Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




                                              
      恨別   

                 杜甫

洛城一別四千里,
胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,
兵戈阻絶老江邊。
思家歩月淸宵立,
憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,
司徒急爲破幽燕。




******

別れを恨む
洛城らくじゃう 一別  四千里,
胡騎こき 長驅ちゃうくす  五六年。
草木 變衰へんすゐして  劍外けんがいに行き,
兵戈へいくゎ 阻絶そぜつして  江邊かうへんに老ゆ。
家を思ひ 月に歩して  清宵せいせうに立ち,
弟をおもひ 雲を看て  白日に眠る。
聞道きくならく 河陽  近ごろかちに乘ずと,
司徒しとよ 急にために  幽燕いうえんを破れ。


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◎ 私感註釈

※杜甫:盛唐の詩人。712年(先天元年)~770年(大暦五年)。字は子美。居処によって、少陵と号する。工部員外郎という官職から、工部と呼ぶ。晩唐の杜牧に対して、老杜と呼ぶ。さらに後世、詩聖と称える。鞏県(現・河南省)の人。官に志すが容れられず、安禄山の乱やその後の諸乱に遭って、流浪の一生を送った。そのため、詩風は時期によって複雑な感情を込めた悲痛な社会描写のものになる。

※洛城一別四千里:洛陽の街にひとたび別れてより四千里(流離(さすら)い)。 *後世、後世、金・元好問は『初挈家還讀書山雜詩』で「
并州一別三千里,滄海橫流二十年。休道不蒙稽古力,幾家兒女得安全。」と使う。 ・已:とっくに。もうすでに。 ・洛城:洛陽城。洛陽の街。 ・一別:ひとたび別れてより。後世、白居易の白居易の『長恨歌』に「含情凝睇謝君王,一別音容兩渺茫。昭陽殿昭陽殿裡恩愛絶,蓬莱宮中日月長。」とある。 ・四千里:2239キロメートルで、洛陽・成都の間の道程(みちのり)を謂う。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)34-35ページでは直線距離ではこの数値の約半分。道程では詩でうたわれている程になろう。 *1里=0.5598キロメートル(唐制)(0.5598km×4000=2239.2km)。作者はこの詩を作ったとき四川の成都にいる。

※胡騎長驅五六年:えびすの軍馬(叛乱軍)が遠くまで追いかけてきて五、六年になる。 ・胡騎:〔こき;hu2ji4○●〕えびすの軍馬。ここでは、安禄山の軍勢を指す。安禄山はソグド人と突厥系の混血で、非漢民族であったことによる表現。正史では「賊」と表記されている。或いは、唐王朝は叛乱平定のためにウイグルの援軍を借りて叛乱軍を討った。味方であるウイグル軍の軍馬を指すのかも知れない。なお「騎」〔き;qi2○〕(動詞)(馬に)乗る。 ・長驅:馬などを遠く走らせる。遠くまで敵を追いかけていく。 ・五六年:(安禄山の乱が始まって以来)5、6年。この作品は上元元年(760年:作者49歳)のもので、安禄山の乱は天保十三年(755年)に起こったので、乱が始まって以来の意。

※草木變衰行劍外:草木が色を変えて衰え(わたしも同様になって)、剣門山の外の地の四川に。 ・變衰:(草木が)色を変えて衰える。宋玉の『九辯』に「悲哉秋之爲氣也,蕭瑟兮草木搖落而
變衰,慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,…」とある。 ・行:ゆく。 ・劍外:剣門山の外の地。長安と成都などのある四川を結ぶ街道の途中にある大剣山の外(大剣山の西南側)四川省を指す。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)65-66ページ「剣南道北部」にある。後世、武元衡が『題嘉陵驛』「悠悠風旆繞山川,山驛空濛雨作煙。路半嘉陵頭已白,蜀門西更上靑天。」でうたった嘉陵を過ぎての蜀門のことでもある。

