そういえば共生センターの近くの寿司屋に入ったことがあるというので、そちらに。ようやく探し当てたのですが、定休日。いやはやついていません。
 結局、戻ることにして、最初のいき過ごしたレストランへ。何とか、遅めの昼食にありつけました。ちなみに、運転は私ではありません。間違ったのでは思っても、他人が運転している限り、それに従うことにしていますが、それがよくなかったかな?それでも、秋の城下町・二本松をドライブできました。

 研究室に戻り、東京の出版社とのメールのやり取り。もう一方の執筆者と重複している部分が多いので、重複部分を削ることにしました。同じ趣旨のものを読まされたのではたまったもんではないでしょうから。削り始めると、何が残るか。ラッキョウの皮みたいなもんです。研究者として期待される原稿にはなっていないなあと、若干、意気消沈。
 来月始めの東京でのシンポジウムの電話とメールの連絡、別の出版社からの企画物の相談等など、何か気ぜわしい。同僚とは、飯舘村の課題の相談、いろいろゆっくり話ができました。明日は、飯舘村の職員が、打ち合わせに来るという。今週から来月上旬にかけて、同窓会が2件、集会、講演、県の業務、東京のシンポジウムと続きます。貧乏暇なし。

 郵パックの件で、お詫びに来るというので、約束の7時に間に合うように帰宅。こんな時に限って、車が多い。それにしても6時台は、暗くなったもんだ。滑り込みセーフ。来訪者と同時到着。自分の責任ではなくとも、組織としての不始末をお詫びするのは、辛いね。男は辛いよではなく、労働者は辛いよかな?
 震災後に生まれた第3番目の孫は、今日で7ヶ月。写真をみるとぷくぷく太っています。先日逢ったつもりですが、成長は早いのかな。孫は伸び、爺は縮む?、しかし私の体重は、成長気味。気をつけないとね。(10/26)<7840>


◇ 昨夜は、あまり眠れなかったので、睡眠不足の日です。
 午後から専門演習。最新の労働判例、とっていっても判例評釈を勉強することです。各自の卒業研究の報告のための準備は、それぞれに任せて、労働法の重要論点を最新判例の勉強を通じて身につけようとしていますが、活発な議論の展開というまでには行きません。
 ディサービスの迎えもあり、少し早めの帰宅。家族も揃って、早めの夕食。6時前には済ませました。眠いので、夕寝をして、7時頃に復活。〆切原稿を未完成のまま、編集者に送付して、意見を聞くことにしました。特集の中での位置づけがはっきりしないので、赤面の至りですが、まずは現状を示して相談することにしました。確実に、過不足があるのですが・・。

 娘たちが、わが家の庭の除染作業を気にしていて、芝生を剥いで庭の木を全てを切り捨てるのかという心配をしています。自宅の除染は、ホットスポットでない限り市当局が直接することはなさそうですが、各自の家の責任で行うことになるのでしょう。娘たちにとっては、幼稚園の時から遊んだ庭。思い出が詰まっています。除染の方法は決まっていませんし、時期も不確定ですが。こんなことで悩んだり、思い出も消してしまうのは理不尽です。原発は、本当に罪作りです。

 先日、知人が心臓の発作で救急車で病院に行ったとの話を聞いて、お見舞いの電話をしました。病気とは無縁な人ですが、何か貧血のようだというのです。体に自信があっただけに、本人がショックのようです。研究会を暫く休むといってましたが、昔の研究仲間は、結局、私だけが残ってしまいました。私については、勉強不足で、ついていけないという理由になるかもしれませんが、まだまだ頑張りましょう。文化功労者に決まった大滝秀治。難聴だというのですが、不屈の精神が舞台を飾っています。その緊張感。少々、難聴が気になる最近。やはり、それを打破する意気込みが大事ですね。(10/25)<7819>


◇ 氷雨の鬱陶しい月曜日です。
 大学の仕事も、家の仕事も何もないので、研究室へ。宿題の後始末です。
 朝、家を出るとき、夕食はいいよと言ったので、帰宅の時間を気にしないで、院生気分で研究室滞在。昼食と夕食と、2度学生食堂でお世話になりました。とはいっても、昼は味噌ラーメン、夕方はカレーライス単品ですが。

 何だかんだと、最後まで辿り着きましたが、1万5千字予定が2万7千字。それでも重要なことが抜けているのですが、冗長なんですね。短い文章で、ピリッと書けないもんでしょうか。段々、削ってはいるのですが、削る時に新たに気付く。だめだなー。まあ、そろそろ帰ろうとしたら10時過ぎ。帰宅は11時になりました。まあ、少し遅い飲み会からの帰りと思えばどうっということはない。家族はみんな、就寝中。静かに侵入しました。

