のほほんと腐りきっていた関東軍首脳部に較べ、張鼓峰事件で引き分けたのを理由に前任者が粛正されているのを目の当たりにしているジューコフは、いたってまじめでした。まるで、アリとキリギリスの童話のようです。アリの方がジューコフね。
アイテム |
出版社 |
内容 |
無名戦士の記録・ノロ高地独断撤退 |
谷口勝久/旺史社 |
通称「長谷部支隊」とよばれる小松原兵団の左翼を守る部隊が、師団の拙劣な指揮から来る戦線崩壊によって包囲殲滅の危機に陥ったことから、独断で撤退をしてしまったという事件を、支隊の主力、梶川大隊の行動をメインに記録。巻末の当時の参謀によるレポートはだらだらとして分かりにくい。当時の優秀な人の条件は、簡潔な文ではなく、難しい言葉を大量に使った冗長なレポートが書けることだったらしい。このことについて阿川弘之さんにバカにされたのは陸軍ファンにとってはくやしい。フ〜ンだ! |
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ノロ高地 |
草葉栄 |
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ノモンハン
(上・下)
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五味川純平/文春文庫 |
戦前の無責任さにあふれた体制に暗い怒りを抱く著者が、ノモンハン事件を冷徹に描きます。さまざまな資料を当り、根底にある、静かな怒りをときどき表に現しつつ、板垣征四郎にはじまる陸軍エリート、低能な為政及び外務関係者をこき下ろす迫力は、終戦直前に著者自ら体験したことへの怒りを交え、共感を覚えます。〔軽々しく共感とかいうとおこられそう・・・) |
人間の記録
ノモンハン戦
(侵攻編・壊滅編)
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御田重宝/徳間文庫 |
中国地方の郷土部隊の戦史を研究する筆者の調査によるノモンハン戦。中国地方では、二十三師団が編成されるときに第五師団からも大勢人がいったので、体験者が多いらしい。山本七平さんの回想に出てくるノモンハン帰りの人も「・・・ですケン」という話し方で書いてあります。
インタビューによる、おおくの人たち〔現場)の声がつづられている点は貴重です。
また、このときに捕虜になった人々のさまざまな運命等にも触れられていて、こうした部分を読むと、五味川純平さんの怒りの一端が理解できるような気がしてきます。
「二十三師団は強かった」という筆者の声は、中途半端で間抜けな指導をして負け、あたら優秀な若者たちを無駄に死なせた陸軍首脳部ヘの怒りなのでしょうか・・・
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ノモンハン事件 |
越智春海/図書出版社 |
筆者は元陸軍軍人。ノモンハン事件をプロの目で地形などを含めていろいろな資料に基づき解説。事件以前にあった重装甲車のおそまつな越境事件などのエピソードが耳新しかったです。関係者の戦闘指導っぷりを気持ち良くこき下ろしています。(でも、同じ教育受けたわけだし、同じ穴のムジナなのでは?) |
ノモンハン
1〜4
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アルビン・D・クックス/朝日文庫 |
アメリカ人の筆者が日本、ソビエトの両資料をもとに調査したノモンハン事件。
日本の資料ではひたすら空気のようにふがいない存在だった第一戦車団の九五式戦車が、じつはBTくらいの相手になら互角に渡り合えたことなど、外国人の冷静な目から見た記述は自虐的日本戦車解説に慣れたわたしたちには新鮮で貴重かもしれません。(すくなくとも、BTの装甲は日本の37ミリ砲弾をはじき返すことはできなかったようです。このことは、速射砲の兵の証言でも明らかです。)
ぼく的に評価はかなり高い力作。
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静かなノモンハン |
伊藤圭一/講談社文庫/講談社文芸文庫 |
北海道第七師団のノモンハン事変経験者三名の体験を描いたドキュメンタリー。ただ淡々と体験のみがつづられています。しかし、筆者の気持ちは不思議に伝わってくるという静かで悲しい作品です。
講談社文庫版は表紙のカバーデザインが悲しくていい感じ。
講談社文芸文庫版には著者と司馬遼太郎氏の対談がでてます。全体にいい感じの対談ですが、戦場体験者と未体験者の心理のギャップが読み取れるところも興味深い。この心理のちがいは戦記を読み解くうえで、非常に重要なことなのです。・・・と思う・・・
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八月の砲声 |
津本陽/講談社 |
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ノモンハンの夏 |
半藤一利/文春文庫 |
内容的には、「ノモンハン事件のあった年の夏」といった内容。どちらかというと、日本国内の政治がメイン。
昭和初期に暴走していたのは陸軍のみならず、外務省、更には国民総出の暴走だったということが分かります。(なにやら、こないだのITバブル提灯行列とダブるような・・・)で、戦争責任を陸軍と内務省に押しつけて自分は被害者面した人たちのおかげで、日本はいまだにいびつです。(真の被害者を主張できるのは当時の子供たちだけだったのかもしれません)
ところで、この本の中に、米内光正が「海軍のフネは米国と闘うようにはできていない」うんぬんという下りを立派な発言のように書いてあるのは納得いかない。仮想敵を米国とした戦術に合致するように設計したとかきいたんですが?
