Huanying xinshang Ding Fengzhang de wangye

                            


  釋疾文三歌
                                                  

     唐 盧照鄰

歳將暮兮歡不再,
時已晩兮憂來多。
東郊絶此麒麟筆,
西山祕此鳳凰柯。
死去死去今如此,
生兮生兮奈汝何。




                   
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      釋疾文(しゃくしつぶん)三歌             
(とし) (まさ)に 暮れんとして  歡び 再びせず,
(すで)に ()れて  憂へ(きた)ること多し。
東郊に ()麒麟( き りん)の筆を()ち,
西山に 此の 鳳凰(ほうわう)(えだ)()す。
死し去り 死し去る  今 ()くの如し,
生や 生や  (なんぢ)奈何(いかん)せん。

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◎ 私感註釈

※盧照鄰:初唐の詩人。貞観十一年(637年)頃〜永昌元年(689年)頃。字は昇之。幽憂子と号した。幽州・范陽(現・河北省涿州市)の人。幼少より曹憲について文字学を学び、博学で文章をよくした。後、ケ王府の典籤(文書の処理係)となり、王府の文書を管理した。後、益州・新都の県尉となった。任期満了後、
風疾(リュウマチ)を患い、苦しみに耐えかねて、ついに潁水に身を投じて死んだ。一生を不遇の内に過ごし、病と貧しさの二重苦の内にあって、憤激と憂苦の歌を作った。「初唐四傑」の一。

※釈疾文三歌:病(やまい)から解き放つことを詠った文三篇の其の一。殷末周初・伯夷、叔斉の『采薇歌』の「登彼西山兮,采其薇矣。以暴易暴兮,不知其非矣。神農虞夏,忽焉沒兮,
吾適安歸矣!吁嗟徂兮,命之衰矣!」を言いたい。この詩は『釈疾文三歌』の其の一で、其の二は「歳去憂來兮東流水,地久天長兮人共死。明鏡羞窺兮向十年,駿馬停驅兮幾千里。麟兮鳳兮,自古呑恨無已。」、其の三は「茨山有薇兮潁水有漪,夷為柏兮秋有實。叔爲柳兮春向飛,倏爾而笑,汎滄浪兮不歸。」。 ・釈疾:病(やまい)から解き放つ意。 ・釈:解く。ほどく。きえてなくなる。 ・疾:やまい。

※歳将暮兮歓不再:歳が暮れようとして、歓びは再びはない。 ・将:これから…しようとする。まさに…(せんと)す。*まもなく起ころうとしていることを表す。 ・暮:暮れる。動詞。 ・兮:〔けい;xi1○〕歌う時に語調を調え、リズムを取る虚辞。…よ!…や!…て、…。字数を揃えるための意味の無い字というものではなく、上代詩の騒体では重要な構成要素。上句の末尾や、一句のなかの節奏に附くことが多い。「…て、」。古来、日本の漢文(漢学)でも、中国の古代漢語でもいわれることだが、詩では、重要な意味を持つ。特に古代では、『詩経』『楚辞』などで、これでリズムを取る兮字脚となる。この詩では以上の意。(ただし、近代の一部の作では、気が横溢したあまりに、(俳句でいう)字足らずとなり、そこを補っているようなものも見受けるが…。その場合は、歌う時の語調を調えるというよりも、「耶」≒後世の「」といった、語尾に附く語気詞の働きをしている)。 ・歓:よろこび。 ・不再:(一度はあったが)ふたたびはない。ふたたびせず、の意。晋・陸機の『短歌行』に「置酒高堂,
悲歌臨觴。人壽幾何,逝如朝霜。時無重至,不再。蘋以春暉,蘭以秋芳。來日苦短,去日苦長。今我不樂,蟋蟀在房。樂以會興,悲以別章。豈曰無感,憂爲子忘。我酒既旨,我肴既臧。短歌有詠,長夜無荒。」とある。

