ここの背景画像は「QUEEN」さんからお借りしました。

 あ・ら・かると 名前編   


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1000名の方に見に来ていただいた記念としてこのコーナーを新たに設けました。ありがとうございます。次はヒット数2000を目指してがんばります!!

 一人の人間に様々なあだ名。悲喜こもごもです。

1.サン・ジュスト「革命の大天使」 2.ロベスピエール 「清廉の人」
3.シエイエス 「革命のもぐら」 4.ピット 「人類の敵」
5.オルレアン公 「平等のフィリップ」 6.ラ・ファイエット「新大陸の英雄」
7.ミラボー 「革命の獅子」 8.テレーズ・カバリュス 「テルミドールの聖母」
9.ナポレオン 「ヴァンデミエールの将軍」 10.ラボワジエ 「百年に一人の頭脳」
11. マノン・ロラン「ジロンド派の女王」 12.ミラボー 「疱瘡の虎」
13.高等法院の議員 「祖国の父」 14.シャルロット・コルデー 「暗殺の天使」
15.マラー 「人民の友」 16.マリー・アントワネット「オーストリア女」
17.マリー・テレーズ「ロベスピエールの婚約者」 カルノー 「勝利の組織者」

1.サン・ジュスト「革命の大天使」 (H11.2.3.UP)

「革命」「天使」と相容れないものがここでは調和しており、見事にサン・ジュストの妖しい美貌を表現しています。しかも「天使」には「大」まで付いています。サン・ジュストの革命に賭ける情熱の大きさ、はっと息を飲む美貌は普通ではなかったのでしょう。

2.ロベスピエール 「清廉の人」 (H11.2.3.UP)

もともとは「腐敗させることができない人」と言う意味です。同士ダントンのように女性、お金、快楽、地位、名誉に決しておぼれることがないロベスピエールの性格をずばりと言っています。どんなに悪魔が耳元で囁いても、彼を誘惑することができませんでした。そもそも彼は自分が信じている「正義」以外、何に対しても興味がないので、溺れようがないのです。

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3.シエイエス 「革命のもぐら」 (H11.2.3.UP)

「第三身分とはないか」というパンフレットで華々しく革命の表舞台に登場したシエイエスですが、恐怖政治が始まると、とにかく人目につかないようにして暮らしていたそうです。それで、ロベスピエールにこのようなあだ名をもらったわけですが、彼のロベスピエールへの恐れは中途半端ではありませんでした。テルミドールの後も召使に、「ロベスピエールさんが来られたら、留守だと言ってくれたまえ」と頼んでいるほどです。

4.ビット「人類の敵」 (H11.2.3.UP)

ピットとは当時のイギリスの首相です。彼を中心に「対仏大同盟」が出来、とにかくフランスにとっては目の上のたんこぶでした。「人類の敵」というよりも「フランスの敵」、「革命の敵」と言う意味でしょう。
サン・ジュストはある朝、公安委員会でソーセージとワインとパンの質素な食事を取りながら、「国民公会議長がソーセージひとつで朝食しているのを見たらピットは何と言うだろう」と言ったそうです。「人類の敵」ピットが朝食に何を食べていたのかはわかりませんが、父親も首相をしていたという由緒正しい家柄ですから、ソーセージひとつというわけではないでしょう。豪華な食事を取っている人間にも勝るとも劣らない仕事をしている、というサン・ジュストのプライドが垣間見られます。

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5.オルレアン公 「平等のフィリップ」 (H11.2.3.UP)

この言葉は誤解を招きやすいですね。自宅の庭パレ・ロワイヤルを一般に開放し国王に反対の立場を取って、革命を影で押していたオルレアン公ですから、このようなあだ名をつけられても不思議はないと思われるかもしれません。でも、これはあくまでも「自称」です。パレ・ロワイヤルを利用していた人も、議員も、王族もみんな彼をうさんくさい人間と思ってましたから、自分で「平等のフィリップ」と吹聴していただけです。

6. ラ・ファイエット「両大陸の英雄」 (H11.2.17.UP)

英雄的な行為に憧れていたラファイエットが、アメリカ独立戦争で大活躍したため、「新大陸の英雄」と呼ばれるようになりました。その後、彼は「両大陸の英雄」になるという野望を持っていましたが、革命中はそれほどの活躍もなく、あまり成功したとは言えません。再度、政界に復帰したのは1830年の王政復古のときです。

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7.ミラボー 「革命の獅子」 (H11.2.24.UP)

誰が最初にこう呼び始めたのかわかりませんが、ミラボー「獅子の咆哮」の持ち主であったことと無関係ではないでしょう。その割れるような大音声で、宮廷式部官に向かって「われわれは銃剣の力によるのでなければこの場を離れない。国王にそう言っておけ!」と言い、これが始まりつつあった革命に大きな勢いを与えたことは有名です。

8.テレーズ・カバリュス 「テルミドールの聖母」 (H11.3.4.UP)

どうして、男の人を手玉に取る美女テレーズが、純潔な聖母マリアの名を戴いたのか、私にとって長い間のでした。一説によると、テレーズ・カバリュスを「テルミドールの聖母」と初めて呼んだのは「どこかのおっちょこちょいの俗物」だそうです。確かにテレザがタリアンをそそのかさなければ、「テルミドールのクーデター」は起こらなかったでしょう。そう考えれば、テレザは上層ブルジョワジーにとって、実にありがたい「聖母」というわけです。

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9.ナポレオン 「ヴァンデミエールの将軍」 (H11.3.24.UP)

