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管理人のつれづれ12

 

管理人は結構文章を書くことが好きである。
そしてつまらないことをとってもつまらなく書くことが大好きである。
そして私的なこと、思ったことを書きたいが為にこのページを作ってしまいました。
書くことに自己満足する為だけのつまらないページです。
おそらくどうしようもない事を書いていると思うのでここで引き返されることをお勧め
します。

 

楽器  (2002/9/14)

 

楽器は大好きである。が、センスはまったくないのである。何とか数種類努力はしてみたものの
、成就しなかった。今ではウッドベースが弾けたらいいだろうなと思うだけが関の山である。私に
は楽器を演奏することよりも、聞くことの方が症にあっているのかもしれない。小学校のリコーダ
ーくらいではないだろうか、今の私にまともに音楽として聞かせるのは。
実はそんな私でも中学校時代にある楽団もどきに属していて一年半はトロンボーンを吹いて
いたことがある。いや吹いていたと言うより真似をしていたというところである。それでも小さな
催し物等で十数回は演奏した。今、トロンボーンを吹けといわれてもドレミがせいぜいであるが。
しかし、トロンボーンは本当に地味な楽器である。特に楽団ではメインの曲の旋律を吹かせて
もらうことはなく、大体は脇役であったので、興味を失ったものである。それにやたらにツバが
溜まってしまうので、衛生上好ましくはない。本当はクラリネットをやってみたかったのだが、私に
は吹けないとりーダーにはっきり言われたものである。もうこの年になって、新しい楽器もと思う
のだがテレビなどでアコースティック・ギターやウッドベースを演奏されているのを見ると羨ましく
なる。ホリー・コールというジャズ系の素晴らしい歌手がいるのだが、ピアノとウッドベ−スのトリオ
でよく演奏される。人間は個々の限界を知ることは必要である。今からならハーモニーカでも細々
と練習できればと思っている。それかキーボ−ドなら手軽なのではと、やりもしないことを空想する。
私には才能と継続という言葉はない。そういえば幼稚園の頃、オルガンを発表会で弾いたことも
あるなあ。(曲はアマリリスだったと思う。)何にしても中途半端な人間には楽器は似合わない。

 

 

掌の小説  (2002/9/9)

 

川端康成は私が住む町の名誉市民である。その川端氏が書かれた上記の短編集がとても
気に入っている。長い作品もいいが、短い文章の間に多くの珠玉のような感動を覚えさせる
こともある。そこで私が唯一書いて、情報誌に掲載した作品を恥かしながら紹介しておくこと
にする。書いたのは大学2回生だったと思う。
ほんの掌の小説  題名  「 風懐 」
 彼女は風に吹かれていた。高層マンションのバルコニーで冷めていくカフェ・オ・レを見つ
めて自分にある性を感じている。
 夫がひとりいて・・・・つまらない独身である女。
 彼女は妻だとか奥さんだとか一般にされる呼び名が嫌なので。巡り会う誰にも名前を伝え
る。それでしか自分を表せないと思っているから。
 彼女は落ち着く女でないことを自分自身、誰よりも理解していた。だが、それゆえに女の
性を抑えきれなくなった明日の自分を恐怖と知り得たのであろうか。
 彼女は夫を保有するかわりに一生の休息を手に入れた。そうして今をたたずむ。
 私はマンションから眺める街の風景に染まっていくだろうと・・・・。いつかその日が来ること
を信じていた。
 だから。今は。風に吹かれていた。(終わり)
お恥ずかしい限りなんですが、自分では不思議と気に入っております。

 

 

続・余計な一言・一書き  (2002/9/7)

 

前回一度書いたのだが、また相手の気分を害する一書きを他人のホームページの掲示板に
書いてしまったのである。もう書くまいと思ったのに、すぐに反省を忘れている。本当に猿より
知能指数が低いのだろうかと、我ながら情けなくなってしまいます。社会人としてだけではな
く、インタ−ネット上でもこれなのだからもう自分が嫌になってきます。思ったことを婉曲にでは
なくいつも直球勝負をして、ホームランを打たれる野球の投手のようなのです。
人間の性格は永遠に治らないものだと、今回改めて考え、かつ落ち込んでおります。他人に
は判っていてもどうにもならないことが処々に事情があると思うのです。それを一方的に非難
する私は本当に駄目な人間です。これで病状がますます悪くなりそうです。ま、近い内に私も
その報いを受けて社会から抹殺されることになる予定です。(その時期がきたら詳しくお話は
させて頂きます。)皆さん、これは一生治らないものなんでしょうね。ほっておけば良いものを
風刺や嫌味を書いて、こともあろうに年上の方に忠告するなんてことをするのですから。
もうそちらの掲示板には二度とお邪魔するつもりはないが、実は他にもそういった喧嘩腰に
なってしまった掲示板があります。(これは映画や、音楽系サイトです。)皆さん、やっぱり私は
何とかは死ななきゃ判らない部類の人間のようです。もうホント疲れました、ハイ。(-.-)
追伸 弟より。上記の件ですが兄は全く悪くないと思います。相手の掲示板のレスが2週間以上
も滞っており、写真の掲示板もほったらかしにしていました。そこへの書き込みの人がこちらの
掲示板と多く重なっていたからでしょう。その返信に「病人から言われたくない」ような返事が
書いてありました。兄は相当にその返事を見て落ち込んでおります。私は心底怒っております。