 女川の若者達が、音楽祭(我歴 Gareki in stock in 女川 〜福興編〜)をやるから、宣伝してくれと言うので、ツイッターとFacebook、そして「女川に元気を送る会」のホームページに書き込みました。30日は女川には行けないのですが、盛り上がるといいね。女川の町長選挙・町議会選挙も11月に行われます。震災で延期になっていたのですが、これらをきっかけに、復旧・復興にジャンプできればいいと思っています。(10/24)<7798>


◇ 日曜日ですが、やり残しの宿題が出来ていないので、大学研究室へ。時間があっても出来ないなんて、頭を抱えてしまいます。

 快晴の日曜日。杜の都「全日本大学女子駅伝」が、仙台で開催されます。福島大学関係のニュースで見てみたら、福島大学も2年ぶりに参加。東北地方代表の2校に入ったようです。
 長距離選手が4年生と1年生の2人しかいないなか、その他の4区間は800メートルの選手。川本監督が、福島は頑張っている証として頑張るとのコメント。震災で長い間の休部、そして放射線が高く練習も大変だったのでしょうが、代表になっています。研究室ではテレビもないので、ネットで確認。役職の時は、応援に行ったのが懐かしい。優勝は立命館。福島大学は23位ですが、第5区は18位の個人成績と健闘しました。マンモス大学には敵いませんが、4重苦の被災地の元気をアピールして、頑張ったと思います。

 娘が3人の孫を引き連れて、電車で人形劇を見に行くというので、大丈夫か心配していました。人形劇が楽しかったかどうかより、無事帰宅したかの方が気がかり。外に出るとそれほどやんちゃでないのかもしれません。内弁慶ちゃんのいいところかな(?)。そのうちに、こんな時代もあったよね、という具合になるのでしょうが。

 宿題は、あと1日の猶予。明日まで頑張ることにしましょう。(10/23)<7771>


◇ 今日は半世紀前の中学3年生のクラスの昼食会のため、仙台へ。小学校・中学校2年終了後、3年生は仙台市の東華中学校に転校しました。転校先の3年8組の有志の呼びかけで昼食会と相成りました。仙台で研究会があったのですが、世話人の熱心な勧めもあり、研究会はパス(すみません)。
 仙台の朝市の寿司屋(寿司勝)の2階。54名のクラス員のうち18名が集まりました。1960年3月の卒業以来の再会の方もあり、実に52年ぶりです。震災の犠牲者はなかったのですが、それぞれ身内の大変な状況も話がありました。震災時、何をしていたのか、各人各様、それぞれ大変な状況と不安のときを過ごしました。
 震災以来、同窓会などの会合が多くなりました。やはり、絆の確認がみんなの要求になっているのだと思います。過去向きともいえないことはないのですが、それぞれの半生を聴くことは、新しい人との出逢いに劣らないと思われます。また、元気に逢いたいものです。
 NHKテレビは、食品の安全問題で討論会が行われています。女川の高政の部長さんも出ています。生産者と消費者、そして科学者及び行政も入って、相互に信頼関係を築きながら、安心・安全問題の解決の方途を見つけていきたいものです。(10/22)<7757>


◇ 今日は三菱樹脂事件原告・高野さんの裁判資料についての、東北大学法学部寄贈式と「高野達男さんを語る会」に出席するため、新幹線で仙台へ。
 三菱樹脂事件は、労働法を学ぶ者とっては最初に出てくる重要判例。大学卒で入社したが、試用期間の切れる6月末に本採用拒否という名の「解雇」。学生時代の活動などを理由にしたもので、憲法判例としても、思想信条の自由の問題として論じられている。
 最高裁まで行って差し戻されたが、結局、和解で職場復帰。子会社の社長にまでなるが、退職後、移住した郷里・宮城川崎町で6年前に急逝。
 裁判になる以前には接点はなかったが、仙台の高校の4年先輩、そして大学学部の4年先輩。大学院時代から、僅かですが支援活動をしていました。職場復帰後は、飯坂温泉での学生の合同ゼミで、講演をしていただきました。(旅費以外の講演料は出せなかったのが赤面の至り)。若い人に向かって、情熱がほとばしる口調で、大きな感銘を呼びました。
 新聞記者だった弟さんは、高野さんの1979年ベトナム駐在の時、国境線での中越紛争の最中、銃弾によって死去(36歳)。衝撃的な事件でした。
 語る会は、多くは高野さんの同期生前後なので、私にとって諸先輩方。懐かしい再会でした。それぞれ、貫禄はつきましたが、元気で何よりです。
 新幹線で戻って、大学へ。夜の講義。終わると、キャンパスは本当に真っ暗です。冬の近さを感じます。(10/21)<7739>


