日 記

(2011年11月)


<Welcome from Fukushima - Konno>

◇ もう11月も最後の日。朝出掛けの娘のメール。夫君は当直であるが、緊急に職場に出勤せざるを得ず、早朝6時半、3人の子どもを抱えて、職場へ。夫君とバトンタッチの朝らしい。近くに住んでれば、何か手伝うことがあったかもしれないが、残念。親は大変だが、意外と子ども違った環境を楽しんでるかも。??
 奈良県の「ならコープ」から、コープふくしまへの震災支援で、移動店舗車の寄贈を受けたというので、方木田店前で発車式。奈良から理事長さんもお見えで祝辞、お世話になった仙台(みやぎ生協)からも山形(共立社)からも駆けつけてくれて祝辞をいただく。私は一介の非常勤理事だが、コープの新しい活動として意義を感じ、参列。買物弱者に、生協が手を差し伸べる活動で、成果を期待。奈良県の生協組合員さん、ありがとう。
 愛媛大学の震災ボランティアを中心に、愛媛県に避難している福島県人の一時帰省に支援の募金活動をしているが、12月23日に福島県に要望書を手渡したいということで、中心になっているゼミ卒業生の鈴木さん(准教授)から連絡あり、県の方に連絡。休日ということもあるが、災害対策本部の担当者と具体的には詰めてもらうことにした。他県での生活を支援してくれる皆さんに感謝。
 避難地域の企業へのヒアリングをお願いしていて、具体的な時間の詰めが必要と思い電話連絡。5回ほどかけたが、来客中ということでつながらず。事務対応が、多分、何時頃空くというのでかけると、また来客中。一方的な連絡事項を伝えて退散。ここの行政の窓口も、そういう感じだが、窓口に権限がないのか、外から見るとやりづらい。大学もその典型だろうが、爽快な気分にはなれない。外の目から見て、対応を検討してはどうか。招かれざる客なのかもしれないが。
 ディサービスの迎えの関係で、早めの帰宅。本日届いた稲光宏子著『被災者に寄りそう医療』(新日本出版社)を読み始める。宮城の坂総合病院を中心に、震災対応の献身的な活動に、感動。やはり土地勘なのか、読む内容がリアルである。本の副題が「震災最前線の絆」だが、改めて人の絆と自然の脅威を感ずる。
 昨日のフォーラムの名簿と「その他要望」を整理。月1回の場では、なかなか進まないので、簡単なニュースを作って、参加者、参加をよびかけようと思う。多くの団体で、震災復興の活動を展開している、各団体の活動紹介だけでも、意義は大きいかも。手作りの、マスコミの片隅にも出ない代物だが、準備した当事者が喜んでいるので、まずは成功。何でも、楽しくないとね。ああ、11月も過ぎていく。(11/30)<8432>


◇ 昨日、女川の同級生、下駄屋のミヨちゃんから、CDが送られてきた。「虹を架けよう」(Bikkis/小柴大造作詞・作曲)。車で、聞きながら、登校。「♪女川から 自転車を飛ばして 君が住む 石巻へ ♪ピーナッツバターのサンドイッチを 鞄に詰め込んだなら そこは青春の街・・・・♪」と続く。御礼の電話をしたら、ピーナッツバターのサンドイッチは、女川の大福堂のものらしい。(仙台の大学病院の近くに、店を開いているらしいが)言葉一つ一つに、思い出が込められているのだろう。私は、全く忘れたが、そうした青春の思い出を大切にしている人にとっては、津波の被害は、居たたまれないのだろう。
 午後、専門演習。最新判例の評釈を取り上げる。事実と判決内容の紹介だけとは異なり、その理論的な分析は、さすがに難しい。一流研究者の評釈なので。

 夕方は、数人でよびかけた「ふくしま復興支援フォーラム」の会合。25人定員の部屋に、30名の参加。今回は、各分野の専門家、「士」のつく方がたに、意識的に呼びかけ、様々な階層の人々で、新鮮だ。地元の専門家が集う、フォーラムとして発展させたい。毎月、コンスタントに、かつ馴れ合わないで続けよう。
 私は、途中で退席して、飯舘村の委員会に出かける。避難している村役場は、旧飯野町役場(現在、福島市飯野支所)。カーナビ頼りに、山道をスピードで。事情を話していたが、1時間遅れ。会議は、半時間ほどで終了。帰りのカーナビは、違う道。まあ、夜だから信じるしかない。フォーラムの後始末をしている世話役から、様子を聞けた。夕食をしようかと出かけたが、目当てのところは本日休業。一人で、食べて帰る(家には、夕食は要らないと言っていたので)。
 忙しかったが、若干の充実感。もう、休むとしよう。(11/29)<8412>


