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西鄕隆盛 | ||
山崎泰輔 | ||
肥水豐山路已窮, 墓田歸去覇圖空。 半生功罪兩般跡, 地底何顏對照公。 |
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肥水 豐山 路 已に窮まり,
墓田に歸り去りて 覇圖 空し。
半生の功罪 兩般の跡,
地底に 何の顏あってか 照公に對せん。
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◎ 私感註釈
※山崎泰輔:明治時代の医師。西南戦争では官軍側として、鹿児島県臨時病院で務める。遠江國(現・静岡県)出身。
※西鄕隆盛:2009年(平成二十一年)9月12日(土曜)の讀賣新聞の夕刊に、次のような記事があった。「西南戦争で自刃した西郷隆盛が…詠んだ辞世とみられる漢詩が見つかった。官軍側の医師・山崎泰輔の日記「明治十年 西遊日記」に記されて…」いたとある。
この詩について、次のように作者を推理している:
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「西郷南洲顕彰館は、大学教授らと検証した結果、
①文章構成が西郷の作品に似ている
②社会的地位の高い山崎が西郷に成り代わって詠むとは考えられない
③結句の『何の顔(かんばせ)あって照公(島津斉彬)に対せん』は斉彬公を師と仰いでいた西郷ならではの表現」としている。
また、「ただ、『半生の功罪両般の跡』などと自らに厳しく評価を下していることから『山崎が城山で散った西郷のことを詠んだのではないか』と慎重な見方をとる研究者もいる」ともしている。
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と。
この詩、西郷隆盛の詩なのか、山崎医師の詩なのか。わたしは、この詩を次のような理由から山崎医師の詩であると見る。
①起句は宋・陸游詩の『遊山西村』の「山重水複疑無路, 柳暗花明又一村。」や王維詩
(リンク未だ)の影響下にある。
②「路已窮」は項羽の陰陵を、「覇図」は項羽と劉邦の天下争覇を、「何顔」は『史記・項羽本紀』の項羽の最期の場面(我何面目見之)」を思い起こさせる。
③辞世で自分の一生を「半生功罪」と表現できるのか。
④「兩般」(二種類の…)といった批評じみた表現で、自己の心情を表すのか。
⑤この詩の平仄等は
●●○○●●◎
●○○●●○◎
●○○●●○●
●●○○●●◎
となっている。精確に作られている。
漢学の素養が深い幕末/明治初期の日本人であっても、寄せ来る敵弾の中で、推敲なしで作りおおせるものなのか。なかなか難しかろう。(後日註:山崎医師の日記の中での推敲があるとのこと平成22.4.4)
もし、西郷の作とすれば、前もって作っていたのだろうか、「路已窮」「覇図空」「功罪両般跡」「何顔対照公」といった不景気なことばを用意していたとは。考えづらいことだ。
この詩、山崎医師が作ったと見れば疑問は氷解するし、自然だ。なお、新聞記事の読み下しの「何の顔(かんばせ)あって照公に対せん」は、「何」といった疑問詞がある場合(疑問・反語)は、助詞「…か」「…や」「…ぞ」を附けた方がよい(係り結びを考慮して)。「何の顔(かんばせ)あってか照公に対せん」等と。このことについてのわたしのページがある。山崎医師が西郷の悲報を聞き、西南の役を総括して作った、と考えるのが語彙、表現上妥当。同様に、西郷隆盛を詠ったものに、明治・西道仙の『城山』「孤軍奮鬪破圍還,一百里程壘壁間。吾劍既摧吾馬斃,秋風埋骨故鄕山。」
がある。
