平成18年7月10日
花野韶
造幣局が製作している物で貨幣以外に勲章・メダルがあり必ず「造幣局製」の刻印がしてあります。有名な文化勲章・オリンピックメダルはよく知られていますが、日曜表メダルはほとんどの人がその名前すら知りません。この日曜表メダルにスポットライトを当ててみたいと思います。
日曜表メダルは戦後まもなくの1948年(昭和23年)から2006年(平成18年)までの59年間発行された、カレンダーメダルです。この日曜表メダルは歴史があるのに知名度が無く、古銭屋・骨董屋などプロに聞いても日曜表メダルの名前を知らない人が結構多い。これは昭和24年以降泉友会が売出したが、造幣局の売店(大阪・東京・広島の3箇所)にて平日営業時間内だけひっそりと売られていたので、収集家が目にすることも少ない。造幣局ホームページで日曜表メダルの紹介が無く、積極的にアナウンスもないことも知名度の低い原因であろう。しかも日曜表メダルは主体が銅メダルであり、貴金属で無い無名な銅の日曜表メダルは古銭商・骨董商も買い入れない店があるので商品認知も閉ざされたままである。さらに自分の干支の年男・年女が偶然記念に日曜表メダルを買っても、その年が終わるとカレンダーを捨てるがごとく、日曜表メダルも使われず紛失するのか現存しにくい。知り合いの古銭商曰く「長いこと商売しているが、日曜表メダルを売りに来たことはただの一度も無い」、これぐらい日曜表メダルが売買されるのは稀です。
またメダル収集家もオリンピック・博覧会・ミリタリーなどのテーマ別メダルが主体で、カレンダーメダルを収集する人がまずはいない。なお1948・49・50・51・52・53年には直径が40mmの大きい銅メダル(銅40)があり、1950年(昭和25年)以降銅メダルは直径が中型の32mm(銅32)になり、さらに26mmの小型の銅メダル(銅26)を並売していたようだが、現在小型メダルの発行年がはっきりとしない。拙者が把握しているのは1964年からと思われるがこれも新しい小型メダルの出現で変更されるでしょう。なお例外として1952年辰に日曜表メダル最大の銅製直径57mmの文鎮型メダルがある。
日曜表メダルは銅メダルが基本で毎年発行しているが、一時1960年代ごろ750(18金)表示の金メダルが追加発行されたが発行年が把握出来きれない。さらに金メダルには発行年により大型の26mm・12gと小型の20mm・5gがある。またこの金メダルは小リングの付け方が横付で一工夫して手が込んでいる。
2001年(平成13年)から銀メダルが追加になった様です(推定)、径は26mmの純銀と銅の2種類メダルになった。造幣局が2003年(平成15年)4月1日に独立行政法人になり、翌年平成16年に泉友会は廃止となった、これより造幣局が日曜表メダルを直接販売に切り替えた。
また真似をしたニセの日曜表メダル及びグリコのおまけもあるが「造幣局製」の刻印は無いです、ただし例外として一部の年の造幣局の日曜表メダルに造幣局製刻印が無い物もあります。このニセ日曜表メダルの中に架空会社のJAPANESE MINT(造幣局はJAPAN MINT)と表示した銀・銅メダル40mm(コイン型)があるが、割合長期に販売されており泉友会(JAPANESE MINT SHOP)が造幣局以外のメーカに造らせた可能性がある。それもどうも造幣局の売店以外のイベント会場で泉友会が販売した様です。しかし現在このニセ日曜表メダルの真相は記録も無く不明です。
各年日曜表メダルの発行枚数は不明であるが造幣局・泉友会の他メダルを参考にし、拡販宣伝も無いことで少量と予想する。
造幣局のホームページで過去の販売経歴(ニュース)があるが、2006戌年の日曜表メダルがいつ発売されたか発表されてない。
○特徴年の日曜表メダル
・1948年(昭和23年):最初の日曜表メダルでこの年即ち昭和23年7月20日に祝日制定となったので祝日は無い。この最初の日曜表メダルは2種類ありセネカの格言と三和銀行名である。表のセネカの格言は「時は真理を発見す」であり、三和銀行は戦後の混乱復興の標語「汗で復興貯蓄で再建・三和銀行」とある。両者とも造幣局製の刻印があるが場所が違い刻印は後打ちであったようです。裏は1948年が干支(十二支)で最初の子年であったのでネズミの絵と月別日曜一覧表である。
・1949年(昭和24年):干支絵は裏に星座が主体でかろうじて牡牛座らしき絵が見える、無刻印である。
・1950年(昭和25年):裏に張り子のトラの絵(干支絵)ある。なお表はチンチョウゲ(沈丁花)のようだが選定理由は判りません。なお1949年の他1950・1952・1953年も無刻印である。