 

 

無花果  (2002/9/5)

 

私は無花果が好きで、最近よく食べる。えっ?無花果って。すいません、イチジクのことなのです。
あの口に含んだ時の何とも言えない味わいは、他の果実では想像もできない素晴らしさだと思って
います。ただ、食べる時には皮をむく必要がある為に手がベチョベチョになるのが困るのですが。
イチジクは私の小さい頃は食べ放題の果物でした。以前にもお話したことがあるのですが、近所に
野球が出来るくらいの庭を持った親戚がいました。その庭には2本の柿の木と6本のイチジクの木が
あったのです。ですから、食べたくなったらそこに行って熟した物から口に入れることが出来たので
す。もうその庭も多くの木も相続税の支払いの為に売らざるを得なくなってしまい、全てが無くなって
しまいました。当時はイチジクの木には頻繁に出かけていました。そんなに毎日食べるのではなく、
イチジクの甘い匂いにつられてやって来る昆虫を捕まえることが、とても楽しみだったのです。昆虫
の種類ではカナブンやムグリ類が一番多く、たまにカブトムシがやって来ることもありました。また、
多くの種類の蝶もやって来ていたことを思い出します。(しかし、当時は蝶の名前を覚える気などなか
ったのですが、オオムラサキはやって来ていた記憶があります。)それにカミキリムシも多く捕まえた
覚えがあります。イチジクの木は低くて最高でも2mはなかったと思います。葉っぱも大きなヤツデの
葉のようで、ウチワにして遊んだりしていました。ですからイチジクを口にする度に、私は当時の親戚
の大きな庭を思い出します。そして今は高いお金を払って食べているのです。実においしいです。
最後に疑問なのですが、漢字で書くとそうして「無花果」と書くのでしょうか。確かに花が咲いてから、
結実していた記憶があるのですが。

 

 

自給率  (2002/9/3)

 

今日、アメリカのラジオドラマを聞いていた。世界人口が異常に増えた為にアメリカとソ連が主要
都市を総意の上で爆撃し、人口調整するという怖い話である。そこで日本の話が会話にでてくる。
「日本がこの事態に気がついたのかな。」「あそこの国は悲惨ですからね。」「予想された異常気象
であったのに、自分の国の国民にさえ食糧を提供できないのだから。」「浜に打ち上げられた魚が
みんな腐っていたそうですが、それを争って食べたそうだ。」「悲惨だな」「悲惨ですね」こうした話が
挿入されている。これは荒唐無稽な話ではなく、ありえるべき話なのである。今、皆さんは日本の
需給率がいくらかご存知であろうか。40%程度である。これは先進国では異常に低く、更に低下
を続けている。アメリカは100%前後であり、オーストラリアでは200%だそうである。先進国で
低いイギリスでも70%台を維持している。そう、日本の自給率は極めて低いのである。これにつ
いては至急に対策を講じる必要がある。何故なら、世界的に異常気象が発生した場合に日本に
食料を従来通りに提供をするところは皆無であろう。そうなれば、自国で生産された食糧をそれ
ぞれに分け与えるしかない。恐らく1ヶ月も持つことはないのではないかと危惧されている。我々は
のんびりと考えているが、本当は差し迫った大問題である。オゾン層の破壊が進み、それに伴うと
思われる地球温暖化、各地で発生する大洪水もそうした原因であろう。我々日本人は声高らかに
食糧の自給率の向上を叫ぶべきである。人間、食べるものなくなるとどうしようもないものであ
るのだ。私は郵政公社化よりも道路公社民営化より日本では今一番重要な問題であるととらえて
もらいたい。もう一度言う。人間は食べないと生きてはいけない。

 

 

老いること  (2002/8/30)

 