※肥水豊山路已窮:肥後(ひご)の国の川や豊後(ぶんご)の国の山々といった九州中部から北部への道は、すでに閉ざされており。 *杜甫の『詠懷古跡五首』之三に「羣山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。一去紫臺連朔漠,獨留靑塚向黄昏。畫圖省識春風面,環珮空歸月下魂。千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。とあり、南宋・陸游詩の『遊山西村』に「莫笑農家臘酒渾,豐年留客足鷄豚。山重水複疑無路,柳暗花明又一村。簫鼓追隨春社近,衣冠簡朴古風存。從今若許閒乘月,拄杖無時夜叩門。」
とある。 ・肥水:ここでは、肥後の国(現・熊本県)の川のことになる。 ・豐山:豊後の国(現・現在の大分県中南部)の山々。 ・肥水豐山:肥後の国の川や豊後の国の山々で、九州中部から北部にかけて。南宋・岳飛の『池洲翠微亭』に「經年塵土滿征衣,特特尋芳上翠微。好水好山看不足,馬蹄催趁月明歸。」
や我が国明治初期・雲井龍雄の『釋大俊發憤時事慨然有濟度之志將歸省其親於尾州賦之以贈焉』に「生當雄圖蓋四海,死當芳聲傳千祀。非有功名遠超群,豈足喚爲眞男子。俊師膽大而氣豪,憤世夙入祇林逃。雖有津梁無處布,難奈天下之滔滔。惜君奇才抑塞不得逞,枉方其袍圓其頂。底事衣鉢僅潔身,不爲鹽梅調大鼎。天下之溺援可收,人生豈無得志秋。或至虎呑狼食王土割裂,八州之草任君馬蹄踐蹂。君今去向東海道,到處山河感多少。古城殘壘趙耶韓,勝敗有跡猶可討。參之水駿之山,英雄起處地形好。知君至此氣慨然,當悟大丈夫不可空老。」
とあり、明治・夏目漱石の『無題』に「眞蹤寂莫杳難尋,欲抱虚懷歩古今。碧水碧山何有我,蓋天蓋地是無心。依稀暮色月離草,錯落秋聲風在林。眼耳雙忘身亦失,空中獨唱白雲吟。」
とあり、清末・秋瑾の『致徐小淑絶命詞』に「痛同胞之醉夢猶昏,悲祖國之陸沈誰挽。日暮窮途,徒下新亭之涙;殘山剩水,誰招志士之魂?不須三尺孤墳,中國已無乾淨土;好持一杯魯酒,他年共唱擺崙歌。雖死猶生,犧牲盡我責任;即此永別,風潮取彼頭顱。」
とある。現代では、毛沢東の『長征』「紅軍不怕遠征難,萬水千山只等閒。」
が有名。 ・路已窮:道は行き詰まった。道はすでに窮まった。項羽でいえば陰陵。『漢書・…・蘇武列傳』に「數月,昭帝即位。數年,匈奴與漢和親。漢求武等,匈奴詭言武死。後漢使復至匈奴,常惠請其守者與倶,得夜見漢使,具自陳道。教使者謂單于,言天子射上林中,得雁,足有係帛書,言武等在某澤中。使者大喜,如惠語以讓單于。單于視左右而驚,謝漢使曰:『武等實在。』於是李陵置酒賀武曰:『今足下還歸,揚名於匈奴,功顯於漢室,雖古竹帛所載,丹靑所畫,何以過子卿!陵雖駑怯,令漢且貰陵罪,全其老母,使得奮大辱之積志,庶幾乎曹柯之盟,此陵宿昔之所不忘也。收族陵家,爲世大戮,陵尚復何顧乎?已矣!令子卿知吾心耳。異域之人,壹別長絶!』陵,起舞歌曰:『徑萬里兮度沙漠,爲君將兮奮匈奴。路窮絶兮矢刃摧,士衆滅兮名已
。老母已死,雖欲報恩將安歸!』
陵泣下數行,因與武決。」
とある
。 ・已:とっくに。すでに。 ・窮:〔きゅう;qiong2○〕きわまる。つまる。動きがとれぬ。止まる。
※墓田帰去覇図空:雄図も(今はすでに)空(むな)しいものとなり、(西郷は郷里の薩摩の先祖代々の)墓地のあるところへ帰った。 ・墓田:墓地。中唐・白居易の『病中哭金鑾子』に「豈料吾方病,翻悲汝不全。臥驚從枕上,扶哭就燈前。有女誠爲累,無兒豈免憐。病來纔十日,養得已三年。慈涙隨聲迸,悲傷遇物牽。故衣猶架上,殘藥尚頭邊。送出深村巷,看封小墓田。莫言三里地,此別是終天。」とあり、嵯峨天皇の『侍中翁主挽歌詞』に「生涯如逝川,不慮忽昇仙。哀挽辭京路,客車向墓田。聲傳女侍簡,別怨艷陽年。唯有弧墳外,悲風吹松煙。」
