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      絶句漫興

                 杜甫

二月已破三月來,
漸老逢春能幾囘。
莫思身外無窮事,
且盡生前有限杯。


******

絶句漫興
                       
二月 已
(すで)に破れ  三月 來り,
(やうや)く 老いて 春に逢ふ  能(よ)く 幾回ぞ。
思ふ 莫
(なか)れ  身外 無窮の事を,
(しば)し 盡(つ)くせ  生前 有限の杯を。


*****************


◎ 私感註釈

※杜甫:盛唐の詩人。712年(先天元年)~770年(大暦五年)。字は子美。居処によって、少陵と号する。工部員外郎という官職から、工部と呼ぶ。晩唐の杜牧に対して、老杜と呼ぶ。さらに後世、詩聖と称える。鞏県(現・河南省)の人。官に志すが容れられず、安禄山の乱やその後の諸乱に遭って、流浪の一生を送った。そのため、詩風は時期によって複雑な感情を込めた悲痛な社会描写のものになる。

※絶句漫興:とりとめのないおもむき。 *これは、九首からなる第四首。成都へ流れていったときの作。なお、この詩と同じ詩意のものに、杜甫自身の『絶句漫興九首』の第八首に「舍西柔桑葉可拈,江畔細麥復纖纖。
人生幾何春已夏,不放香醪如蜜甜。」がある。なお、杜甫の『絶句漫興』九首の六は「懶慢無堪不出村,呼兒日在掩柴門。蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。」とある。 ・漫興:とりとめのないおもむき。

※二月已破三月來:二月もすでに終わって、三月になった。月日の過ぎてゆくのが速く、追い詰められた感を表している。旧暦では、春は一月・二月・三月の間を謂う。春も三分の二分は終わり、いよいよ春の最後の月になった。 ・二月:仲春。 ・已:すでに。とっくに。 ・破:おわる。打ち砕く。本来は「長戟破林胡」の意の「破」ではあるが、杜甫は、彼が置かれた境遇から感情的に「破」となっていた。「國破山河在」とはやや意味が異なるが、一定の秩序が終焉したときの語。「去年潼關破」「愁破崖寺古」「悠悠邊月破」「北風破南極」…。 ・三月來:季春の三月になった。

※漸老逢春能幾回:だんだんと年を取ってきたが、あと何回、春に逢うことができるのだろうか。 *李煜の『柳枝詞』「風情
漸老見春,到處消魂感舊遊。多謝長條似相識,強垂煙穗拂人頭。』の元になった。 ・漸老:だんだんと年を取ってきた。 ・逢春:春に出逢う。新たに芽吹き息吹く生命の春と、新しい年を迎える。 ・逢:であう。でくわす。いきあわせる。自分の意志で「あう」ことではなく、偶然にいきあわすこと。自分の意志で「あう、まちあわせる」ことは「會」。前者はで、後者はでもある。 ・能:よく。可能をいう。 ・幾回:何回(になるか)。

※莫思身外無窮事:自分以外の果てしないことを思わないで。 ・莫:…なかれ。禁止や打ち消しの辞。 ・思:おもう。思念する。 ・身外:自身のほか。一身のほか。体のほか。 ・無窮:はてしない。無限。永久であって極まりがない。 ・事:ことがら。 ・身外無窮事:社会事象など、自分独りの力では如何ともしがたい事柄。