※兵戈阻絶老江邊:戦乱に阻まれて交通が途絶え、(この錦江の)川辺で老いていく。 ・兵戈:〔へいくゎ;bing1ge1○○〕ほこ。戦争を謂う。 ・阻絶:地勢などに阻まれて交通が途絶える。 ・老:老いる。 ・江邊:川辺。ここでは、成都を流れる錦江の畔のことになる。

※思家歩月清宵立:家や故郷を思って、月明かりに散歩したり、よく晴れて気持ちのよい夜には佇んでいた。 ・思家:家郷を思う。 ・歩月:月明かりに散歩する。踏月。 ・清宵:よく晴れて気持ちのよい夜。

※憶弟看雲白日眠:弟を思って、雲を見ている内に、昼間の居眠りをした。 ・憶:深く心に思い起こす。 ・白日:白昼。

※聞道河陽近乘勝:聞いたところでは、河陽(の戦い)では、近頃、勝利に勢いづいているということらしいが。 ・聞道:…ということだが。…ということらしいが。聞いたところによると。きくならく。伝聞表現。なお「聞道(○●)」は、原則●●となるべきところで使い、「傳聞(○○)」は○○のところで使う。白居易の『新豐折臂翁』「新豐老翁八十八,頭鬢眉鬚皆似雪。玄孫扶向店前行,左臂憑肩右臂折。問翁臂折來幾年,兼問致折何因縁。翁云貫屬新豐縣,生逢聖代無征戰。慣聽梨園歌管聲,不識旗槍與弓箭。無何天寶大徴兵,戸有三丁點一丁。點得驅將何處去,五月萬里雲南行。
聞道雲南有瀘水,椒花落時瘴煙起。大軍徒渉水如湯,未過十人二三死。村南村北哭聲哀,兒別爺孃夫別妻。皆云前後征蠻者,千萬人行無一廻。是時翁年二十四,兵部牒中有名字。夜深不敢使人知,偸將大石槌折臂。張弓簸旗倶不堪,從茲始免征雲南。骨碎筋傷非不苦,且圖揀退歸鄕土。此臂折來六十年,一肢雖廢一身全。至今風雨陰寒夜,直到天明痛不眠。痛不眠,終不悔,且喜老身今獨在。不然當時瀘水頭,身死魂孤骨不收。應作雲南望鄕鬼,萬人冢上哭。老人言,君聽取,君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。」、同・白居易の『長恨歌』に「中有一人字太真 ,雪膚花貌參差是 。金闕西廂叩玉扃,轉敎小玉報雙成。聞道漢家天子使,九華帳裡夢魂驚。攬衣推枕起徘徊,平珠箔銀屏開,雲鬢半偏新睡覺,花冠不整下堂來。」南宋の張孝祥の『六州歌頭』「念腰間箭,匣中劍,空埃蠹,竟何成!時易失,心徒壯,歳將零。渺神京,干羽方懷遠,靜烽燧,且休兵。冠蓋使,紛馳鶩,若爲情?聞道中原遺老,常南望,羽葆霓旌。使行人到此,忠憤氣填膺,有涙如傾。」。また、金・宇文虚中の『在金日作』「遙夜沈沈滿幕霜,有時歸夢到家鄕。傳聞已築西河館,自許能肥北海羊。回首兩朝倶草莽,馳心萬里絶農桑。人生一死渾閒事,裂眥穿胸不汝忘。」、清末・秋瑾は『紅毛刀歌』で「一泓秋水淨纖毫,遠看不知光如刀。直駭玉龍蟠匣内,待乘雷雨騰雲霄。傳聞利器來紅毛,大食日本羞同曹。濡血便令骨節解,斷頭不俟鋒刃交。抽刀出鞘天爲搖,日月星辰芒驟韜。斫地一聲海水立,露鋒三寸陰風號。」 と使う。 ・河陽:洛陽の東北30キロメートルの黄河の対岸(北岸)。現・河南省孟県。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)44-45ページ「唐 都畿道 河南道」にある。安禄山の乱での激戦地。『中国史稿地図集』下冊(郭沫若主編 中国地図出版社)の19-20ページ「安禄山之乱」「史思明之乱」に詳しい。安禄山軍に洛陽や獲嘉から攻められ、史思明の軍には洛陽から攻められる。時期から見てこの詩では、史思明軍による洛陽からの侵攻とその邀撃の地。 ・近:近頃。 ・乘勝:勝ちに乗じる。勝利を利用する。『中国軍事史略』中巻(高鋭主編 軍事科学出版社)83ページに「河陽邙山之戦」詳しい。それによると、「759年(乾元二年(この詩作の前年))九月に、史思明軍(叛乱軍)が洛陽に入城して、東都・洛陽は再び賊軍の手に落ちた。しかし、この時、市内は空っぽにしてあったので、敵は何も手に入れることはできなかった。十月に、史思明(安禄山と並ぶ叛乱側の指導者)は(洛陽の北側を流れる黄河の対岸にある)河陽を攻撃しようと思った。(河陽の守将の)李光弼は、要害にたてこもって、しっかりと準備を整えて、水陸からの史思明軍(叛乱軍)に対して連戦連破して、一年間持ちこたえていた。やがて(他所の攻撃との関係で)史思明軍(叛乱軍)は撤退した。」とある。 ・乘:つけこむ。利用する。乗じる。

