九州如瓦解,
忠信苟偸生。
受詔蒙塵際,
晦跡到東瀛。
囘天謀不就,
長星夜夜明。
單身寄孤島,
抱節比田橫。
已聞鼎命變,
西望獨呑聲。
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述懷
九州瓦 の如く解し,
忠信苟 くも生を偸 む。
詔 を受く蒙塵 の際,
跡 を晦 まして東瀛 に到る。
囘天の謀 就 らず,
長星 夜夜 明かなり。
單身 孤島に寄 せ,
節 を抱 きて田橫 に比 す。
已 に鼎命 の變ずるを 聞けば,
西のかたを望みて獨 り 聲を呑 む。
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◎ 私感註釈
※朱舜水:明末の儒者。明朝に仕官しなかったが、その再興に尽力し、満洲民族の清朝と戦い、事敗れて後、水戸藩の徳川光圀に仕えた。明・浙江(現・浙江省)餘姚の人。諱は之瑜。字は魯璵。号して舜水。明朝再興のため、鄭芝龍・鄭成功の父子らとともに日本やベトナムとの貿易などを行い、南明政権の魯王や、台湾に拠った鄭成功を支援した。1659年(明:永暦十三年 = 日本:万治二年 = 清:世祖 順治十六年)の南京攻略戦にも参加した。朱舜水は、鄭成功による鎖国政策下の日本へ救援を求める日本請援使として派遣されたが、南京攻略戦の敗退後の同年、日本の長崎に亡命・帰化し、後、徳川光圀に招かれて独自の古学による正式の礼儀を伝え、実学を重んじて、農業、造園、学制を指導し、水戸藩の学者はじめ、林信篤・木下順庵・山鹿素行らに大きな影響を与えた。1600年~1682年で、李自成、鄭成功らと同時代の人。
※述懷:心に思うことをのべる。 *日本の軍事的支援を得ることもできなくて、漢民族の明朝の復興を果たせることなく、日本に亡命・帰化した心情を詠う。初唐・魏徴に『述懷』「中原初逐鹿投筆事戎軒。縱橫計不就,慷慨志猶存。杖策謁天子,驅馬出關門。請纓繋南越,憑軾下東藩。鬱紆陟高岫,出沒望平原。古木鳴寒鳥,空山啼夜猿。既傷千里目,還驚九折魂。豈不憚艱險,深懷國士恩。季布無二諾,侯嬴重一言。人生感意氣,功名誰復論。」がある。
※九州如瓦解:(漢民族の祖である禹が開いた)中国全土は、かわらけが砕けるようにばらばらに分散し(てしまい)。 ・九州:中国全土を謂う。全国。古代九州伝説で、禹が全土を開いて冀、
、青、徐、予、荊、揚、雍、梁の九つの州に分けたことによる。南宋・陸游の『示兒』に「死去元知萬事空,但悲不見九州同。王師北定中原日,家祭無忘告乃翁。」
とある。 ・瓦解:〔ぐゎかい;wa3jie3●●〕かわらけが砕けるようにばらばらに分散すること。
※忠信苟偸生:忠と信のまごころをなおざりにして、命を惜しんでいたずらに生きながらえている。 ・忠信:まごころ。まこと。「忠」は心について謂い、「信」はことばについて謂う。忠亮。 ・苟:〔こう;gou3●〕なおざりに(して)。おろそかに(して)。いいかげんに(して)。かりそめに(して)。いやしくも。かりにも。もしも。仮定の助字。 ・偸生:〔とうせい;tou1sheng1○○〕命を惜しんでいたずらに生きながらえる。死ぬべき時に死なないで無駄に生き延びる。生命をぬすむ。盛唐・杜甫の『石壕吏』に「暮投石壕邨,有吏夜捉人。老翁逾墻走,老婦出門看。吏呼一何怒,婦啼一何苦。聽婦前致詞,三男鄴城戍。一男附書至,二男新戰死。存者且偸生,死者長已矣。室中更無人,惟有乳下孫。有孫母未去,出入無完裙。老嫗力雖衰,請從吏夜歸。急應河陽役,猶得備晨炊。夜久語聲絶,如聞泣幽咽。天明登前途,獨與老翁別。」とある。『昭明文選』の李少卿(李陵)の『答蘇武書』に「苟怨陵以不死。然陵不死,罪也;子卿視陵,豈偸生之士,而惜死之人哉?寧有背君親,捐妻子,而反爲利者乎?然陵不死,有所爲也」とある。なお、この最後の方に「昔人有言:『雖忠不烈,視死如歸。』…男兒生以不成名,死則葬蠻夷中,誰復能屈身稽〔桑頁〕,還向北闕,使刀筆之吏,弄其文墨邪?願足下勿復望陵。嗟乎,子卿!夫復何言!相去萬里,人絶路殊,生爲別世之人,死爲異域之鬼,長與足下,生死辭矣!」とあり、後世、雲井龍雄は『辭世』で「死不畏死,生不偸生。男兒大節,光與日爭。道之苟直,不憚鼎烹。眇然一身,萬里長城。」
