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牡丹

                        陳與義
一自胡塵入漢關,
十年伊洛路漫漫。
靑墩溪畔龍鐘客,
獨立東風看牡丹。




    **********************


          牡丹

一たび 胡塵 こ ぢん  漢關に入りて り,
十年 伊洛 い らく  路 漫漫たり。
靑墩せいとん溪畔  龍鐘りょうしょうの客,
ひとり 東風に立ちて  牡丹 ぼ たんを看る。

            ******************


◎ 私感訳註:

※陳與義:南宋の詩詞人。字は去非。号して簡斎、無住。洛陽の人。また、汝州葉県の人。ともに現・河南省。1090(元祐五年)~1138年?(紹興八年?)。政和三年に進士に及第するが、靖康の変に遭って南遷する。襄漢、湖湘へと移るが、召されて兵部侍郎となり、臨安に到着し、中書舎人に掌内制を兼ねた。

※牡丹:ボタンの花。作者の郷里・洛陽は、牡丹で有名と云う。この詩は唐・岑參の『逢入京使』「岑參 故園東望路漫漫,雙袖龍鐘涙不乾。馬上相逢無紙筆,憑君傳語報平安。」に基づく。

※一自胡塵入漢關:ひとたび異民族の軍隊が(長城線を越えて)漢民族の中原に侵入してより。 ・一自:…より。…から。ひとたび…してより。後世、日本・大槻清崇は『佛郎王詞』で「半生威武遍西洋,青史長留赫赫名。
一自功名歸太帝,無人艷説歴山王。」と使う。 ・胡塵:えびすがひきおこす戦乱。ここでは、金軍の侵攻を指す。1126~27年、金軍が、京に侵攻し、欽宗、徽宗を拉致して、北宋が滅んだ靖康之変を指す。『中国軍事史略』中巻(高鋭主編 軍事科学出版社)第一章第十五節「北宋的滅亡」(216ページ~218ページ)では、大要は次の通り:「1125年(宣和七年/金:天會三年)八月、金国は動員令を発布して南下の準備。十月、二路に別れて南進を開始。西路軍は、西京(現・山西省大同)から太原の攻略を目指す。東路軍は南京(現・河北省廬龍)から燕山の攻略を目指す。1126年(靖康元年/金:天會四年)正月、東路軍は邢(現・河北省邢臺)、相(現・河南省安陽)から浚州(現・河南省浚県東北)の黄河の渡河点に直行した。黄河を渡った六万の金軍は開封に迫った。最終的に和議で収まった。二月に金軍は撤兵した。八月に金軍は再び南下。九月太原を攻略。十一月、金の二路の軍が開封で落ち合う。閏十一月末、金軍は開封を攻撃。十二月初、宋・欽宗は金軍に降服。1127年(靖康二年/金:天會五年)二月、金は宋の欽宗、徽宗二帝を廃することを宣布。四月、二帝や大臣三千余人を北方に拉致。北宋は滅亡する」。金・南宋の地図。 ・漢關:長城線。漢民族の領域。中原。

※十年伊洛路漫漫:(金軍の侵攻のため、作者や朝廷が南遷して以降の)十年というものは、伊水と洛水の流域(=洛陽や開封のある河南省一帯の地方)とは、(遥かに離れてしまい、)路が長々と続いているだけであり、(故郷・洛陽を離れて)時間も長々と経ってしまった。 ・十年:故郷の洛陽を離れてからの年数。この作品は、南宋紹興六年(1136年)に作られ、汴京(開封)が陥落(1126年末)してから十年になる。 ・伊洛:伊水と洛水。その流域が、洛陽や開封のある河南省一帯の地方。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)にある。 ・(路)漫漫:〔まんまん;man2man2○○〕時間や空間の限りないさま。路が長々と続いているさまであり、時間が長々と経ったことも謂う。この「漫」:〔まん;man2○〕(ひろい。水の果てしなく広いこと。みなぎる。ひろがる。みだれる。ほしいまま≒慢)は両韻で〔まん;man4●〕(ひろい。水の果てしなく広いこと。みちる≒滿)もある。後漢/魏・蔡琰(文姫)の『胡笳十八拍』の十七に「拍兮心鼻酸,關山阻修兮行路難。去時懷土兮心無緒,來時別兒兮思
漫漫。塞上黄蒿兮枝枯葉干,沙場白骨兮刀痕箭瘢。風霜凜凜兮春夏寒,人馬飢豗兮筋力單。豈知重得兮入長安,歎息欲絶兮涙闌干。」や、前出・岑參の『逢入京使』「故園東望路漫漫,雙袖龍鐘涙不乾。馬上相逢無紙筆,憑君傳語報平安。」や後世・北宋・張舜民の『賣花聲・題岳陽樓』「木葉下君山。空水漫漫。十分斟酒斂芳顏。不是渭城西去客,休唱陽關。   醉袖撫危欄。天淡雲閒。何人此路得生還。回首夕陽紅盡處,應是長安。」など、これらの例は平声での「漫漫」の用例(『胡笳十八拍』は韻脚のため、韻の用い方から平韻と分かり、『逢入京使』は韻脚であることと、近体詩としての平仄の配列から分かる)。また、南宋・陸游の『小園』其三「村南村北鵓鴣聲,水刺新秧漫漫。行遍天涯千萬里, 却從鄰父學春耕」とあるのは、仄韻としての用例。(前二者は平韻の押韻で当該字は韻脚であり、○○とみるべきところ。後者は「●●○○●●○」とすべき句の●●のところで使われている)。蛇足になるが、現代語では「漫」は〔まん;man4●〕のみ。

※靑墩溪畔龍鐘客:靑墩(せいとん)鎮の谷川附近にいる失意の旅人(=作者)は。 ・靑墩:〔せいとん;Qing1dun1○○〕鎮の名。作者の隠棲の地。湖州の東の外れを出たところ。現・浙江省桐郷市の北すぐ。同・嘉興の西すぐのところ。太湖と銭塘江の間。現・杭州市の東北50キロメートルのところ。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)24-25ページ「南宋 両浙路 江南東路」に靑墩鎮がある。 ・溪畔:谷川のほとり。 ・龍鐘:〔りょうしょう;long2zhong1○○〕年老いて疲れ病むさま。失意のさま。涙を流すさま。行き悩むさま。作者自身のこと。 ・客:旅人。よそから来た者。作者を謂う。作者は洛陽の人物であったが、金軍の侵攻による靖康の変のために、南遷し、江南の地に渡ったことを謂う。

※獨立東風看牡丹:一人で春風の中に佇(たたず)み、牡丹の花を見つめている。 ・獨立:ひとりでぽつりとたつ。 ・東風:春風。 ・牡丹:ボタン。春に咲く花。ここでは、ボタンを見て故郷の洛陽の牡丹に思いを致したということ。





◎ 構成について

韻式は「AAA」。韻脚は「關漫丹」で、平水韻上平十四寒(漫丹)、十五刪(關)。次の平仄はこの作品のもの。

●●○○●●○,(韻)
●○○●●○○。(韻)
○○○●○○●,
●●○○●●○。(韻)

2008.1. 6
     1. 7
     1. 8完
     1.10補
2015.5. 5
2017.7.16
                               
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