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空山新雨後,
天氣晩來秋。
明月松間照,
清泉石上流。
竹喧歸浣女,
蓮動下漁舟。
隨意春芳歇,
王孫自可留。
山居の秋暝
空山 新雨の後,
天氣 晩來の秋。
明月 松間に 照り,
清泉 石上に 流る。
竹 喧(かまびす)しくして 浣女(くゎんぢょ) 歸り,
蓮 動きて 漁舟 下る。
隨意なり 春芳 歇(や)むも,
王孫 自ら 留る 可(べ)し。
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◎ 私感註釈
※王維:盛唐の詩人(701年~761年)字は摩詰。太原祁県(現・山西省祁県東南)の人。進士となり、右拾遺…尚書右丞等を歴任。晩年は仏教に傾倒した。
※山居秋暝:(隠棲した)山での生活の夕暮れの情景。 ・秋暝:秋の夕暮れ。秋の夕景。
※空山新雨後:人けのない寂しい山で、新たに降った雨上がりの後(は)。 ・空山:人けのない寂しい山。唐・魏徴『述懷』「中原初逐鹿,投筆事戎軒。縱橫計不就,慷慨志猶存。杖策謁天子,驅馬出關門。請纓繋南越,憑軾下東藩。鬱紆陟高岫,出沒望平原。古木鳴寒鳥,空山啼夜猿。既傷千里目,還驚九折魂。豈不憚艱險,深懷國士恩。季布無二諾,侯重一言。人生感意氣,功名誰復論。」
・新雨後:新たに降った雨上がりの後。
※天氣晩來秋:天の気配は、夕刻になって(雨上がりのため)急にひんやりと秋の気配を見せ始めた。 *雨上がりで急にひんやりとしだしたことをいう。 ・天氣:気候。空の様子。 ・晩來:おそくなっての。夕刻になっての。後世李煜に『相見歡』「林花謝了春紅,太匆匆。無奈朝來寒雨晩來風。 臙脂涙,留人醉,幾時重。自是人生長恨 水長東。」がある。
※明月松間照:澄み渡った月は、松の木の茂みの間から照して。 ・明月:澄み渡った月。 ・松間:松の木の茂みの間(から)。 ・照:てらす。
※清泉石上流:清らかな泉からのせせらぎは、石の上を流れている。 ・清泉:清らかな泉。澄んだ小さな渓流。 ・石上:石の上。(水中の)岩の上。
※竹喧歸浣女:竹藪の方がかまびすしくなったが、(それは)洗濯女が一日の作業を終えて楽しげに喋りながら帰って行く(からだ)。 ・竹喧:竹藪の方がかまびすしい。洗濯女が一日の作業を終えて楽しげに喋りながら帰って行くさま。別に「竹喧」という語があるわけではない。 ・喧:〔けん;xuan1○〕喧(かまびす)しい。やかましい。さわがしい。 ・歸:(自宅など本来の居場所に)かえる。 ・浣女:洗濯女。 ・浣:〔くゎん;huan4●〕洗う。
※蓮動下漁舟:ハスの花が(波で)動くのは、(一日の魚を捕る仕事が)ひけて、帰って行く。或いは、ハスの花が(波で)動くのは、(舟が川を)下って行くからだ。 ・蓮動:ハスの花が(波で)動く。 ・下:(一日の仕事が)ひける。(一日の仕事がすんで)さがる。帰る。くだる。或いは、(舟が川を)下って行く。毛澤東の『到韶山』「別夢依稀咒逝川,故園三十二年前。紅旗捲起農奴戟,黑手高懸覇主鞭。爲有犧牲多壯志,敢敎日月換新天。喜看稻菽千重浪,遍地英雄下夕煙。」を聯想する。 ・漁舟:魚を捕る小舟。
※隨意春芳歇:春の草花が散り凋むのも、どうぞご随意に(秋の風情には関わりがないから)。春の風情が終わっていくのは、別にかまわない。 ・隨意:意のままに。ご随意に。勝手に。ご自由に。現代語では“随便”になろうか。 ・春芳:春の花。若くて美しい女性の容色のことでもある。 ・歇:〔けつ;xie1●〕やめる。とどまる。やむ。休む。女性と見た場合、容色の衰えの意。南齊・謝の『王孫遊』「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」
による。
※王孫自可留:王孫(男性)は、(帰って行かないで、この山中に)きっと留まって(秋になった風情を愉しんで)いることだろう。春からの麗しい草花が凋んでいっても、(秋の草木の魅力もあるので)王孫は見捨てることなく、ここに留まっていますよ。 *秋の気配が訪れた山中から見ていると、「浣女」は「歸」し、「漁舟」は「下」する。更に、「春芳」も「歇」する。天下の黄昏である。しかしながら、「春芳」が「歇」しても、それでも「王孫」は帰ることなく「留」している。秋の夕暮れの情景を詠みながら、巧みに自分の気持ちをも表している。 ・王孫:(女性の許を離れて旅立っている)男性を指す。ここでの「王孫」の使い方は、山中にいる男性で、作者自身を指しているようだ。詩詞で使われる王孫とは、女性の容色の衰え等のために、女性の許を離れて旅立っていった男性のことでもある。作者は、山中の草花に対して、「枯れ凋んでもかまわないよ。わたし(作者=男性=王孫)は、ちゃんとここに留まっていてあげるから。」と言っているわけである。詩題や詞牌に『王孫歸』『憶王孫』
『王孫遊』(南齊・謝
)「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」
としてよく使われる。もと、貴人の子弟の意で、『楚辞・招隱士』「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,
蛄鳴兮啾啾。」を指す。そこでの王孫とは、楚の王族である屈原のこと。劉希夷『白頭吟』(代悲白頭翁)「公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前。光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫神仙。一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。」
や韋荘の『淸平樂』に「春愁南陌。故國音書隔。細雨霏霏梨花白。燕拂畫簾金額。 盡日相望王孫,塵滿衣上涙痕。誰向橋邊吹笛,駐馬西望消魂。」
がある。王維自身も『送別』で「山中相送罷,日暮掩柴扉。春草明年綠,王孫歸不歸。」
と使う。 ・自:自分から。 ・可:きっと。…べきである。 ・留:とどまる。
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◎ 構成について
韻式は、「AAAA」。韻脚は「秋流舟留」で、平水韻下平十一尤。この作品の平仄は、次の通り。
○○○●●,
○●●○○。(韻)
○●○○●,
○●●●○。(韻)
●○○●●,
○●●○○。(韻)
○●○○●,
○○●●○。(韻)
2005.4.29 4.30 |
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