ナポレオンにはさまざまな呼び名がありますが、これはまだそれほど有名でない時にもらったものです。1795年10月、ヴァンデミエールの反乱の時、バラスによって副官に抜擢され、見事に暴徒を抑えたためにこのように称えられました。それ以後、彼は栄光の道に邁進することになりますが、当時はロベスピエール派とみなされ、テルミドールの反動後、一時投獄されていました。出獄後は生活に困ってトルコ行きの計画をしていました。彼を悪徳政治家パラスに紹介したのはバラスの妻です。これ以降、ナポレオンはバラスとの関わりを深め、ジョゼフィーヌを紹介してもらうことにもなります。

10.ラボワジエ 「百年に一人の頭脳」 (H11.3.30.UP)

正確に言うとこうです。「彼の頭を打ちおとすのにほんの一瞬しかかからなかったが、これと同じ頭をもう一つつくりだすには百年かけても十分ではなかろう」近代科学の父と呼ばれたラボアジエの稀有な頭脳が無残にも恐怖政治の犠牲になったことは、ヨーロッパ上の知識人を愕然とさせました。これは同時代のフランス人科学者ラグランジュが彼のあまりにも早すぎる死を悲しんで追悼した言葉です。彼は科学者として極めて優秀でしたが、徴税請負人だったため、科学者としての功績など考慮されず処刑されたのです。

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11.ロラン夫人 「ジロンド派の女王」 (H11.8.29.UP)

この名が示す通り、ロラン夫人ジロンド派をほとんど一人で牛耳っていました。真面目で誠実な夫のロラン内務大臣になると、大臣の出す法令や演説文書はロラン夫人が書きました。文字通りロラン夫人が影でフランスを動かしていた時期もあったのです。これは民衆まで知っているほどの周知の事実でしたから、「ジロンド派の女王」という称号はまさにぴったりでした。貴族を憎み革命に入ったロラン夫人は、あだ名の上とは言え、「女王」という最高の位にまで上り詰めました。

12.ミラボー 「疱瘡(ほうそう)の虎」 (H12.1.11.UP)

先に紹介した「革命の獅子」 は人からつけられたあだ名ですが、これは自称です。ミラボーの肖像画をご覧になっていただけるとわかりますが、かなりのあばた顔で、これは幼い時天然痘(疱瘡)にかかった時の痕です。彼の強い性格はその醜い痕をコンプレックスともせず(尤も当時の人はかなり天然痘にかかっていてあばたの人も多かったようですが)、かえって自分を他人に強烈に印象付ける武器としたのです。

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13.高等法院の議員 「祖国の父」 (H12.3.18.UP)

もちろん、このあだ名は期間限定です。1787年頃から、宮廷と高等法院の争いは激化しました。三部会の開催を要求する高等法院の議員達を民衆はこう呼んで熱烈に支持しました。その世論に屈し、宮廷はトロワに追放していた高等法院を、パリに召還しました。しかし、改革を推進したい民衆は、反動の拠点でもある高等法院の正体にすぐ気付き、両者の関係は大いなる錯覚終わりました

14.シャルロット・コルデー 「暗殺の天使」 (H12.11.27.UP)

「人民の友」マラー暗殺したシャルロット・コルデーの美貌に感動した詩人ラマルティーヌによってこのように称えられました。時代の急先鋒にいる政治家を暗殺した女性と言えば、冷血で残忍な男勝り、というように想像しがちですが、シャルロットはしとやかな美女でした。事実、処刑場に引かれるシャルロットに恋した男性も数多いようです。実際の生活はあまり豊かとは言えませんでしたが、大貴族の血を惹くシャルロットはまさに「天使」という名前がふさわしいのでしょう。

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15.マラー 「人民の友」 (H12.11.27.UP)

これは正確に言うとあだなではありません。「人民の友」と言うのは、マラーが46歳の時、創刊号を出した新聞の名前です。しかしながら、偏執狂なまでに人民のためになることだけを考えていたマラーは極自然とこの呼び名で呼ばれていきました。マラー助けが必要な人民全てに門戸を開き、いつでも人民の苦情や訴えを聞いてあげていました。そのオープンな態度が皮肉にも、暗殺者シャルロット・コルデーを招き寄せる結末になったのです。

16.マリー・アントワネット 「オーストリア女」 (H12.12.12.UP)

国民に嫌われたマリー・アントワネット「オーストリア女」と侮蔑されましたが、正確に言うとAustralie chienneとなり、オーストリアの雌犬の意味です。フランス王妃が犬呼ばわりされたわけですから、ずいぶん憎まれたものです。ヨーロッパの王室は互いに親戚関係にあり、外国の王室から嫁いで来ることなど珍しいことではありませでした。マリー・アントワネットも嫁いだときは国民の人気を一身に集めました。それが国民に憎まれるようになった途端、フランス自体が外国の干渉を恐れている時でもありましたし、今まで何でもなかったオーストリア出身ということが大きく取り沙汰されました。「お前は外国人だ。だから、お前は我々の敵だ」と言うわけです。

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17.マリー・テレーズ 「ロベスピエールの婚約者」 (H13.6.7.UP)

1792年8月10日に家族と一緒にタンプル塔に入ったマリー・テレーズは、まず父であるルイ16世を1793年1月21日に亡くし、その後、弟と別れ、母と叔母が相次いで処刑されました。その頃からマリー・テレーズフランスの王女と呼ぶ者はなくなり、「タンプルの孤児」と呼ばれました。ロベスピエールが独裁の道を進んでいくと、彼はマリー・テレーズと結婚しようとしているという噂がまことしやかに流れ、「ロベスピエールの婚約者」と悪意を持って呼ばれるようになりました。もちろん、この噂はロベスピエールが失脚するとともになくなりました。

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