◇ 午前中、明日のフォーラムの呼びかけで、関連団体にお誘い。こんなに士業の団体があるとは思ってもいませんでした。それぞれ、震災復興に向けて頑張っています。福島の良心と連携を密にしたいと思っています。
 午後、南双葉関係の商工会を訪ねて、いわき市へ。約1時間半の行程です。広野町商工会、富岡町商工会、川内村商工会の関係者にお話を聞くことが出来ました。ふるさとに帰るには、事業再建が必要です。生業なくして、復帰はないでしょう。
 聞けば、中心部分が、原発関係の仕事。地域経済が、いかに原発に依存してきたかが分ります。女川は、町財政の依存度が強いが、双葉は、地域経済そのものが原発依存。独自の事業と思われる、飲食店や自動車整備工場も、原発を前提にした事業。新たな事業展開や、新たな街づくりが必要です。
 しかし、被災地外に事業を起こすには、無利子融資が3000万円だが、被災地内で再建するには500万円、被災地内で事業を起こすには融資はない。やはり、被災地内での事業復興の努力に、大きな支援が必要と痛感。その仕組みは、どうしてか、宿題をもらって帰ってきた。本当は、事業復興のために努力している皆さんと、協働の検討会があればと思っていたが、現実の業務は、損害賠償などに忙殺。何とかしないと。
 帰りは、二本松ICで降りればよかったのに、松川で降りようとして、大きな渋滞に巻き込まれる。松川PA直前で事故があり、渋滞。見通しの甘さに反省。(11/28)<8388>


◇ 日曜日午後、吉原先生(元学長)の奥様が8月に亡くなられて、先生は福島で一人住まいで頑張っているというので、奥様の偲ぶ会と吉原先生を励ます会に参加してきました。100人ほどの参加者です。何もお手伝いできなかったのですが、よびかけ人に混ぜてもらって、最後の閉会の挨拶をすることになりました。
 吉原先生は、第14代の学長、私は16代(徳川で云えば番外)。いいことは真似ができませんでしたが、事務の皆さんから抑えられた自家用車通勤は、吉原先生の先例があるということで、例外を認めてもらいました。2005年プロジェクトを出されていたので、2015年プランと張り合ったわけではないのですが、なんとか追いつこうと思ってのこと。退任後は、全県の9条の会の代表として、全県をかけめぐってこられたのですが、これも奥様の内助の功のお陰と思います。心温まる皆さんのスピーチでした。
 夜は、フォーラムに行って8時半からのレイトショー。妻が面白そうだという映画にチェックされていたなかから、深津絵里・西田敏行らの「ステキな金縛り」。コメディー、ミステリーですが、それなりきに楽しめました。帰宅は11時。
 大阪市長選は、橋下元知事の勝利に終わりましたが、戦後の民主主義的な蓄積が清算されそうで、危惧をしています。しかし、大阪の市民の選択、何をして、そのような結果になるのか、分析が必要でしょう。明日は、いわきに行って、双葉郡の南(南双)4町村の商工会の話を聞きに行ってきます。午前中、少し準備をしてから出ることにしましょう。(11/27)<8375>


◇ 睡眠不足ですが、訪問看護もあるので、大学研究室へ。
 予定していた原稿の再校も、昨夜にメールで送ったので、のんびり。
 うれしい情報もありました。双葉郡から避難してサテライト校で学んでいた高校生が、福島大学行政政策学類の推薦入学で合格。復興の仕事を希望しているという。若い人が、そして私の所属学類に志願して合格。がんばって欲しい。
 女川の魚市場の仮設管理棟の2棟めも建築。みんな前に向かって進んでいる。頑張ろう。
 震災直後に生まれた第三孫も、今日で8ヵ月。すくすく育っています。孫に負けないで復旧・復興の足取りを速めなければなりません。(11/26)<8366>


◇ 金曜日は、夜の講義。9時過ぎまでかかります。その後、来客があり、話し込んで、11時過ぎに大学を出発。この時間に帰ったことがないので、出口のバーに当たってしまいました。ETCと誤解したのか、停止線できちんと止まらないと、バーは上がりません。守衛さんにご迷惑をかけてしまいました。「あっ、前の学長さん」と云われて、赤面。12時前に帰宅。
 思い違いで、原稿の再校、25日朝の締切りでした。1時過ぎに、最小限の訂正をして、メールで発信。編集者泣かせです。年末までの2本の原稿、反省して、早めに取り掛かりましょう。妻が起きてきて、話をして、眠りに着いたのは2時頃でしょうか。(11/25)<8358>


◇ 今朝、4時頃目が覚めたが、4時半に強い地震。震度3だが、かなり強く感ずる。そのまま起きることになったので、どうも眠気が続く。
 午前中は、県庁での会議。配転で新しい職員を迎えたので、歓迎の昼食会。震災復興のための業務が多く、兼務者が多い。正常な任務分担になるには、しばらくかかる模様。無理して体を壊さないようにしてほしい。