◇ 家族が東京ですので、一日だけの「一人住まい」。
 遅い出勤になりましたが、途中で散髪。いつもお客さんはいるものです。私より年上の退職者でしょうか。
 昨日連絡した、仙台の弁護士さん、あちらから電話が来ました。同僚と連絡を取り、結局、明日、仙台に相談に行くことになったようです。いい方向がでればいいですが。
 午後は、県の委員会。県議会が調整のため、大きく開会が遅れ、それとの関係で委員会も、変則的な時間。原発に関する請願の扱いを巡っての委員会と議会の齟齬。結局、福島原発全部の廃炉の請願を採択したようです。県議選前でもあり、この事故を受けて、各議員(候補者)の立場が、鋭く県民から問われることの反映でしょう。
 一旦帰宅し、伊達市で働いているゼミ卒業生の夫婦と夕食。魚菜草。久し振りです。お相手は保健師さんで、気さくな、明るい方。彼は果報者です。幸せな家庭を築いてくれるでしょう。山菜・野菜と魚ですが、お腹が一杯になってしまいました。(10/20)<7715>


◇ 今朝は、家族の東京出張のため、福島駅まで送り、その足で税務署へ。
 市役所から、昨年の関西の大学での謝金の申告がないというので、その補正のため、必要経費などの書類の証明書をもって行きました。追加の税を覚悟していたのですが、意外にも、還付を受けることになりました。その謝金の源泉徴収が既になされているので、その分の還付ということになりました。こちらの申告漏れと思って、反省していたのですが、僅かですが、納付した追加の税を返還し、さらに還付するということです。きちんと、書類を整理していることで、自分の生活を守ることになるのだなと感心。市役所が指摘してくれて、どうしてそこだけ分ったのか(忘れていた分ですが)、不思議なのですが、結果的に損(?)をしないですみました。

 研究室で仕事を進めて、昼食で、自宅の地盤が震災で崩れて引越ししている同僚の話を聞きました。仙台の住宅関係専門の弁護士に聞いてみようということになり、事務所にかけましたが、海外とのこと。技術的な問題、金銭的な問題(住宅ローンも)、大変な試練ですが、何か方法が見つかればいいと思います。来週帰国したら、私に連絡してくれるというので、お願いしました。
 少し風邪気味なのか、寒いせいか、体調万全ではありません。早めに休むことにしましょう。(10/19)<7692>


◇ 今日は、自宅で作業をしつつ、昼前にショートスティへ送ってきました。そして大学へ。
 午後の専門演習。全員4年次生なので、卒業研究を中心にと思っていたのですが、そうそう卒研は進むものでありません。労働法の基礎知識をつけるために、最新の労働判例を取り上げることにしました。研究者の方々が執筆された、判例研究・評釈を教材にしています。なかなか難しいのですが、私も勉強になります。3人から報告をしてもらいました。
 金曜日に向けた授業準備をして、帰宅。家族が3分の2で、少し寂しいものです。コタツで作業を継続して、また、ホームページに新たなページを追加しました。「女川との継続的な連携・支援をめざして」ですが、可能であれば、特別町民制度を立ち上げるのが夢。しかし、基本は女川町が独自に決めるべきこと。外から差し出がましいことは差し控えなければなりませんが、こちらも呼びかけに賛同する方々の組織が必要です。私の住んでいた時代、女川の人口は1万8千人。震災直前は、ほぼ1万人。津波の犠牲者は千人に近い。いまや町外に避難された方も多く、実質5千人の人口でしょうか。協力者(特別町民・・選挙権はないのですが)を千人とするのが夢。本当に「夢」ですかね。震災後1年までに、見通しが必要でしょう。
 現地で苦闘されている方への継続的支援は何なのか、しばらくみんなの意見を聞いてみたい。(10/18)<7662>


◇ 出張の後の休みなしの出勤は、ボーっとしている。銀行に寄り、ガソリンスタンドに寄って給油とエンジンオイルの交換。2−3日まえ、一瞬間であるが、警告ランプが点灯。スタンドでは、交換ないまま1万3千キロも走っていると驚かれた。女川までの往復が、距離数を稼いだのだろう。
 研究室に女子学生が来て、新中古車をお祖母ちゃんに買ってもらった、それでディサービスに送迎しているとのこと。就職も決まって、関東の民間会社に内定しているが、残された期間、心置きなく親切にしてやるんだねと。生まれたときから一緒の母親の母。赤ちゃんから育てて、いまはディサービスに送迎。うれしいだろうなと思う。

 午後、県の委員会。残念ながら昨日の報道の不祥事。職場は、重苦しい。原因を究明しながら、再発を防止して欲しい。同じ委員の先生から、珍しい菓子を頂く。奥州会津銘菓「くるみ 香木実(かぐのきのみ)」(長門屋)。妻と義母と私と、美味しいねと有難く頂く。会津若松は城下町。殿様のいたところには美味しい菓子がある。少し探索してみたいものだ。