※且盡生前有限杯:しばらくの間は、(生命には限りがあるので、今を楽しむ)有限の酒杯を飲み尽くそう。 *白居易の『琵琶行』「説盡心中無限事」の元になった。後世、日本の赤松蘭室は『有感』で「古墓爲田松柏摧,百年人壽似飄埃。功名富貴終何事,
且盡生前酒一盃。」と使う。 ・且〔しょ;qie3●〕:まあ。まず。ざっと。また、しばし。しばらく。短い時間。「且」にはいくつかの基本的な意味があり、ほとんどが現代漢語と古漢語共通している。1.かつ。2.その上。3.しばらく。4.まさに…んとす。ここは、古白話の「まあ」「まず」の意や、短時間を表す「しばし」「しばらく」の意で使われている。「『莫思 ・ 身外無窮事』『且盡 ・ 生前有限杯』」という対句だ。対句は、文字表現上のみならず、その意味においても対になる。ここは、同時進行や添加を表す「かつ」の意の用法(=〔A且B〕:「Aをするとき、同時にBをする」「AをしたりBをしたりする」)と見て、「且(か)つ盡くせ 生前有限の杯」と読み下すのは苦しい。もし、そうとすれば「莫思身外無窮事」と「盡生前有限杯」とを「且」で結んだ「『莫思身外無窮事』,『且』『盡生前有限杯』」となることになるが、苦しい。(但し、国語(=日本語)の古語辞典には、「かつ」の義の一に「わずかに」「ちょっと」があるにはあるが…)。ここは「『莫・思身外無窮事』,『且・盡生前有限杯』」の意。「生きて、命ある今=しばしの間」の意。現代日本語で多用される「ちょっと(一杯)」「まあ(一献)」「とりあえず(ビール)」といった「しばし」の意よりも重いおもむきのある「且」である。 ・盡:つくす。動詞。ここでは、飲み乾すの意で使われている。 ・且盡-:とりあえず(飲み)乾せ。李白の『魯郡東石門送杜二甫』に「醉別復幾日,登臨偏池臺。何時石門路,重有金樽開。 秋波落泗水,海色明徂徠。飛蓬各自遠,且盡手中。」と杜甫に送った詩にあり、何らかの関係があるのか。東晋・陶潛の『己酉歳九月九日』に「靡靡秋已夕,淒淒風露交。蔓草不復榮,園木空自凋。清氣澄餘滓,杳然天界高。哀蝉無留響,叢雁鳴雲霄。萬化相尋繹,人生豈不勞。從古皆有沒,念之中心焦。何以稱我情,濁酒且自陶。千載非所知,聊以永今朝。」とあり、唐・崔敏童に『宴城東莊』「一年始有一年春,百歳曾無百歳人。能向花前幾回醉,十千沽酒莫辭貧。」とある。 ・生前:生きている間。「死後」の対義語である。死後のことを考えるよりも、しばし今を楽しめ。曹操の『短歌行』「對酒當歌,人生幾何。譬如朝露,去日苦多。慨當以慷,憂思難忘。何以解憂,唯有杜康。」や『古詩十九首』之十三に「驅車上東門,遙望郭北墓。白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。 下有陳死人,杳杳即長暮。潛寐黄泉下,千載永不寤。浩浩陰陽移,年命如朝露。人生忽如寄,壽無金石固。萬歳更相送,賢聖莫能度。服食求神仙,多爲藥所誤。不如飮美酒,被服與紈素。」陶潛の『己酉歳九月九日』「靡靡秋已夕,淒淒風露交。蔓草不復榮,園木空自凋。清氣澄餘滓,杳然天界高。哀蝉無留響,叢雁鳴雲霄。萬化相尋繹,人生豈不勞。從古皆有沒,念之中心焦。何以稱我情,濁酒且自陶。千載非所知,聊以永今朝。」や唐・崔敏童に『宴城東莊』「一年始有一年春,百歳曾無百歳人。能向花前幾回醉,十千沽酒莫辭貧。」がある。 ・有限杯:限りがある酒杯。有限の人生を味わう酒。
               ***********




◎ 構成について

仄起。一韻到底。韻式は、「AAA」。韻脚は「來回杯」で、平水韻上平十灰。次の平仄はこの作品のもの。

●●●●○●○,(韻)
●●○○○●○。(韻)
●○○●○○●,
●●○○●●○。(韻)
2004.4. 9
     4.10完
2007.4.22補
2008.8.10
     9. 1
2011.2. 2
     5.25
2015.1.23
     4.18
2020.9. 8
      9.10

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