 午後、研究室で、来週火曜日の「フォーラム」への参加をお願いして、連絡。士業と呼ばれる方々の団体(建築士・土地家屋調査士・司法書士・行政書士・弁護士・社会保険労務士等)。従来の付き合いから、少し広げて、新しい層がどれほど広がるか。
 双葉郡の産業復興の調査をしたいと思い、南双葉4町村の商工会にメールを出していたが、広野町商工会から返信あり。やり取りを経て、来週月曜日の午後に、4町村商工会の方々と一緒に会えることになった。困難な中で、どのように事業復興を企画し、住民の帰還を進めていくか、最重要な問題に接点をもつことは有難い。単に勉強するだけでなく、支援の方法についても考えてみたい。(11/24)<8339>


◇ 勤労感謝の日。特に授業のある日でもないので、解放感はない。デイサービスは、祝日は関係なく開業。出勤です。妻は、仙台の美術館のフェルメール展へ。無粋な私は研究室へ。

 双葉郡の産業復興のことを聞きたく、コラッセの県商工会連合会に寄ったら、休日休み。仕方なし。大学で、南双葉(広野・楢葉・富岡・川内)の各商工会宛てに、ヒアリングの申入れをメールで送る。あわせて「復興支援フォーラム」の紹介。
 十人ほどしか確保できていない「フォーラム」について、県町村議長会の知人に電話とメールで依頼。首長さんだけでなく、議員さんの役割も大きい。参加してくれれば有難い。大講演会を目指しているのでなく、あくまでも議論の場。

 講義の質問票に書いてくれた感想・質問への回答は、こちらが勉強になる。講義で十分に触れることが出来なかったところを補っている。前々回分は終わり、残すは前回分。

 夜7時半からのNHK総合テレビは、「嵐の明日に架ける旅」ということで、5人が全国のそれぞれ訪ねるが、大野君が女川のヒーロー「イーガー」を訪ねる。ツイッターも見ていると、関係者が次々に呟く。この前、図書館づくりでメッセージを交換した人が、自分の登場に触れていたので、拝顔することができた。すぐに返信。
 ご主人にも、紅白歌合戦に出れるといいねと冗談を言ったが、半分、期待。NHKPRのツイッターに返信で呟く。ふと思い出した。行方不明の実姉が、昨年、紅白歌合戦に一度は行って見たいと応募のはがきを出して、期待していたことを思い出した。結果的には、抽選で外れたが、思い残しているかなと。なんとか、女川の復興の起爆剤になればと夢を見ている。

 大学で逢った丹波さん。午前中は郡山の仮設で弁護士と生活相談、大学で行政関係者と打ち合わせ、そして大阪へ新幹線という。浩さんは、和歌山から東京に辿り着くというメール。いやー、みんな全国を回っている。私も、できることをしないと。(11/23)<8324>


◇ 午後からの専門演習。男5人、女6人の11人の構成ですが、直前になって、3人の男子学生から「体調不良」・「風邪気味」で欠席するとのメール。
 無断欠席は、無断欠勤と同じで、労働法上は保護が難しいとの学習成果か、一行の通告がきます。私の学生時代は、特にやむを得ない理由がない限り、予め欠席通知をするのはしなかったが。わざわざ、電話をかけることもできず、その分、携帯メールはプレッシャーは少ないですね。ただ、迷惑をかけないようにとか、携帯から私のパソコン・メールに寄越すので、携帯のように登録名が出ない。そこで、「Who are you ?」。でも欠席者が男子学生に集中していたので、何かウィルスの性格かな?
 家族の仕事の関係で、早めの帰宅(デイサービスの迎え)。
 どうもパソコンが不調なのか、特定のドメインから受け取り拒否。ツイッターに書いた覚えのない簡単なメッセージが載っている(操作ミスかな)。何か気持ちが悪い。
 フォーラムの宣伝をしてもらおうと、ある地方紙の記者にメール・電話。他の方が出られて、数日前に転職・退職とのこと。いろいろ、新たな道を歩んでいるのだろうか。(11/22)<8316>


◇ 自宅から1時間半の那須温泉に泊まって、昼頃、自宅に戻りました。静かですが、今朝は山に雪が積もったようです。
 友人に、福島県議選の状況などをメールしていたら、あちらは琵琶湖畔に宿泊しているとのこと、スケールが違います。今日は、お互い、ゆっくり休めるとの返信。意味不明だが、自分なりに理解。県議選は、投票率は下がりましたが、自治体の存在を改めて感じさせてくれました。新議員の力で、一日も早い復興へ向けて、意思統一が必要ですね。

 「女川町に図書館を」と、夢を発信していましたが、女川町の窓口の先生から、「勤労青少年センターに作ることになった女川町図書室(愛称;女川つながる図書館)の準備作業が主で、毎日大忙しです。」とのうれしいメールが着きました。そして、図書館づくりに関心の高い女川在住の方のツイート。また、首都圏の方からの「本を送りたい」とのメッセージ。是非、町民に愛される、そして町の復興を推進する図書館が出来るといいですね。バーチャルな夢見たいな話で、町の方々を混乱させているのではと懸念していましたが、思いをもち続ければ実現するのでしょうか。ブータンの国王の来日が話題になっていますが、何もなくても、心を豊かな町にしていくためには、町民が本に親しむということが、こんな時だからこそ必要だと思っています。女川の未来を作るために。