とする。
※受詔蒙塵際:天子が、難を避けて都から逃げ出す時に、天子よりみことのり(=命令:日本国の対南明支援要請)を承(うけたまわ)り。 ・受詔:天子のみことのりを承(うけたまわ)る。 ・詔:〔せう;zhao4●〕みことのり。天子の命令。*みことのりの内容は、日本に対しての、対清朝への抵抗と対明(この時は南明)への支援要請。この「詔」はどの天子が出したものか。時間的に見て、南京に急遽擁立された南明政権の魯王のことになろうか。或いは、昭宗永暦帝になろうか。1644年に李自成軍に囲まれて、北京で自殺した明・崇禎帝では、地位の差と時間差がありすぎよう。 ・蒙塵:天子が、変事のために難を避けて、都から逃げ出すこと。天子が行幸するときは道を清めてから行くが、変事の際はその余裕がなく、頭から塵をかぶる意。
※晦跡到東瀛:姿をくらまして、(詔の通りに)東海の日本にやって来た。 ・晦跡:〔くゎいせき;hui4ji1●●〕姿をくらます。世を逃れて人に知られないようにする。=晦迹。 ・晦:〔くゎい;hui4●〕くらます。みつけられないようにする。ごまかす。 ・東瀛:〔とうえい;dong1ying2○○〕東方の大海。東海。転じて、日本のことを謂う。「東海」としないで、「東瀛」とするのは、「瀛」:〔とうえい;dong1ying2○○〕東方の大海。東海。:〔とうえい;dong1ying2○○〕東方の大海。東海。
※回天謀不就:(日本の支援を得て)天下の形勢を変え、衰えた勢いを再び盛り返そうという策謀は、成就することなく。 ・回天:天を回転させる意で、天下の形勢を変える。衰えた勢いを再び盛り返す。清末・譚嗣同の『絶命詞』に「有心殺賊,無力回天。死得其所,快哉快哉。」とある。清末・秋瑾の『昭君怨』に「恨殺回天無力,只學子規啼血。愁恨感千端,拍危欄。 枉把欄干拍遍,難訴一腔幽怨。殘雨一聲聲,不堪聽!」
とある。 ・謀:〔ぼう;mou2○〕はかりごと。策謀。 ・就:成就する。「就」(●)を「成」(○)ともする。ここは●(仄韻字)の方が好ましい。まして韻脚ではない句の末に韻字が来ることは、不都合。(「構成について」の青記号参照
)
※長星夜夜明:(凶兆である)ほうき星が、夜ごと、明るく輝いていた。 ・長星:〔ちゃうせい;chang2xing1○○〕ほうき星。光芒を長く放つ星。彗星。彗星は「白虹貫日」などとともに、天に現れる凶兆。 ・夜夜:夜ごと。毎夜。
※単身寄孤島:一人で、大陸から遠く離れた島(=日本)に身を寄せて(いるということについて)。 ・孤島:陸地や他の島から一つだけ遠く離れている島。ここでは、日本のことになる。後出・田横の麾下が島嶼に拠ったこと(『史記・田列傳』青字部分)に繋げるための表現。なお、清末・康有為や梁啓超や秋瑾は日本のことを「三島」と表現している。康有爲の『呈東國諸公』に「櫻花開罷我來遲,我正去時花滿枝。半歳看花住三島,盈盈春色最相思。」
とあり、 清・梁啓超の『愛國歌』に「泱泱哉!吾中華。最大洲中最大國,廿二行省爲一家。物産腴沃甲大地,天府雄國言非誇。君不見,英日區區三島尚崛起,況乃堂矞吾中華。結我團體,振我精神,二十世紀新世界,雄飛宇内疇與倫。可愛哉!吾國民。可愛哉!吾國民。」
とあり、秋瑾の『日人石井君索和即用原韻』に「漫云女子不英雄,萬里乘風獨向東。詩思一帆海空闊,夢魂三島月玲瓏。銅駝已陷悲囘首,汗馬終慚未有功。如許傷心家國恨,那堪客裏度春風!」
とある。
