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獄中口占 

                        汪精衛
慷慨歌燕市,
從容作楚囚。
引刀成一快,
不負少年頭。


    **********************
        獄中口占

慷慨
(かうがい)して  燕市に 歌ひ,
從容
(しょうよう)として  楚囚と 作(な)る。
刀を引き  一たび快を 成せば,
(そむ)かず  少年の頭に。
             ******************


◎ 私感訳註:

※汪精衛:汪兆銘。精衛は字。(1883年〜1944年)法政大学卒業。留学中に孫文が東京で結成した中国革命同盟会に加わり、孫文を助けて革命運動に活躍、国民党幹部として要職を歴任。日中戦争中は日本側との協調を唱え、1940年、南京政府主席となる。1944年、名古屋にて病死。現在、漢奸と評価されている。

※獄中口占:この作品は、『叛国奸賊 − 大漢奸的最後結局』(回永広著 中共党史出版社 2005年北京)の中から採録した。この作品は1910年に逮捕された時のもの。

※慷慨歌燕市:意気高らかに燕の市で歌っていた荊軻のように。 ・慷慨:〔かうがい;kang1kai3○●〕意気が昂ぶって盛んなさま。ここでは燕の市での荊軻のさまをいう。史記・刺客列傳に出てくる人物。戦国七雄の一、燕の太子丹より、強大になってきた秦王政(後の秦の始皇帝)の暗殺を命じられた荊軻は、匕首を授かり秦に向かって旅立つ。決死の旅ゆえ、太子をはじめ皆は白の喪服に身を包んで、燕の国境である易水のほとりまで見送り、惜別に際して、高漸離が筑を奏で、荊軻がそれに合わせて歌ったのがこれである。これを聞いた皆は瞑目し、髪は逆立って冠を突いたという。その折の歌『易水歌』「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」は、とりわけ有名である。 ・歌:歌う。後出紫字の部分をいう。 ・燕市:燕の国の市。荊軻が屡々怪気炎を上げていた所。後出赤字部分。『史記・卷八十六』刺客列傳第二十六に、「荊軻既至,愛燕之狗屠及善撃筑者高漸離荊軻嗜酒,日與狗屠及高漸離飮於
燕市,酒酣以往,高漸離撃筑,荊軻和而市中,相樂也,已而相泣,旁若無人者。荊軻雖游於酒人乎,然其爲人沈深好書;其所游諸侯,盡與其賢豪長者相結。其之燕,燕之處士田光先生亦善待之,知其非庸人也。」とある。

※從容作楚囚:騒がずに悠々と囚われの身となろう。 ・從容:〔しょうよう;cong2rong2○○〕悠々としているさま。ゆったりと落ち着いているさま。余裕があり、あせらないさま。 ・作:…となる。 ・楚囚:囚われた楚の人。異国に囚われの身となっても、郷国の作風を失わない囚人。『春秋左伝・成公九年』に「文子曰:『楚囚,君子也。言稱先職,不背本也;樂操土風,不忘舊也。』」に基づく。南宋末の文天祥の『正気歌』に「
楚囚纓其冠,傳車送窮北。鼎甘如飴,求之不可得。陰房鬼火,春院天K。牛驥同一p,鷄棲鳳凰食。一朝蒙霧露,分作溝中瘠。如此再寒暑,百自闢易。哀哉沮洳場,爲我安樂國。豈有他繆巧,陰陽不能賊。顧此耿耿在,仰視浮雲白。悠悠我心悲,蒼天曷有極。哲人日已遠,典型在夙昔。風檐展書讀,古道照顏色。」 とある。西晋が胡に滅ぼされた後、江南半壁に追いやられ、皇帝を拉致(永嘉の乱)されながらも、江南の地に拠って漢民族の国家を保持し続け、長江を南渡して(遁れてきた)人士たちは、)いつも休みの日になると、長江南岸の建康(=南京附近)の新亭(労労亭)に集まって、酒を酌み交わし、郷土中原を偲び、歎いていた処。周は、『風景(=風と陽光)は(故国)とは異なってはいないが、目にする川の姿、全てが新たで異なったものである』と言ったので、みんなは、見つめ合って、涙を流した。ひとり、王導だけは、形を改め正して、憤りを見せ『(我々は、)一緒になって王室のために力を尽くして(建設すべきであり)、祖国の故地・神州を恢復させるべきであり、何をめそめそと亡国の民のようになっているのか、この江南に新天地があるではないか!』と言ったので、みんなは彼に謝った。『晉書・列傳・王導』「晉國既建,以(王)爲丞相軍諮祭酒。桓彝(桓階の弟、桓温の父)初過江,見朝廷微弱,謂曰:「我以中州多故,來此欲求全活,而寡弱如此,將何以濟!」憂懼不樂。往見(王),極談世事,還,謂(周)曰:『向見管夷吾,無復憂矣。』過江人士,毎至暇日,相要出新亭飮宴。中坐而歎曰:『風景不殊,舉目有江河之異。」皆相視流涕。惟(王)愀然變色曰:「當共力王室,克復神州,何至作相對泣邪!』衆收涙而謝之。」