 困ったことになりました。ある村の弔慰金の審査委員に委嘱され、以前に空いている日を聞かれていたのですが、調整の過程だったので、その後の変化を考慮しなかったのですが、なんと呼びかけた「復興支援フォーラム」の日時とぶつかりました。いずれも重要な最初の会議なので、何とか両立させるために、相談することにしますが、皆さんに迷惑をかけてしまいます。反省しています。(11/21)<8288>


◇ 曇っているが静かな日曜日です。それほど寒くはありません。

 金曜日の夜の講義で、少々疲れたのか、風邪気味の土曜日。仙台の研究会は、お休みにしました。なんか2度連続の欠席、少々滅入りますが、インフルエンザの予防注射の効果が出るのは、もう少しなのでその前に風邪を引かないように。

 昨日は、夜9時、日帰りバス旅行(東京・美術館)から帰ってくる妻を迎えに駅へ。朝6時出発の強行軍です。丁度、次女がはやぶさ乗換えで、福島着。友人の結婚式場からの帰省。久し振りの帰省です。3人で、12時過ぎまでダベリング。私の風邪も治ったようです。

 今日、日曜日は、福島県議選の投票日。先週は宮城県。震災で延び延びになっていた選挙です。福島の場合は、原発避難地区は、有権者も役場も避難しているので、まさに異常な投票日です。どんな結果がでるのか、この震災・事故が、選挙にどのように反映されるのか、注目です。

 昨夜が遅かったせいで、9時過ぎの朝食。朝食前に投票をしてきました。折角だから、家族で午後から温泉にでも浸ってくるかなと思っています。熱いお湯にでも入って、頭も、ストレスも、空白にして、夢(少年の、青年の、壮年の、老人の)でも見ようかなと思っています。(11/20)<8266>


◇ 今日は、午前中、ショートステイへの送り。午後から大学へ。
 夜は、「労働と法」の講義です。結局57名の受講生で確定しました。公開授業で参加しているのは2名。
 数は少ないですが、常連です。受講していた女子学生と雑談をしていたら、私のネクタイの小さなムーミンに気がついていた模様。
 どうしてこんな小さいのを5メートル以上離れた席から見えるのか不思議。いつもオジサンたちと会議をしていても、誰も気がつかないから、あまり気にしないで身に着けていたが。
 さすが、若い人の目は強力。それにしても、講義の中身は覚えている??(11/18)<8245>


◇ 論稿の初校が来ていたのですが、読み返してみると、いろいろと不備が目立ちます。大きな変更はできませんが、今日が締切りなので、最低限の修正で返送しました。充実感はありません。少しでも前に進みましょう。

 昨日から連絡をとって「よびかけ人」にお願いしていた皆さんから、快諾の返事をいただいたので、「ふくしま復興支援フォーラム」を具体的に進めることにしました。
 宣伝が難しいので、まずは、ささやかなホームページをつくり、それをツイッターやフェースブックでリンクして紹介することにしました。何人かから反応があり、出席者も確保しています。あとは、知人へのメールと出て欲しい人に具体的に、誘うつもりです。25人ほどの会場なので、あまり集まっても困るし、集まらなくても継続に力が入りません。
 とにかく、福島の叡知を集めて、復興の道筋を作り上げていきたいと思います。
 組織・団体に頼らない個人的なゼロからの出発ですので、どうなるか。楽しみでもあります。知恵の出すチャンスの無い方々を、広く結集できたら成功です。(11/17)<8228>


◇ 今日は、午後から福島労働局関係の「労働審議会」に出る為に、研究室滞在は小時間。
 「ふくしま復興支援フォーラム」の呼びかけ文書と、よびかけ人を要請する弁護士さん2人とお医者さん1名に電話とメールの資料送付。皆さん、非常に好意的に受け入れていただき、まずは7人のよびかけ人で、第1回のフォーラムは出来そうです。皆さんのご協力に感謝しています。財源ゼロの会合ですので、会場は無料となりましたが(小さい)、宣伝は、可能であれば、メールとツイッター・フェースブック・ホームページなどを使って、節約しようと思います。 でも、新しいことをするのは、気持ちがワクワクします。

 午後からの労働審議会は、地域雇用の事業計画や今年の労働行政の方針等、盛り沢山でした。報告も、原発事故収束のための従業員の健康問題など、内容的には関心が大きい。当面の事業計画の中にも、福島の置かれた状況からの復興のための雇用とのかかわりもあり、皆さんの思いも労働・使用者・公益各委員とも、共同の意向が強かったようです。福島の置かれた特別の状況を、示しているのでしょう。
 貴重な資料なので、いま明日には返送しなければならない原稿(「東日本大震災と労働法」)の初校に加筆させてもらおうかと思っています。読んでみると出来栄えがイマイチ。管理職の後遺症(研究力低下)の脱却のためには、何度かの恥を書かないと。もう1つ、憲法学者の編集する共著の原稿〆切は、12月26日だったか、いつもスタートが遅いので苦しむので、早めに早めに(とは思うのですが・・)。

