Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye
                             

感舊者歌
                                                  
                        元・戴表元

牡丹紅豆艷春天,
檀板朱絲錦色箋。
頭白江南一尊酒,
無人知是李龜年。




               
    *********************


            舊者の歌ふに感ず

牡丹( ぼ たん) 紅豆(こうとう)  (えん)なる春天(しゅんてん)
檀板(だんばん) 朱絲(しゅ し )  錦色(きんしょく)(せん)
頭白(とうはく) 江南(かうなん)  一尊(いっそん)の酒,
人の ()李龜年( り き ねん)なるを  知る無し。

      *****************
             



◎ 私感訳註:

※戴表元:元の文学者。南宋・淳祐四年(1244年)〜元・至大三年(1310年)。奉化剡源楡林(現・浙江省班渓鎮楡林村)の人。字は帥初、また曾伯。号して剡源。南宋末に王応麟らに師事した。南宋・鹹淳七年に進士となり、元・大徳八年に信州教授となる。文章家として名があり、元初の南方文壇の第一人者(「東南文章大家」)といわれた。詩文は新奇を主張し、実践を重視した。詩文集に『剡源集』がある。

※感旧者歌:年寄り(の俳優)が歌うのに感じて(詩を作った)。 *南宋と元の二王朝に仕えた複雑な心境を籠めて詠む。詩中に詠まれている李亀年は、安禄山の乱の時期の人物。当時の漢民族人民の立場では、安禄山の乱は唐の版図を繞っての幾つかの異民族が入り乱れての長期に亘った戦乱であるとも謂える。そして、この詩の作者の時代・南宋から元の時代も、漢民族にとっては、異民族支配の世である。異民族に苦しめられて江南の地を流浪する李亀年の姿を藉りて、作者は元(≒モンゴル)という異民族支配下の心情を詠った。 ・感:感じて(詩を作る)。 ・旧者:としより。作者はその姿に李亀年を想起した。 ・歌:うたう。また、うた。

※牡丹紅豆艶春天:ボタンの花や紅豆の、美しくうららかな春の日(に)。 ・牡丹:ボタン。落葉小低木で、初夏に大輪の花を著ける。 ・紅豆:紅い色の木の実で、南国・嶺南の広東、広西に産する。相愛をいう。*「紅豆」について、福建省の読者よりお便りと写真をいただいた。それに拠ると、「紅豆はアズキではなくて、豆の樹になる豆です。福建省の寧徳市宝橋村には、20メートルにもなる一株の大きな「相思樹」があり、毎年、紅豆をつけています。紅豆は、とても綺麗な赤い色の果実で(果実ではあるものの食べられませんが)、皮が硬くて色が何時までも褪せません。そのために恋の象徴とされてきたのでないかと思っています。紅豆を石にこすりつけて磨いていて、豆が熱くなっても、皮は破れません。その硬さは、想像できるでしょうか。王維の『相思』は恋情だけではなく、人と人の情誼を詠う詩だと主張する人もいるようです。豆はエンドウマメのように莢(さや)に入っており、一つの莢(さや)に直径1センチメートルほどの紅豆が普通は一つ、場合によっては二つか三つ入っています。木の下で拾う時、多くは莢と豆が既に離れて、土や草の中から紅豆を拾います 」とのことで、千載不磨、不変顔色を象徴する赤い果実ということ。盛唐・王維の『相思』に「
紅豆南國,春來發幾枝。願君多采。此物最相思。」とある。 ・艶春天:美しくうららかな春の日、の意。美しい春の天、の意。蛇足になるが、「春天」は現代語では、春、春季の意。

※檀板朱糸錦色箋:(見せ物小屋の)檀板(だんばん)(の拍子を取る音)、弦楽器の赤い絃に、きらびやかで目の覚めるような美しい紙。 ・檀板:〔だんばん;tan2ban3○●〕打楽器の名。拍子を取る木の板。まゆみの木や紫檀(したん)で作った拍子木。京劇などの伴奏で用いる。 ・朱糸:弦楽器の赤い絃。 ・錦色箋:きらびやかで目の覚めるような美しい紙。