 会議の終了後、税務署へ。3月の確定申告が9月まで延期され、ギリギリセーフで出したが、市役所の方から、申告されていない報酬があると思われるとのこと。(税務署への申告とは別に市役所に申告する必要はない)「えっ?!」と驚いたが、昨年11月頃の、関西・R大学での一コマの特別講義。
 一昨年だと思っていたら昨年だった。非常勤講師や講演は数件あるが、全部申告したはずと思っていた。(送付された調書を全部提出)。急いで当該大学に連絡、再び送ってもらった。税務署には、修正申告することにしたが、市役所には税務署から連絡していない。不思議と思って、聞いてみたが、調査した結果という。他の講演料等はまったく知らなくて、それだけ。私の手元に調書がないので、あるいはそれだけ市役所に送ってしまったのか、拾った誰かが市役所に届けたのか、ミステリー。送付されてくる調書を基に申告しているので、届かないと漏れてしまう。(震災の中で、紛失したのかも?)税務署の方も不思議がっていたが、確定申告をしていれば市役所は無関係なようなので、すぐに修正申告することにした。税務署は、1年間の修正期間がありそうなので、問題はないとのこと。落ち度はこちら。気をつけよう。

 夕食は、市街地で知人と歓談。震災のなかから、いかに復興していくのか。自由に話し合う機会を早急に立ち上げましょうということになったが、さて、どのように具体化をするか。それが問題。(10/17)<7633>

  


◇ 日曜日、午後8時半、東京から帰宅しました。東京での2つの学会(学術集会)への出席。疲れましたが、勉強になりました(というか、自分の遅れを気づかされました。)

 昨日、6時半の始発の新幹線で、川崎市の日本女子大学西生田キャンパスで行われた日本社会保障法学会へ。新宿で小田急線に乗り換えて、読売ランド前まで。とてもじゃないけど、9時半開始に間に合うのは無理かと思いましたが、雨の中、何とか5分遅れほどで到着。
 私のゼミ(学部&MC)の卒業生で、金沢大学のDCで研鑽を積んで、愛媛大学で教鞭(准教授)を取る鈴木静さんの個別報告を聴くため。1時間の予定ですので、講演みたいなものです。テーマは「公衆衛生と患者の権利 〜ハンセン病医療政策を例に〜」。最近の彼女の専念しているテーマ。特殊な問題として、学会もあまり中心的なテーマにはなってこなかったのですが、質疑の中でそのことの反省もありました。「らい予防法のもとで人権侵害がおこり、放置されたことの法的要因」、「日本におけるハンセン病法制の歴史的展開の特徴とWHOとの相違」が報告の内容ですが、このことを踏まえて「公衆衛生分野における人権侵害の再発防止」(政策決定過程への患者参加、患者の権利救済、第三者機関の設置等)を訴えています。いい報告でした。

 共通テーマ・シンポジウムは、『職業生活の中断と社会保障』で、5人の報告がありました。「職業生活の中断を論じる意義」(一戸真子氏)・「傷病を理由とする労働生活の中断と社会保障法」(水島郁子氏)・「出産・育児・介護による労働生活の中断」(倉田賀世氏)・「失業による職業生活の中断と社会保障」(高畠淳子氏)・「職業生活の中断と職業教育訓練」(中野育男氏)です。労働法のテーマの感じもしますが、敢えて社会保障の課題として再構成して、なかなかいいシンポジウムでした。
 女子大学グッヅは、なかなか買えませんというものですから、売店でチョコレートをお土産に買ってきました。川崎から宿を取った竹橋(KKR)まで、長かったのですが、宿ではぐっすり眠れました。

 今日は、池袋の立教大学での日本労働法学会。こちらは久し振りの団体法(労働組合)のテーマ。最近は、労働組合への関心がうすく、教科書も該当部分は薄くなってしまいました。しかし、正規・非正規問題など、解決はこの労働組合の問題。統一テーマは、『労使関係の変化と労働組合法の課題』、5人の報告がなされました。「日本の労働組合をどう認識するか」(久本憲夫氏)・「地域組合と労働組合法理」(名古道功氏)・「集団的労働法における労働者像」(皆川宏之氏)・「労働組合法上の使用者概念と団交事項」(木南直之氏)・「個別的労働関係法における労働組合の意義と機能」(奥田香子氏)です。
 若い研究者が多いですが、みんなファイトが漲っていました。頑張らないと・・・。明日からのウィークデイ。頑張りましょう。新幹線、時間が間に合いそうでなかったので、上野から乗車。8時半に帰宅、遅めの夕食です。(10/16)<7605>


