戦記のお部屋(第十五分室) 中東、湾岸戦争、それから・・・
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第三次中東戦争:イスラエルの奇襲攻撃ではじまったこの戦争は、初日に全エジプト空軍機が地上で破壊されてしまい、六日でカタがついたといわれています。シナイ半島はイスラエルのものに・・・いい加減、仲良くさらせや!
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消耗戦争と、第四次中東戦争、その後:戦争とはいえない小競り合いのあとでのアラブ側のリベンジ。今度は奇襲される側にまわったイスラエルですが、どうやら持ち直し、逆襲し・・・このころのイスラエル軍が一番強かったのでは?
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フォークランド紛争:第一次大戦のシュペー提督最期の地、フォークランド諸島。南米の最南端、南極に近い、アルゼンチン側のいう「マルビナス諸島」は、イギリスが手放さない海外拠点のひとつですが、国内の不景気からくる不満をワールドカップでもおっぱらえなかったガルチエリ政権が、国民の目をそらすために採った手段がこの島じまを取り返すという作戦。なんで独裁組織って、統治に困ると外を攻めようとするのかな?
「鉄の女」サッチャー首相はただちに全力でアルゼンチン軍を追っ払うことを決意しました。こういった決断力は称えられるべきで、わたしはサッチャーのファンであったり。 意外と強かったアルゼンチン軍と、もっと強かったイギリス軍。
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湾岸戦争:ペルシャ湾の小国、クェートは、誤解を恐れずいえば、裕福だが緩みきっていました。一方、ハングリーなイラクのフセイン大統領はこのスキを見逃さず・・・中東の秩序に変化がでることを嫌った国々は、団結してイラクをクェートから排除することを決意。う〜〜ん、もとはといえば、スキだらけのクエートが悪いような・・・今では反省して、クエート軍は訓練を怠らず、国防費を惜しまず、精強になったそうな。日本もクエートみたいにならないよう、バランスのいい国防政策をとってほしいものです。高いだけで弾のないオモチャ武器ばっか買ってないでさ・・・恥ずかしいよ。
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