 夜の睡魔に負けて、夕食後1時間の夕寝。スッキリしました。女川の方から、女川の図書館に関するメールが携帯から来ました。町民から来るのは初めてで嬉しくなりました。早速、ホームページに掲載。「Mさんからの紹介で、今野さんが女川出身の福島在住で、我が町に図書館をと働きかけていると聞き胸が熱くなりました。沢山の人に支えられている…一人じゃないと 痛感しました。今野さんの温かな心に救われる思いです。」。過分な評価です。相手が携帯ですので、簡単にお礼もメールを差し上げ、行方不明の姉のことも一言書き添えました。
 すると、すぐに、「なんと…仕事の帰りの車中で わんわん声を出して泣きました…石巻家さんは私が高校生のバイト先でママ(栄子さん)とはその頃からのお付き合いでした…旦那さん(私の父の友人で私の弟と息子は剣道の指導をしてもらいました)は先日 病気で亡くなったと町立病院で偶然合ったK子さん(息子同士が同級生です)から伺いました。容子さんも まだ見つかっていませんよね…容子さんには 公文教室で子供2人がお世話になり、震災後流されたようだとは聞いてました…知人120人程(知っているだけで)亡くし、喪失感で立ち直れずにいて8ヶ月が過ぎやっと前を向けるようになりました… ママの弟さんと知り あの悲しみと喪失感が蘇り涙が出ました。」
 姉を知っている人の有難さと、また悲しみを大きくしたのではという済まなさがあります。ああ、これで、図書館を夢にだけには出来ないな。

 と言っていたら、いつも図書館のことで教えてもらっている草津町の中沢さんから、「図書館員や住民が会員の図書館問題研究会という会があります。この図書館問題研究会が毎月発行している雑誌「みんなの図書館」の来年3月号が震災から1年の特集を組みます。その中に、女川に図書館を作りたいという今野さんの思いを書いていただくわけにはいかないでしょうか。 」と。門外漢ですが、女川の復興、図書館の夢に火をつけてしまった責任から逃げられなくなってしまって、協力することにしました。年末2500字ですので、何とかなるかなと思いましたが・・・これは危険です。

 東大の上先生から村重直子著『さらば厚労省』とロハスメディカルや「現場からの医療改革推進協議会」のシンポジウムの報告集を送付いただきました。その中に上先生著の「佐藤章福島医大名誉教授を悼む」の文がありました。逮捕された教え子の加藤医師問題に絡んでの話ですが、偉大な先生だったと改めて感じました。県の男女協働参画の委員として、先生の話を聞く機会がありましたが、あとは娘の同期生のお父さんという情報。亡くなってから、その偉大さが理解される。上先生は、文章をこう結んでいます。「大野病院事件裁判、それをきっかけとした産科医療崩壊が、佐藤教授に多大なストレスをかけたことは想像に難くありません。もし、佐藤教授がいなければ、かつて米国が経験したように、我が国の産科医療は完全に崩壊していたことでしょう。佐藤教授の献身的な振る舞いに感謝するとともに、ご冥福を祈りたいと思います。」と。(11/16)<8208>


◇ 火曜日は、専門演習。卒業研究の第二次報告を設定。年末の最終報告に向けて、頑張っている。一応、全体を構想して、第一次、第二次と練り上げていくつもりだったが、今日は、この前やっていなかった**章部分といって、思いは伝わっていない。まあ、就職活動で苦闘しているから仕方がないかな。

 震災復興についても、なかなか議論が深まらない。やるべき課題は多いのだろうが、羅針盤なき船出のような感じ。蛇行のような感じ。何とか、知恵を持ち寄って道を見つけようと「復興支援フォーラム」(仮称)を企画しようと思う。何人かの有志を中心に、月一回くらいのペースで、会合を繰り返してみることにした。
 原発も含め、福島における復興のあり方を煮詰めたいと思う。十分な準備はないが、走りながら内容を固めていくし、運動体ではないので、広範囲な心ある人によびかけてみたい。まずは、29日の夕方にと思って、市内の会場を探したが、どこも一杯。仕方がないので、大学の施設を利用することにする。明日から、何人かのよびかけ人候補者に当たってみよう。(11/15)<8184>


◇ 月曜日。午前中といっても、午後1時頃まで自宅待機。

 今夜から冷え込み、日本海側・山側では雪の可能性も。福島の最低予想は、2〜3度だから、まだ雪はないと思うが、慌てる前にと思って、自動車整備工場に預けてあるスタッドレスタイヤに履き替え。なんとか一冬は大丈夫かなとということで、減り気味ではあるが交換。
 来年はどうするか、夏タイヤに履き替える前に、新車に替えようか。そもそも、今年と考えていたが、思わぬ震災騒ぎで忘れてしまった。マークXから、SAIへと考えていたが、どうか。ハイブリッド、レギュラー・ガソリンにしようとは思っていたが。(いまは、ハイオクで1リッター8キロ、これで震災救援が遅れた。)

