ローリング邸の殺人 In the First Degree
[紹介]
病気療養中のケイン警視のもとを訪ねてきた、ファラデーと名乗る見知らぬ男。アーロン・ローリングの友人だという彼は、病に臥しているアーロンの身に危険が迫っていることを強く訴え、事態を調査することを頼み込んできた。興味を抱いたケイン警視はローリング邸に赴き、身分を伏せて邸内の一部屋を借りることになった。アーロンと妻、義姉が一歩も外へ出ることなく暮らすその邸には、他に執事が一人、そして訪ねてくるのは主治医だけだった。そしてある夜、アーロンが急死して……。
[感想]
いわゆる“館もの”ミステリばかり五作品を残した、二人の女性(イヴリン・ペイジとドロシー・ブレア)による合作ペンネーム、“ロジャー・スカーレット”の最後の作品にして、最後まで未訳だった作品です。
本書では、シリーズ探偵のケイン警視が病気休暇中ということで、通常の捜査から外れた独自の活動を行っています。身分を伏せてローリング邸を訪れ、部屋を借りて住み込んでしまうという大胆さとともに、事件が起きた後もケイン警視が単身の捜査を続けるという異色の展開が目を引くところで、通常の警察の捜査が徹底して排除されているために、物語は比較的“静かな”印象のまま進んでいきます。
とはいえ、陰鬱な空気の漂う邸、外に出ることのない住人たち、病に臥せる年老いた夫と若い妻、といったいかにもな道具立てが揃い、序盤から何かが起こりそうな雰囲気は十分で、二階堂黎人氏が解説で指摘しているようにサスペンスの味付けで読ませます。面白いのは、そのサスペンスが邸の主の死という事件の発生とはさほど関係なく、全編を通じてじわじわと盛り上がっていく点で、物語終盤のクライマックスが何より重視されていることがわかります。
事件に今ひとつつかみどころがない部分があるため、ケイン警視の捜査も物語の雰囲気と歩調を合わせるようにゆっくりと進んでいきますが、それでも終盤になると怒涛の展開をみせます。登場人物が少なく容疑者が限定される中にあって、二転三転の末に意外な犯人を取り出してみせる作者の手腕はなかなかのものだと思います。最終章がケイン警視による事件全体の要約であっさりと終わっているのも、直前のサプライズを引き立てている感があります。
ただし個人的には、メインのネタが早い段階で読めてしまったために、サプライズが不発に終わったのが残念。すべてが終盤のサプライズに向けて組み立てられた作品だけに、それが機能しないことにはいかんともしがたく、評価が難しいところです。
官能的 四つの狂気
[紹介と感想]
綾鹿科学大学数理学研究科助教授・増田米尊は、変態的フィールドワークを通じて極度に興奮すると、脳が活性化して天才科学者に“変態”する“変態学者”だった。たびたび事件に巻き込まれる増田助教授は、増田自身を研究対象とする“変態ウォッチャー”の助手・千田まりに助けられ、顔なじみの谷村警部補と南巡査部長の前で“変態”して超絶推理を繰り広げる……。
『本格的 死人と狂人たち』に収録された「第一講 変態」ですさまじい活躍をみせた“変態学者”増田米尊を主役に据えた連作短編集で、オーソドックスな本格ミステリの要素と、思わず唖然とさせられる(ミステリとしての)奇想、そして“増田米尊ワールド”ともいうべき変態的思考が渾然一体となった、実にすばらしいバカミスに仕上がっています。と同時に、各編の題名がジョン・ディクスン・カーの作品から取られていることからもわかるように、作者も参加したアンソロジー『密室と奇蹟』と同様にカーへのオマージュとしての性格も備えています。
本書の最大の特徴はやはり、主人公である増田助教授の強烈な変態ぶりと、その“変態”後に展開される超絶推理です。前者については、変態的な思考や行動そのものの無茶苦茶さもさることながら、それが(一見すると)学術的に表現されることによるシュールさ(*)も見逃せないところで、特に本書では増田自身が研究/観察の対象とされているところが効果的です。一方、後者については、“狂気の論理”ならぬ“変態の論理”とでもいうべき奇天烈なロジックに脱力必至。そしてまた、的確に増田を“変態”に追い込んでその超絶推理を引き出す、谷村警部補の増田への信頼と理解(苦笑)も見どころです。
色々な意味で読者を選ぶ作品であることは間違いないと思いますが、“バカミスの極北”『痙攣的 モンド氏の逆説』に迫るインパクトを備えており、心の広い方にはぜひ読んでいただきたいところです。
余談1: 作者が中日ドラゴンズのファンだというのは知っていましたが……。
余談2: 扉に記された作者名が“鳥居否宇”
になっていたのも何かの仕掛けかと疑ってしまいました。単なる誤植ですよね?
