ここの背景画像は「SWEET HOME PAGE」さんからお借りしました。
2.革命のきっかけ
順番に読んでいってもかまいませんし、興味のあるところから読んでも大丈夫です。
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2.革命のきっかけ
- 貴族の反乱…革命の最後で決定的なきっかけは貴族の反乱でした。公平な税金を払うのがいやだ、などというつまらないわがままのために、彼らは自分達の存在に一番必要な王政を破壊するきっかけを作ってしまったのです。
- 三部会召集…三部会を開催しようと手を結んでいた高等法院と民衆は、三部会の召集が決定されると、とたんに対立が始まります。巷では「第三身分とはなにか」等のパンフレットが溢れ、三部会への期待が高まります。
- 三部会開催…いよいよ三部会が開催されます。第一身分、第二身分とも一枚岩ではありません。それぞれの思惑が混在し、波乱を予想させる開幕です。そして、第三身分を待っていたのは露骨な身分差別でした。
- 国民議会成立…議会は国王と対立しながら、国民議会を成立させます。そして、「テニスコートの誓い」で憲法の制定を強く誓います。国王は議会に対抗するため、軍隊をパリとヴェルサイユに集結させていました。
iii. 三部会開催
一言で説明すると…
いよいよ三部会が開催されます。第一身分、第二身分とも一枚岩ではありません。それぞれの思惑が混在し、波乱を予想させる開幕です。そして、第三身分を待っていたのは露骨な身分差別でした。 |
三部会の議員構成
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選挙の結果、三部会に選ばれた人々を見てみましょう。三身分の定員は、それぞれ300人、300人、600人ですが、実数は若干の増減があります。(構成の表はこちら→)
- 第一身分(僧侶):議員数308人。205人が身分のあまり高くない司祭で、身分の高い司教の横暴に批判的でした。司祭達は第三身分出身のものが多いので、第三身分につながっていました。ただし、貴族出身の上級僧侶の中にも、タレーランやド・ボワジュランなど進歩的な人たちもいました。
- 第二身分(貴族):議員数285人。266人が帯剣貴族、19人が上級裁判所の司法官でした。一般に貴族は宮廷人と自由主義的大貴族を敬遠し、保守的傾向の強い地方貴族が多数を占めたため、両大陸の英雄ラファイエットですら苦戦しました。自由主義貴族は約90人で、その中には、「三十人会」に所属している人の他に、オルレアン公、ノワイユ子爵などがいました。
- 第三身分(平民):議員数621人。選挙のシステムの関係上、代表者は弁護士などの上層ブルジョワジーに限られていました。農民の代表はたったの一人です。議員の中には、ムーニエ、バルナーヴ、ロベスピエールなど、後の革命の指導者が多くいました。また、特権階級でありながら、第三身分の代表として選ばれた人に、ミラボー、シエイエスなどがいます(「同じような二人の違いはこちら→」)。第三身分の者が特権身分に代表になることは禁止されていましたが、特権身分の者が第三身分の代表となることは認められてたのです。
- 国王:この時35歳。彼は肥満で、狩や錠前作りばかりが好きで、政治には向いませんでした。会議ではいつも居眠りばかりしていました。
- 王妃:この時33歳。浪費やスキャンダルを知っていた国民から嫌われていました。短絡的に政治に介入し、国王を思うがままに操っていました。
三部会のしきたり
三部会では1614年に開催されたときの習慣を踏襲することになりました。いくつかのしきたりを見てみましょう。
- 身分毎に服装を定める。(特権階級の華々しい服装に比べて、第三身分の服装は地味な黒ずくめでした。図では左が貴族、真中が第三身分、右が聖職者です。)
- 国王、貴族、聖職者は帽子をかぶっている間、第三身分の代表者は帽子を取る。
- 貴族と聖職者が正門から会場に入った後、第三身分の代表者は脇の通用門から入場する。
これでは第三身分の代表者が反発したのは無理もありません。
三部会の開催
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三部会の議場
(クリックすると大きな画像になります) |
1789年5月4日、三部会の前日です。国王夫妻、宮廷、1200人の代表者たちはまず、ノートル・ダム寺院でミサをあげ、サン・ルイ寺院に赴くためパリを横切って巨大な行進をしました。
5月5日、第三身分の代表者は午前八時に召集され、狭い入り口から入場させられました。
一方、聖職者、貴族はそれよりも遅い時間に召集され、中央の広い入り口から議場に入りました。国王が来場したのは午後一時です。第三身分の代表はその間、ずっと待っていなければなりませんでした。ここにも露骨な差別待遇が見られます。
ネッケルの財政報告
国王が簡単な演説をすると、ネッケルが国庫についてのだらだらとした報告をしました。その報告は三時間あまりも続き、途中、喉を傷めたネッケルの代わりに他の人が読み上げました。
ネッケルの報告は、ただただ細かい数字を述べるだけで、第三身分が一番関心を持っていた、票決方法(身分別投票か個人別投票か)や審議方法(分離審議か合同審議か)などについてや政治改革にいては全然触れません。三部会で何かをつかもう、と思っていた第三身分の代表は失望し、失望は怒りに変わりました。
開催式の翌日から、身分毎別室で討議することになっていました。つまり、身分毎の投票で決議されるということなので、第三身分の要求は通るはずがありません。だから、彼らは全議員を一堂に会して議事を進行させ、多数決で決議しようとしました。
以後、一ヶ月に渡って、分離審議か合同審議かについて三身分の間の交渉が続きました。