 震災支援フォーラムの立ち上げの連絡、明日のゼミの資料の整理などなど、研究室滞在3時間は、あっという間に過ぎる。暗い帰路、タイヤ交換したから、雪が降っても大丈夫と気を強くしたが、降る気配はない。外気温は10度前後。
 毎年悩む(慣れない)、年末調整関係の書類を書いて、介護保険料の額の書類が見えない。ま、市役所にでも聞いてみよう。(11/14)<8159>


◇ 日曜日、塩竃の孫一家5人が遊びに来た。孫たち3人、いずれも成長が著しい。孫娘2人とケーキ屋に行って、予約していたアップルパイ2個を買ってきましたが、大人しくしていました。これでは、少々長くても、親が居なくても散歩が出来るかな。持って帰る予定の1箱は、結局、忘れて帰ってしまいましたが。
 孫たちをおいて、午後から、原発損害賠償と災害法の研究会。法学専攻の教員と弁護士さん、合わせて15人の参加です。具体的な損害賠償の可否の問題や、廃棄物処理の問題など、損害賠償問題も現実的になってきたようです。双方の協力によって、実のある研究会として発展することを期待しています。
 復興は、被災地の産業の確立。立ち上がりつつある被災地の商品を買うことが大事です。「女川復興ファンクラブ」のニュースを頂きましたが女川の通販の情報があったので、皆さんに紹介しました。紹介する事業が、さらに広がることを祈っています。福島の双葉郡でも、除染とともに産業の復興が進めたいものです。(11/13)<8137>


◇ 土曜日、定期診察の日。インフルエンザの予防注射、来月の人間ドックの確認、血液検査など、結局12時まで病院に滞在。少々、値は改善しているが、必ずしも褒められたものではない(6.1)。
 午後は、研究室で仕事。女川に元気を送る会が主催して、11月20日に東京のジャズバンドの公演を行うが、女川での宣伝がないので、どれだけ広がるか心配。東京からチラシが送られてきたので、ツイッターやフェースブックで紹介したが、どれだけ広まるか心配。
 女川に元気を送る会に対して、中学生向けの企画への協力申し出があって、内諾していたが詰められていなかったので、確認の為に女川の教育長さんに電話で問合せ。昨日は今までの町長の送別会、月曜日は新町長の歓迎会。女川も新しい町長のスタンスに最大の関心のようだ。今までの町民の努力と成果を生かして欲しいものだ。
 明日は、損害賠償の研究会。多くの弁護士さんも来るので、出ることにしている。久し振りに遊びに来る孫たちと、短時間でも遊べるかな?大きくなっただろう。孫・爺の交流に立ちはだかる原発事故・放射線は許せない。(11/12)<8125>


◇ 震災8ヵ月の11日。随分経ったような気もするし、昨日のようにも思える。心の中は、なかなか氷が張り付いた様で、溶ける気配はない。
 何とか女川の復興の手伝いとは思ってきたが、委員会が終わってみると、女川に入りつづける手がかりがない。図書館にしても、教育の問題にしても、継続的連携の1つとして特別町民制度を考えても、女川の住民との連携・協力が出来ていない。迷惑なのかもしれないと、気持ちが引ける。支援も転換点かな。町外からの支援を、うまく受け止め続けないと、復旧・復興は難しい。

 夜の講義があるので、午前中先週の質問票をタイピングして、それに私のコメントを書き込む。なかなか面白い。学生とも1対1のような感じで、冗談も交える。
 午後のコープふくしまの理事会に出席するべく、自宅を出発。今度、開始する夕食宅配サービスの試食。会議は10月度のまとめであるが、経営的には順調に、計画に沿って進んでいる。放射線の除染活動では、市民権を獲得している。
 双葉郡の再生が試金石だが、次第に段階的ではあるが、復旧の段取りが出来つつある時期だから、コープが現地をいかに支援していくか検討すべきと思うが、なかなか難しいか。私は、双葉郡全体の連携、双葉郡全体を視野に復帰の可能性と困難性を具体的にして、原発の包囲網を形成することが必要だと感じているのだが。

 夜の講義、氷雨の夜は寂しいが、出席者は真面目な学生ばかりのような感じ。学生の期待に沿える講義をしたいが、なかなか思う通りには行かないものだ。(11/11)<8113>


◇ 大学への途上、病院に寄って人間ドックの日程の相談。一泊の癌ドックですが、2日目の胃カメラは安定剤をいつも使うので、昼までに終わるかどうかを確認。その日は、県の重要な会議が午後から予定されており、眠っていて遅刻するのを怖れたため。結果は、胃カメラだけ、別の日に移して実施することにしました。明後日に定期診察に来るので、あわせてインフルエンザ予防注射の予約。

