剪商計就竟戎衣, 宇宙茫茫孰識非。 君去中原幾周武, 春風吹老首陽薇。 |
商を 剪(き)る 計 就(な)りて 竟(つひ)に 戎衣,
宇宙 茫茫として 孰(いづれ)か 非を 識(し)らん。
君 中原を 去りてより 幾(いくばく)の周武,
春風 吹き 老ゆる 首陽の薇。
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◎ 私感註釈
※山田方谷:文化二年(1805年)〜明治十年(1877年)幕末の陽明学者で、経済に長じ、藩政改革に尽力した。備中松山藩の人。名は球、字は琳卿、通称安五郎。方谷は号になる。
※詠伯夷叔齊:この作品は、古代中国の政権交代に伴う故事を詠う形をとって、旧幕府から維新政府への政権交替に伴う思いを述べている。旧王朝に節義を尽くして、新王朝の禄を食むのをいさぎよしとせず、これを拒んだ伯夷・叔齊(の節義)の士が減ってしまったことを嘆いている。維新政府の世になっても、徳川幕府の恩顧を忘れないという意思表示である。伯夷と叔齊は殷末の人で、不義にして、新たな王朝の周の粟(禄)を食むのをいさぎよしとせず、これを拒んで、首陽山に隠れ住み、薇(ゼンマイ・ワラビ。山菜)を採って生活し、やがて飢えて死んだ。このことは、『史記・伯夷列伝』に見える。殷末周初・伯夷『采薇歌』「登彼西山兮,采其薇矣。以暴易暴兮,不知其非矣。神農虞夏,忽焉沒兮,吾適安歸矣!吁嗟徂兮,命之衰矣!」 と歌も遺されている。 ・詠:詩歌によむ。 ・伯夷:殷末周初の人。『史記・殷本紀』によると、周の武王は(周りの勧めにもかかわらず、一旦は「爾未知天命」と引き上げたものの、)「淫乱不止」「吾聞聖人心有七竅。剖比干,觀其心」等という暴虐・淫乱の殷の紂王を伐とうとして兵を起こした。これに対して、(伯)夷、(叔)齊の兄弟は、ともに「武王載木主,號爲文王,東伐紂。伯夷・叔齊叩馬而諫曰:『父死不葬,爰及干戈,可謂孝乎?以臣弑君,可謂仁乎?』」と、父親の埋葬も終わらない内の挙兵は、不孝者であり、臣下の身で、君主を弑するのは、仁でない、不忠者であると、諫めた。「左右欲兵之。太公曰:『此義人也。』扶而去之。」家来たちが殺そうとしたところを太公に「これは義人である」と、助けてもらったものの、相手にされなかった。「武王已平殷亂,天下宗周,而伯夷、叔齊恥之,義不食周粟,隱於首陽山。」やがて、殷を平らげて、天下は周のものとなった。伯夷と叔齊は、不義にして、新たな王朝の周の粟(禄)を食むのを潔しとせず、これを拒んで、首陽山に隠れ住み、薇(ゼンマイ、ワラビ、山菜)を採って生活し、やがて飢えて死んだ。『史記・伯夷列伝』に見える歌は次の通りで、やや異なる。「登彼西山兮,采其薇矣。以暴易暴兮,不知其非矣。神農、虞、夏忽焉沒兮,我安適歸矣?于嗟徂兮,命之衰矣!」になる。蛇足になるが、後世文革時に「三家村反党集団」とされ、迫害されて死んだ呉ヨを悼んだ聯があるが、これに基づいて作られている。原詩は明治書院『日本漢詩』より採った。
※剪商計就竟戎衣:殷王朝を滅ぼそうという計劃を就さしめようとして、(周の)武王が軍を起こして立ち上がった。 ・剪商:殷を滅ぼす。『詩經・魯頌』「宮」「后稷之孫。實維大王。居岐之陽。實始翦商。至于文武。大王之緒。致天之屆。于牧之野。」、「剪商コ厚,封唐慶延。」に拠る。 ・剪:滅ぼす。除く。断つ。きる。 ・商:王朝名。殷。殷商。 ・計就:計劃が成就する。殷王朝を滅ぼそうという計劃を成就させようとして。 ・竟:ついに。 ・戎衣:〔じゅうい;rong2yi1〕軍服。軍服を身につける。ここでは動詞の用法になる。(周の)武王が軍を起こして立ち上がったことをいう。
※宇宙茫茫孰識非:天地の間は、広々として果てしないが、(武王の行為を)だれが仁に悖ると、分かっていたのだろうか。 ・宇宙:天地。天下。ここでは、世の中、の意で使われている。 ・茫茫:広々として果てしないさま。 ・孰:だれ。いづれ。 ・識:知る。分かる。前出伯夷『采薇歌』の「不知其非矣」 でいえば、「知」の部分。 ・非:仁に悖ること。父親の埋葬も終わらない内の挙兵は、不孝者であり、臣下の身で、君主を弑するのは、仁でないということ。前出伯夷『采薇歌』の「不知其非矣」 を指し、それが仁に悖ることが分からない。
