漢詩  赤壁懷古
   

潼潼水勢嚮江東。
此地曾聞用火攻。
怪道儂來憑弔日,
岸花焦灼尚餘紅。


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赤壁懷古

潼潼たる 水勢  江 東に 嚮
(む)かひ。
此の地 曾て聞く  火を用ひて攻むと。
怪道
(なるほど) 儂(われ) 來りて  憑弔するの日,
岸花 焦灼して  尚ほも 餘紅あり。

           **********
◎私感注釈

※赤壁懷古:秋瑾の詩集のトップを飾っている作品「赤壁懷古」は、古来、しばしば採りあげられたが、これも其一。宋の蘇軾の「念奴嬌」「大江東去,浪淘盡、千古風流人物。故壘西邊,人道是、三國周カ赤壁。」 唐の杜牧は、「赤壁」で「折戟沈沙鐵未銷,自將磨洗認前朝。東風不與周カ便,銅雀春深鎖二喬。」  明の羅貫中は『三國演義』の始めに「臨江仙」「滾滾長江東逝水,浪花淘盡英雄。是非成敗轉頭空。山依舊在,幾度夕陽紅。白髮漁樵江渚上,慣看秋月春風。一壺濁酒喜相逢。古今多少事,キ付談笑中。」 と。李白は「江夏贈韋南陵冰」の中で「我且爲君槌碎黄鶴樓,君亦爲吾倒卻鵡鸚洲。赤壁爭雄如夢裏,且須歌舞ェ離憂。」、「赤壁歌送別」「二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。 君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。一一書來報故人,我欲因之壯心魄。」と、また杜牧も「烏林芳草遠,赤壁健帆開。往事空遺恨,東流豈不回。」「可憐赤壁爭雄渡,唯有簑翁坐釣魚。」崔塗は「漢室河山鼎勢分,勤王誰肯顧元勳。不知征伐由天子,唯許英雄共使君。江上戰餘陵是谷,渡頭春在草連雲。分明勝敗無尋處,空聽漁歌到夕。」と数多い。
赤壁:湖北省嘉魚県の東北。長江の南岸。三国時代に呉の周瑜が対岸の烏林で魏の曹操を破ったところ。「三國演義」では極めて有名な場面で、映画や劇になったところ。現在も中央電視台はこのドラマを流している。蘇軾の「念奴嬌」や前赤壁賦、後赤壁賦は、三国時代に思いを馳せているが、蘇軾が実際に行ったのは、この赤壁ではなく、赤鼻だったという。(この詞と同じ年に作られた前赤壁賦、後赤壁賦には幾つか地名が出ている。)
「大陸旅游倶楽部」紫夜藍 様より賜る。
 
  全く勝手な想像だが、宋代では既に「赤壁」と「赤鼻」とは混乱を起こしており、人々が混用また誤解を起こし始めていたのではないか。おそらく蘇軾の時代の人は「赤鼻」という地名を聞き、頭に「赤壁」の故事が浮かんだのだろう。または、「赤壁」がなまって、「赤鼻」となったと考えたのではないか。
  中古漢語音を伝えている日本語から見れば「赤壁」と「赤鼻」とを聞き間違えるのはおかしいと感じるが、宋代では「壁」と「鼻」の発音は似てきており、「壁」はpi(入声韻の特徴である韻尾のk音は無くなった)で、「鼻」はbiiで、似通ってきている。更に現代語(北京語)では、pi(bi4)とpi(bi2)で、声調(去声と陽平)だけの違いになっている。
※潼潼:高いさま。潼については、後出の「江東・潼關」を参照。
※水勢:川の流れ。
※嚮:=向。向かう。
※江東:江が東に流れる。ここは「江東」という場所を云うのではない。「嚮(江)東」或いは「江嚮東」のこと。ここは前出「潼潼」とともに、『三國志・魏書・武帝紀第一』「<諸將或問公曰:『初,賊守關,渭北道缺,不從河東撃馮翊而反守關,引日而後北渡,何也?』公曰:『賊守關,若吾入河東,賊必引守諸津,則西河未可渡,吾故盛兵向關;賊悉衆南守,西河之備虚,故二將得擅取西河;然後引軍北渡,賊不能與吾爭西河者,以有二將之軍也。」のくだりと関聯がなかろうか。なお、蛇足だが、「江東」といえば聯想するのが、項羽が戦いに敗れ、江を渡って故郷の江東に逃げ帰るのを潔しとしなかったという故事である。そのくだりは、『史記・項羽本紀』には「於是項王乃欲東渡烏江。烏江亭長船待,謂項王曰:『江東雖小,地方千里,衆數十萬人,亦足王也。願大王急渡。今獨臣有船,漢軍至,無以渡。』項王笑曰:『天之亡我,我何渡爲!且籍與江東子弟八千人渡江而西,今無一人還,縦江東父兄憐而王(この王は動詞)我,我何面目見之?縦彼不言,籍獨不愧於心乎?』」で、李C照も詩「烏江」を作っている。
※此地:赤壁。湖北省嘉魚県の東北。長江の南岸。三国時代に呉の周瑜が対岸の烏林で魏の曹操を破ったところ。

※曾聞:かつて…と聞いた。ということだが。伝聞の表現。「潼潼水勢嚮江東。」は、おそらく「潼潼水勢嚮江東。」は、平仄の制約がなければ「潼潼水勢江嚮東」と云いたかったのではないか。
用火攻。火を用いて攻める。『三國演義』では、東風を利して、曹操の軍を火攻めにした。『演義』では詳しく楽しいものになっているが、正史では極めて簡単で、『三國志・呉書巻二・呉主傳第二』では「瑜、普爲左右督,各領萬人,與備倶進,遇於赤壁,大破曹公軍。公燒其餘船引退 ,士卒飢疫,死者大半。備、瑜等復追至南郡,曹公遂北還,留曹仁、徐晃於江陵,使樂進守襄陽。」となっている。
※怪道:道理で。…するもそのはずだ。
※儂:わたし。
※來:やってきて。〔白話〕動作に取り組む積極的な姿勢を表す(來+動詞)。 「わたしが…をする。」「わたしが…をしてやろう。」
※憑弔:その地に行って、慰霊すること。辛棄疾も「念奴嬌・登建康賞心亭,呈史留守致道」で、「
弔古,上危樓、贏得闖D千斛。虎踞龍蟠何處是?只有興亡滿目。柳外斜陽,水邊歸鳥,隴上吹喬木。片帆西去, 一聲誰噴霜竹?    却憶安石風流,東山歳晩,涙落哀箏曲。兒輩功名キ付與,長日惟消棋局。寶鏡難尋,碧雲將暮,誰勸杯中香H江頭風怒,朝來波浪翻屋。」の中の「我來弔古」は、秋瑾が「儂來憑弔」としたところ。
※岸花:川辺の花。白居易の「憶江南」「江南好,風景舊曽諳。日出
江花紅勝火,春來江水鵠@藍。能不憶江南!」を踏まえていよう。
※焦灼:こげる。やけこげる。三国時代の「火攻」の故事を踏まえている。
※尚:なおも。
※餘紅:三国時代の故事の余熱が残っていて、花も紅くなっている。 ・紅:(あかい)花。



◎ 構成について

  七言絶句。一韻到底。韻式は「AAA」。韻脚は「東攻紅」で平水韻上平一東。以下の平仄はこの作品のもの。

   ○○●●●○○,(韻)
    ●●○○●●○。(韻)
   ●●○○○●●,
   ●○●●●○○。(韻)

  
2002.11.20
     11.21
     


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