◇ 自宅と大学研究室を2回往復。午前中は、夜の講義の準備(印刷)と原稿書きと思っていたが、結局講義準備のみで終わる。
 明日、早朝の出発のキップを買いに福島駅に寄って、コープふくしまの本部へ。定例理事会の日である。9月の業務は心配していたが、好調な経営状況。やはり、放射能の関係で、外出が少なくなり、客数が伸びない。除染活動や食品の安全確認活動など社会貢献活動に眼を見張る。生協の力で、地域社会を変えていかなければ。新しい地域社会・地域経済における生協活動の役割の大きさは、国際的な動向。そうした質の高さを目指さないと・・。
 一旦自宅に戻り、早めの夕食を食べて、夜間の講義(7時40分から9時10分)のために大学へ。先週の批判的質問票があったので、緊張していたが、講義は順調。当事者は欠席か。私の弁解が届かないまま、受講辞退かな。「捨てぜりふ」とは思いたくはないが、残念。10時半の帰宅。
 明日は6時半の新幹線のため、6時前に自宅を出ざるを得ない。2日間の社会保障法学会と労働法学会(東京)。旅費申請の方法も忘れたが、最後の学会旅費申請になるので、有終の美。なかなか研究のペースにのれないので、学会の議論で洗脳を期待しよう。(10/14)<7582>


◇ 原稿の締切日なのですが、まだ途上。どうするかな?編集者に迷惑もかけられないので、テーマを限定してでも穴を作らないようにしたいのですが、そんな時に限って、会議など。県の委員会です。スムーズに終わりましたが、気になっている件での懇談。委員会の存在意義について、再度、考えてみる必要がありそうです。委員会の存廃が法改正で問題になるでしょうから。
 折角の機会なので、知り合いの幹部職員との懇談。自治体の復興に向けての大学の協力の問題。いろいろサジェスチョンをもらいました。少し動きを作って見ましょう。
 大学で少し作業をやりましたが、自宅にUSBをおき忘れ、結局、明日の講義の準備になってしまいました。デイサービスのお迎えのため、一時自宅に戻り、早めの夕食を取って、夜の大学へ。夜間を持っている大学なので、夜もそれほどの違和感がありません。
 参考資料で、東京電力の損害賠償の書類を頂いて、雇用関連の書類を見ていたら、まだまだ検討すべきことが出てきます。これでは、いつまでも、時間がどんなにあってもまとまらないなあと嘆きながら作業。夜10時前に出ようということで、大学を出ました。うーん、編集者にお詫びとお願いの時期かな?少し延ばしてもらっても、明日も学外の会議(コープ理事会)と夜の講義。土日は東京での学会。時間が欲しいというか、能力・脳力が欲しい。(10/13)<7561>


◇ 昨日から秋田出張。先ほど自宅に戻りました。(16:12分福島駅着)
 昨日の朝、午前7時過ぎ、自宅を出て新幹線へ。仙台で「こまち」に乗り換えて、秋田へ。県の委員会の関係の仕事で、東北北海道の委員の協議会です。6人で参りました。
 午後一杯の協議会と、夜の懇親会。率直な話し合いで、大いに参考になります。みな同じとは思っていたのですが、それぞれの地域の違いがあるので興味が尽きません。事務担当者は、今朝の臨時の公務があり、夜遅く帰りましたが、我々は一泊しました。
 秋田は、1973年4月から82年10月まで赴任していたところ。思い出が尽きません。でも建物が大きくなり、近代化したようです。こちらが縮んでしまったのかもしれませんが。
 今朝、折角なので、平野美術館・藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を見て、千秋公園を巡りました。横20メートルの大壁画ですが、ぼんでん、竿灯、かまくら等の福島の行事が大胆に描かれています。大地主の平野氏が米蔵で提供して描かれました。千秋公園の久保田城の復元も、当時とは隔世の感です。平成元年頃に復元したようです。
 久し振りの秋田、やけに公園で遊ぶ園児に眼が向きます。福島では、あまり見れない光景です。羨ましい。
 明日も県の会議ですが、原稿締切日でもあり、心が落ち着きません。(10/12)<7537>


◇ 体育の日。三連休の最終日です。
 10時半にショートスティにお迎えに行き、自宅に戻る前にスーパーに寄ってきました。車で待っていただけですが。

 ゼミ生の就職希望先にゼミの卒業生がいたので、いろいろ事情を聞いてみようということになりメール。この前、同期生が結婚の報告をしてきたよとエピソードも含めて。用事は済んだが、彼も6月に結婚したとのこと。ウワー、何か結婚ラッシュか。やはり、震災の中で結婚することを決める人が多くなっているという。人の絆なのか。本当に、おめでとう。披露宴もやっていないらしいので、来週でも奥さんとともに夕食を一緒にしないかと誘って見たが、忙しいかな。

 午後、研究室へ。明日から秋田出張なので、原稿締め切りまで、後がない。まとまりはつかないが、頭の中は整理されるつある。一定の枠組みに組み込むことに欲求不満。しかし、それはそれでやらないと、何も出来ないが。

