長恨歌 白居易


唐 白居易
長恨歌
漢皇重色思傾國,仄(入)
御宇多年求不得。仄(入)
楊家有女初長成,
養在深閨人未識。仄(入)
天生麗質難自棄,
一朝選在君王側。仄(入)
回眸一笑百媚生,
六宮粉黛無顏色。仄(入)
春寒賜浴華淸池,平
温泉水滑洗凝脂。平
侍兒扶起嬌無力,
始是新承恩澤時。平
雲鬢花顏金歩搖,平
芙蓉帳暖度春宵。平
春宵苦短日高起,
從此君王不早朝。平
承歡侍宴無閑暇,仄(去)
春從春遊夜專夜。仄(去)
後宮佳麗三千人,平
三千寵愛在一身。平
金屋妝成嬌侍夜,
玉樓宴罷醉和春。平
姉妹弟兄皆列土,仄(上)
可憐光彩生門戸。仄(上)(現代語去)
遂令天下父母心,
不重生男重生女。仄(上)
驪宮高處入靑雲,平
仙樂風飄處處聞。平
緩歌謾舞凝絲竹,仄(入)
盡日君王看不足。仄(入)
漁陽 鼓動地來,
驚破霓裳羽衣曲。仄(入)
九重城闕煙塵生,平
千乘萬騎西南行。平
翠華搖搖行復止,仄(上)
西出都門百餘里。仄(上)
六軍不發無奈何,
宛轉蛾眉馬前死。仄(上)
花鈿委地無人收,平
翠翹金雀玉掻頭。平
君王掩面救不得,
回看血涙相和流。平
黄埃散漫風蕭索,仄(入)
雲棧 紆登劍閣。仄(入)
峨嵋山下少人行,
旌旗無光日色薄。仄(入)
蜀江水碧蜀山靑,平
聖主朝朝暮暮情。平
行宮見月傷心色,
夜雨聞鈴腸斷聲。平
天旋地轉迴龍馭,仄(去)
到此躊躇不能去。仄(去)
馬嵬坡下泥土中,
不見玉顏空死處。仄(去)
君臣相顧盡霑衣,平
東望都門信馬歸。平
歸來池苑皆依舊,仄(去)
太液芙蓉未央柳。仄(上)
芙蓉如面柳如眉,平
對此如何不涙垂。平
春風桃李花開日,
秋雨梧桐葉落時。平
西宮南内多秋草,仄(上)
落葉滿階紅不掃。仄(上)
梨園弟子白髮新,
椒房阿監靑娥老。仄(上)
夕殿螢飛思悄然,平
孤燈挑盡未成眠。平
遲遲鐘鼓初長夜,
耿耿星河欲曙天。平
鴛鴦瓦冷霜華重,仄(去)
翡翠衾寒誰與共。仄(去)
悠悠生死別經年,
魂魄不曾來入夢。仄(去)
臨邛道士鴻都客,仄(入)
能以精誠致魂魄。仄(入)
爲感君王輾轉思,
遂敎方士殷勤覓。仄(入)
排空馭氣奔如電,仄(去)
升天入地求之遍。仄(去)
上窮碧落下黄泉,
兩處茫茫皆不見。仄(去)
忽聞海上有仙山,平
山在虚無縹緲間。平
樓閣玲瓏五雲起,仄(上)
其中綽約多仙子。仄(上)
中有一人字太真,
雪膚花貌參差是。仄(上)(現代語・去)
金闕西廂叩玉扃,平
轉敎小玉報雙成。平
聞道漢家天子使,
九華帳裡夢魂驚。平
攬衣推枕起徘徊,平
珠箔銀屏 開。平
雲鬢半偏新睡覺,
花冠不整下堂來。平
風吹仙袂飄飄舉,仄(上)
猶似霓裳羽衣舞。仄(上)
玉容寂寞涙闌干,
梨花一枝春帶雨。仄(上)
含情凝睇謝君王,平
一別音容兩渺茫。平
昭陽殿裡恩愛絶,
蓬莱宮中日月長。平
回頭下望人寰處,仄(去)
不見長安見塵霧。仄(去)
唯將舊物表深情,
鈿合金釵寄將去。仄(去)
釵留一股合一扇,仄(去)
釵擘黄金合分鈿。仄(去)
但敎心似金鈿堅,平(韻脚ではない)
天上人間會相見。仄(去)
臨別殷勤重寄詞,平
詞中有誓兩心知。平
七月七日長生殿,
夜半無人私語時。平
在天願作比翼鳥,
在地願爲連理枝。平
天長地久有時盡,
此恨綿綿無絶期。平
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長恨歌
漢皇(かんくゎう) 色を重んじて 傾國を思ふ,
御宇(ぎょう) 多年 求むれども 得ず。
楊家に 女(ぢょ) 有り 初めて 長成し,
養はれて 深閨に 在り 人 未だ識らず。
天生の麗質は 自(おのづか)ら 棄て難く,
一朝 選ばれて 君王の側(かたはら)に 在り。
眸(ひとみ)を回(めぐ)らして 一笑すれば 百媚 生じ,
六宮(りくきう)の 粉黛 顏色 無し。
春 寒うして 浴を賜ふ 華淸の池,
温泉 水 滑らかに 凝脂を洗ふ。
侍兒 扶け起こすに 嬌(けう)として 力 無し,
始て 是れ 新たに恩澤(おんたく)を 承(う)くるの時。
雲鬢 花顏 金歩搖(きんほえう),
芙蓉の帳 暖にして 春宵を度る。
春宵 短きを苦しみて 日 高くして起く,
此れ從り 君王 早朝せず。
歡を承け 宴に侍して 閒暇 無く,
春は 春遊に從ひ 夜は 夜を專らにす。
後宮の佳麗 三千人,
三千の 寵愛 一身に在り。
金屋 妝ひ成って 嬌として 夜に侍り,
玉樓 宴 罷(や)んで 醉ひて 春に和す。
姉妹 弟兄(ていけい) 皆 土(くに)を 列ね,
憐む可し 光彩の 門戸に生ずるを。
遂に 天下の父母の心をして,
男を生むを 重んぜずして 女を生むを 重んぜ令(し)む。
驪宮 高き處 靑雲に 入り,
仙樂 風に飄って 處處に聞こゆ。
緩歌 謾舞 絲竹を 凝らし,
盡日 君王 看れども 足らず。
漁陽の
鼓 地を動(どよ)もして 來(きた)り,
驚破(けいは)す 霓裳(げいしゃう)羽衣(うい)の曲。
九重(きうちょう)の城闕(じゃうけつ) 煙塵 生じ,
千乘 萬騎 西南に行く。
翠華 搖搖として 行きて 復(ま)た止まる,
西のかた 都門を出づること 百餘里。
六軍(りくぐん) 發せず 奈何(いかん)ともする 無く。
宛轉(ゑんてん)たる 蛾眉 馬前に死す。
花鈿 地に委して 人の收むる 無く,
翠翹 金雀 玉掻頭。
君王 面を掩ひて 救ひ得ず,
回り看れば 血涙 相ひ和して流る。
黄埃 散漫として 風 蕭索,
雲棧
紆(えいう) 劍閣に 登る。
峨嵋山下 人の行くこと 少(まれ)に,
旌旗 光 無くして 日色 薄し。
蜀江は 水 碧にして 蜀山は 青く,
聖主 朝朝 暮暮の情。
行宮(あんぐう)に 月を見れば 心を傷ましむるの 色,
夜雨(やう)に 鈴を聞けば 腸(はらわた)を斷つの 聲。
天 旋り 地 轉じて 龍馭(りゅうぎょ)を 迴(めぐ)らし,
此に到りて 躊躇して 去ること 能(あた)はず。
馬嵬坡(ばくゎいは)の下 泥土の中,
玉顏を見ず 空しく 死せし處。
君臣 相ひ顧(かへりみ)て 盡く 衣を霑(うるほ)し,
東のかた 都門を望みて 馬に信(まか)せて 歸る。
歸り來(きた)れば 池苑 皆 舊に依る,
太液の芙蓉 未央(びあう)の柳。
芙蓉は 面の如く 柳は 眉の如し,
此(こ)れに 對して 如何ぞ 涙 垂れざらん。
春風 桃李 花 開くの日,
秋雨 梧桐 葉 落つるの時。
西宮の南苑 秋草 多く,
落葉 階に滿ちて 紅(くれなゐ) 掃(はら)はず。
梨園の弟子(ていし) 白髮 新たに,
椒房(せうばう)の 阿監(あかん) 靑娥(せいが) 老いたり。
夕殿(せきでん) 螢 飛びて 思ひ 悄然(せうぜん)たり,
孤燈 挑(か)き盡くして 未だ 眠りを 成さず。
遲遲たる 鐘鼓 初めて 長き夜,
耿耿(かうかう)たる 星河 曙(あけ)んと欲する天。
鴛鴦(ゑんあう)の瓦(かはら) 冷ややかにして 霜華(さうくゎ) 重く,
翡翠(ひすゐ)の衾(ふすま) 寒くして 誰 與(と)共にかせん。
悠悠たる 生死 別れて 年を 經,
魂魄 曾て 來(きた)りて 夢にも 入らず。
臨
(りんきょう)の道士 鴻都(こうと)の客,
