Huanying xinshang Ding Fengzhang de wangye

                            


行軍九日思長安故園 
                                                  

     唐・岑參

強欲登高去,
無人送酒來。
遙憐故園菊,
應傍戰場開。




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行軍 九日(きうじつ) 長安の故園を思ふ  

()ひて 高きに登り去らんと 欲するも,
人の  酒を送りて(きた)る無し。
遙かに(あはれ)む  故園の菊,
(まさ)に  戰場に()ひて 開くべし。


               ****************





◎ 私感註釈

※岑参:〔しん・じん;Cen2 Shen1〕盛唐の詩人。開元三年(715年)〜大暦五年(770年)南陽の人。安西節度使に仕え、当時西の地の涯までいった。ために、辺塞詩をよくする。蛇足になるが、岑參の「參」字は〔さん;can1〕〔しん;cen1〕〔じん;shen1〕とあるが、彼の名は〔じん;Shen1〕。(『中国大百科全書・中国文学 T』中国大百科全書出版)。

※行軍九日思長安故園:(安禄山軍によって占拠されていた長安を奪回する灃水の戦に)従軍し、九月九日の重陽節の日にあたり、長安のふるさとを偲んだ。 *『岑參集校注』陳鐵民 侯忠義校注 上海古籍出版社2004年上海)の226ページの校注では、至徳二載(757年)の秋に鳳翔で作ったもの。安史の乱(755年〜)の真っ最中で、二年前に長安を安禄山軍によって陥落させられていたが、この詩の時期(九月)、回紇(ウイグル)と西域等の諸軍15万人の援けを得た元帥・広平王李淑の軍は再度長安を攻撃し、灃水の戦の結果、長安を奪回した。(『中国軍事史略』中巻「第八節 唐朝平定安史之乱的原因・二、平乱経過」81ページ(高鋭主編 軍事科学出版社1992年北京):『舊唐書』に因る)。 ・行軍:野営する。出征時の軍営。行営。 ・九日:九月九日の重陽節を謂う。(陰暦九月九日は陽暦の十月中旬)菊の節句。「九月九日」が陽の数字(奇数)の最大の「九」が重なることから「重陽」という。重九。九日登高節は、高いところに登り、遙か離れた地にいる親族を偲ぶ節。初唐・王勃の『蜀中九日』に「九月九日望ク臺,他席他ク送客杯。人情已厭南中苦,鴻雁那從北地來。」とあり、盛唐・王維の『九月九日憶山東兄弟』に「獨在異ク爲異客,毎逢佳節倍思親。遙知兄弟登高處,插茱萸少一人。」とあり、盛唐・崔國輔の『九日』に「江邊楓落菊花黄,少長登高一望ク。九日陶家雖載酒,三年楚客已霑裳。」とあり、南唐後主・李Uの『謝新恩』に「冉冉秋光留不住,滿階紅葉暮。又是過重陽,臺登臨處,茱萸香墮。   紫菊氣,飄庭戸,晩煙籠細雨。新雁咽寒聲,愁恨年年長相似。」とあり、両宋・李清照の『醉花陰』に「薄霧濃雲愁永晝,瑞腦消金獣。佳節又重陽,玉枕紗廚,半夜涼初透。   東籬把酒黄昏後,有暗香盈袖。莫道不消魂,簾捲西風,人比黄花痩。」とあり、現代では毛沢東の『采桑子・重陽』一九二九年十月に「人生易老天難老,歳歳重陽。今又重陽,戰地黄花分外香。   一年一度秋風勁,不似春光。勝似春光,寥廓江天萬里霜。」とある。蛇足になるが、一月一日(元旦)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、及びこの九月九日(重陽)と、奇数の重なる日は全て節日。 ・長安:唐の首都。当時、安禄山軍によって占拠されていた。 ・故園:ふるさと。