先日、NHKの人間ドキュメントで秩父の山に多くの花を植えつづける夫婦のドキュメンタリーが
あり、思わず泣いてしまった。夫が76歳、妻が78歳。道が通るようになってどんどんと住む人
がいなくなっていく過疎の村。そこに多くの花やモミジが植えられていく。78歳のおばあさんが
花について「季節を教えてくれる」「それぞれの表情や香りが違う」と感じておられ、その村に住む
人がいなくなっても花たちだけは山に残ってくれる。そう言いながら、ニコニコしておられる姿と
笑顔を見ていて、急に涙がとまらなくなってしまった。なんて素晴らしく老いておられるのだろう。
何て純粋な心をお持ちなんだろうと。人はそれぞれ必ず老いていく事は避けられないことです。
その人生をどのように過ごしていくか、無駄に老いることは私は罪だと思っています。人間の中
にいつも棲みつづける己自身の老いていくだろう予想図。私は未だに病の為に年取った親に
迷惑をかけ続けています。その両親が老いていく姿を見ながら、自分への罪悪感と嫌悪感を
毎日鏡を見ながら感じているのです。その鏡に映る自分自身の老いさえも強く感じていくように
なってきました。過去ばかりを振り返っている最近の己に馬鹿馬鹿しい喜劇の主人公を投影さ
せてしまいます。
老いること、それを正面から見据え続けることは難しいことです。しかし、このドキュメントのおば
あさんのようにこぼれるような笑顔と共に老いることが出来たらと真剣に考えてしまい、逆に涙
を誘われたのでしょう。いや、それ自体が私自身の老いることの始まりなのかもしれません。
生きることと老いることは、当たり前のように平行して進みつづけます。しかしながら、その意味の
有無を感じているかで人間の人生は全く違ったものになってしまうのです。
何とはなしにかつ必然的にこの話を皆さんに聞いてもらいたかったのです。つれづれなるままに。

 

 

お酒  (2002/8/26)

 

私はお酒を飲まない。私だけではなく弟二人も全く飲まないのである。それには大きな理由が
ある。私の叔父が重度のアルコール中毒で、小さい頃にえらい目に遭わされたからである。
とにかく質より量で一日中、級が低い酒を浴びるように飲んでいた。酒を飲むと家族に暴力を
ふるい、近かった私の家によく逃げて来ていた。私も弟も酔っ払って真っ赤になった叔父に
追い掛け回された嫌な思い出がある。家にもよくろれつの回らない声で、電話をかけてきた。
その声を聞くのが本当に嫌だった。その叔父も50近くで亡くなってしまった。後で話を聞くと
肝臓がボロボロだったそうである。小さい頃のそうした経験から私達兄弟は酒を飲まない。
父は付き合いが多かった為に、飲めない体質を無理矢理飲めるように努力をしたそうである。
しかしすぐに顔が赤くなるので、そんなには勧められないから助かったとのこと。遺伝的にも
酒を好まない体質を受け継いでいるようである。でもテレビでビールやお酒を本当にうまそうに
飲んでいるシーンを見ていると、逆に羨ましく感じてしまう。社会人としては下戸としても付き合
うのが当然なのであるが、酒の匂いを嗅いだだけで倒れそうになる私にはそうした人間関係
が成立しないのである。だから、酒を飲まない付き合いの悪い奴として、誰も誘わなくなった。
正直なところ、夏場の暑い頃にはビールを小コップ1杯程度は、夕食時に飲むことがあるが、
それもあくまで受動的である。遺伝を考えれば叔父のアルコール中毒になる可能性も考えら
れるのだから、注意している。今の弱っている私がお酒を飲み始めれば間違いなくお酒に
逃げを求めて、叔父と同じようなアルコール中毒になることは間違いないと信じている。
でも正直な話、お酒をおいしく飲める方々を実は本当に羨ましいと思っているのである。
だから、どこかで私とお会いすることが万一あってもお酒だけは勧めないでくださいまし。<(_ _)>

 

 

深夜ラジオ  (2002/8/21)

 

