戦記のお部屋(第十分室)

トラック大空襲、マーシャル、インパール、雲南、サイパン。

トラック大空襲:さしものハルゼーも無事には還ってこれないと思っていたらしいけれどフタを開けたら大勝利。トラックの海軍サンは緩みきっていたそうな。
零戦撃墜王 岩本徹三/光人社文庫
太平洋海戦 佐藤和正/光人社
海軍病院船はなぜ沈められたか 三神國隆/芙蓉書房/光人社文庫 トラック空襲の現場にいた天応丸。乗っていた人たちの証言からも、やっぱり海軍サン、ゆるんでたみたい。

マーシャル:

インパール:帝国陸軍史上最大の愚行のひとつとされる(最大は仏印進駐かな)インパール作戦。この作戦を計画した牟田口廉也将軍をよくいう人はほとんどいない。

この作戦、ぼくは日本軍はいつも北から下がってくるような錯覚をしてしまうのですが、ビルマから攻め込んでいるので、南から攻め上がっています。というか、西へインパールを包み込むように攻めています。

ぼくの戦時歌謡コレクションに「熱砂を超えて」という超カッコいい歌があるんですが、この歌詞が、「今ぞ陥つ!インパール!イ〜ン〜パ〜〜ル〜!」と歌っちゃってて「オイオイ!」なのですが、インパール楽勝ということで陥落した時用に「今ぞ陥つインパール」というタイトルの曲を発注しちゃったら陥ちなかったのでタイトルだけかえて発表・・・アホですが、歌はカッコいいのでときどき米とぎながら歌う。

インパール 高木俊郎/文春文庫 インパール三部作の最初。インパール作戦を闘った三つの師団のひとつ、「弓」第三十三師団の悲惨な戦い。

師団長の柳田少将は牟田口軍司令官と同期なので言うことを聞かず、(まあ、わかりますけど)頭越しに参謀長に直接話が行くようになっていじけてしまったようですが、ここはひとつ、部下のために徹底抗戦してほしかった。いやだと思ったのだけど、ひきづられて・・などという言い訳は、トップの人はやっちゃいけない。

昭和十九年はうるう年だったという便利な情報もあります。

逆境という言葉であらわしたら怒られそうなくらいすさまじい逆境の中、逃げ出すもの、泣き出すもの、力尽きて死んでしまう者たちの中、ひたすら強い人がいて、そういう人たちの強さは、読んでいて勇気づけられます。

憤死 高木俊郎/文春文庫 インパールを東から攻めた「祭」第十五師団の悲惨な戦い。

祭師団は一番道のない方面を野砲装備で抜けるという暴挙をさせられ、大変苦労します。皮肉なことに、となりの道路を進撃した烈は山砲装備だったそうで・・・しかも、実質兵力がたったの歩兵6個大隊! 師団とよぶには員数が60%ばかり足りないようです。

ここでも腐りきった十五軍司令部の醜態が糾弾されています。

ところで、一般に、指揮官には1)利口で怠惰 2)利口でまじめ 3)バカで怠惰 4)バカでまじめ の4種類があって、一番最悪なのが「ばかまじめ」だそうですが、祭の師団長は・・・烈が下がると言い出したときが組織的にも逃げる最高のチャンスだったのに!事後に責任問題を烈となすりあって軍法会議で法廷闘争すればよかったのに!せいぜい少将が2人ほど失業するだけで(たぶん、親輔職なので、銃殺とかにはならないでしょう。世間体大切だし)、兵隊さんはたくさん生き残れたと思うのに・・・こういう融通のなさに付きあわされた兵隊さんは浮かばれません。おしまいの方で「味方に向かって」知恵を使う祭の桑原参謀は、その、まじめを逆手にとった「組織上の」戦術がいいですね。参考になりますよ。

さらに、敵味方、憎しみ合い捕虜をとらずに皆殺しにする恐ろしい描写が出てきますが、おしまいの方になるとさすがに英軍側には余裕がみられ、日本の行き倒れの兵士に生きたままガソリンをかけるということもなくなっていったようです。生き死には、まさに運!