能く 精誠を以って 魂魄を致(まね)く。
君王の 輾轉の思ひに 感ずるが爲に,
遂に 方士をして 殷勤に覓めしむ。
空を排し 氣を馭して 奔ること 電(いなづま)の如く,
天に升り 地に入りて 之を求むること 遍し。
上は 碧落を 窮め 下は 黄泉,
兩處 茫茫として 皆 見えず。
忽ち聞く 海上に 仙山 有り,
山は 虚無 縹緲(へうべう)の間に 在り。
樓閣 玲瓏として 五雲 起り,
其の中 綽約として 仙子 多し。
中に 一人 有り 字(あざな)は太真,
雪膚 花貌 參差として 是(これ)なりと。
金闕の 西廂に 玉
を叩き,
轉じて 小玉をして 雙成に 報ぜ 敎む。
聞く道く 漢家 天子の使ひと,
九華帳裡 夢魂 驚く。
衣を攬り 枕を推して 起って 徘徊し,
珠箔 銀屏 
として 開く。
雲鬢 半ば偏りて 新たに 睡りより 覺め,
花冠 整はずして 堂を 下りて來る。
風は 仙袂を吹きて 飄飄として 舉がり,
猶ほも 霓裳羽衣の舞に 似たり。
玉容 寂寞として 涙 闌干,
梨花 一枝 春 雨を帶ぶ。
情を 含み 睇を 凝らして 君王に 謝す,
一別 音容 兩つながら 渺茫(べうばう)。
昭陽殿 裡 恩愛 絶え,
蓬莱宮 中 日月 長し。
頭を回らし 下 人寰の處を 望めば,
長安を 見ず 塵霧を 見る。
唯だ 舊物を 將(も)って 深情を 表す,
鈿合 金釵 寄せ將ちて 去らしむ。
釵は 一股を 留め 合は 一扇,
釵は 黄金を擘ち 合は 鈿を分つ。
但だ 心をして 金鈿の堅きに 似せ敎(し)めれば,
天上 人間 會(かなら)ず 相ひ見(まみ)えん。
別れに 臨んで 殷勤に 重ねて 詞(ことば)を寄す,
詞中 誓ひ有り 兩心のみ 知る。
七月七日 長生殿,
夜半 人 無く 私語の時。
「天に在りては 願はくは 比翼の鳥と 作(な)り,
地に在りては 願はくは 連理の枝と 爲(な)らん。」と
天 長く 地 久しきも 時 有りて 盡く,
此の 恨みは 綿綿として 盡くる期 無からん。
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◎ 私感註釈
※白居易:中唐の詩人。772年(大暦七年)~846年(會昌六年)。字は楽天。号して香山居士。官は武宗の時、刑部尚書に至る。左拾遺になるが、江州の司馬に左遷され、後、杭州刺史を任ぜらる。やがて刑部侍郎、太子少傅、刑部尚書を歴任する。その詩風は、平易通俗な語彙表現を好み、新楽府、竹枝詞
、楊柳枝
等に挑戦し諷諭詩
や感傷詩でも活躍し、仏教に帰依した。本サイトでは、『抒情詩の頁』
に多く集めている。
※長恨歌:百二十句からなる古詩。玄宗皇帝と愛妃・楊貴妃との関係を恩愛の物語として歌いあげた一種の詠史詩。時代背景は、756年(天寶十五年/至徳元年)~763年(寶應二年/廣德元年)に起こった安史の乱の大叛乱である。『中国史稿地図集』下冊(郭沫若主編 中国地図出版社)の19-20ページ「安禄山之乱」「史思明之乱」に詳しい。歴史的な事実は、玄宗は若い頃、開元の治と謂われる名治世を行ったがやがて寵妃である楊貴妃との愛慾生活に溺れ、政治は楊貴妃の又従兄弟である楊国忠とその子供らに任せ、軍事はゾグド人との混血であった安禄山に范陽をはじめとする北方の三節度使を任せ、政務を顧みなかった。その隙を狙って、挙兵した安禄山は、たちまちの内に唐都・洛陽を陥落させ、安禄山は大燕聖武皇帝となった。その後、長安への侵攻を始め、玄宗は蜀(現・四川省)に逃亡する。その途中の馬嵬で、楊国忠は兵士たちに(安禄山の叛乱を招いた)失政の責を問われ、その息子の楊暄、楊昢、楊曉、楊晞らと共に殺された。楊貴妃に対しても兵士たちより、同罪であると、玄宗に対して求め、玄宗もやむなく同意して、高力士によって絞殺された。その後、蜀の成都に逃れた玄宗は夜毎楊貴妃を偲んで哀しんだという。やがて、叛乱は、ウイグル人部隊の援助もあって、平定された。このことを詩にまとめたのがこの作品。この作品の祖型は、漢末の千七百四十五字からなる超長篇詩『古詩爲焦仲卿妻作(孔雀東南飛)』「孔雀東南飛,五里一裴徊。十三能織素,十四學裁衣,十五彈箜篌,十六誦詩書,十七爲君婦,心中常苦悲。』
になり、似たイメージのものは、『玉臺新詠』
にある一連のものになる。また、魏晋南北朝詩の陳後主叔宝による『玉樹後庭花』
がある。これは、陳後主と張貴妃らとの愛慾生活を描いている。同時代人の杜甫には、この両者の関係をクールに描写した『哀江頭』「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一箭正墜雙飛翼。明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。人生有情涙霑臆,江水江花豈終極。黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。」
がある。
※漢皇重色思傾國:漢の皇帝は、女色を珍重して傾國の美女を思いもとめた。 ・漢皇:漢の皇帝。ここでは、唐の皇帝玄宗を指す。詩詞では、直接に名指しするのを避け、よく漢を使う。借古諷今。 ・傾國:国王の気を奪い、国家体制をも傾け、国を危うくさせるほどの美女。絶世の美女。漢代、歌手の李延年が武帝に自分の妹を絶讃して薦めた『歌』
に基づく。『漢書・列傳・卷九十七上・外戚傳上』「孝武李夫人,本以倡進。初,夫人兄延年性知音,善歌舞,武帝愛之。毎爲新聲變曲,聞者莫不感動。延年侍上起舞,歌曰:『北方有佳人,絶世而獨立,一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。』
上嘆息曰:『善。世豈有此人乎。』平陽主因言延年有女弟,上乃召見之,實妙麗善舞。由是得幸。」に因る。
※御宇多年求不得:天子の御代の間中、求め続けていたが、得られなかった。 ・御宇:天子の御代。
※楊家有女初長成:楊家にむすめがいて、今し方、成長した。 ・女:むすめ。楊玉環のこと。やがて貴妃となる。元は、玄宗の皇子・壽王瑁の妃であったが、俗世の因縁を避けるべく、女冠とした。その名は太真。後世、楊貴妃いう呼び方が一般的。(719年~756)
。 ・初:たった今。今し方。 ・長成:成長し(た)。
※養在深閨人未識:奥深い女性の部屋内で育てられたので、人々は見知らなかった。 ・閨:婦人の部屋。婦人の住む建物。
※天生麗質難自棄:生まれながらの美貌は、自然と無視できないこととなり。 ・天生:生まれながら。生まれつき。 ・麗質:〔れいしつ;li4zhi4●●〕美貌。 ・難:〔なん;nan2○〕できない。むつかしい。 ・自:自然と。 ・棄:捨てて顧みない。
※一朝選在君王側:ある日、選ばれて君主のお側に上がった。 ・一朝:一旦。ある朝。ある日。 ・君王:君主。
※回眸一笑百媚生:瞳を動かして微笑んだら、多くの艶(なま)めかしさが生まれ出て。 ・「回」を「囘」とするのもある。同音同義。 ・一笑:微笑む。少し笑う。にっこりと笑う。 ・百媚:多くの媚態。