いつから聞かなくなってしまったのだろうか。知らぬ間にFM802オンリーとなってしまっている。
学生時代は毎日放送のヤングタウンがメインであった。当時は海原千里・万理や月亭八方など
と共に角淳一、佐々木美枝、笑福亭鶴光の最強トリオは放送を始めていたと思う。(のちに美枝
さんの変わりに歌手の石川優子が入ったが)このトリオは間がとても良くて楽しい番組であった。
先日、ふとテレビを見てると角さんが昼間の帯でチチンプイプイなるTV番組でメインキャスター
をやっているではないか。本当に偉くなったものである。その後はオールナイト・ニッポンを聞く
ことがあった。中島みゆきや所ジョージ、タモリにここでも鶴光がDJをやっていた。個人的に
好きだったのは中島みゆきさん(曲と違って、明るい、明るい)とつボイのりおという無名の変な
DJだった。またマニアックだがKBS京都の文珍の番組が好きで、よくハガキを出しては餃子の
王将の無料券を山ほどもらったものである。桂文珍とコセンなるアナウンサーもどきのやりとり
が面白くてはまっていた。最後に聞き逃せなかったのが、ラジオ大阪の「ぬかるみの世界」という
放送であった。番組内容は笑福亭鶴瓶と放送作家の新野新さんがとりとめもなく、うだうだと
しゃべるものであった。最初は提供番組もなく、二人のリスナーを意識しないウダ話がとっても
面白かった。この番組も鶴瓶が売れるようになり、録音が多くなり、最後は自然消滅になった
ような気がする。インターネットで調べてみると、この番組に関するHPを作っている人が多く、
正にぬかるんでいたのだろう。番組中に二人がまじで喧嘩をし始めたりして、本当に面白い番組
であった。日曜の夜にボソボソと話す二人の間が最高であった。当時の深夜ラジオには何れも
パワーがあった。ヤングタウンも今はない。深夜ラジオの時代は私達の時代で終ったのだろう。

 

 

薬(クスリ)  (2002/8/17)

 

私は今、一日に4回も多量の薬を飲むことが課せられている。病人なのだから当然であろうが、
ちょっと辛い。先生方からは個々の薬の服用について丁寧に説明迄してもらっているものの不安
は消えない。ちなみに一日に4回とは朝・昼・夕・就寝前である。今までにこれほどの多量の薬
(例えば就寝前は、5種類計8錠である。)病院に通うたびに薬の数が増えてきて、朝夕などは
コップ2杯の水がないと飲めないほどである。しかしこれだけ多くの薬を飲んでいる割には一向に
改善しない自分に腹が立つし、薬への疑問も感じ得ない。私は小さい頃はぜんそく気味であった
為に毎日苦い漢方薬を飲まさせられていた記憶がある。(その後にかならずグリーン仁丹を飲ん
でいたからだが。)しかし、中学生以降は風邪になる以外には大きな病気にもかかることなく、
毎日を過ごしてきた。ぜんそくも治り、薬で飲むといえば食べすぎ予防の胃腸薬位のものであった
が、今は薬漬けの状態である。食事するというよりも薬を飲む為に食べている感覚が強い。正直
にいうと食欲が全く湧かないのである。食べることが好きであった私には本当に苦痛である。
先日、それを先生に話すとまた薬が一品増えた。こうやってどんどんと薬代が嵩んで他に何も買う
ことが出来ない状態である。(物欲もまったくないので助かってはいるが。)薬を飲むたびに本当に
薬達は私を完治する方向に持っていってくれているのだろうかとの不安がとてつもなく大きい。
今日も明日も明後日も。私は治癒するのだろうかと、色とりどりの薬を飲む前にじっと見つめなが
ら思っている。毎日、薬を飲むのが本当に苦痛でならない。

 

 

平和  (2002/8/15)

 

辞書で引いてみた。@戦争もなく世の中が穏やかであること。また、そのさま。A争いや心配事が
なく穏やかであること。また、そのさま。と書いてあった。ついでに「穏やか」とは@静かで平穏無事
なさま。A落ち着いておとなしいさま。とある。この世界には一時もそのような時間が存在すること
はない。みんながニコニコして、手を取り合う姿を想像したい。殺し、殺されあうパレスチナでの
問題には相互の憎しみのみが存在する。そこには国家間の憎しみだけが存在し、横たわってい
る。それぞれの人間が個々に接すると、そうしたことも起こることもないだろうと考える。第二次
大戦後も人の憎しみは世界から絶えることはない。平和ボケと揶揄される日本人はそのお蔭で
一時は世界を席巻するほどの経済力を発揮した。日本人それぞれに質問されると、今の世の中
は平和だと答える人間が大きな割合を占めるであろう。何故なら日本人は基本的に自国のことで
しか物事を計る尺度のみしか所有していないのである。世界的に見るとたくさんの問題が山積さ
れている。二酸化炭素の増加による気温の上昇。21世紀には平均気温が6度近く上昇するとの
こと。日本の夏は40度を超える日々が当たり前になってくるのである。人口が数十年後には90
憶に達し、食物や石油等の資源の枯渇といった問題が発生する。そして世界を十数度殺せるだけ
の水爆や化学兵器の廃棄を世界の人々は良しとはしない。日本やドイツ等が敗戦してからもう50
数年となり、戦争に対する大きな悲しみを世界の人々は忘れかけている。穏やかに相互の憎しみ
を消したうえで話し合うことは出来ないのだろうか。私は平和論者であり、世界のどこかで民族間
等の紛争で人が死ぬニュースを聞くのが苦痛である。穏やかに皆が人生を送れればと思う。