タイトルの「憤死」は、戦病死した山内師団長だけではなく、無念のうちに亡くなっていった多くの兵士たちのことでもあります。というか、そうおもった。

インパール作戦は成功したかもという意見には、やはりどうみても賛成できません。予備があと2個師団あればどうなったかわからないけれど、牟田口司令部がそれを有効に使えたかは疑問です。

抗命 高木俊郎/文春文庫 インパールヘの北からの交通を遮断すべく、コヒマを攻めた「烈」第三十一師団の勇猛かつ悲惨な戦いと、師団長佐藤幸徳中将の怒りと勇気。

「しかし、牟田口は軍法会議にかけろと、しきりにいってるそうだ。それなら、お前らが恐れることはないじゃないか。わが輩を軍法会議にかけて、抗命罪で厳罰にしたらいいぞ。わしも、牟田口と河辺は、陛下の軍隊三個師団七万の将兵を虐殺した罪があると訴えてやる。どうだ」

陛下の軍隊三個師団七万の将兵を無駄に殺した、このての自国民に対する暴虐な犯罪の積み重ねに責任を持つピラミッドの構成員が本当の一番の戦犯ではないか、これをハッキリさせないと「過ちを繰り返さない」とかのスローガンは永遠に達成できないとぼくは思うわけです。「平和」、「祈り」、「謝罪」しか唱えないのは思考停止であり怠慢であります。

張鼓峰事件で地獄を見た猛将佐藤中将の決断、独断撤退は師団中の兵士たちに感謝を受けることになるのですが、これでワリ食ったのは後ろががら空きになった「祭」師団で、こっちからは「勝手に逃げやがって」と恨まれています。

彼の抗命は計算があってのことで、軍法会議に全員引きずり出して、どちらが馬鹿者か黒白付けてしまおうという「作戦」だったようです。わざとことを荒立てて大問題にするという戦術、バカ組織ではけっこう使えますよ。賭けではありますけれど。

おもしろいのはビルマ占領当初、まだ第十八師団の師団長だった牟田口中将は、その時に十五軍から可能性を聞かれたインド侵攻には補給の観点から反対しているということで、自分が師団長だったらやらないしやりたくないことを自分が軍司令官になったら平気で部下にやらせるということであります。これは非常におもしろい。身近にもありませんか?そういう例。

十五軍司令部は米英軍相手の作戦については犯罪的に無能ですが、身内を陥れるための「作戦」、帝国陸軍内輪の闘争に関してはかなり優秀であります。役人なんてどこの省庁もこんなもんだよね。組織防衛だけ優秀、あとは能無し・・・国民に対しては「おれたちの偏差値はお前ら一銭五厘とは違うんだよ!黙って税金払っとけ」くらいに思ってる。腐ってる。

全滅 高木俊郎/文春文庫

弓師団戦車隊である戦車十四連隊司令部と、配属された外様部隊達のインパール盆地での悲惨な最期。連隊副官の中村大尉の行動をメインに、混乱しきった末期のインパール作戦の様子を、淡々と描いています。怒りを込めて。

文庫版の表紙は、見ていて憂鬱になるようなデザインで、いかにも「全滅」という感じで、わたし的にはデザイン大賞ってかんじです。表紙で手に取ってしまって、高木俊郎さんのほかの作品にも目がいった次第なのです。