※六宮粉黛無顏色:皇帝の後宮の六つの建物にいる化粧をした美しい女性も比べものにならないほど目立たない。 ・六宮:後宮の六つの建物。後宮の女性たちを指す。 ・粉黛:〔ふんたい;fen3dai4●●〕おしろいと眉墨。転じて、化粧をした美しい女性。 ・無顏色:比べれば全く目立たないこと。比べものにならない。
※春寒賜浴華淸池:春の早くに、(帝より)華淸宮の湯泉で浴を賜った。 ・華清池:華清の池。長安東郊の湯泉
。離宮があった。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)40-41ページ「京畿道 関内道」にある驪山の手前。西京(長安)の東北東15キロメートルのところ
※温泉水滑洗凝脂:湯泉の水質は滑らかであって、美女の白くなめらかな肌を洗った。 ・凝脂:〔ぎょうし;ning2zhi1○○〕美女の白くなめらかな肌の形容。脂身の固まった物。
※侍兒扶起嬌無力:お付きの人が手を添えて起こしたが、色っぽくぐったりとしていた。 ・侍兒:お付きの人。
※始是新承恩澤時:初めて新たに皇帝の寵愛を承(うけたまわ)った時のことである。 ・始是:始まり。初め。初めて。 ・恩澤:〔おんたく;en1ze2○●〕皇帝の愛情。 ・承恩澤:皇帝に可愛がっていただく。 ・是…時:…が…の時であった。
※雲鬢花顏金歩搖:雲なす豊かな髪に、花のように美しい顔に(きらきらと映える)黄金製の揺れ動く髪飾り。 ・雲鬢:〔うんびん;yun2bin4○●〕雲なす豊かな髪。 ・花顏:花のように美しい顔。 ・歩搖:歩行に連れて揺れ動く髪飾り。
※芙蓉帳暖度春宵:芙蓉の花の模様のある(閨房の)とばりで、春の夜を過ごした。 ・芙蓉帳:閨房の中の譬喩。芙蓉の花の模様のあるとばり。芙蓉の花で染め上げた絹で作ったとばり。 ・度:過ごす。
※春宵苦短日高起:(夜の愉悦のため、春の夜の)短いのがつらいので、太陽が高く上がってから起床した。 ・苦短:(春の夜の)短いのがつらい。 ・日高起:太陽が高く上がってから起床する。
※從此君王不早朝:これより君主は、早起きをしなくなった。 ・早朝:早起きする。動詞表現。
※承歡侍宴無閒暇:歓(よろこ)びごとを承(うけたまわ)って、(引き続いて)宴(うたげ)に侍(はべ)って、閑(ひま)もなく。 ・閑暇:ひま。「閑」を「間(閒)」とするのもある。どちらの文字であっても、ここでの用法では、読音は〔かん;xian2○〕になる。
※春從春遊夜專夜:春は春遊に従って出向き、夜には夜のことを独り占めした。 ・專:独り占めする。ほしいままにする。専(もっぱ)らにした。
※後宮佳麗三千人:皇帝のお妃たちが住む後宮には美女が三千人(いるが)。 ・後宮:皇帝のお妃たちが住むところ。大奥。 ・華麗:美女。
※三千寵愛在一身:三千人の後宮の女性が受ける寵愛を一身に集めた。
※金屋妝成嬌侍夜:立派な建物で、粧(よそお)って、あでやかに夜に侍(はべ)っていた。 ・妝:「妝」を「粧」とするのもある。同音同義。であり、近似音近似義。
※玉樓宴罷醉如春:立派なたかどのでの宴会が終わって、春の趣をたたえて酔ってしまった。 ・玉樓:立派なたかどの。「金屋」と同じ意で使われている。 ・春:暖かさ、柔らかさ、異性を暗示する語である。韻脚でもある。
※姉妹弟兄皆列土:(楊家の)兄弟姉妹達が(栄達したため)領土をつらねあっている。 ・姉妹:「姉」を「
」とするのもある。同音同義。 ・弟兄:「兄弟」とするのもある。「兄弟」としないで、「弟兄」とするのは、平仄との関係。「姉妹弟兄皆列土」は「●●●○○●●」であり、美しいリズムを取っているが、「姉妹弟兄皆列土」では「●●○●○●●」となる。 ・列土:(楊家の兄弟達が栄達したため)領土をつらねあっている。 *「列士」ともする。「列土」の場合は、「土(くに)を列ねる」の意になり、「列士」の場合は、「士(士大夫)に列なる」の意となる。どちらがふさわしいか、押韻から判断してみる。この前後の韻脚は、「揺宵起朝。暇夜。人身夜春。土戸心女。雲聞。竹足來曲。」である。「土戸女」か「士戸女」」か、どちらかと見ていけば、やはり前者の方が自然だ。蛇足だが、「人身夜春。土戸心女。」と見ていくと、「人身春」と「心」とは韻を踏んでいるのではないかとも見えるが、「人身春」は「-n韻」であるのに対し、「心」は「-m韻」であって、全く別の韻目となる。
※可憐光彩生門戸:うらやましいことだ、輝く(繁栄の)光が家の出入口に生じているではないか。 ・可憐:うらやましい。また、愛らしい。あわれ。心が強く動かされるさまをいう。劉希夷『公子行』の「可憐楊柳傷心樹,可憐桃李斷腸花。」
や、唐・王昌齡『梁苑』「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰憐。」
、白居易の『暮江吟』「一道殘陽鋪水中,半江瑟瑟半江紅。可憐九月初三夜,露似眞珠月似弓。」
杜甫の『登樓』「花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。可憐後主還祠廟,日暮聊爲梁甫吟。」
とあるのに同じ。 ・光彩:美しく輝く光。鮮やかな光。きらびやかで豪華なこと。 ・門戸:〔もんこ;men2hu4○●〕家の出入口。かどぐち。
※遂令天下父母心:ついに世の中の父母の心に…させた。 ・遂:ついに。 ・令:(…に…を)させる。…をして…しむ。使役表現。命令を出して…させるかのような使役表現のときに使う。 ・天下:世の中。 ・父母心:親の思い。
※不重生男重生女:男を生むことを重んじないで、女を生むことを重んじ(させるようになった)。杜甫の『兵車行』では「信知生男惡,反是生女好。生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。君不見青海頭,古來白骨無人收。新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」
と詠われている。
※驪宮高處入靑雲:驪山の離宮の高い処である建物の尖端は、天の青みがかった雲に入って。 ・驪宮:長安東郊の驪山にある離宮。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)40-41ページ「京畿道 関内道」にある。長安東北東25キロメートルのところ。 ・青雲:青みがかった雲。青空。劉希夷『公子行』に「天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。馬聲廻合青雲外,人影搖動綠波裏。綠波蕩漾玉爲砂,青雲離披錦作霞。」
とある。
※仙樂風飄處處聞:世俗を超越した音楽の音(ね)は、風にひるがえって方々に聞こえて行く。 ・處處:〔しょしょ;chu4chu4●●〕方々(に)。あちらこちら(に)。
※緩歌謾舞凝絲竹:ゆったりとした歌声とのびやかな舞いは、弦楽器と管楽器の粋を凝(こ)らした物で。 ・謾舞:「慢舞」とするのもある。 ・絲竹:絃楽器と管楽器。このころの楊貴妃が作った詞に『阿那曲』