 

 

木原和人  (2002/8/10)

 

私が野鳥写真家として和田剛一氏、吉野俊幸氏を尊敬しかつ手本としているように、昆虫や植物を
撮影する際の目標が木原和人氏であった。残念ながら私がカメラを本格的に手にする前にこの世に
ご存命されていなかった。(1987年没)昆虫や植物の写真に本当の生命を吹き込んだ稀有の写真
家であった。手元には「光と風の季節」という写真集と「接写のフルコース」という撮影方法を著された
2冊の本がある。いまだに暇さえあれば、本を見ながら追いつけないなと感心してしまう。技術的な
ことではなく自然への愛情の深さのことである。「接写のフルコース」には木原氏の撮影紀行が一部
掲載されているが、いかに自分が自然そのものと正面から接し、写真を愛情持って撮影されていた
のかが、文面から溢れ出てくるようである。特に接写の木原氏の写真は私の理想であり、憧れで
ある。少しでも気持ちだけは負けないように撮影しようとするが、まるで追いつけない。それは私の
ファインダーを見る目がまだまだ自然に圧倒されているからではないだろうか。冬の落ち葉を撮影
するだけでも雲泥の差がある。昆虫達の撮影でもまるで私とは視点が違っているように見える。
そして撮影を終らせるまでの我慢強さがそれぞれの写真から見てとれるのである。もし、ご存知で
ない方がいらっしゃるのなら、木原氏の写真集を立ち読みでよいから見てください。自然がお好きな
御方なら必ずその深さに圧倒されるでしょう。「深さ」とは一体何か。それぞれの人間によって捉え方
が違いますので断定はしないことにしましょう。今森氏や海原氏といった昆虫写真家、夏梅睦夫等の
野花写真家とは木原氏はまったく違う世界に生きて、そして早くにお亡くなりになられました。私のよ
うな人間が、口幅ったく言わせてもらうならば「生きる写真家」とでも形容させてもらいたいのです。
永遠の心の師でありながら、永遠に会えない悲しさ。木原氏が今も生きていたならもっと多くの人を
感動させるような写真集を多く出版し、世界的にも認められる写真家になられたと信じています。
木原氏ならどう撮影するか、常に考えながらシャッターを押します。(生きている間にもう一方の尊敬
する野鳥写真家お二人様には、是非お会いしたいものである。)

 

 

弁天さんの花火  (2002/8/8)

 

今のシーズンには全国のいろいろな場所で綺麗な花火大会が開かれている。そういえば昨年だ
ったと思うのだが、明石の花火大会が警察の無能であったが為に多くの方がお亡くなりになった。
まずははご冥福をお祈り申し上げます。さて、私にとっての花火は、毎年8月8日に催される弁天
さんの花火大会である。歩いて数十分のところに弁天宗のお寺があり、春の桜祭りと夏の花火大
会は、地元の人間には毎年の楽しみである。昔の家では見られなかったのだが、屋上のついた
家に立て替えた為に、家でゆっくりと毎年楽しめることができるようになった。ところが、ここ数年に
高層マンションが相次いで建築された為に、今は中途半端にしか観賞は出来なくなってしまった。
それでも毎年楽しめるというのはいいものである。近所の屋上のある家も、家族総出で観賞され
ており、会社ではバーベキュー・パ−ティを開いているところもあり、家近くはとてもにぎやかで
ある。そういえばここの打ち上げ場近くの百貨店の配送所で、学生時に毎夏アルバイトをしていた
が、目の前で観賞が出来て、とても感動したことを覚えている。空全体に大きな花が本当に開いた
ように錯覚するほどであった。毎日の暑いアルバイトでの時間を一瞬なぐさめてくれたものである。
今日その花火を見ながらこれを書いている。本当に花火というものは芸術だなと感動してしまう。
火薬の微妙な調合で、それぞれの顔が全く違って来るのだ。それを作られる方々の苦労と喜びが
空中で一瞬にはじけて消える美しさと弱冠のわびしさ。今年も見れて本当に良かったと思う。

 

 