戦死 高木俊郎/文春文庫

インパールと平行して、というより牽制として行なわれたアキャブ方面のハ号作戦当事者、第五十五師団の異常な司令部と統率を描いた作品。

主題の五十五師団長花谷少将は、部下を殴って怒鳴って、自決を強要する、はっきりいって、キチガイです。

ソリの合わない部下を毎日殴りつけ、ノイローゼにさせて自殺に追い込む等という行為は、武人の風下にも置けません。クズです。

肉親には「戦死」と広報されたのが、実は味方に強要されての自決だったなどという、不条理が許されていいはずもなく、こういう人物は戦犯として扱われるべきなのでしょうが、自決もせず戦後はつつがなく暮らしたようです。軍人といい、会社の責任者といい、あるポジションについた人物が、極端なイケイケモーレツ主義者になったあとで、その組織がつぶれたりすると、もうとたんにしらっとそんなこととは縁を切った平凡な善良な一市民に戻っちゃえるのはなぜなのでしょう。

殴られた工兵連隊長が、「もう一度やってみろ!」と軍刀に手をかけてまわりにおさえられる事件のあとで、その連隊長には殴りかからなくなったというエピソードに、こういう異常者へとるべき態度というものが示されているような気がしました。あと、工兵の男らしさに惚れたかも。

ただ、こういうイカレタ暴将の下の部隊は、優柔不断で軟弱な指揮官の部隊よりは強いらしい。ちなみに、当時、下士官、下級士官のあいだで彼を殺そうという動きが多数あって、しかしなぜか決行はされませんでした。

コヒマ アーサー・スウィンソン/長尾睦也/ハヤカワ文庫 インパール北方のインパール街道にある山里「コヒマ」をめぐる英印軍とわが三十一師団との死闘を描いたドキュメンタリー。

英軍側の目をメインに我が軍を見ているのが非常に興味深いです。英軍はかなり苦しかったらしく、かなりの損害を出しているようです。日本軍はかなり巧妙にコヒマ近辺を要塞化したらしいことが読み取れます。英軍は火点の交互の側防による築城が苦手だったなどと意外なことが書いてあります。日本の方が苦手そうなのにね。

鹵獲兵器の中に、大正時代製の機関銃があったというのは重機でしょうか軽機でしょうか。

件の「抗命独断撤退」時に殿軍を務めた宮崎支隊の損害が750人中350人で済んだというのは、宮崎将軍の戦上手の証と思いました。

最後のほうに出てくるスリム中将の「・・・その作戦計画が仮に誤っていた場合に、これを直ちに建て直す心構えが全くなかった」という日本軍の将軍達に対する批判が興味深いです。また、当時のビルマ方面の英軍のえらい人たちがみなアフリカでロンメルと戦っていて更迭された将軍達で、でも決して無能ではないことをみると、モントゴメリーはやっぱり政治的に英雄になったのかなと思いました。逆を言うと、日本の自称軍人である官僚達はとことん能無しぞろいだったわけで・・・

訳はあまりうまくないけれど訳者後書きが非常に興味深いです。今の翻訳家でここまで解説できる人が何人いるんだろうか。

最悪の戦場に奇跡はなかった 高崎伝/光人社文庫 ガダルカナルの「負け戦」の当事者は、その他の負け戦の当事者同様国へ帰してもらえませんでした。

ほぼ廃人となってガ島から引上げてきた兵隊さんたちは、意外にも半年から一年で現役復帰できたといいますから鍛え方が違う精兵だったのでしょう。それでも筆者は一回ほぼ死にます。

そして百二十四連隊はビルマへ。飢餓のハシゴ。貧乏くじ引きまくりです。筆者はコヒマから退がってくる本体に合流。イラワジ会戦をむかえます。九州博多の兵隊さんはすごいなあ。

名将宮崎繁三郎 豊田譲/光人社
菊と龍 相良俊輔 /光人社文庫
ビルマの耳飾り 武者一雄/光人社文庫 優しくて悲しい反戦童話。

だれにも死んでほしくない!死なないでほしかった!という作者のせつない願いがひしひしと伝わってきます。電車の中で読んでて泣きそうになった。

太平洋に消えた勝機 佐藤晃/光文社 隷下の師団がもっとハシハシしていればインパール作戦は成功したかもしれないと書いていますが、さすがにこれはないでしょう。まず第一に、作戦開始前に情報漏洩によりこちらの企図が英軍にバレバレ。これは致命的。さらに、インパールは盆地で、山からでてくる敵は待ち伏せのようにしてやっつけてしまえるのです。しかも、日本軍の火力はお話になりません。準備も付け焼き刃に過ぎます。これはちょっと調子に乗りすぎたかな・・・