「羅袖動香香不已」がある。
※盡日君王看不足:一日中、君主は見ていても見足りなかった。 ・盡日:一日中。終日。 ・看不足:見足りない。「看不足」は、見ていても見たりない。なお、「不足看」という言い方をすれば、見る価値がない、の意になる。
※漁陽
鼓動地來:漁陽で兵火があがって、攻め寄せてきた。755年(天保十四年)十一月のこと。「
」を「
」とするのもある。 *王翰の『古長城吟』(『飮馬長城窟行』)に「長安少年無遠圖,一生惟羨執金吾。麒麟前殿拜天子,走馬西撃長城胡。胡沙獵獵吹人面,漢虜相逢不相見。遙聞撃鼓動地來,傳道單于夜猶戰。此時顧恩寧顧身,爲君一行摧萬人。壯士揮戈回白日,單于濺血染朱輪。」
とある。 ・漁陽:〔ぎょやう;Yu2yang2○○〕地名。范陽。安禄山が乱を起こしたところ。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)48-49ページ「河北道南部」にある。現在の北京の東100キロメートルにある薊県。『中国史稿地図集』下冊(郭沫若主編 中国地図出版社)の19-20ページ「安禄山之乱」「史思明之乱」を見ると、安禄山は現・北京の范陽節度から三方に兵を発して、その一が漁陽に至っている。 ・
鼓:〔へいこ;pi2gu3○●〕せめつづみ。騎兵が馬上で鳴らす鼓。
※驚破霓裳羽衣曲:皇帝が作った『霓裳羽衣曲』も驚いて打ち砕かれた。音楽に浸っていた平穏な生活がうち破られた。 ・霓裳羽衣曲:曲名。玄宗が作曲したといわれる曲。
※九重城闕煙塵生:皇宮、帝都は砂煙が巻上がり。 ・九重城闕:皇宮をいう。また、帝都をいう。この後の混乱を前出杜甫の『哀江頭』は、「翻身向天仰射雲,一箭正墜雙飛翼。明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。人生有情涙霑臆,江水江花豈終極。黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。」
と詠っている。白居易も参考にしたことだろう。
※千乘萬騎西南行:多くの乗り物と馬の皇帝一行は、西南の方蜀の成都へ逃れて行った。 ・千乘萬騎:多くの乗り物と馬。千台の戦車と万の騎兵。萬乘は、天子の馬揃えになる。ここでは皇帝一行を指す。周代の制で、戦時に天子は兵車万乗を有したところに由る。「天子法駕三十六乘,大駕八十一乘,皆備千乘萬騎而出也。」(『史記・世家・梁孝王』の古註)。唐・王昌齡の『梁苑』「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰憐。」
梁の孝王の描写で『史記・世家・梁孝王』には「於是孝王築東苑,…大治宮室,爲複道,自宮連屬於平台三十餘里。得賜天子旌旗,出從千乘萬騎。東西馳獵,擬於天子。出言蹕,入言警。」と、そのことが記録されている。 ・西南行:蜀の成都へ逃れていったことを指す。
※翠華搖搖行復止:天子の旗がゆらゆらと行って、その後は、じっと止まってしまった。 *楊貴妃の一族である楊国忠が兵士に殺された。 ・翠華:天子の所在を表す旗。カワセミの羽で作ったことからこう呼ぶ。
大纛。我が国でいう天皇旗。 ・搖搖:〔えうえう;yao2yao2◎◎〕ゆれるさま。物や心が落ち着かず不安なさま。『詩經・王風・黍離』に「彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」
とうたい、陶淵明の『歸去來兮辭』では、「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕
,風飄飄而吹衣。」
とする。 ・行復止:行って、その後は、じっと止まってしまう。「復行止」とするのもある。 ・止:じっと止まってしまうこと。移動をしないこと。一時的に停止をする場合には「停」を使う。
※西出都門百餘里:(そこは、)長安の西方で、都門を出て百余里(のところで)。
※六軍不發無奈何:全軍が動かず、どうしようもなかった。兵士たちが玄宗が傾国の美女に夢中になり、国政を疎かにしたしたことに不満で、軍が進発しなかったことと、後出『垓下歌』
にもあるとおり、愛する女性を救い得なかったのとまどいをいう。 *歴史的な事実は、玄宗が蜀(現・四川省)の成都に逃亡する途中の馬嵬で、楊国忠は国を誤り、安禄山の叛乱を招いたとして息子の楊暄、楊昢、楊曉、楊晞らと共に殺された。楊貴妃も絞殺された。 ・六軍:皇帝の率いる軍勢。編制が六つからなっていた。
・無奈何:どうしようもなかった。玄宗と同様に愛する女性を失った項羽は、垓下で「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何。」
(『垓下歌』)と悲愴な歌を遺している。
※宛轉蛾眉馬前死:蛾の触角のようになめらかな弧を描いた眉の美女である楊貴妃は、玄宗の馬前で、殺された(死を賜わった)。 ・宛轉蛾眉:蛾の触角のようになめらかな弧を描いた眉で美女のことをいう。 ・宛轉:〔ゑんてんwan3zhuan3●●〕眉が美しく曲がるさま。顔かたちの美しいさま。 ・蛾眉:〔がび;e2mei2○○〕蛾の触角のようになめらかな弧を描いた眉で美女。 ・馬前死:玄宗の馬前で殺された。正確には、玄宗から死を賜わった。
※花鈿委地無人收:螺鈿の花かんざしは地面に落ちたが、誰も収める人がいなく。 ・花鈿:〔くゎでん;hua1dian4○●〕螺鈿の花かんざし。或いは、婦人の頭の装飾品で、前額にはりつけるもの。 ・無人:…する人がいない。誰も…ない。 ・收:おさめる。しまい込む。
※翠翹金雀玉掻頭:(さらに、地に委ねられたのは)カワセミの髪飾りに、黄金のクジャクの髪飾り、玉で作ったこうがい…。 ・翠翹:カワセミの髪飾り。 ・金雀:〔きんじゃく;jin1que4○●〕黄金のクジャクの髪飾り。 ・玉掻頭:玉で作ったこうがい、かんざし。 ・掻頭:〔さうとう;sao1tou2○○〕こうがい、かんざし。
※君王掩面救不得:君王は、顔を掩(おお)っていて、救えなかった。 ・-不得:…することが許されない。…することができない。…することは不適切だ。動詞の後に附け、可能性、能力のないことを表す。 *「救不得」救えなかった、を「不得救」とすれば、救うことを得ない、救いにならない、の意になる。
※回看血涙相和流:ふり返って見れば、血と涙が一緒になって流れていた。 *玄宗の嘆きの描写。「回看」を「回首」とするのもある。「涙」を「泪」とするのもある。 ・和:まじる。一緒になる。
※黄埃散漫風蕭索:黄塵が散らばり広がり、吹く風は物寂しげである。 ・黄埃:黄塵。 ・散漫:散らばり広がる。 ・蕭索:〔せうさく;xiao1suo3○●〕物寂しいさま。
※雲棧
紆登劍閣:高いところにある桟道は、うねり曲がって続き、蜀の入り口にある大剣山や小剣山のかけ橋に登って(蜀の国に入っていった)。 ・雲棧:〔うんさん;yun2zhan2○●〕高いところにある桟道。山腹の切り立った崖などに沿って、木材で棚のように張り出して作った道。絶壁に沿ってかけた橋の道。かけ橋。「箱根の山は天下の険、蜀の桟道ものならず」にも使われた蜀の桟道のこと。 ・