力の論理  (2002/8/8)

 

広島市長が原爆投下の日に、アメリカの力の論理について批判されたとのこと。無能な獅子髪
の首相よりもずっと立派である。私はアメリカが大嫌いである。まず、自国の気に入らない国を
一方的な軍事力で抑え付けようとする。自由な国といいながら実際は厳然たる差別国家であり、
多くの糾弾を行っている。(イギリスという国は金魚のフンのように常に同行しているようだが。)
そして未だに日本という国は、多くのアメリカの軍事基地によって占領されている。その基地の
維持の為に、我々国民がどれだけの負担を強いられていることか。そして沖縄国民の女性達
に対する侮辱に対しても日本政府は無力である。大体、アメリカは土着するインディアンを虐殺
し、メキシコ等からも国土を略奪した泥棒国家である。私はアメリカ映画もアメリカの音楽も大
好きである。しかし、国家としての傲慢なアメリカには我慢ならない。この世の中から消えてもら
いたい国ナンバー1である。アメリカの力の論理は西部劇時代から、全く進化していない。力を
行使すれば今ではどこの国も楯突くものはないと、ますます増長している。その一方で未だに
水爆実験を行い、京都の環境会議にも反対する。アメリカは世界すべてがもうアメリカの意の
ままに動くと勘違いしている。(実際にそうなってきている。)国連に対しても金を払わないくせに
、やたらに大国としての力だけは行使する。今回のアフガニスタンへの爆撃でも誤爆で多くの
民間人が殺害されているのに、アメリカという国はあやまろうともしない。そんな国を日本人は
調査で高く信頼する国に挙げている。今のアメリカが間違っているのは明白だが、どの国もその
独断行為を抑えることは出来ない。私にはアメリカが現代のナチスにしか見えないのであるが。
こんな率直な意見を書いてしまうと、知らぬ間にこの世から消されてしまうかも。米CIAがこんな
小さなコラムなんか読まないよね。でも怖い。そう、力の論理とは口をふさぐことにあるのです。

 

 

200匹以上のスズムシと1匹のコオロギ (2002/8/4)

 

「あれっ、変な音がするなあ」「ほんまや、スズムシちゃうで」と家族の会話。当家には下の弟が力を尽く
して育てたスズムシが今を盛りにリーン、リーンと鳴いています。当初は300ほどいたのですが、近所
にどんどん配って200匹程度に納まったのです。それでもやかましいこと!電話がかかって来ようもの
なら部屋から離れなければならない位です。ある夕食の日のこと、一瞬スズムシの声が鳴り止んだと
思ったその時に小さな声で「キリリ、コロロ」と一声がありました。家族が声を合わせて「コオロギや!」
と叫んだのは言うまでもありません。あれだけ多くのスズムシの合唱のすき間をぬって鳴いたコオロギ
に私は極度の親近感を感じてしまったのです。「前から変やなとは思ってたんやけどな。」と弟が言い
ます。「そんで、コオロギは見たんか。」「いいや、まだや。」200匹以上を3つの大きな水槽にいれている
為になかなか見つけられないそうです。これだけ多くの中に、知らぬ間に生み付けたコオロギの親も
凄いが、たった1匹で一声聞かせるその心意気(コオロギが持っているかは不明。)に私は感じ入ったの
です。私とそっくり、社会からはみ出た順応できない私とそっくりなのです。それでもこのコオロギは自分
の声で私達に大きな存在を示してくれたのです。何か大きなものが私の心の中で動いたような気がしま
した。このコオロギに私もなるよう努力すべきなのだと。こんな事を考える私は相当重症なのでしょうか。
今日もスズムシたちは元気です。相変わらず打てないタイガースの試合の音声をかき消すように羽根を
擦りあわせています。でも、その中で1匹のコオロギが存在することがとても嬉しい私なのです。

 

 

困った、困った  (2002/8/2)

 