 損害賠償と除染のみがクローズドアップしている福島の現状に、やりきれない感じ。電話で信頼できる先輩M先生と話。状況認識が共有できて嬉しい。焦らないで、そろそろ行動を起こそうかということ。大学残任半年、忙しくなりそうだ。

 長女家族は、女川への支援物資届け、次女は東京での研究会。私は秋田と東京へ、妻も東京への予定。少ない家族、日本中とはいかないが東日本をうごめいている。悔いなく前に進めればいい。

 テレビで、リメークされた「幸せの黄色いリボン」を見る。二番煎じは大変だろうが、島と船と、新しい迫力を出している。これも人の絆の有難さか。明日は、早い。(10/10)<7504>


◇ 日曜日ですが、3連休の中日。相変わらず、研究室へ。原発事故で影響を受けている労働問題を勉強していましたが、膨大な資料なので、すこし溜息をついています。
 原発事故と地震津波による大きな被害の中での労働問題。どうリンクさせるか頭を抱えています。勉強することが多い。労働政策審議会の資料だけでなく、放射線審議会の資料なども、興味が尽きない。時間不足だな。

 テレビは、東京の日本災害復興学会のニュースを放映していたが、今日の朝日新聞・県内版に、福島大学の丹波先生の報告が紹介されている。双葉郡8町村の約3万世帯を実施したアンケートの中間報告だが、「復興に向けて最も重要だと思うこと」の中で、「双葉地方全体の復興計画づくり」が最も多く46.6%、第2が「若い世代の雇用確保などの産業振興」40.9%、「高齢者施設や医療施設の充実」が31.8%だという。
 丹波先生のコメントで、「故郷に戻れたところから段階的に復興をという考えもあるが、双葉地方全体をどうするかビジョンが必要だと住民自身が考えている。驚きでもあり、うれしい数字だ。この意識を行政とも共有し、今後の復興支援につなげたい」と。
 全く同感で、いままで被災地と支援の自治体の連携の重要性を言ってきたが、復興が現実的になってきた段階では、被災地の連携による復興は重要だと思う。ただ、先日、ある町の職員にその可能性を聞いてみたら、自主的にそういう動きをつくれない、やはり県からの提起が必要ではとの感想。大学が提起するのも難しいし、やはり県と相談して提起するしかないのだろうか。

 平成の合併の時に、県と市町村の連携の審議会の座長をやったので、そのときの答申などをホームページで見ている。合併は現実的ではないし、いたずらに時間がかかるので、復興を目指す実質的な協力関係をつくる必要があるのでは。警戒区域でも、避難解除の話が出てきそうなので、特に、双葉8町村で協働で復興の歩みを作るべきだろう。これは、女川や石巻、南三陸・東松島でも同じことがいえそうである。合併は反対だが、連携は重要である。この困難な時期だからこそ。

 今日の朝日新聞全国版は、一面と10面全体で、「福島第一原発事故 第2回避難住民聞き取り調査」結果が報道されている。これは朝日新聞社と今井先生の研究室の共同調査結果の記事。地道な調査に脱帽。それにしても、丹波先生も今井先生も、福島大学行政政策学類(行政社会学部の後継)の教授。社会が求めている有意義な研究で誇らしい。いろいろ困難はあるが、第三の学部として創設された学部。その真価が生まれてきているのでは。原発事故に真正面から対峙し、住民本位の復興を実現していくことが求められているが、こうした大学に全国から多くの志願があると嬉しいが、その点では、最大のピンチ。これも風評被害の1つか。
 ふくしまの嘆きと希望を、ETV特集で見る。(10/9)<7486>


◇ 三連休の初日。残務があり大学へ。
 娘から、新聞に掲載したエッセーと、置き忘れた古ぼけた写真が送られてきた。
 「ヒマラヤ杉」の話、そして津波から助かった「私の幼少時の写真」らしい。
 ほか、特に何もなし。明日の日曜日に、また期待して休むことにしよう。(10/8)<7465>


◇ 午前中、病院の送迎とショートステイへの送り。昼頃、大学に到着し、今井先生のゼミの仮設住宅調査の報告を聞く。会津美里町の仮設住宅に入っている楢葉町の方々が調査対象。3班に分れ、各側面から報告をしている。会津美里町の職員、楢葉町の職員も参加して、仮設住宅の実態が良くわかった。会場を出て、楢葉町職員との立ち話。双葉郡の復帰計画については、町村によってムラがあるので、連携して進めないだろうかと。なかなか町村の方から、話が出てきそうにない。県と市町村の連携についての審議会を担った責任もあり、県との相談が必要かとも思っている。

 夜、7コマ目の授業。最初の授業で、少しやりにくかったが、いつもように感想文を書いてもらう。ほぼ、予想した感想だが、一人から「講義をする側と受ける側は対等な立場ではないのか。今野氏が発する学生に対する言葉の暴力は許されるのか。聞いていて不快である。」との感想。あれ?、どの言葉だったろうか?。思い巡らしても出てこない。