- 「夜歩くと……」 (漸変態に関する考察)
- 夜遅く近所のコンビニに出かけた増田助教授は、そこで見事なヒップを持つ女性に遭遇して
性欲研究意欲を刺激され、ストーキングフィールドワークを開始した。彼女はなぜか、夜ごと長々と歩いてコンビニ巡りをしているらしい。そしてストフィールドワークも三日目の夜、ターゲットの女性は増田から逃げようと公園のトイレに駆け込んだのだが、そのまま死体となって発見され、トイレの外で待ち構えていた増田が容疑者に……。いきなり常軌を逸したフィールドワークを行っている増田助教授ですが、相手の女性もまた連夜コンビニ巡りという奇行を……というわけで、被害者の奇妙な行動という“日常の謎”(?)と、密室状況のトイレでの殺人との二本立てとなっています。密室トリックがやけにあっさり解明されているのが気にはなるものの、全体の謎解きは非常に面白いと思います。
題名はジョン・ディクスン・カー『夜歩く』から。 - 「孔雀の羽根に……」 (過変態に関する研究)
- 研究棟の向かいにあるオフィスビルを
双眼鏡で覗いて研究対象として観察していた増田助教授は、視野の中に高校時代の自慰初恋の相手を偶然発見する。しかし残念なことに、彼女が何階のどの窓に姿を現したのかがわからない。翌日、彼女がオフィスビルに入るところを見かけた増田は慌てて後を追い、事前の推理で導き出した彼女の行き先のテナントに駆けつけるが、室内には彼女の代わりに男の死体が……。高校時代の増田助教授の変態への目覚め(?)も見ごたえがあります(お腹いっぱいという気も)が、やはり“変態”した増田のすさまじいまでの超絶推理が圧巻です。トリックの扱いも面白いと思いますし、思わず途方に暮れてしまう結末も何ともいえません。
題名はカーター・ディクスン名義の『孔雀の羽根』から。 - 「囁く影が……」 (完全変態に関する洞察)
- 何者かがメールで送ってきた、数理学部助教授・島谷香織のあられもない痴態を撮影した写真を見て、早速
自慰雑念を払って思考を研ぎ澄ませた増田助教授。問題の写真はどうやら学内全員にばらまかれたらしく、絶望した香織は数理学部の天文ドームに登って投身自殺をしようとする。そこへ駆けつけた増田の変態トーク必死の説得により、香織は自殺を思いとどまったはずだったのだが、その時、謎の囁き声が……。あまりといえばあまりな発端ですが、このエピソードの最大の見どころはやはり、島田香織を追って天文ドームに登った増田の意外な姿で、超絶推理が今ひとつ物足りないのを補って余りある大活躍です。トリックもやや落ちる印象を受けますが、それでもひねりが加えられているあたりは見事。
題名はジョン・ディクスン・カー『囁く影』から。 - 「四つの狂気」 (無変態に関する補足)
- 増田助教授が学会出張中に、増田の知り合いだという男が研究室を訪ねてきて、思いもよらない話を始める。それは……。
最後に炸裂する大ネタ。ある程度見えている部分もあるとはいえ、その破壊力は特筆もので、なおかつ巧妙。
題名はジョン・ディクスン・カー『四つの兇器』の語呂合わせで、内容はまったく関係ない……と思います。
2008.02.08読了 [鳥飼否宇]
【関連】 『本格的 死人と狂人たち』 『絶望的 寄生クラブ』 / その他〈綾鹿市シリーズ〉
もう誘拐なんてしない
[紹介]
たこ焼き屋のバイトをしている下関の大学生・樽井翔太郎は、稼ぎを求めて関門海峡を渡った門司港で、ヤクザに追われていた女子高生・花園絵里香を助けた……はずだったが、彼女を追っていたのは父親――ヤクザの組長がつけた護衛だったのだ。その絵里香から、離婚した母親が産んだ幼い妹が重い病気で入院し、費用が捻出できずに手術を受けられずにいるという話を聞かされた翔太郎は、絵里香を誘拐したことにしてその父親から身代金を騙し取る、狂言誘拐を実行することに……。
[感想]
とぼけた味のユーモアミステリを発表し続けている東川篤哉。その久々となる新刊は、実に愉快で軽妙な(狂言)誘拐ものです。“ボーイ・ミーツ・ガール”――ただし相手はヤクザの組長の娘という発端から、作者らしいベタなギャグをポンポンと織り交ぜながら狂言誘拐へとなだれ込む展開は、今までになく(*1)よくできたコメディとなっています。
物語は、翔太郎と絵里香、そして翔太郎の先輩である甲本の三人からなる犯人一味と、絵里香の姉である皐月を中心とした花園組の面々という、事件を間に挟んだ両側から描かれていきますが、どちらの側も見事にグダグダというか、誘拐ものらしいサスペンスは潔いほどに皆無。いかにもなキャラクターたちが繰り広げるゆるいドタバタはひたすら肩の力を抜いて楽しく読めるもので、作者の持ち味が十二分に発揮されているといっていいでしょう。