※時已晩兮憂来多:時は、もはやすでに遅く、憂えてくる。 ・已:すでに。 ・晩:暮れる。(時刻が)遅い。 ・憂来:うれえてくる意。

※東郊絶此麒麟筆:(作者の隠棲している)東の郊外で、この(霊獣)麒麟の(が捕獲されたことを記録した後、末世を歎いて)筆を絶った(孔子のように)。 ・東郊:作者の隠棲しているところ。具茨山の山麓か。 ・絶:…筆:…を絶筆とする。…の筆を絶つ。孔子が後出・「獲麟」の記事(=麒麟筆)を以て『春秋』を書き終えたことを指す。 ・此:この。ここでは、孔子の絶筆である麒麟の記録(=麒麟筆)を指す。 ・麒麟:〔きりん;qi2lin2○○〕中国の想像上の動物。顔はオオカミ、体はシカ、尾はウシ、蹄はウマに似て、五色に輝き、聖人が出ると現れると云う。ここでは「獲麟」を謂う。「獲麟」とは、史書の『春秋』の最後に書かれた出来事で、ここで絶筆となった。後世、「物事(/人生)の終わり」の意として使われる。孔子の『春秋』の最終ページの最終の文章に「十有四年:春西狩獲麟」とある。(魯・哀公十四年(=紀元前481年):春、西に狩して麟を獲たり)(上海古籍出版社 536ページ)また、左丘明の『左傳』(岳麓書社 723ページ)でも、哀公十四年には「獲麟」の記事が詳しく載っている。なお、『左傳』は哀公二十七年(736ページ)まである。

※西山秘此鳳凰柯:(伯夷や叔斉が隠棲した)西山(首陽山)に、神鳥・鳳凰がいた枝(わたしの良かった時期の人生)を秘めておこう。 ・西山:首陽山。『史記・伯夷列伝』の古註によると、首陽山は、河東蒲阪の華山の北で河曲の中にある。また、首陽山は、隴西の始めにある。また、洛陽の東北の首陽山に(弟の)夷齊の祠がある。偃師県の西北。また、清源県の首陽山で、岐陽の西北にある。……とその他多く伝えられている。周王朝の粟を避け、二人が隠棲し、薇(ゼンマイ/ワラビ)を採って生活し、やがて餓死したところ。前出・殷末周初・伯夷、叔斉の『采薇歌』に「登彼西山,采其薇矣。以暴易暴兮,不知其非矣。神農虞夏,忽焉沒兮,吾適安歸矣!吁嗟徂兮,命之衰矣!」とある。後世、詩によく詠われた。東晉・陶潛の『擬古』九首の其八に「少時壯且氏C撫劍獨行遊。誰言行遊近,張掖至幽州。饑食
首陽,渇飮易水流。不見相知人,惟見古時丘。路邊兩高墳,伯牙與莊周。此士難再得,吾行欲何求。」、中唐・白居易の『訪陶公舊宅』に「垢塵不汚玉,靈鳳不啄羶。嗚呼陶靖節,生彼晉宋間。心實有所守,口終不能言。永惟孤竹子,拂衣首陽山。夷齊各一身,窮餓未爲難。先生有五男,與之同飢寒。腸中食不充,身上衣不完。連徴竟不起,斯可謂眞賢。」と多い。後世、現代・蔡希陶は『贈呉ヨ』の挽聯で「書歸天祿閣,人在首陽山。」とし、我が国では、山田方谷の『詠伯夷叔齊』「剪商計就竟戎衣,宇宙茫茫孰識非。君去中原幾周武,春風吹老首陽。」がある。 ・鳳凰:〔ほうわう;feng4huang2●○〕聖王の世に現れると云うめでたい神鳥。『論語』衛子第十八に「楚狂接輿,歌而過孔子,曰:『鳳兮!何コ之衰?往者不可諫,來者猶可追。已而!已而!今之從政者殆而!』」とある。 ・柯:枝。 ・鳳凰柯:めでたい鳥が留まっている(/いた)枝。(嘗ての自分の繁栄を指すのか。よく分からない)。盧照鄰の『行路難』に「巣傾歸去,條枯葉落狂風吹。一朝零落無人問,萬古摧殘君詎知?」とある。

※死去死去今如此:(ああ)死に去ろう。今、このように。 ・死去:死んでしまう。 ・如此:このように。そのように。かくのごとし。 *このように(我が命を絶たんとしているのだ)。

※生兮生兮奈汝何:生よ、生よ、おまえをどのようにしようか。 ・奈汝何:おまえをどのようにしよう。秦末漢初・項羽の『垓下歌』に「力拔山氣蓋世時不利騅不逝。騅不逝兮可奈何,奈若何。」とある。 ・「奈何」の間に人称代詞の「」が入る。「」。上代漢語語法の疑問文の用法。この語法で似たものとして、漢の『樂府』『箜篌引』「公無渡河,公竟渡河。墮河而死,
奈公何。』があり、表現も似たものとなっている。 ・汝:なんじ=おまえ。あなた。同等またはそれ以下の用法。=若、女、爾、若。 ・奈何=「奈何」は「いかん;どうしよう」。

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◎ 構成について

韻式は「AAA」。韻脚は「多柯何」で、平水韻下平五歌。この作品の平仄は、次の通り。

●○●兮○●●,(兮=○)
○●●兮○○○。(韻)
○○●●○○●,
○○●●●○○。(韻)
●●●●○○●,
○兮○兮●●○。(韻)
2018.6.17
     6.18
     6.20
     6.21
     6.22
     6.23
     6.24
     6.27




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