※頭白江南一尊酒:頭髪が白くなった(老齢の姿=作者の姿であり、李亀年の姿)が江南の地で、一壷の酒(に向き合っている)。 ・頭白:頭髪が白い。老齢を謂う。作者の姿でもあり、(後出・)李亀年の姿でもる。 ・江南:長江下流域南岸一帯を指す。温暖で風光明媚な豊饒の地。この地は、(後出・)李亀年が安禄山の乱の際、落ち延び流浪していたところでもある。 ・尊:酒器。酒杯。酒樽(さかだる)。酒の容器。酒つぼ。=樽、吹B

※無人知是李亀年:誰も(それが)李亀年だということを知らない。 ・無人知是:…ということであると、分かっている人は、誰もいない。誰も知らないだろうが…なのだ。誰も…ということを知らない。御存知あるまいが、…だ。人の 知ること 無からん 是れ…なりと。「無人 知  是〔……〕。」という句の構成になる。 ・無人:……という人はいない。だれも…は、いない。蛇足だが、その反対の「有人」は、「…とした人がいる」「と或る人が」になる。 ・知+是:…ということを 知っている。 ・無人知 + 是:…ということであると、分かっている人は、だれもいない。誰も知らない。 ・是:…は…である。これ。主語と述語の間にあって述語の前に附き、述語を明示する働きがある。〔A是B:AはBである〕。晩唐・杜牧の『過華清宮絶句』に「長安回望繍成堆,山頂千門次第開。一騎紅塵妃子笑,
無人知是茘枝來。」とあり、清・殊Lの『秋宿葛嶺涵精舍』に「書燈佛火影C涼,夜半層樓看海光。蕉颭暗廊蟲弔月,無人知是半闢ー。」とある。 ・茘枝:れいし。現代北方語では〔li4zhi1リーチー〕と言う。ライチともいうのを耳にするが、南方方言か、その訛りか。茘枝は楊貴妃の好物と伝えられている。 ・來:くる。きた。

 ・李亀年:唐の開元、天宝年間の声楽家の名。玄宗に可愛がられて、長安では豪勢に暮らしていたが、安禄山の乱で、江南へ落ち延び流浪していた。その流浪の旅先で杜甫と李亀年が出逢い、長安時代を回想した詩である。『明皇雜録』(明皇:玄宗皇帝)に「開元の御代に、音楽家の李亀年は歌を善くし、玄宗皇帝の特別な恩顧と寵遇を賜っていて、都の東部に大々的に邸宅を構えていた。其の後 江南を流浪して、めでたい日や美しい景色に出遇う毎に、人の為に数首 歌えば、座中 これを聞き、酒を罷め 顔を掩って泣かないものはいなかった。杜甫は嘗って詩を贈ったことがある。」「開元中,樂工李龜年善歌,特承顧遇,於東都大起第宅。其後流落江南,毎遇良辰勝景,爲人歌數,座中聞之,莫不掩泣罷酒。杜甫嘗贈詩。」(開元中,樂工の李龜年は善く歌をし,特に顧遇を承り,東都に於て大いに第宅を起こす。其の後 江南を流落し,良辰・勝景に遇ふ毎に,人の爲めに歌ふこと數,座中 之を聞き,酒を罷め掩ひて泣かざるもの莫し。杜甫 嘗て詩を贈る。)とある。恰も『晉書』の新亭の光景のようでもある。なお、その贈った詩というのが盛唐・杜甫の『江南逢
李龜年』「岐王宅裏尋常見,崔九堂前幾度聞。正是江南好風景,落花時節又逢君。」である。蛇足になるが、亀年は本名ではなかろう。『歌』「北方有佳人,絶世而獨立。一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。」で有名な、漢代の先輩とも謂える宮中声楽家・延年の名を戴いたものではなかろうか。ともに縁起のよい名(=長寿の意)である。






◎ 構成について

韻式は「AAA」。韻脚は「天箋年」で、平水韻下平一先。次の平仄はこの作品のもの。

●○○●●○○,(韻)
○●○○●●○。(韻)
○●○○●○●,
○○○●●○○。(韻)
2017.2. 7
     2. 8
     2. 9
     2.13完
2020.7.16補
                               
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