大底還他肌骨好, 不塗紅粉自風流。 |
大底は 他の肌骨の好きに 還す,
紅粉を 塗らずして 自ら 風流。
◎ 私感註釈 *****************
※武田信玄:大永元年(1521年)〜天正元年(1573年)戦国大名。当代一流の戦略家、戦術家。甲斐、信濃、飛騨、北関東を支配する。元亀三年(1572年)に上洛の軍を起こし、遠江の三方ヶ原で徳川、織田軍をやぶったが、軍旅の途次、伊那の駒場で病没した。「御年五十三歳」。これはその臨終の偈。
※遺偈:『甲陽軍鑑』卷十四の『十 信玄公逝去 付御遺言之事』の中にある。通常の漢詩文と異なり、語彙、節奏、構文など、中世日本語の影響を強く受けているようで、難しい。このページの以下の註記は(日本語の)古語辞典に依るところが大きい。この偈の意味は、吉田豊氏編・訳の『甲陽軍鑑』(徳間書店)によると「わが不朽の生命は若々しくすこやかな人びとの肉体に伝えよう。それは少しも飾ることなく、自ら華やかにうるわしいのだから」ということである。
※大底還他肌骨好: ・大底:〔名詞〕:普通、ありふれていること。 〔副詞〕:相当に、かなり、大方。=大抵。大。 *この「大底」がよく理解できない…。ただ、『甲陽軍鑑』のここの部分の文脈から推察すれば、次のようになろうか。『甲陽軍鑑』の記録では:「末期に際して、死後の武田家の軍陣の戦略的な配備や、その具体的な指示を盛りだくさんにした後、目をつぶり、再び目を開いて、侵攻作戦の指示をしている。この指示は末期の混乱を伴ったものであると記録されている。やがて、その後また、目を開きこの偈をとなえた」とある。とすると、「大底還他肌骨好」の意は「(今まで死後のことについて、いろいろと指示をしてきたが)もう、大方のことは、(現役で活躍中の)若々しい諸将のよろしきように(判断を)任せよう」では、駄目か。 ・還:元の所にかえす。もどす。返却する。 ・他:ほかの人。ほか。別。 ・肌骨:膚と骨。 ・好:すぐれている。ふさわしい。適当だ。都合がよい。よい。好ましい。
※不塗紅粉自風流:繕わなくとも充分にすばらしいものだ。(信玄の遺言である、家督相続や采配権については、勝頼や信勝等…と)、人為的な配慮を施さずとも、充分に自分の器量でやってくれるだろう。後は、任せた。 *この句の解説も推量。 ・不塗:ぬらない。 ・紅粉:べにおしろい。べにと白粉。化粧。 ・自:おのずから。おのずと。 ・風流:みやびやかなこと。くふうをこらして美しく飾り立てること。
◎ 構成について
偈。次の平仄はこの作品のもの。
●●○○○●●,
●○○●●○○。
平成16.5.23 5.24 5.25 5.26完 平成27.5.25補 |
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