 午後から、今井教授の講義「公共政策論」での特別講師による講義を拝聴。東京大学医科学研究所の上昌広先生の講義。「現場からの医療改革」がテーマで、福島の産婦人科医の逮捕にかかわる問題の意味について、(周産期)医療の崩壊の観点からの話、そして現場からの医療改革推進協議会の活動、震災下の医療支援活動を通じての福島の医療の問題等など、広範囲の話でした。相馬市での活動や市長とのやり取りなど、話は尽きません。勉強になりました。
 震災と労働問題を追求してきましたが、生業の問題、そして医療・介護問題に焦点をおいて調査・研究をしたい気分です。お帰りの時に、たまたま教員控室で、帰りの車を待つ上先生と、暫く懇談が出来ました。相馬市長との交流、医療支援の問題、双葉郡の復興問題など、ダイナミックな話の展開でした。

 夕方の懇親会、古い割烹ですが、県内で重要な役割を演じている皆さんとの懇親。同年代ですが、そのバイタリティにはいつも驚きます。皆さん、一日も早い福島県に戻ることへの決意を強くしています。うなぎが出てきたのですが、最近、栄養過多ですので、お土産として包んでもらいました。東京からはお土産は買ってきませんでしたが、市内の割烹からのお土産。一石二鳥でしょうか。
 明日は、コープの理事会、そして夜は講義。いまから講義の準備をしましょう。(11/10)<8100>

 


◇ 午後からの東京でのシンポジウム出席するため、事前打ち合わせがあるというので10時到着を目指して7時34分発の新幹線に乗りました。東京大学安田講堂での「Design Inovation Forum 2011」の出席。工学・経営・デザインの連携によるイノベーションということですが、テーマは「震災後の期待をデザインする」。

 東京大学工学系研究科の村上存教授(「期待学の展望」)・中川聰特任教授(「期待をデザインする」)の講演に続いて、パネルディスカッション「期待をかたちにする〜震災後の社会のリデザインを洞察する〜」。北茨城市長の豊田氏、NPOカタリバ代表の今村氏についづて、10分のファーストスピーチだったが、時間配分が上手くいかず、後半は超特急。いいたいことはあまり云えなかったようだ。
 この時間では、ワンポイントに絞った方がよかったとかなと反省。それと話の流れの速さとは別のパワーポイント。いまや、パワーポイントを見て、それを解説するようになっているので、この点は初心者の経験不足。
 休憩後、TMI(スリーマイル島)原発事故の経験を有する3人のアメリカの教授の講演。全く機会のなかった安田講堂。見学できただけでもいい経験。会場で、女川出身の写真家・佐々木さんと逢いました。元気印ですね。

 東京駅で待ち合わせた女川に元気を送る会の役員との夕食。継続的な連携支援の為に、女川在住の連携の窓口が欲しい。楽しい話の後、新幹線で、帰宅は10時半頃。反省の多い日だったが、いい経験をした。(11/9)<8081>


◇ 今日は、一日、県の仕事で県庁に詰めていました。解放されたのは17時過ぎ。大切な仕事ですので、疲れたなんて云ってられません。
 切れてしまった名刺を取りに印刷屋へ。初めて、研究室の住所・電話番号がなく、自宅のもの。そろそろ来年4月以降を意識して、研究室の跡を消さなければ。ちょっと寂しいが、年よりはしがみついてはいけません。居心地がいいのでついつい。自宅で研究することに慣れていないので、居場所も作らないと。(あるいは、女川かなと妄想したが、いまは津波に流された!)

 明日のシンポジウム、女川のことをメインに考えていたが、私は福島のこと・・という役割分担が来た。あまり準備していないので、帰宅しないで、研究室へ。女川のことだと、感情が入るが、福島はあまり活動をしておらず、どうなるか。復興ビジョンを紹介するしかないかな?夜、10時半に帰宅。

 みんな寝静まっているので、こたつでFacebookを見ていたら、女川のカメラマン・鈴木さんがチャットでアクセスしてきました。「明日、東大で逢えますね・・」と。女川のことでなく、福島の話をしますと返事。それにしても準備不足で恥ずかしい。そもそも、女川出身の的場さんが持ってきた話。女川のことが話せるなら・・と安請け合いしてしまったのに、・・。主催者サポートの的場さんに始めて逢えるのも、楽しみ。10時に安田講堂に集まって打合せをして、午後の企画。夕方、午後6時に東京駅で、「女川に元気を送る会」の役員の皆さんが待っている(夕食)というので、少し早めの退席。準備は、新幹線の中で。もう休みましょう。(11/8)<8060>


◇ 今朝は県庁に寄って、明日の仕事の準備。11月に転勤となった方の後任者と挨拶。併任とのこと、大変だ。
 研究室で、9日の東京でシンポジウム、女川と福島の話をしようと思っていたが、他のパネリストが女川のことを話すので、福島を中心に話すことを要請あり。福島は大して実践がないので、女川中心と思っていたのですが、福島に住んでいるので仕方ないと思い、パワーポイントの修正。明日中に出来るかな?
 メールのトラブルは、結局、私自身が間違って、Re:の項目の入った件名を迷惑メールに設定していたことに起因。卒業生から、そのような可能性も指摘されたが、そうした設定した覚えがないので、信じがたかったのが原因。先入観が問題。みんなに迷惑をかけてしまった。赤面の至り。
 夕方、研究室で、知人と懇談。多岐にわたるが、いろいろ勉強になった。(11/7)<8035>


