漁父
唐・張志和
釣臺漁父褐爲裘,
兩兩三三舴艋舟。
能縱棹,
慣乘流,
長江白浪不曾憂。
**********************
。
漁父
釣臺の漁父 褐
(かつ)
を 裘
(きう)
と爲
(な)
し,
兩兩 三三 舴艋
(さくもう)
の舟。
能
(よ)
く 棹
(さを)
を縱
(あやつ)
りて,
流れに乘るに 慣
(な)
れ,
長江の白浪 曾
(かつ)
て憂へず。
******************
◎ 私感訳註:
※張志和:中唐(?)の詩人。730年頃~810年頃。字は子同。号して玄真子。
州金華(現・浙江省)の人。待詔翰林学に任ぜらる。後、致仕して、江湖にあって隠棲とし、世俗の中にありながら煙波釣徒と称して、この詞のように脱俗的な日を過ごした。
※漁父:詞牌の一。
大きな地図で見る
※釣臺漁父褐爲裘:釣り場の漁師は、粗(あら)くて粗末な布でつくった衣服を上着として。 ・釣臺:本来、魚を釣る釣り場の意だったが、現在は地名。浙江省の錢塘江上流の富春江岸、桐廬の南20キロメートルのところにある。現在、「富春江風景区」として開発され、沿岸の鸛山、天子網、桐君山、厳子陵釣台(東台)…とある、その厳子陵釣台を指す。「厳子陵が釣りをした岩頭」の意で、厳子陵とは後出の隠者・嚴光のこと。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)59-60ページ「南宋 両浙西路 両浙東路 江南東路」に釣台とすぐ西隣に厳陵山(山)がある。或いは、後漢の隠逸の人・厳子陵の釣り場のこと。厳子陵は、嘗て即位前の光武帝と共に学び、共に過ごしたことがあったが、光武帝に即位後は、身を隠して、どうしても出てこなかった。『後漢書・巻八十三・逸民列伝・嚴光』に「嚴光(厳子陵)字子陵,一名遵,會稽餘姚人也。少有高名,與光武同遊學。及光武即位,乃變名姓,隱身不見。帝思其賢,乃令以物色訪之。」とある。後世、宋・陸游は『鵲橋仙』で「一竿風月,一蓑煙雨,家在釣臺西住。賣魚生怕近城門,況肯到、紅塵深處。潮生理櫂,潮平繋纜,潮落浩歌歸去。時人錯把比嚴光,我自是、無名漁父。」
と詠う。 ・漁父:漁師。脱俗的な雰囲気を漂わせる語である。『楚辞』に『漁父』「屈原既放,游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。漁父見而問之曰:「子非三閭大夫與?何故至於斯?」屈原曰:「舉世皆濁我獨淸,衆人皆醉我獨醒,是以見放。」
がある。 ・褐:〔かつ;he2●〕粗(あら)くて粗末な布でつくった衣服。庶民の着る粗(あら)い毛織物。ぬのこ。 ・爲:…とする。 ・裘:〔きう;qiu2○〕かわごろも。冬に着る上着。
※兩兩三三舴艋舟:あちらこちらに数艘ずつ、ばらばらと、蚱蜢(イナゴ)のような形をした小舟(が散らばっている)。 ・兩兩三三:〔りゃうりゃうさんさん;liang3liang3san1san1●●○○〕あちらこちらに二、三(艘の)。あちらこちらに数艘(ずつ)。ばらばらと。 ・舴艋:〔さくもう;ze2meng3●●〕小舟。蚱蜢(イナゴ)のような形をした小舟。
※能縱棹:よく棹(さお)を操(あやつ)ることができるので。 ・能:よく…。…できる。 ・縱:〔じゅう;zong4◎〕ほしいままにする。任せる。あやつる。操縦する。 ・棹:〔たう;zhao4●〕(舟の)さお。(舟の)かい。
※慣乘流:川の流れに乗ることに慣れており。 ・慣:…に慣(な)れる。 ・乘流:流れに乗る。
※長江白浪不曾憂:長江の激流の白くくだける波(に乗ること)を心配したことがない。 ・長江:中国南部の大河。 ・白浪:白くくだける波のことで、激流をいう。 ・不曾:…したことがない。…した経験がない。 ・憂:〔いう;you1○〕うれえる。心配する。
◎ 構成について
単調。二十七字。平韻一韻到底。韻式は「AAAA」。韻脚は「裘舟流憂」で詞韻第十二部平声。
●○○●●○,
(韻)
○
●●○○。
(韻)
○●●,
●○○,
(韻)
○
●●○○。
(韻)
2005.11.23
11.24
11.25
11.26
漢詩 填詞 詩餘 詩余 唐詩 元曲 宋詞
次の詩へ
前の詩へ
絶妙清風詞メニューへ
************
詩詞概説
唐詩格律 之一
宋詞格律
詞牌・詞譜
詞韻
唐詩格律 之一
詩韻
詩詞用語解説
詩詞引用原文解説
詩詞民族呼称集
天安門革命詩抄
秋瑾詩詞
碧血の詩編
李煜詞
辛棄疾詞
李淸照詞
陶淵明集
花間集
婉約詞:香残詞
毛澤東詩詞
碇豐長自作詩詞
漢訳和歌
参考文献(詩詞格律)
参考文献(宋詞)
本ホームページの構成・他
わたしのおもい
メール
トップ