※司徒急爲破幽燕:司徒の李光弼〔りくゎうひつ(りこうひつ);Li3Guang1bi4〕よ、急いで(叛乱軍の本拠地である)幽燕を撃ち破れ。 ・司徒:官職名。ここでは、河陽の守将・李光弼を謂う。 ・急:急いで。急に。 ・爲:〔ゐ;wei4●〕ために。また、味方する。助ける。擁護する。 *蛇足になるが、この句「司徒急爲破幽燕」(○○●
●○○)では平仄上、「爲:〔ゐ;wei2○〕なす」の意はとりづらい。 ・破:(敵を)やぶる。くだく。 ・幽燕:中華の地の最北辺の地。現・北京、天津。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)48-49ページ「河北道南部」では北京市(市街地)が幽州の街。北京(広域)と天津で幽州。幽州の街の東北50キロメートルに燕州がある。ここでは安禄山の本拠地の意。安禄山は范陽節度使(本拠:幽州:現・北京)でもあり、叛乱の軍を発したのも范陽節度(幽州:現・北京)であり、安禄山自身も燕国の皇帝・大燕聖武皇帝を名乗っていた。この国号「燕」は「燕州(現・北京、天津)の地方国家」の意ではなく、中原は「唐」王朝から「燕」王朝に変わったのだ、という意志の表れ(「皇帝」)だったのだろう。 ・燕:〔えん;yan1○〕現・北京一帯の地方名。蛇足になるが、ツバメの意は〔えん;yan4●〕。更なる蛇足になるが、十数年前(1995年頃?)のことだった。中国といえば「青島啤酒」と思っていたが、北京のテレビコマーシャルで「燕京啤酒」が出てきた。でも言うのに「燕(yan4)京啤酒」と言っていた。これだと「ツバメの都のビール」になるのではないか、と心配していた。でも、翌年は「燕(yan1)京啤酒」(北京のビール)と言ってっていた。よかった、よかったというのが正直なところ。気にかかっていたので、今でもよく覚えている。御当地ビールの魁か。「北京啤酒」もでき、「燕京啤酒」と競い合っている。

               ***********




◎ 構成について

韻式は「AAAA」。韻脚は「年邊眠燕」で、平水韻下平一先。次の平仄はこの作品のもの。

●○●●●○●,
○●○○●●○。(韻)
●●●○○●●,
○○●●●○○。(韻)
○○●●●○●,
●●◎○●●○。(韻)
◎●○○●○●,
○○●●●○○。(韻)

2007.11.19
     11.20

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