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 これは井古綆先生の詩で、読みも井古綆先生のものです。
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裁判員裁判考

國向無能求獬豸、
民非有コ惑公平。
毋斯重責委黎庶、
須使判官通世情。



国は無能に向かって 獬豸かい ち を求め、
民は有徳に非ず 公平に惑ふ  
斯の重責を 黎庶れいしょに委すなかれ、
須らく判官を使て 世情につうぜしむべし。

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・無能: 法律に関しては。
・獬豸: 伝説上の善悪を裁く神獣の名で、むかし裁判のとき、この獣が触れると、その者がうそを言っているとか、罪人であるとか分かるとされた。古代の司法官がかぶった冠を「豸冠」と呼んだ。
・公平: 平仄の関係で「公正」にあてる。
・黎庶: (一般の)国民。 ・判官: 裁判官。

<補足> 重箱の“スミ”をほじくるようだが、この『裁判員裁判』の名称は間違いのような気がする。この名称では裁判員が判決を 下すような錯覚を覚える。あくまで私見だが、『市民参加裁判』若しくは『国民参加裁判』ではないかと思う。
 そもそもの発端は、裁判官が世情に乖離した判決を下すため、常識ある一般人を裁判に参加させたのではないか? 判事の日常を忖度すれば、身の安全と判決の公正を保つため、毎日公務員官舎と裁判所を往復するのみで世情には疎く、 法律のみに基づく厳正な判決に専念していることに、同情を禁じえない。加えて日々増加する犯罪は裁判官の激務に拍車をかけている。

 また判事は一般人と違い一生(定年まで)を聖職に従事しているため、自身の良心に恥じない生活をしているであろうが、我々一般人 は大なり小なりの、良心に恥じる行為をしながら、(特にわたくしは)それを忘れているのが実情であろう。  その人が人を裁くことに躊躇することもあるだろうし、宗教上の理由で辞退する人もあると思う。 辞退が許されないならば、憲法で保障された『信教の自由』には抵触しないのであろうか? ここで筆者は以前仄聞した聖書の『なんぢらの中、罪なき者、まず石を擲て』を思い出す。

※ネット上を検索したら、正しくは「ヨハネによる福音書」の第八章0807には 「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」と載っていて、 別の「ヨハネの福音書」には「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と載っていた。

<追記> 筆者は約50年前アメリカ映画『十二人の怒れる男』を見たことがある。当時は西部劇の全盛時代のなかで、異質な映画でストーリーは作るために作ったような展開で、当時の日本映画にない面白さがあった。主役の何とか。。。ヘンリーフォンダでしたか? 渋い演技を記憶している。

2009.8.6




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