最近、80年代のビデオクリップを紹介するページを立ち上げたのだが、それについて大変困って
いる。実はこのページ目当てに入園して頂ける入園者さんも増えているようなのだが、ビデオに
して送ってほしいなどと言った問い合わせがすでに3件。後1件はそうしたビデオクリップの入った
DVDの購入方法を教えてほしいとの相談だった。当時、私のようにそれだけビデオクリップに
はまっていた人間が多いことが認識できた。それは嬉しいのですが、ビデオにして送ってほしい等
の問い合わせには断りを入れている状態である。考えてください。ただでさえ、病気で弱っている
私にそうしたビデオを作成することがいかに苦痛か。それに1本作るのにどれだけ時間がかかる
か、考えるだけで頭が痛くなる。(絶対、3,4時間はかかる)今の私には不可能です。そこのとこ
ろを汲み取ってほしいものである。その一方で懐かしのビデオクリップを手に入れてもう一度見た
い気持ちは、同年代としてよく判る。当時は、私もズッポリとはまっていた人間なのだから人のこと
をとやかく言えない。そしてこのページもそうした方々に見てもらいたいから無理矢理に作ったの
である。私のビデオクリップはCS放送のMTV他の番組からこまめに録画しているので、決して
そういったDVDディスクを購入して楽しんでいる訳ではないのである。そうした番組のお蔭で今は
600曲ちかくをDVDに録画できている。全てが80年代でなく、6,70年ものも多く、逆に90年代
のいい曲も残している。とにかくそういった問い合わせが多くなっている現状に、管理人は本当に
困った、困ったなのである。

 

 

プラビン  (2002/7/30)

 

この言葉を知っている方はおられるだろうか(釣り好きな人なら知っているかも)。これは魚を捕まえる
製品でプラスチック製の瓶と考えていいと思う。基本はウナギをつかまえる筒状のワナを参考にした
ものである。と、唐突にこんなことを書き出したのは、今日テレビで小学校の隣に小川と森を人工的に
作られた場所の中継を見たからである。東京都日野市で、そこは市役所に川と清流課という部署があ
るそうである。学校と役所が協力して大きな自然を再生したということである。その川にはモツゴやフナ
、モロコやメダカがおり、網を持った子供達に捕まえられていた。自然は再生しようとする場所を提供す
ればいくらでも広がっていくものである。(我が市にはそんな部署はなく、逆に無駄なダムをごり押しして
作る自然破壊課はあるようであるが。以前から思っていたのだが、人口25万人も超えた街なのに、
自然と憩える大きな公園(例えば山田池公園)を一つさえも持つことができない情けない街である。)
さて、テレビでプラビンに近いものを作って、アメリカザリガニを捕まえたのを見て懐かしく思い出して
しまったのである。小学生の頃に、このプラビンを使ってタナゴを中心にたくさんの生き物を捕まえては
家で育てていたのである。場所は言えないが、釣り禁止の場所だったと思う。(たくさんの字が読めない
大人の釣人とはよくお会いしました。)プラビンの中にマッシュポテトを入れて、池の中に沈めておくだけ
でOKである。30分程度でたくさんの生き物を捕まえることができた。(今ではその池もブルーギルや
ブラックバスに侵略されていることであろう。)このプラビンは前の部分が穴が開いているフタがついて
おり、そこからマッシュポテトを入れる。後ろ部分は一度中に入ってしまうと、魚達が逃げられないような
仕掛になっているのである。テレビを見ていて唐突に書きたくなった。それだけのこと。

 

 

携帯電話とデジスコとプライバシー (2002/7/29)

 

以前、携帯電話が大嫌いなので持たない主義なのを書いたことがあるが、そんな暢気なことも言えなく
なってきてしまった。新しい電話にはほとんどカメラ機能を持たせてしまっている。芸能人がテレビで
怒っていたが、こちらの了解もとらずに携帯のカメラで無遠慮に撮影されるのは我慢できないとの
ことである。これは当然のことであって、携帯電話故の無分別な撮影はプライバシーの観点から
法的にも禁止すべきではないだろうか。私は人間は撮影をしない主義だからいいものの、人間を
被写体とする奇特な方々には最低限のマナーと撮影の為の事前了解が必要である。携帯電話で
は全くそうしたマナーのマの字も提起されていない。例えば友人や恋人同士なら問題はないが、
全く見知らぬ人間を被写体にすることはより大きな問題とすべきではないだろうか。それと共に問題
が発生する可能性があるのがデジスコである。これは野鳥を観察する為のフィールドスコープに
アタッチメントをつけてデジカメで野鳥を大きく撮影する方法である。某雑誌が近々にそのデジスコ特集
をするそうだが、極めて問題があると思う。まずその方法を特集することで、今より多くのデジスコ用
の三脚が探鳥地に並んで一般の観察者に迷惑になること必至である。例えば私のフィールドスコープ
を使えばレンズの数千ミリのレンズと同等の距離で簡単に撮影ができるのである。これを純粋に野鳥
のみを撮影するだけなら問題はないのだが、他のいかがわしい行為にも十分悪用できそうでもあり、
個々のプライバシーが蹂躙されまくってしまう可能性があるのだ。こうしたことからも、この某雑誌は
こうした特集を中止すべきだと思う。先の携帯電話といい、このデジスコの急激な普及といい、人間
のプライバシー保護を考えれば、法的な規制や利用制限を実施すべきではないのだろうか。もちろん
、デジスコの利用について野鳥撮影者の大部分は、そうしたことを全く考えたこともないだろうが。