※抱節比田横:節操を持つことは、(生きて勝者の顔を見たくないという)田横(と島嶼に拠った田横の麾下)に擬(なぞら)えていた。 ・抱節:かたいみさをいだく。節操を持つ。 *明朝復興の意志を抱くことを謂う。 ・比:なぞらえる。…とみなす。…の真似をする。また、比べる。比較する。ここは、前者の意。 ・田横:〔でんわう(でんくゎう);Tian2Heng2○○〕秦末漢初の人。斉王。秦末、漢初に項羽が劉邦に滅ぼされて、漢王であった劉邦が漢の高祖となって天下を統一した。その後、高祖・劉邦は「斉王・田横一統の大物は諸王として、その小物は諸侯とする。しかし、来なかったら討ち滅ぼしてしまう。」として、田横に臣従を迫った。しかし、斉王・田横は、曾てともに肩を並べて坐っていた元・同格(漢王)の劉邦に北面する屈辱に堪えられなかった。田横が言うには「漢の高祖・劉邦は、わたし(田横)の顔を見たいだけなのだろう。皇帝陛下(劉邦)のいらっしゃる洛陽も近いことだから、(わたしの首級の)形が腐って崩れることもなかろうから、御覧になることもできよう。」と、自刃して首を高祖(劉邦)に献げさせた。その命を受けた田横の食客は、高祖・劉邦の使者に従って行き、その旨を高祖・劉邦に奏上した。このことを聞いた高祖・劉邦は、涙を流し、そして田横の客であった客人に対して礼を厚くして遇し、都尉の位につけ、兵卒二千名を着けて出発させ、王者の礼遇で葬儀を執り行った。葬儀が終わるや否や、二名の食客は、その傍に穴を掘り、自分で首を切り、部下もそれに附き従った。それを聞いた劉邦は、田横の食客の行為の立派さに大いに驚いた。これらの行為を高く評価して、惜しみ悼んだ。さらに、田横の部下五百余名が島嶼に拠っていることを知って、使いを出して彼等を召し抱えようとしたが、部下たちは主君・田横が死んでいたことを知って、皆、自殺した。『史記・田列傳』「(高皇帝)曰:『田橫來,大者王,小者迺侯耳;不來,且舉兵加誅焉。』。(田橫)謂其客曰:『橫始與漢王倶南面稱孤,今漢王爲天子,而橫迺爲亡虜而北面事之,其恥固已甚矣。且吾亨人之兄,與其弟並肩而事其主,縱彼畏天子之詔,不敢動我,我獨不愧於心乎?且陛下所以欲見我者,不過欲一見吾面貌耳。今陛下在洛陽,今斬吾頭,馳三十里閒,形容尚未能敗,猶可觀也。』遂自剄,令客奉其頭,從使者馳奏之高帝。高帝爲之流涕,而拜其二客爲都尉,發卒二千人,以王者禮葬田橫。既葬,二客穿其冢旁孔,皆自剄,下從之。高帝聞之,迺大驚,以田橫之客皆賢。吾聞其餘尚五百人在海中,使使召之。至則聞田橫死,亦皆自殺。」に基づく。後世、佐原盛純は『白虎隊』で「少年團結白虎隊,國歩艱難戍堡塞。大軍突如風雨來,殺氣慘憺白日晦。鼙鼓喧闐震百雷,巨砲連發僵屍堆。殊死突陣怒髮立,縱橫奮撃一面開。時不利兮戰且退,身裹瘡痍口含藥。腹背皆敵將何行,杖劍閒行攀丘嶽。南望鶴城砲煙颺,痛哭呑涙且彷徨。宗社亡兮我事畢,十有六人屠腹僵。俯仰此事十七年,畫之文之世閒傳。忠烈赫赫如前日,壓倒田橫麾下賢。」
とする。
※已聞鼎命変:(しかし)王朝の神器が入れ替わったということをすでに聞き知った(ので)。=漢民族の明朝(南明朝)が滅んで、満洲民族の清朝が興ったことを聞いた(ので)。 ・已聞:すでに聞き知った、の意。 ・鼎命:王朝の命運。 ・鼎:〔てい;ding3●〕王朝の宗廟に伝わる宝器で、王の権威を表す神聖で貴い祭器(神器)。かなえ。
※西望独呑声:西の方の遠く(中国の方)を眺めて、ひとり、忍び泣いている。 ・独:ひとり。 ・呑声:〔どんせい;tun1sheng1○○〕しのびなく。声を出さないようにして泣く。また、だまる。ここは、前者の意。盛唐・杜甫の『哀江頭』に「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰綠。憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。人生有情涙霑臆,江草江花豈終極。黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。」とある。
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◎ 構成について
作品全体の韻式は「AAAAA」。韻脚は「生瀛明横聲」で、平水韻下平八庚。この作品の平仄は次の通り。
●○○●●,
○○●○○。(韻)
●●○○●,
●●●○○。(韻)
○○●●●,
○○●●○。(韻)
○○●○●,
●●●○○。(韻)
●○●●●,
○◎●○○。(韻)
2011.6.14 6.15 6.16 6.17 6.18 |
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