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「しっぽの絵ばっかりのページ」さんからお借りしました。
きょうは何の日 3月
最終更新日 平成12年2月23日
- 3月1日
1791年 レオポルト二世が急死。
マリー・アントワネットの兄で、マリア・テレジア亡き後のオーストリア皇帝だった。
1815年 ナポレオンがカンヌに上陸。
- 3月3日
ひな祭り
1793年 ブルターニュの反革命計画。リヨンで反革命。
- 3月4日
1794年 コルドリエ派の蜂起煽動始まる。
- 3月5日
1795年 プロシアと和平。
1796年 ヴァンデ地方の反乱平定。1793年以来、共和国政府を悩ましていた反乱がオッシュの手により、ようやく鎮圧された。
1815年 ナポレオンがカンヌに上陸した知らせがウィーンに到着。
- 3月7日
1793年 対スペイン宣戦布告。
- 3月8日
1795年 ジロンド派復活。
- 3月9日
1793年 パリに蜂起計画。ヴェルニョ、革命裁判所の設置に反対。
1796年 ナポレオンがジョゼフィーヌと結婚する。
- 3月10日
1791年 ローマ法王が「人権宣言」と「僧侶基本法」を非難する親書を出す。
これにより、フランス国内の僧侶は「宣誓僧侶」と「拒否僧侶」に二分された。
1793年 ヴァンデで保守的農民の反乱。革命裁判所が設置される。
- 3月11日
1796年 ナポレオンがイタリアに遠征に出発する。
- 3月13日
1794年 エベール派の逮捕。
急左派のエベール派を打倒するため、国民公会でサン・ジュストが「悪徳に対して戦え」と発言すると、それを契機にエベール派逮捕された。
1815年 諸国の代表がナポレオンを「法の外に置く」と宣言。
- 3月15日
1790年 長子相続制廃止。領主的諸権利買戻しの法令発令。
1792年 デュムーリエ、外務大臣となる。
軍役出身のデュムーリエが外務大臣になり、戦争の色はますます濃くなる。
- 3月16日
1793年 サン・シール学校廃止。
- 3月17日
1793年 ベルギー、ラインラント併合。
- 3月18日
1793年 デュムーリエ、ネールヴィンデンで敗北。
1796年 アッシニア廃止決定。土地証券(マンダ・テリトリオ)発効決定。
1805年 ナポレオンがイタリア王となり、ジェノヴァを併合。
- 3月20日
1804年 アンギアン公処刑。
1806年 ジョゼフ・ボナパルトがナポリ王となる。
1810年 マリー・ルイーズが皇子を生む(ローマ王)。
1815年 ルイ18世が逃亡、ナポレオン、パリに入る(百日天下が始まる)。
- 3月21日
1804年 ナポレオン法典公布。
- 3月23日
1792年 ジロンド派内閣の成立。
開戦すべきかどうかで揺れていたフランスは、主戦論を唱えるジロンド派の思惑通り戦争に突入。
- 3月24日
1794年 エベール派処刑。
民衆に直結した急進左派が弾圧された。
- 3月25日
1793年 イギリスとロシア、対仏同盟条約締結。
- 3月27日
1802年 イギリスとアミアンの和約(第二次対仏大同盟解体)。
- 3月28日
1793年 亡命者に対する法令を強化。
- 3月29日
1794年 コンドルセ、獄中で服毒自殺。
- 3月30日
1794年 ダントン派逮捕。
逮捕されたダントンは法廷で雄弁を奮ったが、4月5日、カミーユ・デムーランらと共に処刑された。
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