・1951年 (昭和26年) :1950年(昭和25年)8月にNHKで発表された「あざみの歌」(山には山の憂いあり、海には海のかなしみや・・)が大ヒットして卯年だが干支絵を止めてあざみの花になっている。
・1958年 (昭和33年) :すべて西暦のみの表示だが和暦元号の昭和も付いた、ただ1つの日曜表メダルです。SUNDAYSが企業名ITOMANに変化表示もあり。
・1948年(昭和23年・子)から1959年(昭和34年・亥)まで12種入りケースでバックセット販売。
・1961年 (昭和36年) :1948年は三和銀行で1961年はイトマン・SYSの企業名が付いた変化形メダルもある。
・1967年(昭和42年):この年に建国記念日が祝日として始まったが、公布は前年(昭和41年)の12月9日でカレンダーへ反映することが出来ず、この年のメダルに祝日の2月11日は無い。
・1972年(昭和47年・子)から1983年(昭和58年・亥)まで12種入りケースでバックセット販売。
・1984年(昭和59年・子)から1995年(平成7年・亥)まで12種を12,000円でバックセット販売。
・2001年(平成13年):銀・銅の2種メダルになったようです。また形は根付型のヒモが付いた26mmの小型メダルです。しかしこのヒモは太く携帯・デジカメに取り付けられずカバン・リックサックなどのファスナー引き手の穴へと利用が限られたと思う。
・2006年(平成18年):最終回 造幣局売店で銀メダル1,400円、銅メダル700円である。
日曜表メダルの収集は売ってる店(タイミングも含め)が非常に少ない上、例えこのメダルを持っている売り手(お店)も「日曜表メダル」という名前・メダルを知らない人が多く困難を極める。さらに還暦真近の59種年もあり大変手間をくう。従って長期にあきらめず生涯収集とし継続ができるかどうかである。買い手に尋ねる時は日曜表メダルがあれば手にして、無い場合は「造幣局製・祝日・日曜・休日・十二支(干支)動物・カレンダーがあるメダル」と具体的に聞くようにする。また日曜表メダルの写真・資料が造幣局・泉友会にも無く収集に苦労をします。因みに拙者が日曜表メダルの存在を知ったのは、泉友会が昭和46年に発行した「造幣100年」の古本を入手して、そこに昭和46年で日曜表メダルの十二支の2回り分が全部そろうことになった記事を見てである。日曜表メダルの売りはほとんど無く価格は売主が決める場合が多いが、収集する人がほとんどいないので極美品でも銅品につき高くても2,000円位であろう。ただ金メダルは金相場がありそれ相当額で小型でも20,000円位はするでしょう。
日曜表メダルの保存方法は小リングがあり平面化できない。従ってプラスチックホルダーに数品づつ保存する。ただし拙者は1ページ12枚(円銀タイプ4行×3列)入りのコインホルダーに余裕を持って半分の6種づつ入れている。これでキーホルダーの鎖及び泉友会のビニールホルダーが付いている日曜表メダルもコインホルダーブック下側2行で保存している。
2006戌年限りで日曜表メダルは製造中止となった、1948子年からの最後の1年の亥年が発行されずに60回の還暦を残念ながら迎えられなかった。2007亥年からメダルでは無く栞(金属製ブックマーカー)に形状を変えて発行された。しかし栞には干支絵のみでカレンダー関連は無くなった、従って日曜表メダルは59種年で終わった。だが59年間も続いた造幣局の硬貨は、穴あき5円玉が1949年発行開始で2007年に59回を迎えるぐらいで他に例を見ません。
拙者の日曜表メダル収集は未収メダルもあるが敢えて発表させて頂きます。日曜表メダルに興味ある方は造幣局にも整理した公表資料が残って無いので全貌が不明です。このWebがキッカケとなり日曜表メダルの画像のご提供及び説明文を充実させ仲間の情報交換の場となることを願っています。以上
造幣局殿のご好意で日曜表メダル画像データのご提供を受けましたことを御礼申し上げます。造幣局画像と注釈がしてあります。
さらに日本貨幣協会会員の皆様よりの日曜表メダル提供品及び画像撮影品があります、重ねまして御礼申し上げます。「会員提供画像」の注釈がしてあります。
またお願いしていたこのWeb読者からの画像提供もあります、厚く御礼いたします。注釈は「読者提供画像」としてあります。
目次
1)1948(昭和23)〜1959(昭和34)の日曜表メダル
2)1960(昭和35)〜1971(昭和46)の日曜表メダル
3)1972(昭和47)〜1983(昭和58)の日曜表メダル
4)1984(昭和59)〜1995(平成7)の日曜表メダル
5)1996(平成8)〜2006(平成18)の日曜表メダル
6)2007亥年日曜表メダル廃止の衝撃
7)参考品(ニセ物)の日曜表メダル
8)関連参考品のページ