 あるいは、労使の関係は対等ではなく、学生の就職活動も、かなり気を使っている・・・。それは対等でない証し。という下りか。それはいいとしても、ゼミの時間での服装は、かなりくだけているが、駅前で就活行く学生はパリッとしている・・というあたりかな?思い出せない他のところかも?いずれにしろ「言葉の暴力」、「不快」と感じさせたのでは、申し訳ない。その旨、いつものように、みんなに配布するものに記述(弁明)することにしよう。一個人の問題ではないので。

 話の筋は、問題ないと思うが、ジョークのつもりや、雑談がいけないのかな?授業もあと半年。学生の気持ちや気分とかけ離れているのかもしれない。やはり、潮時かな。客観的なものと、受け取った人が主観的に「どう感じたか」を大切にする時代になってきたことは確かである。

 夜、飯舘村の動向を心配する同僚からメール。打開策は見出せないが、焦点の自治体。大学人も多くの方々が協働してきた村。村全体が、共同して難関を突破していく協力をする義務があると痛感。相互不信を解消して行く必要があろう。(10/7)<7443>


◇ 今日も大学に行かず、県の委員会。議題が多いので、10時半から開始、昼食を挟んで、午後3時が過ぎました。
 昼食は、県庁裏の杉妻会館で。短時間、庭を散策。事務局の歴史家によれば、明治期に、薩摩藩から重要な人間が来た時に、目前の阿武隈川を錦江湾に、弁天山を桜島に見立てるなど、を意識して造った由緒のある庭である。大きな城下町ではないが、歴史の重みを感ずる庭である。
 テレビのニュースは、小沢氏の公判報道。田中、金丸等の事件まで遡った報道。検察のあり方が問われている時期でもあり、また、検察の不起訴に対する検察審査会による強制起訴等、政治のあり方、司法・検察のあり方に関わり、注目すべき裁判。
 アップルのカリスマ経営者・ジョブス氏が亡くなった。56歳の若さ、一時、マッキントッシュを使い、今はi-Padを愛用しているので、個人的にも大きなお世話になった(?)といえるかも。Windowsが出たとき、何かマッキントッシュの焼き直しのような感じがしたほどの先駆的なもの。惜しい人を亡くした。(10/6)<7415>


◇ 今日は大学には行かないで、兼業している県の委員の職務で、県議会の一般質問に出席しました。
 各党の議員5人が、20分の持ち時間で質問します。県執行部が回答し、さらに再質問、再々質問と続くこともあります。
 午後1時から5時までの長丁場ですが、原発の問題、除染の問題、教育の問題等など、やはり震災にかかわる問題が共通に取り上げられていました。それぞれの担当部長が答えていますが、抽象的な回答の裏には、根拠となるデータが必要なのでしょう。そしてそれを準備する担当職員の多忙な業務。少し、職務を合理化してもいいのかなと感想を持つのはいつものこと。
 夜、2003年3月卒業生のゼミ生から電話あり。来年の3月だが結婚披露宴を挙げるので出席して欲しいとのこと。地縁のないところに就職したが、そのフィアンセが就職した地。10年もなっているので「心配」していたが、苦節(?)10年の恋を実らせました。率直によかった。おめでとう。彼らは同期生だが、相手方は私の親友のゼミ生。親友と一緒に披露宴に出席することになるでしょうが、こんなに長くかかったのは、ゼミの指導教員(親友)のせいではないかと、一言皮肉を言いたくなるが、お目出度い席、私も大人になりましょう。(10/5)<7395>


◇ 午後から専門演習。後期初めての授業。各ゼミ生から卒業研究の第一次中間報告。就職活動で疲れているみたいで、大変。月に一度くらいのペースで第二次、第三次と進めて行きたいが、やはりギリギリまでかかるのだろうか。
 就職で悩んでいるゼミ生3人と、個別相談。ゼミの卒業生にも協力いただこうとおもう。民間ではノウハウはないが、知り合いの事業所にかけて、まずは会ってもらうことにした。有難い。一度失敗しているので、何とかできないか、祈りたい気持ち。そんな時、ある自治体の首長さんから携帯に電話。教員志望の学生で就職できていない学生に、行政支援活動の仕事の話。数も多いので、担当学類長に電話するもなかなか掴まらないので、評議員に連絡。いずれにしろ、学生就職問題で、連絡が集中。可能な限り切り開かないと。
 夕方、県文化センターで、飯舘村関係の集会があるというので覗いてみた。今中哲二氏などの科学者などの報告の後、フロアから意見。村民参加でつくり上げてきた村。原発被害で、その処理を巡って不信が表明されていた。何とか、村民の協働によって、復活して欲しい。村の絆を破壊する原発事故。曖昧な解決で終わらせないで、原発ゼロにまで到達しないと、この回復はない。(10/4)<7380>