で、それでかなわないと思ったのだとして、米国と闘わないのを前提の海軍が、なぜに軍縮に反対したのか!なぜに対米英八割などと騒いだのか!「やっても無力だとわかっているそのことを、なぜ、やらせた。」(山本七平)という言葉がうかんできてしまいました。(うけとり方を変えれば、軍縮で艦隊を削減されたことへの提督からの皮肉にもとれますが。)海軍も陸軍も、国民も、等しく常識感覚が小児的でお粗末だったからこそ、あの敗戦という奈落があったことを認識すべきで、等しく非難されて問題点があらいだされ、みんなの生活に活かされてこそ、後世のわれわれが正しい道をゆけるはずなのです。
誰かが著しく悪かった。でも、悪くない人もいた。おわり。という言い方は、なっとくできません。(ていいながら、どっかで自分もやってたりする・・・)
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あヽ隼戦闘隊 |
黒江保彦/光人社 |
大戦の空を生き抜き、空自のえらい人になった筆者の回想。初陣はノモンハンです。最初から最期まで交代も無しに闘いつづける部隊がだんだん疲れてくるさまがよくわかります。予備とかいう発想はなかったようです。〔無いソデは振れないという方が当たってるかも。でも、ソデもないのに戦争しちゃいけない。) |
飛燕対グラマン |
田形竹尾/ 今日の話題社 |
陸軍のベテラン下士官操縦者の典型的な自伝。九二戦時代からのベテランです。陸軍航空の内務がよく描かれています。戦前はソ連空軍の将校の派遣があったという情報は初めて知った。
ノモンハン事件直前の事故で空への復帰に努力する著者ですが、同期の古郡曹長の活躍について触れています。のちに22戦隊でも三味線持って活躍するあの人です。
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ノモンハンの空 |
鈴木五郎/光人社文庫 |
黎明の陸軍航空を、当時の世相と併せて、ひとりの青年を主人公に描いた小説。写真と地図が楽しい。 |
一九三九年のハルハ河畔における赤軍の戦闘行動 |
エス・エヌ・シーシキーン/田中克彦 編訳/岩波現代文庫
(「ノモンハンの戦い」所収)
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1946年時点でのソ連軍のノモンハン事件に対する一般認識が読める論文全訳。貴重。
著者はノモンハンに行ったわけではなく、論文は「赤軍総司令部戦史局の所蔵する報告資料と作戦記録にもとづいて書かれ」ています。ので、地勢における記述にも、ソ連軍側の岸の方が低かったなどというヒロイズムのために創り上げられた味方の劣勢があるのは興味深い。また、ジューコフの名前が全く出てこないことも興味深い。
戦闘の下地となる日ソ双方の政治的経緯ですが、この本ではかなり関東軍を政治的に買いかぶっているようです。実際の関東軍はもっと行き当たりばったりで、なし崩しで、首脳部のみ内輪にナアナアで、プライドのみ高いダメ官僚集団であったようです。
井置部隊のフイ高地の防御はソ連側からみて、非常に堅かったようで、後に独断撤退の「罪」で自決させられる井置中佐は惜しい人物であったようです。自決させられるべき「戦犯」は、ぼくとしては板垣(天皇の師団を「一個師団くらい」と軽々しく熱かったので統帥権侵犯)、植田(軍司令官の職掌を放棄し無能な部下のいいなりになって陛下の国軍を危機にさらした。)、小松原(無能、陛下から預かった師団を無為に壊滅させ、親輔した陛下の権威を傷付けた)その司令部首脳(無能)、辻(無能)とかでしょうか。
訳者は向こうの発音に凝りたかったらしく、地名が我々の読み慣れた名称と全くことなるので読むのに苦労しました。参考までに、↓
ホロンボイル→ホロンバイル ハイラースティーン河→ホルステン河 ウズール・ノール→ウジュル水 バヤン・ツァガーン山→バイツァンガン高地 タムツァク→タムスク など。
あと、日本軍の部隊名称は「第二十三騎兵連隊」ではなく、「騎兵第二十三連隊」と兵科を前に出して記述してほしかったです。