とある。 ・歸去:帰っていく。本来の居場所である自宅、故郷、墓地などへ帰っていく。東晉・陶淵明の『歸去來兮辭』(歸去來辭)に「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕颺,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三逕就荒,松菊猶存。攜幼入室,有酒盈樽。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而游觀。雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。歸去來兮,請息交以絶遊。世與我以相遺,復駕言兮焉求。悅親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告余以春及,將有事於西疇。或命巾車,或棹孤舟。既窈窕以尋壑,亦崎嶇而經丘。木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。羨萬物之得時,感吾生之行休。已矣乎,寓形宇内復幾時。曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願, 帝鄕不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘耔。登東皋以舒嘯,臨淸流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑。」
とある。 ・覇圖:雄図。清末 民國・孫文の『無題』に「半壁東南三楚雄,劉郞死去霸圖空。尚餘遺孽艱難甚,誰與斯人慷慨同。塞上秋風悲戰馬,神州落日泣哀鴻。幾時痛飮黄龍酒,橫攬江流一奠公。」
とある。秦末漢初・西楚覇王・項羽の覇図は『垓下歌』で「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何。」
と詠われている。 ・空:むなしい(ものとなる)。
※半生功罪両般跡:(西郷の)そのときまでの生涯の功績と罪とは、(功労者・功臣としてのみではなく、国家に対する叛逆者という評価も生まれ、それら)二種類のあとがあり。 ・半生:〔はんせい(しゃう);ban4sheng1●○〕一生の半分。人生の半ば。そのときまでの生涯。 ・功罪:功績と罪。良い点と悪い点。功過。皮日休は、『汴河懷古』で「盡道隋亡爲此河,至今千里賴通波。若無水殿龍舟事,共禹論功不較多。」と詠う。 ・兩般:二種類。江戸時代・友野霞舟の『春感』に「妖桃昨夜灼前林,忽見飛紅一寸深。開落眞成渠自取,春風豈有兩般心。」
とある。 ・跡:あと。痕跡。
※地底何顔対照公:黄泉で、どのような顔(をして)照国公である島津斉彬(なりあきら)公に会おうというのか。どのような言い訳をするつもりなのか。 ・地底:ここでは黄泉のことをいう。 ・何顏:どのような顔(をして)。『史記・項羽本紀』に「於是項王乃欲東渡烏江。烏江亭長艤船待,謂項王曰:『江東雖小,地方千里,衆數十萬人,亦足王也。願大王急渡。今獨臣有船,漢軍至,無以渡。』項王笑曰:『天之亡我,我何渡爲!且籍與江東子弟八千人渡江而西,今無一人還,縦江東父兄憐而王(「王」字は動詞)我,我何面目見之?縦彼不言,籍(項籍=項羽のこと)獨不愧於心乎?』」
とある。我が国の明治・乃木希は『凱旋』「皇師百萬征強虜,野戰攻城屍作山。愧我何顏看父老,凱歌今日幾人還。」
とした。 ・對:向かう。 ・照公:島津家二十八代め当主の島津斉彬(なりあきら)公。授与された神号は照國大明神。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「窮空公」で、平水韻上平一東。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○●●○,(韻)
●○○●●○○。(韻)
●○○●●○●,
●●○○●●○。(韻)
平成22.4.4 |
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