◇ 月曜日、明日から始る専門演習の準備。あわせて、就職状況を掴んでいない5人のゼミ生にメールを送り、返信を求めました。志望の公務員に合格・内定したのが2人、あと3人はなお就活中。なんとか自信をもって、さらに頑張って欲しいものです。
 午後、留守番の役割で早く帰ってきました。夕食は、市内の小料理屋でお医者さん2人と親友、合わせて4人です。7時から11時まで、長い歓談。学生時代の思い出話もありましたが、もっぱら原発事故。
 いまは、除染や損害賠償に収斂していますが、福島から今何を発信すべきか、いろいろ貴重な意見が聞けました。医学的な所見も含め、廃棄物を処理できない原発の継続は、地球を滅ぼしてしまう。ドイツやイタリアに学んで、福島から原発をなくすアピールをすべきではなかろうか。防護服を着ても防ぎきれない危険な労働によってのみ支えられる原発と何なのか。避難することとのみに汲々としては居られない、等など話は尽きません。少しは、やるべきことが見えてくる懇談でした。(10/3)<7359>


◇ 日曜日ですが、午後から大学の大教室で「双葉地方住民による震災復興シンポジウム」(主催:福島大学)があり、研究室に出ました。約150名ほどの参加だったでしょうか。云うまでもなく、双葉郡8町村は、原発事故で役場ごと避難しています。どうすれば戻れるか、戻りたい、やはり戻れないのではとの様々な気持ちが渦巻いています。中高生の報告、室崎教授の講演、各町村の代表などによるシンポジウム、貴重な報告を聞きました。容易な課題ではないが、一定の期間後に郷里に戻るための羅針盤が欲しいとは殆んどの意向。各町村は、置かれた状況も違うが、同じ災害の犠牲。バラバラではなく、協働行動が必要と思います。安易な合併は反対ですが、復興にむかう「広域連合」等は有意義なのではないかと感想を持ちました。県内外への避難者への共同の窓口・サービス・情報提供、そして、除染の成果が一律ではないので、隣町の商店街を受け入れるなど、いまこそ連携が必要と感じています。粘り強い支援が必要でしょう。

 また、孫の話ですが、送られてきた孫の写真。半年前に生まれた「第3の孫」。ハイハイが早くなったと思ったら、「つかまり立ち」している写真。「つたい歩き」もしていて、二人の姉・孫娘を追いかけているらしい。そろそろ逆襲の時代に入ったか。這えば立て、立てば歩めの親心だが、妻は、もう少し基礎力・ハイハイをしっかりやらないと・・というが、どうなんだろう?。とにかく、スゴーイ!と感嘆。

 夜は、いつもの大河ドラマ「江」を見て、勉強でもしようかと思ったら、続くNHKスペシャルを見てしまいました。「巨大津波・水没した町 人々はどう動いたか」。名取市閖上(ゆりあげ)地区の人々の動きを追っています。心理学者の「正常性バイアス」「同調バイアス」「愛他行動」などの分析にも興味を持ちました。しかし、「愛他行動」も、火事場に飛び込むような、自分も死ぬかもというギリギリの想定が入っていないのではないかとも思えます。でも心理状況がよく理解できます。帰らぬ人となった身内も、きっと同じ思いだったんだろうな、偶然助からなかっただけかも思っています。珍しく、妻と二人で、一言も発しないで、気がついたら私は正座をしてみていました。個人的には、ともかく助かって欲しかったとは思いますが、何とか助けようと頑張ったんだろうなと想像しています。半年が経ちましたが。(10/2)<7327>


◇ 10月になりました。今年の暦の4分の3が過ぎましたが、学年暦では後期の開始です。改めて頑張っていきましょう。
 病院への定期診察。少し検査値(6.1)が悪くなりましたが、主治医は殆んど同じとの判断。もっと厳しく云って欲しいのですが・・。震災以降、意識的な運動をやっていないのですが、そろそろ再開してもいいかなと思っています。
 大学・研究室で作業。エレベータで降りると、同窓会の役員会に来たという柳沼夫婦。わざわざ、千葉からの来福。3月の卒業式が震災のためにできなかったので、10月29日(土)に改めて、遅ればせながらのお祝いの会の準備という。先輩たちが企画してくれるという。有難いものである。多くの今年の卒業生も出席して欲しいものである。
 今日は、孫たちの通う保育園の運動会。運動会が苦手な私のDNAを、しっかり受け継いでいるので、ハラハラですが、去年の運動会の例もあり、気にしていました。苦手のリレー、親の心配をよそに、全力でタッチしてリレーが出来たようです。そんな様子が、Facebookで届きました。少しづつでも成長しているのでしょうか。本当にジジ馬鹿です。(10/1)<7304>



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