紆:〔えいう;ying2yu1○○〕うねり曲がる。からみつく。くにゃくにゃとうねっているさま。
・劍閣:長安から蜀の国に入ったところにある大剣、小剣の二山。閣道(架け橋)が多くあることから剣閣という。四川省に入って、後二百キロメートルで成都に着くというところにある。
※峨嵋山下少人行:(蜀の国は辺鄙な所なので)峨嵋山下には、人の行く姿がまれである。 ・峨眉山:四川省・成都の南二百キロメートルにある山。前出「劍閣」との位置関係を確認すれば北から、「長安」⇒「劍閣」⇒「成都」⇒「峨眉山」になる。その場合、「劍閣」は通過点になるが、「峨眉山」は目的地の成都のずっと南になる。「黄埃散漫」という時ではなくて、空気の良い時期には峨眉山が見えたのだろう。四川・成都の象徴として使われている。 *「峨嵋山」を「峨眉山」とするのもある。後者が現在の地名。
※旌旗無光日色薄:旗差し物には輝きがなく、日の光も薄い。 *玄宗一行の心的風景であり、同時に四川(蜀)の風光でもある。 ・旌旗:旗の総称。 ・日色薄:蜀の地は地勢の関係上、晴れの日が極めて少ないこと。そのことをいった諺に「蜀犬日に吠ゆ」「邑犬羣吠,吠所怪也。僕往聞,庸蜀之南,恒雨少日,日出則犬吠。」がある。
※蜀江水碧蜀山青:蜀(四川)の川の流れは澄んだ緑色で、蜀(四川)の山は青い。 ・蜀江:蜀(四川)の川(普通名詞)。 ・碧:〔へき;bi4●〕澄んだ緑色。 ・蜀山:蜀(四川)の山(普通名詞)。
※聖主朝朝暮暮情:帝(玄宗)は、朝な夕なに(楊貴妃を)懐かしんでいる。 *楚の襄王が巫山で夢に神女と契った時、神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になると言った故事からきている。宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの)があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」に基づく。後世、宋・秦觀は『鵲橋仙』「纖雲弄巧,飛星傳恨,銀漢迢迢暗度,金風玉露一相逢,便勝卻人間無數。 柔情似水,佳期如夢,忍顧鵲橋歸路,兩情若是長久時,又豈在朝朝暮暮。」
と使っている。
※行宮見月傷心色:行在所に月を見れば、心を傷める色合いがある。 ・行宮:天子の旅先での仮の宮殿。 ・見月:見て親・友を思い偲ぶことをいう。
※夜雨聞鈴腸斷聲:夜雨に鈴を聞けば、断腸の思いのする音色である。 *悲嘆にくれる玄宗。 ・聞鈴:夜警のための鈴の音か。この聯は対句形式。この辺りより後は対句が多くなっている。
※天旋地轉迴龍馭:時節が移り変わって、皇帝の乗り物が戻ることになった。 *安史の乱が平定されたことを言う。乱の起こった755年(天保十四年)の翌年・756年の十二月のことになる。「天旋地轉」を「天旋日轉」とするのもある。「迴」を「廻」とするのもある。
盛唐・李白の『上皇西巡南京歌』に「誰道君王行路難,六龍西幸萬人歡。地轉錦江成渭水,天迴玉壘作長安。」
とある。 ・迴:もどる。Uターンをする、という感じの「戻る」。 ・龍馭:天子の乗る乗り物。李白の『上皇西巡南京歌』
での「六龍」のこと。
※到此躊躇不能去:(天子は)ここに来て、躊躇して、去って行くことが出来なかった。 ・到此:この地に来て。蛇足になるが、現在も観光地の落書きでは“到此一游”と書く。 ・躊躇:〔ちうちょ;chou2chu2○○〕ぐずぐずすること。ためらうこと。あれこれと迷って心を決めかねること。 ・不能:…ができない。 ・去:行く。去る。
※馬嵬坡下泥土中:(そこはどこかというと)馬嵬の坡(さか)の下である泥土の中であり。 *楊貴妃最期の地、馬嵬の坡にさしかかり、感無量である。 ・馬嵬:〔ばくゎい;Ma3wei2●◎〕京兆府・金城、武功の間、現・陝西省平県の西にある地名。楊貴妃が命を落としたところ。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)40-41ページ「京畿道 関内道」にある。西京(長安)の西75キロメートルのところ渭水の北岸に馬嵬驛がある。 ・坡:〔は;po1○〕坂道。堤。土手。
※不見玉顏空死處:(そこは、もう)美人の顔を見出すことのない、空しく死んだ処なのだ。 *「能」を「思」とするのもある。「泥」を「塵」とするのもある。 ・玉顔:美人の顔。ここでは、楊貴妃の顔を指す。劉希夷『公子行』に「此日遨遊邀美女,此時歌舞入娼家。娼家美女鬱金香,飛去飛來公子傍。的的珠簾白日映,娥娥玉顏紅粉妝。」
とある。注意を要するのは、中国では目上の人の顔、日本では天子の顔、という意味でも使われることがある。
※君臣相顧盡霑衣:君主と臣下は、顧み合って、ことごとく涙で着物を濡らした。 ・君臣:君主と臣下。 ・霑衣:涙で着物を濡らす。
※東望都門信馬歸:君臣ともに涙を流して、悄然として馬に足取りをまかせて、都へ返った。「霑」を「沾」とするのもある。
※歸來池苑皆依舊:帰ってみれば池や庭は昔のままであった。
※太液芙蓉未央柳:宮殿の庭にある太液池の芙蓉の花や未央宮の柳(を見るにつけても)。 *ここでは長安に戻った時の宮殿の描写。 ・太液:宮殿にある池の名。漢代では建章宮の中にあり、唐代では大明宮中にあった。 ・未央:(びあう;Wei4yang1●○)漢代の宮殿の名。未央宮のこと。ここでは、玄宗の宮殿を指している。
※芙蓉如面柳如眉:芙蓉は楊貴妃の顔のように美しく、柳は楊貴妃の眉のようである。花や柳を見るにつけ思い出すのは楊貴妃のことである。
※對此如何不涙垂:自然は、ちゃんと再び美しい春を呼び戻し、昔と変わらぬ美しさであるが、それに対して、現世の人であるわたしは、移ろい行く時の流れの中で、大切な人を失ってしまった。この現実を目の当たりにして、どうして涙が垂れないことがあろうか。 ・如何:どのようであるか。どのようにするか。ここでは「如何不」で、実質的な二重否定の働きをしていることになる。
※春風桃李花開日:春風に、桃や李(すもも)の花が開く日々。華やかな春の季節。「花開日」を「花開夜」とするのもある。
※秋雨梧桐葉落時:秋雨に、梧(あおぎり)や桐の葉が落ちる時。さびしげな秋の季節。 *いずれも思い出されるのは、かの人のことばかりである。
※西宮南苑多秋草:西宮の南の御苑には、秋草が多く茂り。
※落葉滿階紅不掃:落葉が階(きざはし=中国式の建物では入り口ともいえる)に満ちても、(来客がないために)紅葉を掃き取っていない。 *玄宗の心象風景。やる気をなくした日々を形容。「紅」は、紅葉、もみじ。「南内」を「南苑」ともする。「落葉」を「宮葉」ともする。「階」を「
」ともする。