※君去中原幾周武:あなたがた伯夷と叔齊が中原を立ち去ってより、どれだけの周の武王のような(天下を争う)覇者が生まれたことか。 *ここでは、伯夷と叔齊を ・君去:あなた(がた)が立ち去って。 *ここでは、伯夷と叔齊を指している。 ・中原:黄河の中流から下流にかけての平原で、かつての周の勢力圏。現在の河南省、山東省西部と河北省、山西省の南部一帯を指す。漢民族発祥の地。詩詞では、漢民族の住む華北、江北を指し、「漢民族の故地」「わが、故地」「わが民族の故郷」、として地理上の位置を示すよりも、精神的な拠りどころの意としても使う。中原大地。 これに感情を更に込めると「神州」となる。 ・幾:どれほどの。いくばくの。不定の比較的少ない数を謂う。 ・周武:周の武王。覇者の意で使われている。「以暴易暴」を言いたい。
※春風吹老首陽薇:(穏やかな恵みの)春風が吹いてきて、首陽山に(隠棲して)薇を(食べていた伯夷・叔齊のような節義の士を)衰えさせてしまった。 ・春風吹老:春風が…に吹いてきて…老いてしまった。この語句や「老」のとりようによっては、意味が大きく変わってくる。(恵みの)春風が吹いてきて、首陽山に隠棲して薇を食べていた伯夷・叔齊のような節義の士を衰えさせてしまった。 ・老:衰える。おいる。 ・首陽:首陽山。前出『史記・伯夷列伝』の古註によると、首陽山は、河東蒲阪の華山の北で河曲の中にある。また、首陽山は、隴西の始めにある。また、洛陽の東北の首陽山に(弟の)夷齊の祠がある。偃師県の西北。また、清源県の首陽山で、岐陽の西北にある。……とまだまだ伝えられている。周王朝の粟を避け、二人が隠棲し、薇(ゼンマイ)を採って生活し、やがて餓死したところ。東晉・陶潛の『擬古』九首其八に「少時壯且氏C撫劍獨行遊。誰言行遊近,張掖至幽州。饑食首陽薇,渇飮易水流。不見相知人,惟見古時丘。路邊兩高墳,伯牙與莊周。此士難再得,吾行欲何求。」、中唐・白居易の『訪陶公舊宅』に「垢塵不汚玉,靈鳳不啄羶。嗚呼陶靖節,生彼晉宋間。心實有所守,口終不能言。永惟孤竹子,拂衣首陽山。夷齊各一身,窮餓未爲難。先生有五男,與之同飢寒。腸中食不充,身上衣不完。連徴竟不起,斯可謂眞賢。」と多い。(私のサイトにも多くある)。現代・蔡希陶は『贈呉ヨ』の挽聯で「書歸天祿閣,人在首陽山。」とし、我が国では、後花園天皇は『賜足利義政』で「殘民爭採首陽薇,處處閉廬關竹扉。詩興吟酸春二月,滿城紅緑爲誰肥。」とする。 ・薇:ゼンマイ。ワラビ。山菜。ただ、『采薇歌』ではよく、ワラビととる。それは『史記』の古註の索隱に因る。ただ常識的に考えて、正義 陸『毛詩草木疏』の方に分がある。『史記』古註「索隱『薇,蕨也。』『爾雅』云:『蕨,鼈也。』 正義 陸『毛詩草木疏』云:『薇,山菜也。莖葉皆似小豆,蔓生,其味亦如小豆,可作羹,亦可生食也。』」日本語では薇字は「ゼンマイ」、蕨字は「ワラビ」としており、現代語でも“蕨〔jue2〕”は「ワラビ」の意、“薇〔wei1〕”は「ゼンマイ」や「ハマエンドウ」の古称。「ゼンマイ」の古称。“薇蕨”〔wei1jue2〕は「ゼンマイとワラビ」といった山菜のこと。ここでは、周の統治下の畑でできたアワ(禄)を食むのをいさぎよしとせず、山野に自生している山菜を食べた、周の禄を拒絶したということの強調でもある。
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「衣非薇」で、平水韻上平五微。次の平仄は、この作品のもの。
●○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●○○●○●,
○○○●●○○。(韻)
平成16.4.25完 5. 5補 |
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