 

 

真夏の夜の音  (2002/7/27)

 

最近、夜10時以降は部屋の電気を全て消して、窓から外を眺めることにしている。街中であるから
多くの光が私を照らし出す。静かな時間を楽しもうとはしているのだが、車やバイクの音が頻繁に
聞こえるし、季節柄の花火の「ヒュー」という音も聞こえてくる。近所で泣きだす子供の声や、不審者
に向って吠える犬の声。遠くから聞こえるのは電車の通過音である。田舎町でカエルの声が聞こえ
るということはない。それでも私の小さい頃は、周り全てが田んぼでカエルの声を聞いたものである。
そう、家で飼っているスズムシの早生まれがうるさいほどに夜は鳴いている。まだまだ暑いこの時期
にスズムシというのもちょっと違和感を覚えるものの、風情を感じる。そして歩きながらしゃべって
いる人たちの声なんかも聞こえるし、たまに消防車や救急車の音が近付いてくると、近所で何かあっ
たのではと真剣に心配してしまう。そしてその音が遠ざかるとホッとしたりする。夜に電気を消している
ことを変だなとお思いかもしれないが、最近ではテレビを見たり、ラジオを聞くことさえ鬱陶しく感じる
ことがあるのだ。ゆっくりと椅子に坐って眺めていたりすると、心がゆったりとした気分になってくる。
天気のいい日などは夜に屋上に上って月や星を眺めてゴロッと寝転がることもしばしばである。人間
の生きる音がひっきりなしに私の近くを通り過ぎる瞬間に、何故か幸せを感じてしまうのである。
ここ最近でも多くの悲惨な殺人や暴力事件が繰り返されている。人間の進歩のなさと動物的な残虐
性に溜息ばかりつかされる。そうしたことを忘れて、真夏の夜の時間を大切にしているのかもしれない。
種種雑多な音が入り混じって聞こえてくる中で沈黙を保つ自分がいる。結構、これが楽しいもんなんです
よ。こんな気持ちを少しでも判ってもらえたら嬉しいのですが。

 

 

お祭り  (2002/7/25)

 

今日は天神祭りの宵宮だそうである。私は一度も行ったことはない。仕事の関係上、京都が長かっ
たので、夏祭りと言えば祇園祭を思い出す。新町通や四条通に鉾が建てられるようになると、ああ
梅雨明けももうすぐやなと感じてしまうのが習慣であった。小さい頃からのお祭りは地元の茨木神社
を中心に行われる子供みこしであった。今年もワッショイとの掛け声を聞くことが出来たのだが、少子
化の影響だろうか、御輿の数も子供の数も少なかった。私の頃は子供が多すぎて小学校6年生でし
か担げなかったことが未だに悔しい。(他の子供の少ない町では4年生からでも参加出来ていたので
ある。)茨木神社にはもちろん数日多くの屋台が立った。小さい頃は本当にお祭りと言えばワクワク
したものである。私が好きだった屋台は東京コロッケと紐引きである。東京コロッケとはパチンコ台
があってお金を払ってパチンコを打って、チューリップに入ればコロッケの数が増えると言う単純な
ものであった。めったに入ることはなかったが、小さいコロッケを自分で刺して、二度漬け禁止の
ソースをつけて食べた記憶がある。紐引きとは上部に集まった紐を一本引くことで、引いた商品が
もらえるものである。子供の気を引くために大きなプラモデルが置いてあったが、誰もそれを引いた
という話は聞かなかった。今、冷静に考えれば当る筈はないのだが、子供の頃には大きな 誘惑で
あった。他に常連の金魚すくい(私はへた)、ヨーヨー釣り(私はへた)、輪投げと言った遊びものや
りんご飴、フランクフルト等の食べ物系にヤドカリやミドリガメ販売、ヒヨコ釣りといった生き物系も
多かった。一度ヒヨコを釣って、家に持って帰って死ぬまで育てたころもある。ヤドカリも好きでよく
買ってもらっていた。どちらかというとギャンブル系が好きだったようである。(今とは正反対である。)
現在は人の多いところに行くのが苦痛な性格に変わってしまったので、敬遠するようになった私で
はあるが、今でもお祭り自体は大好きである。皆さんもそれぞれの思い出をお持ちなんでしょうねえ。

 

 

 

 

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