※梨園子弟白髮新:(玄宗皇帝(明皇)が宜春北院を与え、)梨園に自ら創った音楽の教坊の音学生も、年を取って白髪が新たに増えていった。 ・梨園子弟:唐の玄宗皇帝(明皇)が宜春北院を与え、梨園に自ら創った音楽の教坊の音学生。後世、転じて、俳優。役者。中国では京劇関係、日本では歌舞伎関係の世界を謂うようになった。ここでは、玄宗が作った歌舞団員。「皇帝梨園子弟」を指す。白居易の『梨園弟子』には「白頭垂涙話梨園,五十年前雨露恩。莫問華清今日事,滿山紅葉鎖宮門。」
と詠っている。「梨園弟子」ともする。
※椒房阿監靑娥老:皇后の部屋に勤める阿監の黒い眉の容貌も老け込んでしまった。 ・椒房:皇后の部屋。山椒は暖気を与え、悪気を去るというので皇后の部屋の壁に塗っている。 ・阿監:女中の取り締まり役。 ・青娥:黒い眉。女性を指す。
※夕殿螢飛思悄然:宵闇の迫る宮殿に、ホタルが飛んでくると、心が、憂え悲しんでくる。六朝の謝
『玉
怨』「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」
に基づく。 ・悄然:〔せうぜん;qiao3ran2●○〕憂え悲しむさま。心のものさびしいさま。元気がないさま。 ・螢:〔けい;ying2○〕ホタル。日本語での「可愛いホタル」といった語感とは異なって、詩詞では、虚空を彷徨(さまよ)う魂、心の表現としての「螢」が屡々使われるので、要注意の語。
※孤燈挑盡未成眠:夜が更けて、周りが寝静まって、灯火を落としても、皇帝のところだけは、ぽつんと灯火が灯っており、(時間が経過して、)灯火の火を掻き立て尽くしたが、まだ眠れない。 ・孤燈:夜が更けて、周りが寝静まって、灯火を落としても、皇帝のところだけは、ぽつんと灯火が灯っている。 ・挑:灯火の火を掻き立てる。灯火を点けてから時間が経過して、芯を掻き立てる必要がある。 ・盡:つくす。ここでは、すっかり掻き立ててしまって、尽きてしまったことをいう。
※遲遲鐘鼓初長夜:ゆっくりとした時を告げる鐘の音が、やっと長く感じられる夜になった。前出「春宵苦短日高起」の逆になったこと。独り寝のやるせなさをいう。 ・遲遲:ゆっくりと。のろのろと。ぐずぐずと。 ・初:やっと。
※耿耿星河欲曙天:(眠れないで)光り輝く天の川を見ている内に、夜も明けようとしてきた。 ・耿耿:〔かうかう;geng3geng3●●〕光り輝くさま。心が安らかでないさま。 ・星河:天の川。銀河。
※鴛鴦瓦冷霜華重:愛を誓った鴛鴦の対の瓦も冷たくなり。 ・鴛鴦:〔ゑんあう;yuan1yang1○○〕夫婦仲、男女中の睦まじいことの比喩に使われる。『玉臺新詠』の『古絶句』に「南山一桂樹,上有雙鴛鴦。千年長交頸,歡愛不相忘。」
と詠われる。 ・鴛鴦瓦:雌雄対をなした瓦。
※翡翠衾寒誰與共:皇帝の翡翠のしとねも独り寝ゆえ、冷ややかである。 ・翡翠:〔ひすゐfei3cui4●●〕雌雄のカワセミ。 ・衾;〔きん;qin1○〕体を覆うころも。=ふすま。掛け布団。夜具。
※悠悠生死別經年:遠くはるかに生死を隔てて、年月も過ぎ去り。 ・悠悠:〔いういう;you1you1○○〕遠くはるかなさま。限りないさま。長く久しいさま。
※魂魄不曾來入夢:(楊貴妃の)魂魄は、夢にも現れることがなかった。 ・魂魄:〔こんぱく;hun2po4○●〕たましい。霊魂。人が死ぬと魂は天上にのぼり、魄は地上に留まるという。 ・不曾:……たことがない。経験の否定。
※臨邛道士鴻都客:臨邛の道教を修めた人で、鴻都(仙境)に滞在していた人(は)。 ・臨邛:〔りんきょう;Lin2qiong2○○〕地名。四川省・邛崍(邛耒)県。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)65-66ページ「剣南道北部」にある。成都東南50キロメートルのところ。現・邛崍と書き表す。 ・道士:道教を修めた人。神仙の道を得た人。 ・鴻都:〔こうと;Hong2du1○○〕仙都を指す。また、漢代の王宮の門の鴻都門のことで、長安を指す。
※能以精誠致魂魄:精魂を傾けて魂を招致することができる。 ・能以:…し得る。 ・精誠:混じりけがなくてまこと。真心。 ・致:まねきよせる。
※爲感君王輾轉思:君主の安らかに眠れない思いに感じたために。 ・爲…教:…のために…させた。 ・輾轉:〔てんてん;zhan3zhuan3●●〕寝返りを打つ。安らかに眠れない。
※遂敎方士殷勤覓: ついに方士に叮嚀にお願いをして探し求めさせた。 ・遂:ついに。 ・敎:…に…をさせる。…をして…しむ。使役表現。 ・方士:前に出た道士に同じ。厳密に区別すると、道士が道教の教えを究めようとする修行者という広義なものであるのに対し、そのうち方士は方術を行えるという意味が濃くなる。なお、方士は、○●で、道士は●●となる。この詩句の場合、この平仄問題が第一になる。「遂敎方士殷勤覓」は、●○○●●○●で、「臨
道士鴻都客」は、○○●●○○●となる。」「輾轉」を「展轉」ともする。 ・慇懃:極めて叮嚀なこと。礼儀正しいこと。
※排空馭氣奔如電:空気を掻き分けて、気流に乗って、駆けめぐることは、稲妻のようであり。 ・排空:空気を掻き分ける。空(そら)を押し開く。 ・馭氣:気流に乗る。空気に乗る。雲に乗る。 ・奔:駆けめぐる。 ・如電:稲妻のようだ。雷電(いかづち)のようである。 *方士が天地を駆けめぐって、探しているようす。「排空」を「排雲」ともする。
※升天入地求之遍:天に昇り、地に入って駆けめぐり、これ(楊貴妃の霊魂)を探し求めることは、満遍なくした。「升天」を「昇天」ともする。
「遍」を「
」ともする。後二者は、共に同音同義。
※上窮碧落下黄泉:上は天の極みまで、下は死後の世界である黄泉まで(満遍なく探し求めた)。 ・碧落:天の極み。 ・黄泉:死後の世界。
※兩處茫茫皆不見:(天上も、地下も)両方とも、遙かに広がっており、(楊貴妃の魂は)なんにも見つからなかった。 ・茫茫:〔ばうばう;mang2mang2○○〕広々として遙かなさま。ぼんやりとしてはっきりとしないさま。
※忽聞海上有仙山:急に聞いたことだが、(東)海上に仙山があるということを。たちまちの内に(東)海上に仙山を見つけた。 ・忽聞:不意に聞いた。急に耳にした。
※山在虚無縹緲間:山は、何もない高く遠い仙界にあった。 ・虚無:何物も無くむなしい。ここでは、天上界や黄泉とも異なる第三の世界(仙界)のことになる。 ・縹緲:〔へうべう;piao3miao3○●〕遠く遥かに見えるさま。はるかにひろいさま。高く遠いさま。「縹緲」を「縹飄」ともする。 ・間:「山間」を韻脚と見たが、あるいはこの字は「電(去声十七霰)、遍(去声十七霰)、見(去声十七霰)間(去声十六諫)」と韻をふんでいるのかもしれない。「間」〔かん;jian4●去声十六諫〕すきま。
※樓閣玲瓏五雲起:たかどのや御殿はすっきりと澄んで美しい五色の雲が湧き起こっており。 ・玲瓏:〔れいろう;ling2long2○○〕すっきりと澄んでいるさま。玉などの透きとおっているさま。明るく光り輝くさま。
※其中綽約多仙子:そこの中には優しくしなやかな仙女が多い。 綽約:〔しゃくやく;chuo4yue1●●〕しとやか。たおやか。優しくしなやか。