付属の地形図は細いけど小さいのが残念。1ページ丸々とってても良かったかも。
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ハルハ河の回想 |
コンスタンチーン・エム・シーモノフ/田中克彦 編訳/岩波現代文庫
(「ノモンハンの戦い」所収)
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ノモンハン事件最末期に戦場を訪れた詩人の回想。
日本軍が壊滅して掃討戦の段階になってから現地に着いたのでほとんど戦闘シーンはない変わりに、司令部でのジューコフの様子や、停戦交渉の現場の様子、停戦の宴の様子、戦場清掃をする日本兵と、それを監視するソ連軍のシステム、捕虜交換の様子などが細かく描写されています。「ナガーン」はナガン・リボルバーのことね。
よくほかの本にも出てくる、日本人の見せる「わざと」らしい微笑は、「自分には教育があって、特別に教養ある階層に属している」という表現であろうという読みは鋭いかも。著者は日本に住んだことがあるようで、日本の農民は自然で純朴であって人間的だとも言っています。
小松原が腹を切らせられず、逆に叙勲したのは、この本が言うような、日本軍が攻勢終末点を定めない傾向のある軍隊だから、自分がそうだからソ連もそうだと思った結果ソ連軍の停止を小松原の危機対処の手柄にした、というわけではないと思う。
ぼくに言わせれば、天皇の親輔した師団長が無能で腹を切ったということになると、無能なものを親輔した天皇の責任になって、そうなると天皇に責任を負わせた陸軍の責任になって、それをライバルの海軍に御前で攻撃されると面倒くさいからナアナアで誤魔化したわけで、そんな姑息なことしか考えられないほど傲り、腐っていたわけなのでしょう。
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ノモンハン空戦記 |
ア・ベ・ボロジェイキン/林克也・太田多耕 訳/弘文堂フロンティアブックス |
1961年に出たボロジェイキンの回想の翻訳ですが、最初の一章は地味な訓練とかでつまらないからと割愛されてます。がっくし。
政治将校パイロットとして7月から唯一の機関砲つきのイー16装備の中隊で日本の戦闘機と戦いますが、敵の日本人のテクニックをほめる一方、飛行機のもろさが指摘されている点が興味深い。5月には練度不足で日本の相手にならなかったと書いていますが、8月には圧倒してしまったようで、自信にあふれる記述になっています。自然に対する描写に、著者の人柄が偲ばれます。
この本が書かれた時代的にスターリンとジューコフのことを良く書いていないのはおもしろい。
あと、イ-153が戦場に来たての時はその乗員の士気が高かったのに、後の方ではあまりいい評判ではなくなってるところなども興味深い。
出てくる飛行機はイ-16、153、九五戦(九六戦と書かれている)、九七戦、軽爆、エスベー、テーベーなど。
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解説・ノモンハン戦史 |
林克也/弘文堂フロンティアブックス
(「ノモンハン空戦記」所収)
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まとまったものとしては初めて書かれたと自負する、ノモンハン戦の解説。
ちょっと感情的に日本軍を批判。張鼓峰で平和を愛するソ連軍を日本軍が挑発したように錯覚させる書き方をしてるけど、良く読めば先に越境占拠したのはソ連軍だとわかるし・・・ちょっといやな作為。
日ソ互いに中堅の軍人がリストラ逃れもしくは粛正逃れの手柄ほしさに小手調べしたくてウズウズしてたのが真相かと。
で、それを政治でコントロールできたのがソ連で、できなかったのが我が軍と・・・
流れはわかりやすく、自負するだけのことはあるかも。
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