狂言とはいえ誘拐ものですから、身代金受け渡しが犯人にとっての最大の難関であり、また読者にとっては大きな見どころとなるのは当然です。本書では、その身代金受け渡しに関するアイデアに、下関―関門海峡―門司という物語の舞台がうまく生かされており、なかなか面白いものになっていると思います。
しかし本書の眼目は、事件が意外な展開をみせてトリッキーな本格ミステリへと変貌するところで、前半から滑らかにつなげることに成功しながら十分に落差を感じさせる巧みな構成が光ります。そして、メイントリックそのものもさることながら、それが狂言誘拐というプロットと実にうまく組み合わされているところが非常に秀逸です。
残念ながら、終盤から結末にかけての部分がやや駆け足にすぎて説明不足気味(*2)になっている感がありますし、フーダニットとしての面白味に欠けてしまっているのも否めないところですが、それでも水準以上の作品であることは確かでしょう。
2008.02.17読了 [東川篤哉]
夏と冬の奏鳴曲{ソナタ}
[紹介]
かつて、映画『春と秋の奏鳴曲』に出演した真宮和音という女優の魅力に取りつかれ、和音島と名づけられた孤島で一年間の共同生活を送った若者たちがいた。その彼らが再び和音島に集まり、二十年ぶりの“同窓会”を開くという。雑誌の編集部に勤める如月烏有はアシスタントの舞奈桐璃とともに、和音島に同行して“同窓会”の取材を行うことになった。だが、二十年前に死んだはずの和音にいまだ支配されているかのような不穏な空気の中、真夏であるにもかかわらず雪が降り積もった朝、足跡一つないテラスに首なし死体が発見されて……。
[感想]
デビュー作『翼ある闇』に続いて発表された麻耶雄嵩の第二長編で、巽昌章氏による解説の表現を借りれば“本格推理小説への許しがたい裏切りとみなされることのある”
問題作であるとともに、麻耶雄嵩という作家の独特の資質が存分に発揮された代表作です。恥を忍んで告白すると、初刊当時に読んだ際にはあまりにもわけがわからず、放り投げそうになってしまったのですが、十数年ぶりに再読してみると大いに楽しむことができました。
絶海の孤島にいわくありげな面々が集い、クローズドサークル内で“雪密室”の殺人が起きる――このあたりだけ見ればいかにもな道具立てですが、しかしその一方では、主人公・如月烏有の幼い頃に背負い込んだ“十字架”に始まる生い立ちや、彩りとしての衒学趣味というには力の入りすぎたキュビスム理論など、一見すると殺人事件と関係あるのかどうかわからない要素が盛り込まれ、どこか読者を煙に巻くような物語が展開されていきます。
特に、“孤島もの”の“お約束”を裏切るかのように事件が進まず、また登場人物たちも事件の真相解明を半ば放棄しているかのような中盤にあって、物語の中心に据えられているキュビスム理論の存在感が目を引きます。キュビスムといえば、門外漢からすれば得てしてその技法の特殊性のみが目についてしまうわけですが、本書ではその技法を支える理論/思想にまで踏み込んで、しかも思いのほかわかりやすく説明されており、独特の雰囲気をかもし出しています。さらにそのキュビスム理論を通じて、二十年前に登場人物たちが島で送っていた生活の一端がおぼろげに見えてくることで、事件がさほど進まなくとも退屈させられることはありません。
そして終盤、訪れるクライマックスは……主人公と同じく“いったい何なのだ……”
といいたくなってしまうような、凄まじくも異様な、そして何より不可解な“超展開”。怒涛のような勢いが保たれたまま、読者をあざ笑うかのような“解決”へ、麻耶雄嵩らしい壮絶なカタストロフへ、そして……読者を置き去りにして幕を閉じる物語は、時にアンチミステリと評されるのも理解できる、強烈な破壊力を備えています。
何から何まで懇切丁寧に説明してくれる“親切な”ミステリを読みたい方にはまったくおすすめできませんが、例えば叙述トリックが仕掛けの中心となっているミステリをある程度読み慣れた最近の読者には、少なくとも初刊当時よりは受け入れられやすいのではないかと思います(注:本書に叙述トリックが仕掛けられているというわけではありません)。好みの分かれる作品であることは確かですが、個人的にはかつて放り投げそうになったことを心から後悔させられる傑作です。
↓以下の文章には、本書の性格(?)を暗示するような記述が含まれています。本書を読む前に先入観を持ちたくないという方は、ご注意下さい。