※中有一人字太眞:その中に一人、太真という字の者がいて。 ・太真:楊貴妃の女冠時代の字。玉真のこと。「太真」を「玉真」ともする。
※雪膚花貌參差是:雪のように白くて美しい膚や花のように美しい容貌はそっくりそのようである。 ・雪膚:雪のように白くて美しい膚。 ・花貌:花のように美しい容貌。 ・參差:〔しんし;cen1ci1○○〕そっくり。本来は不揃いである様。転じて、大体似たような感じ。さらに発展して、そっくり。 ・是:そのようである。 ・參差是:それ(楊貴妃)にそっくりである。
※金闕西廂叩玉
:立派な城門の西側のお屋敷の御門を叩いた。 ・玉
:玉でできたような立派な門。
※轉敎小玉報雙成:小間使いから、お付きの人たちにと順に知らせが伝わっていった。 ・小玉:こまづかい。 ・雙成:こしもと。本来の意は、董雙成のこと。神話中の仙女の名で、西王母に仕える。南宋・辛棄疾は『水調歌頭』壽趙漕介庵で「千里渥洼種,名動帝王家。金鑾當日奏草,落筆萬龍蛇。帶得無邊春下,等待江山都老,敎看鬢方鴉。莫管錢流地,且擬醉黄花。 喚雙成,歌弄玉,舞綠華。一觴爲飮千歳,江海吸流霞。聞道淸都帝所,要挽銀河仙浪,西北洗胡沙。囘首日邊去,雲裏認飛車。」
と使う。
※聞道漢家天子使:天子さまのお使いということなので。 ・聞道:…ということだ。きくならく。伝聞表現。 ・漢家天子:漢王朝の天子。実際は、唐・李家天子の使である。憚ってこういう。
※九華帳裡夢魂驚。幾重もの美しいとばりの中の夢魂は驚いた。漢・魏の蔡文姫『胡笳十八拍』にも「東風應律兮暖氣多,知是漢家天子兮布陽和。羌胡蹈舞兮共謳歌,兩國交歡兮罷兵戈。 忽遇漢使兮稱近詔,遣千金兮贖妾身。喜得生還兮逢聖君,嗟別稚子兮會無因。十有二拍兮哀樂均,去住兩情兮難具陳。」
とある。 ・九華帳:幾重もの美しいとばり。 ・夢魂:夢の中にある魂。夢を見ている魂。
※攬衣推枕起徘徊:着物を引き寄せて、枕を押し退けて、起きてうろうろし出した。 *太真の狼狽振りを表現している。 ・攬衣:着物を引き寄せる。 ・推枕:枕を押し退ける。
※珠箔銀屏
開:(太真が)現れ出てきて、スダレや屏風が(幾重にも重なっていて)次から次に開かれていって現れ出てきた。 *「銀屏」を「銀鉤
ともする。・
:〔いり;yi3li3●●〕のび連なって続くさま。うねうねと続いているさま。「
」を「
」」ともする。
※雲鬢半偏新睡覺:雲成す鬢は、半ば偏っているのは、今、正に(昼)寝から目覚めた(ためである)。「雲鬢」を「雲髻」ともする。「半偏」を「半垂」ともする。
※花冠不整下堂來:美しい飾りのある冠は、きっちりとしないでゆがんだまま座敷から出てきた。 *狼狽していて、装束も整え切らないで急いでいるありさま。
※風吹仙袂飄飄舉:風は仙女(玉真)の袂(たもと)を吹き上げて、ひらひらと舞い上げて。 *「飄飄」〔へうへう;piao1piao1○○〕を「飄
」〔へうやう;piao1yao2○○〕ともする。
※猶似霓裳羽衣舞:まるで(玄宗が作った)『霓裳羽衣』を舞っているかのようである。 ・猶:〔いう;you2○〕まるで。なおも。
※玉容寂寞涙闌干:玉のように美しい容貌は寂しげであって、涙などが止めどもなくぽたぽたと滴り落ちているさま(は)。 ・玉容:玉のように美しい容貌。玉顔。 ・闌干:涙などがぽたぽたと多量に滴り落ちるさま。
※梨花一枝春帶雨:梨の花が一枝、春の雨にうたれている風情である。李白の『宮中行樂詞』「柳色黄金嫩,梨花白雪香。玉樓巣翡翠,金殿鎖鴛鴦。」と可憐な美しさを詠う。後世、韋荘が『淸平樂』で「春愁南陌。故國音書隔。細雨霏霏梨花白。燕拂畫簾金額。盡日相望王孫,塵滿衣上涙痕。誰向橋邊吹笛,駐馬西望消魂。」
と詠う。
※含情凝睇謝君王:思いを込めてご無沙汰を謝した。 ・凝睇:〔ぎょうてい;ning2di4○●〕注視する。瞳を凝(こ)らす。 ・睇:流し目。横目。
※一別音容兩渺茫:あれ以来、お声もお姿も拝見いたしませんが…。 ・音容:声と姿。「凝睇」を「凝眸」ともする。 ・兩:〔りゃう;liang3●〕ふたつながら。ここでは、声と姿。前出「音容」のことになる。 ・渺茫:〔べうばう;miao3mang2●○〕遠く遥かなさま。広く果てしないさま。
※昭陽殿裡恩愛絶:(昭陽殿の)御殿でのご寵愛も絶えて無くなってしまい。 ・昭陽殿:〔せうやうでん;zhao1yang2dian4○○●〕漢の成帝の建てた宮殿で、皇后の趙飛燕とその妹が住んでいた。ここでは、楊貴妃が住んでいた宮殿を指す。「裡」を「裏」ともする。同音同義。ここは杜甫の『哀江頭』「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。」
や、王建の「宮中調笑」「團扇,團扇,美人病來遮面。玉顏憔悴三年,誰複商量管弦?弦管,弦管,春草昭陽路斷。」
の影響を受けたかも知れない。
※蓬莱宮中日月長:(蓬莱宮の)宮殿で(お別れしてより)長い月日が流れた。 ・蓬莱宮:神仙の住む想像上の島。時には勃海の島や、台湾。場合によっては、日本を指すこともある。ここでは、死後の楊貴妃がいる神仙の住む島のこと。
※回頭下望人寰處:頭を回らして、(仙境から)人間世界(長安の方)を眺めても。 ・人寰:浮き世。人の世。「回頭」を「迴頭」ともする。
※不見長安見塵霧:長安を見ることはできないで、ただ塵や霧が見えるだけである。 ・塵霧:塵や霧であるが、浮き世の汚れ、俗塵という意味もある。
※唯將舊物表深情:昔、いただいた物で、この胸の深い思いを伝えましょう。 ・舊物:家に久しくあった物。
※鈿合金釵寄將去:螺鈿の小箱と黄金のかんざしを送り届けてもらいましょう。 ・鈿:〔でん;dian4●〕螺鈿。 ・合:〔がふ;he2●〕小箱。≒盒。 ・金釵:〔きんさい;jin1chai1○○〕黄金のかんざし。 ・寄:送り届ける。たのむ。まかせる。たよる。送る。よせる。ここでは、託(ことづ)ける、の意になる。 ・將去:持って行く。 ・將:〔しゃう;jiang1○〕持つ。手に取り持つ。動詞。
※釵留一股合一扇:かんざしは二股の足の部分を裂(さ)いて片側を手許に残し、小箱は(フタと身の二つに分けて)片側。 *この聯は誓いの行為を謂う。鏡や簪など、本来は一つの物を割って、別々に持ち合い、再会を果たして再び合わさことを誓い合う行為。信。 ・釵留一股:かんざしを縦に裂(さ)いて半分を置き留める。カンザシの二股の足の片側を手許に残す。李白の『子夜呉歌』に「長安一片月,萬戸擣衣聲。秋風吹不盡,總是玉關情。何日平胡虜,良人罷遠征。」
とある「一片月」に該る。 ・釵股:かんざしのまた。 ・合一扇:小箱をふたと身に分ける。小箱はフタの側(を残す)。
※釵擘黄金合分鈿:かんざしは黄金を裂いて、小箱は螺鈿を分割してしまう。 ・釵擘黄金:かんざしは黄金を裂く。 ・擘:勘合貿易の勘合符のように割ることか。 ・合分鈿:小箱は螺鈿を分かつ。 「合」を「盒」ともする。・合:こばこ。「合」を「盒」ともする。 ・分:蓋と身に分けることを謂うのか。