※強欲登高去:(従軍中だが)しいて高い山に登って(家族や親しい人を憶い、菊花酒を飲もうとしたが)。 ・強:しいて。 ・欲:…たい。(…よ)うとする。(…んと)ほっす。 ・登高:重陽の日(九月九日)の風習で、厄災を払うために、高い山に登って家族や親しい人を憶い、菊花酒を飲む風習。魏・阮籍の『詠懷詩』其十に「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,
登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」とあり、前出・王維の『九月九日憶山東兄弟』に「獨在異ク爲異客,毎逢佳節倍思親。遙知兄弟登高,遍插茱萸少一人。」とあり、前出・崔國輔の『九日』に「江邊楓落菊花黄,少長登高一望ク。九日陶家雖載酒,三年楚客已霑裳。」とあり、南唐・李Uの『謝新恩』「冉冉秋光留不住,滿階紅葉暮。又是過重陽,臺登臨處,茱萸香墮。   紫菊氣,飄庭戸,晩煙籠細雨。新雁咽寒聲,愁恨年年長相似。」とあり、南宋・陳亮『念奴嬌』「登多景樓」「危樓還望,嘆此意、今古幾人曾會?鬼設~施,渾認作、天限南疆北界。一水陳,連崗三面,做出爭雄勢。六朝何事,只成門戸私計。   因笑王謝ゥ人,登高懷遠,也學英雄涕。憑却江山,管不到、河洛腥無際。正好長驅,不須反顧,尋取中流誓。小兒破賊,勢成寧問強對。」とあり、現代では在米留学生・朱海洪『元宵』「東風拂面催桃李,鷂鷹舒翅展鵬程。玉盤照海下熱涙,遊子登臺思故國。休負平生報國志,人民有我勝萬金。憤起直追振華夏,且待神洲遍地春。」とある。 ・-去:…に行く。

※無人送酒來:(重陽節に王弘が陶淵明に菊花酒にする酒を送ったようには)誰も酒を送って来ない。 ・無人:…する人がいない。誰も…ない。 ・送酒來:陶淵明の故事(陶淵明が九月九日の重陽節にもかかわらず菊花酒にする酒が無く、東籬の下(もと)に坐っていたが、やがて白い衣を着た人が王弘からの酒を持ってきた故事で、『續晉陽秋』にあるというが、原典未確認。前出・崔國輔の『九日』に「九日
陶家雖載酒,三年楚客已霑裳。」とある。

※遙憐故園菊:遥かに離れたふるさとの菊を、いつくしみ思いやれば。 ・遙憐:遥かに離れた所からいつくしみ思いやる意。 ・遙:〔えう;yao2○〕遥かに。 ・憐:〔れん;lian2○〕憐れむ。かわいそうに思う。気の毒に思う。いつくしむ。強く心を動かされる。盛唐・杜甫の『月夜』「今夜州月,閨中只獨看。
遙憐小兒女未解憶長安。香霧雲鬟,清輝玉臂寒。何時倚虚幌,雙照涙痕乾。」や前出・王維の『九月九日憶山東兄弟』「遙知兄弟登高處,遍插茱萸少一人。」に同じ。 ・菊:キク。邪気を祓うと謂う。また、秋の季節の象徴の花でもあり、重陽節には邪気を祓うために飲む菊花酒の菊。前出・・崔國輔の『九日』に「江邊楓落菊花とある。

※應傍戰場開:(菊は)きっと戦場となった所に沿って、咲いていることだろう。 ・應:きっと…だろう。…のはずだ。…だと思う。まさに…(なる)べし。まさに。助動詞。 ・傍:〔はう(ばう);bang4●〕沿(添)う。寄りそう。近づく。寄りかかる。動詞。蛇足になるが、〔はう(ばう);pang2○=旁〕は名詞/方位詞で、かたわら。わき。そば。の意。ここは、前者の意。 ・開:花が咲く。


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◎ 構成について

韻式は、「AA」。韻脚は「來開」で、平水韻上平十灰。この作品の平仄は、次の通り。

●●○○●,
○○●●○。(韻)
○○●○●,
○○●◎○。(韻)
2012.10.31
     11. 1




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