一般的な(本格)ミステリは“謎の提示―解決の提示”という定型に則っており、作中で謎が明示されるとともに最終的にはそれがすべて解決されることを期待する読者に、少なくともある程度は応えるものになっています。しかし本書は、そのような“親切な”ミステリとは一線を画した、読者に“不親切な”、あるいは“挑戦的な”作品となっています。
本書で扱われている事件は、孤島の連続殺人という“いかにも”なものですが、それもまた作者の“罠”。本書の最も重要な謎は終盤の怒涛の“超展開”の中で浮かび上がってくるものであって、明示されている殺人事件ではないのです。
そしてその解決もまた、作中には明示されていません。講談社文庫版カバーの紹介文の、“メルカトル鮎の一言がすべてを解決する”
という一節には決して偽りはないのですが、それは読者に向けての解決ではなく、あくまでも主人公・如月烏有に向けての解決でしかありません。
しかし本書は、例えば東野圭吾の『どちらかが彼女を殺した』や『私が彼を殺した』のように、作中に配された伏線をもとにある程度の“真相”――合理的な解釈――を導き出すことが可能だとされています。ただしその“真相”――作中で語られない“物語”は例を見ないほど膨大であり、“解決”(解釈)にはかなりの根気が必要となりますが。
↑ここまで
【関連】 『痾』 『木製の王子』
インテグラル・ツリー The Integral Tree
[紹介]
中性子星〈ヴォイ〉の周囲を取り巻く直径数万キロの濃密な大気の輪、〈スモーク・リング〉。そこは、奇怪な動植物にあふれた、自由落下状態の豊かな世界だった。その中を漂う積分記号{インテグラル}形の樹木“インテグラル・ツリー”では、地球からやってきた播種ラム・シップの乗員の末裔たちが、牧歌的な暮らしを営んでいた。しかし今、クィン一族が住み着いている樹が衰えを見せ始め、飢饉の恐怖が忍び寄ろうとしていたのだ。新たな食料を見つけるために旅に出た一団が遭遇したものは……。
[感想]
かつて『リングワールド』において、恒星の周囲を取り巻く“リボンの輪”――〈リングワールド〉という途方もなく壮大な世界を構築したラリイ・ニーヴンが、新たに作り上げた奇怪でユニークな世界――〈スモーク・リング〉を舞台とした冒険SFです。本書単独で物語は一応の決着を迎えますが、続編『スモーク・リング』と合わせた二部作となっています。
本書の舞台となっているのは、中性子星〈ヴォイ〉を取り巻くように巨大ガス惑星〈ゴールド〉の軌道上に形成された、〈ゴールド〉の大気由来の“ガス円環体{トーラス}”である〈スモーク・リング〉。〈ヴォイ〉の周囲に形成された巨大なドーナツ状のそれは、自由落下状態(いわゆる無重力)の呼吸可能な大気の輪であり、その中は様々な形態の生命にあふれた非常に魅力的な世界となっています。
そしてまた、人間たちの住処となっている“インテグラル・ツリー”の造形がまた見事で、単に突飛で面白い形状というだけでなく、〈ヴォイ〉による潮汐力と、樹の両端部において逆方向に強く吹く風(*1)の影響という、設定と物理法則に基づいた裏づけがあるために、しっかりした説得力が感じられます。この種のハードSFの醍醐味の一つである、特殊な世界を読み解いていく楽しさが、本書にも存分に盛り込まれているといえるでしょう。
舞台となっている世界そのもののに比して、それ以外の要素が今ひとつ魅力に乏しく感じられるのは残念なところ。〈スモーク・リング〉の中の奇怪な生態系は、興味深いものがあるとはいえブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』を超えるものではありませんし、登場人物たちが繰り広げる冒険も、十分に波乱万丈ではあるものの、ありがちといえばありがちなものかもしれません。
しかし、そこに“外部の視点”――播種ラム・シップのコンピュータに転写された〈国〉{ザ・ステート}(*2)の〈監察官〉の人格――が用意されているのが面白いところで、地球からやってきた人類が〈スモーク・リング〉にたどり着き、インテグラル・ツリーで暮らすようになった経緯が、読者に向けて適度に補われることになっています。そして、今では〈スモーク・リング〉の人類にすっかり忘れ去られた存在である〈監察官〉の、機会をとらえて再び人類に影響力を行使しようとする目論見がもたらす、新たな波乱の予感が印象に残ります。
2008.02.27再読了 [ラリイ・ニーヴン]
【関連】 『スモーク・リング』