さすがに、著者も行き過ぎたと思ったらしく、牟田口将軍のリーダーシップのなさをあげて、失敗の原因の一つにはしていますけれど・・・

ただ、たしかに、なぜか補給軽視ということを非難されるのが常に陸軍で、自分の都合で陸軍への補給を全うしない海軍が非難されることがないのは不思議です。

「孫子」の読み方 山本七平/日経ビジネス人文庫 ビルマの日本軍は陸大の試験の模範解答の通りに出るので英印軍は模範解答を対策すれば日本軍軒とに対応できたという記述があります。

模範解答でなければ合格しない制度と問題を作った人材にも欠陥があったようです。問題を出す側に、試験の本質と目的が理解できていなかったのでしょう。

雲南攻防戦:ビルマから雲南を攻めることでインド-中国の連絡を遮断しようとした我が陸軍でしたが、米軍のと変わらないくらい強力な装備と火力を持った蒋介石の雲南遠征軍の猛攻の前に、逆にビルマまで押し返されてしまいました。
菊と龍 相良俊輔 /光人社文庫
断作戦 古山高麗雄/文春文庫 小説3部作の第一冊目。包囲殲滅された騰越守備隊の生き残りの兵士の晩年をつづっています。

屈折し内向的になることで軍隊を耐えた作者とはまったく異なった行動の人々の戦場での姿を描いています。雨と寒さ。強い人、弱い人、普通の人。

単行本には地図が付いていたらしいのですが、文庫には付いていないのはどうしようもない怠慢。「フーコン戦記」の巻末に付いているのですが、それではこの本を読んでいるときにその背景を確認することができません。発行者の考えは間違っている。それとも、つけないでしらばっくれようと思ったらクレームがきたのかな・・・

龍陵会戦 古山高麗雄/文春文庫 危なく殲滅を免れた龍陵の戦場。前作「断作戦」で九州の兵士の戦後を描いた作者が、こんどは自分と他人、当時といま、生き残ったものと死者、東北と九州の人の戦争(体験)というものについてのとらえ方を描き出そうとします。そこからなにかを探ろうとします。

この本もまた地図が省略されているので、非常に作品を取っつきにくいものにしてしまっているのは発行者の責任で、作者がもし生きていたなら、こんな独善を許したでしょうか。

「戦桿大和ノ最後」の吉田満さんの戦争のとらえ方と、作者の戦争のとらえ方、どちらも間違いではないと書いています。それはその通り。いろんな兵士がいたのだから。ただし正解でもない。

ただ、「この国で偉くなってはいけないのだ、」、「この国で偉くなれば、中国を侵略する者のリーダーにならざるを得ない、それより落ちこぼれの道をあるくべきだ。」という作者の学生当時の言葉は、大きく間違いだと思うし、情けない。若者は共感してはいけない。体制に絶望しているなら、間違っていると思うなら、「一刻も早くこの国のリーダーのひとりになり、この国がへんな方向へ向かうことを止めなければならない」という考えを持つのがエリートかつ良識があると自負する若者のもつべき気概だと思う。絶望したから無気力でした、ということばは、弱さの言い訳だと思う。たとえ結果的に大きな流れに流されてしまうとしても。と、今の自分に同じ言い訳をしている脱落者の成れの果てのぼく(人生手遅れ)は思うのでした。

フーコン戦記 古山高麗雄/文春文庫 「菊」第十八師団でフーコンの戦いを生き抜いた傷痍軍人が、老いを生きながら回想する戦場、というシチュエーションの小説。上記二作品のあとではさすがに息切れした感じがします(作者も薄々後書きで認めています)が、やはり、雲南を戦った龍と勇を書いた以上、菊部隊にも触れないわけにはゆかなかったのでしょう。