※引刀成一快:刀を引き寄せて、素速く引き抜けば。 ・引刀:刀を引き寄せる。刀については清末・秋瑾に『寶刀歌』「漢家宮闕斜陽裏,五千餘年古國死。一睡沈沈數百年,大家不識做奴恥。憶昔我祖名軒轅,發根據在崑崙。闢地黄河及長江,大刀霍霍定中原。痛哭梅山可奈何?帝城荊棘埋銅駝。幾番囘首京華望,亡國悲歌涙涕多。北上聯軍八國衆,把我江山又贈送。白鬼西來做警鐘,漢人驚破奴才夢。主人贈我金錯刀,我今得此心英豪。赤鐵主義當今日,百萬頭顱等一毛。沐日浴月百寶光,輕生七尺何昂藏?誓將死裏求生路,世界和平ョ武裝。不觀荊軻作秦客,圖窮匕首見盈尺。殿前一撃雖不中,已奪專制魔王魄。我欲隻手援祖國,奴種流傳遍禹域。心死人人奈爾何?援筆作此《寶刀歌》,寶刀之歌壯肝膽。死國靈魂喚起多,寶刀侠骨孰與儔?平生了了舊恩仇,莫嫌尺鐵非英物。救國奇功ョ爾收,願從茲以天地爲鑪、陰陽爲炭兮,鐵聚六洲。鑄造出千柄萬柄刀兮,澄C~州。上繼我祖黄帝赫赫之成名兮,一洗數千數百年國史之奇羞!」とある。 ・成:なす。 ・一快:速い。鋭い。すばやく(抜く)。杜甫の『壯遊』「往昔十四五,出遊翰墨場。斯文崔魏徒,以我似班揚。七齡思即壯,開口詠鳳皇。九齡書大字,有作成一嚢。」の「壯遊」の感をもいいたかったのか。

※不負少年頭:若い時代に心に誓った「壮遊」の精神に悖ることはない。 ・負:そむく。期待を裏切る。 ・少年頭:若者のの黒い髪の毛。若者時代の決意。宋・岳飛の詞『滿江紅』「怒髮衝冠,憑闌處、瀟瀟雨歇。抬望眼、仰天長嘯,壯懷激烈。三十功名塵與土,八千里路雲和月。莫等閨A白了
少年頭,空悲切。   康耻,猶未雪。臣子憾,何時滅。駕長車踏破,賀蘭山缺。壯志饑餐胡虜肉,笑談渇飮匈奴血。待從頭、收拾舊山河,朝天闕。」を指す。




◎ 構成について

韻式は「AA」。韻脚は「囚頭」で、平水韻下平十一尤。「燕」は両韻で、ここでは、○になる。次の平仄はこの作品のもの。

○●○○●,
○○●●○。(韻)
●○○●●,
●●○○○。(韻)

2005.8.16
     8.17

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