※但敎心似金鈿堅:二人の心が(これらの半分だけになった)金鈿のように堅ければ。
※天上人間會相見:天上世界でか、人間世界でか、(いつかどこかで)必ずお会いできましょう。 ・會:きっと、かならずや。「敎」を「令」ともする。 ・天上人間:〔てんじゃうじんかん;tian1shang4ren2jian1○●○○〕天上世界と人間世界。あの世とこの世。本来は絶対に行き交うことができない異なった世界。
※臨別殷勤重寄詞:別れの時になりましたが、鄭重に、更にもう一言、言葉を差し上げます。 ・臨別:別離の時期となって。 ・別:別離。名詞。 ・殷勤:〔いんぎん;yin2qin2○○〕叮嚀に。鄭重に。副詞。 ・重:〔ちょう;chong2○〕かさねて。
※詞中有誓兩心知:(その)詞(ことば)のなかに、二人だけしか知らない誓いがあります。「殷勤」を「慇懃」ともする。
※七月七日長生殿:七月七日の七夕に長生殿で。 ・七月七日:七夕(しちせき)。織女星、牽牛星の男女間の故事に由来する。初秋の夜長の語らい。
※夜半無人私語時:夜半に人がいなくなった時、二人だけで話し合ったあの言葉。
※在天願作比翼鳥:天にあっては比翼の鳥となり。 *前出「七月七日に長生殿で誓い合った兩人の心だけが知っている誓いの詞(ことば)」の内容になる。「在天願作比翼鳥,在地願爲連理枝。」のこと。前出の『古詩爲焦仲卿妻作(孔雀東南飛)』では「君當作磐石,妾當作蒲葦,蒲葦
如絲,磐石無轉移。」
になる。 ・願作、願爲:…になりたい。願わくは…となりたい。願望を表す。漢の烏孫公主劉細君の『悲愁歌』に「吾家嫁我兮天一方,遠託異國兮烏孫王。穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。」
とある。劉希夷(劉廷芝)の『公子行』では「願作輕羅著細腰,願爲明鏡分嬌面。與君相向轉相親,與君雙棲共一身。願作貞松千歳古,誰論芳槿一朝新。」
とある。 ・比翼鳥:南方にいる鳥で、並ばないと飛べない鳥。
という。翼が一つで二羽並んではじめて飛ぶことができるという。伝説中の鳥で、夫婦仲の親密なことをいう。『爾雅』釋地「東方有比目魚焉,不比不行,其名謂之鰈。南方有比翼鳥焉,不比不飛,其名謂之
。」。もっとも『爾雅』でイメージすると、「東海には左に目のあるヒラメ(比目魚)と、右に目のあるカレイ(鰈)が二匹つがいで、目のない白い面をくっつけ合って二匹で一体となって、鯛(タイ)のようになって泳いでいる姿(ヒラメとカレイは同一種の雌雄と判断されていたようだが)があり、それが鳥に変わったものが比翼鳥、という感じもするが…。つまり「比翼鳥」は「比目魚」と対になることばになる。
前出『古詩爲焦仲卿妻作(孔雀東南飛)』の「府吏聞此事,心知長別離。徘徊庭樹下,自掛東南枝。兩家求合葬,合葬華山傍。東西植松柏,左右種梧桐。枝枝相覆蓋,葉葉相交通。中有雙飛鳥,自名爲鴛鴦。仰頭相向鳴,夜夜達五更。行人駐足聽,寡婦起傍徨。多謝後世人,戒之慎勿忘。」
に基づこう。
※在地願爲連理枝:地にあっては連理の枝となり、添い遂げます。 ・連理枝:幹が別々でも枝が(手を繋いだように)連なっている木をいう。伝説でもあり、実際にも存在する。夫婦仲の親密なことをいう。前出『古詩爲焦仲卿妻作(孔雀東南飛)』でいえば「東西植松柏,左右種梧桐。枝枝相覆蓋,葉葉相交通。」
の部分になる。
※天長地久有時盡:天地は悠遠であるが(有限のものであり)、いつかは尽き(果て)るときが来るだろう(が)。 *この「天長地久有時盡,此恨綿綿無絶期。」聯は作者・白居易のこの詩全体のまとめの言葉であって、楊貴妃のことばではない。こうした詩の末尾に詠った内容を要約するという表現は、『楚辞』
の亂
に始まって、漢末の『古詩爲焦仲卿妻作(孔雀東南飛)』の「多謝後世人,戒之慎勿忘。」
の部分、北魏の長篇叙事詩『木蘭詩』「雄兎脚撲朔,雌兎眼迷離。兩兎傍地走,安能辨我是雄雌。」
、また、初唐の劉希夷(劉廷芝)『公子行』の「百年同謝西山日,千秋萬古北
塵。」
の部分の表現等へと、その形式が継がれてきたものなのだろう。 ・天長地久:天地が悠遠である(のと同様に)。天が悠久のものであって、地が永久である(のと同様に)。永遠に。『老子・第七章』に「天長地久。天地所以能長且久者,以其不自生,故能長生。是以聖人後其身而身先,外其身而身存。非以其無私邪,故能成其私。」とある。
※此恨綿綿無絶期:(しかしながら、)この情愛の恨みごとは、(たとえ、天地が滅んでしまった後になっても)いつまでもいつまでも尽きる時がなかろう。「此恨綿綿無盡時」、また「此恨綿綿無絶時」ともする。前出『古詩爲焦仲卿妻作(孔雀東南飛)』でいえば「黄泉下相見,勿違今日言。執手分道去,各各還家門。生人作死別,恨恨那可論」
になろうか。 ・此恨:このうらみ事。ここでは、(未完の)情事の義になろうか。前出「在天願作比翼鳥,在地願爲連理枝。」のこと。 ・恨:〔こん;hen4●〕悔やむ。残念に思う。うらみ。 ・綿綿:〔めんめん;mian2mian2○○〕長く続いて絶えないさま。どこまでも続いているさま。 ・無盡時:尽きる時が無い。王維の『送別』に「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,白雲無盡時。」
とある。
◎ 構成について
七言古詩。換韻。韻脚は、最上段の色分けの通り。押韻は、基本的に平と仄は交互になっており、仄では、入声のみ・上声のみ・去声のみときっちり分かれている。
註:「戸」は古語では上声(現代語では去声)。「舊」は古語では上声(現代語では去声)。「是」は古語では上声(現代語では去声)。
●○●●○○●,(韻)
●●○○○●●。(韻)
○○●●●○○。
●●○○○●●。(韻)
○○●●○●●,
●○○●○○●。(韻)
○●●●●○○,
●○●●○○●。(韻)
○○●●○○○,
○○●●●○○。(韻)
●○○●○○●,
●●○○○●○。(韻)
○●○○○●○,
○○●●●○○。(韻)
○○●●●○●,
○●○○●●○。(韻)
○○●●○○●,(韻)
○●○○●○●。(韻)
●○○●○○○,
○○●●●●○。(韻)
○●●○○●●,
○○●●●◎○。(韻)
●●●○○●●,
●○○●○○●。(韻)
●◎○●●●○,
●●○○●○●。(韻)
(以下省略)
2001. 9. 8
9. 9
(PC不調)9.10
9.11
(PC復活)9.13
9.14
9.16
9.17
9.18
9.22
9.24完
2002. 7.15補
8. 1
8.11
9.11
2003. 6. 9
7. 7
10.19
2004. 2.22
3. 3
改2.12
2.28
2005. 5. 4
5. 5
5. 6
8.30
9. 7
9. 9
10. 6
10.25
11. 3
11. 9
11.10
2007. 8. 2
11.21
2008. 4.21
2010.12.16
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