「あいつらは、ふたこと目には、国家のためと言うが、あいつらの言う国家とは、結局、てめえだけのことではないか、と思うのである。」と言う一節には共感を覚えます。これはなにも陸軍の偉い人だけにかぎったことではなく、当時の「日本のため」といいながら戦争をつづけた軍人と政治家、役人すべてと、いまの役人や政治家にもいえると思うので。

終りの方に出てくるエピソード、後退する師団長の行く先を師団長の目に触れないように死体や病者をかたずけて歩く師団司令部の下士官たちは、たぶん、「一人残らず連れて下がれ!」という一件まことに正論で人道的な偽善を吐くことで自己を保っている師団長閣下の目に傷病者死者が触れれば、それらを自分たちが担がされることが分かっている悲しい軍隊の知恵なので、かれらもまた、無力な存在だったのでしょう。

サイパン:この島には、かつて日本の市民がたくさん生活していました。彼らの悲劇を語れる人はほとんどいません。沖縄以上の悲劇があったのですけれど・・・みんな死んでしまったので、語るものがいません。

陸軍はこの島の防衛計画を出先、本営とも完璧にミスしたのですが、大本営発表は麗句美辞で飾って歌などつくってごまかしました。とはいえ、内部では担当者はボロクソ。(203高地のときといっしょ)でも、その内部反省レポートも以後の島嶼防衛戦にはめったに活かされませんでした。レポートはレポートで、対応を説くわけでもなく、玉砕した担当者をこき降ろしておしまいだったそうな。どっかの新聞みたい・・・最初に水際撃破を指導したのは、中央の方なのに・・・

予科練の空 本間猛/光人社文庫 意気あがらぬサイパンから四国の託間空へ。十九年二月に空輸でサイパンへ行ったときに、空襲されて飛行機を燃やされます。迎えの飛行機で帰ってきますが、なんかドキドキします。海軍乙事件の感想が興味深い。
一下級将校の見た帝国陸軍 山本七平/文春文庫 ああ、堂々の輸送船、とは伊藤久男の歌った名流行歌「暁に祈る」の2番の歌い出しですが、著者が門司からルソンへ移動するときの輸送船の様子は、「ひざをかかえた姿勢の人間を、畳二枚に十名ずつ押し込み」が蒸し暑いブリキの船の中で二週間続くという恐ろしいものでした。しかし船団は無事にマニラへ。その日に米軍はサイパンへ上陸したのでした。
サイパン戦車戦 下田四郎/光人社文庫 米軍上陸後、数日で蒸発してしまった戦車第三連隊の隊員の回想と、戦後、埋もれていた九七式中戦車を日本に持ち帰るまで。

著者は九五式戦車に乗っていましたが、幸い生き残り、終戦まで生き延びることができました。

半分くらい日本機甲界の歴史の本。戦車返還運動の熱意に感動します。そうした目で見ると、遊就館の九七式を見る目もちがってくるのでした。

九七式って、間近で見ると結構でかいし堅そうだし、鉄板も25ミリもあると感覚的に弾を跳ね返しそうに錯覚するから、外国の戦車見たことがなかったら「これで十分」とか思っても不思議はないです。

サイパン肉弾戦 平櫛孝/光人社文庫 昭和十九年五月にサイパンに渡った第四十三師団の師団参謀が回想するサイパン戦。

サイパンの防衛はなっちゃいなかったようで、軍司令部にも海軍にも、海岸陣地以上の思想は見られず、連携もなく、しかも首脳陣は早々と自決して指導者としての責任を放棄します。ここでも陸海軍のえらいひとたちは民間人は巻き添えにして当然という意識の元に戦闘をすすめているようで、ひたすら「国軍」という役所の事しか考えていなくて、国民(旗を振って迎えてくれた現地の民間人)を最後まで守るという常識的な国の軍隊のもつ義務を感じていた形跡はありません。そしておもしろいのが大本営の参謀サマたちで、現場の作戦をボロクソにののしり現場と電報で喧嘩するわけですが、彼らの希望の星「長勇」を、彼らの希望どおりサイパンの防衛に当たらせてみたらどうだったろうかということで、沖縄戦での彼の言動から察するに、たぶん歴史にそんなに違いはなく、今度は長勇がボロクソに言われていただろうから、これはぜひ井桁少将と「交代」させてほしかった事柄であります。

当時の現状を現代の感覚で判断するなとはよく言われますが、これは当時にしたって間違いで、過ちを繰り返してはいけないというならば、こういう姿勢は、現在の日本ではなおさら許されるべきではない。その原因と責任を反感や同情を排して追及し、教訓として生活に組み込み、間違いが再発しないようにするのが真の「反省」だと思います。

この本の著者も、サイパンを見殺しにして恥じない大本営をちくりちくりと非難していますし、して当然でしょう。

我が陸軍の師団通信システムがガダルカナルの戦訓をまったく活かしていないのには呆れます。これも当時のえらい人たちは「当時はしかたがなかった」ですましてたのでしょうけれど、仕方ないような指導しかできないで、そのつけを全部現場に押しつけるようなら、エリートの面子なんか捨ててしまうべきだと思いました。エリートとは、他人に背負えない責任を背負って、なおかつそれを果たせるからエリートなので、面子だけ突っ張って大言壮語して内輪ボメして後は投げっぱなしならオレでもできるっス。

マリアナ沖:米軍のサイパン上陸軍を陸海で挟み撃ちにしようと、連合艦隊は鎧袖一触のいきおいで出撃するのですが・・・
最後の零戦 白浜芳次郎/ソノラマ戦記文庫/学研M文庫 空母でトラックへ進出したものの、敵の潜水艦が怖くて訓練できず、このことは後日「マリアナの七面鳥撃ち」の遠因となるのですが、この海戦では最後まで潜水艦にやられっぱなしでげんなりします。まさにこちらが「漸減」させられちゃってる。総指揮官が、航空戦力というものをほとんど理解できていなかったということでしょうか。昭和の日本海軍は、日露戦争の海戦の勝利の要因が肉薄しての攻撃だったことをケロッと忘れ、アウトレンジに固執し、あぶはち取らずの結果を量産しました。とくに、司令部がえらくなればなるほどこの傾向が強かったような気がします。口では指揮官陣頭といってたけどね。

筆者は翔鶴戦闘機隊として参加しますが、敵に狙われていることを寒けで感じ取るというところがリアルです。

空母は全滅、筆者は不時着水して駆逐艦に・・・戦友から聞いた翔鶴の最後が涙を誘います。

艦爆隊長の戦訓 阿部善朗/光人社文庫 空地分離方式によって652空の飛行隊長に。彗星と九九艦爆の混成部隊です。訓練不足の部下をつれて隼鷹でマリアナ沖へ。攻撃後命からがら終戦まで孤立していたロタ島へ不時着し、著者の空戦は終わります。

小沢治三郎長官の「アウトレンジ」戦法を批判。ごもっともです。

エピソードとして古賀長官の遭難事件がはさんでありますが、捕虜になったうえに機密書類をとられたのを取られてないと言い張って、事件を隠すために栄転させられたという参謀長の話は、やっぱり日本は負ける運命の腐った組織だったのだなあと思いました。

太平洋海戦 佐藤和正/光人社
本当の潜水艦の戦い方 中村秀樹/光人社文庫 「あ」号作戦の我が潜水艦作戦を解説、講評。

「散開線」システムの欠陥から起きた「ナ」散開線の悲劇は、さらっと書いてあるけどよく考えるとやりきれない。図上のオナニーで人が無駄に死ぬのですから。

グアム:
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百年・薔薇・戦国・ナ・異教徒

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