◇ 雨の日曜日。義弟が来る予定だが、時間が不明。メールのトラブルに、皆さんから支援を受けているが、悪戦とは云わないが苦闘。gmailの新しいアドレスを作って代替アドレスにしてみたがが、順調。ただ、私に返信したつもりの人のメールが、どうなっているのか分らないのは、気持ちが悪い。オリジナルにアドレスを入力してくれれば、問題ないが、そのまま返信されるとアウト。私が送るときにgmailの私のアドレスを同報(Cc:)にすれば、全員に返信してくれれば問題ないが。

 京都の義弟は、昨夜の京都からの高速バスで、今朝仙台に着き・見舞い、新幹線で3時前に福島到着。ショートステイ入所中の母親を見舞って、その足で、昨日組合の集会で講演した穴原温泉・吉川屋の日帰り入浴に3人で行く。久し振りの温泉は気持ちがいい。帰りに、玄関で偶然、社長さんにお逢いした。現職中いろいろ企画で一緒だったので、ご無沙汰しているお詫びをしたが、その後のどうして居られましたかと聞かれて説明したが、動静が掴めない人間になったのだと自覚。覚えていただいているだけでも有難い。
 自宅に戻り、夕食を取って、7時半過ぎの福島から京都行きの高速バスに送っていった。彼の息子も、「うちの父もタフですね」とのメールを寄越した。京都には、明朝到着。

 「女川を元気にする会」のホームページが、石巻高校の関東同窓会のなかに作られたので、私のページの役割は終わった。女川関係のことで、止むに止まれない気持ちで、アトランダムにページをつくったが、いま考えてみると、あまり口出しすぎたかなと反省。気持ちは、女川を支援したいと言う一心なので、許して欲しい。父母・兄弟姉妹を失ってしまったが、私と彼らの郷里を消滅させてはいけないとの気持ち。ある意味では、供養の類。閉鎖はしないが、すこし役割を明確にしつつ、「女川情報」としてまとめてみた。
 明日は、天気も回復するだろう。(11/6)<8017>

 


◇ 土曜日、午後からの生協労連の講演「労働組合の役割」、穴原温泉のホテルにジャストタイムで到着しましたが、部屋に行くまでに5分ほど遅れてしまいました。
 朝4時半おきで準備して、研究室で午前中準備、プリントして間に合うと思ったのですが、途中で名刺印刷を頼んでから行きました。油断大敵ですね。内容は、不十分ですが、終わるとスッキリ。もう少し、感銘を与える話をしたいものです。

 福島復興の取組みの先頭に立っている二人の友人が、Facebookで嘆き。Sさんは、「会場から私のレジュメへの質問、私の「県外避難をしている方々は流民化し、難民化する可能性もあるし、政策不在が結果的に棄民に繋がりかねない」と現状の問題点の指摘に「避難している人たちの気持ちを無視した差別的な表現である」との抗議に近い質問。なぜこのように取られてしまうのだろう。・・それにしても、こういう抗議にはやはり消耗感を抱かざるを得ない。誤解を受けないようにしなければ。」と。
 Tさんも、「今日夕方ある方から電話をもらう。(ちなみにこの方自身が問題ではない)これまで福島が横につながらないことをなんとか解消できないかと苦心してきたつもりだったが、それもあえなく水の泡となるような内容。電話をきるまでは冷静でいたつもりだったが、電話を切り考えれば考えるほど怒りがこみ上げてきた。最近は昔に比べ、寛容になったと自分でも思っていたが、今日の今日ばかりは堪忍袋の緒が切れた。こんなことでつながれないのでは、被災者・福島県民の不幸だ。ある意味これではっきりした。後は福島に向き合って淡々と仕事をしよう。人のことはどうでもいい。」
 私も、こちらが思うことが、相手にとっては迷惑そうだなあと感じると、本気なのかなと少し寂しくなる。大変だろうけど、苦しいが一緒に頑張ろうよ、と言いたくなる。一生懸命やっているほど、消耗感を感ずるだろうが、それで手が緩むのは住民にとっても不幸だ。私は、あまりやっていないのが問題だが。

 電子メールが上手くいっていない。どうも、私が出したメールへの返信の時に、到着しない。発信者に戻ってない。返信ではなく、私のアドレスを入力してくれると到着。かなり失礼しているのではと。アカウントを確認したが、原因が見つからない。コタツの上でミニノートで打っているのは限界かな。そろそろ自宅も研究室並みの情報環境にしないと・・。

 久し振りに、孫宅に行こうと思ったが、タイミングが上手く合わない。明日の日曜日は、すこしゆったりしよう。あっ、アクセスが8000人を越している。珍しく、「純米大吟醸 弥右衛門」を二人で飲む。頂いた人に感謝しながら。(11/5)<8007>


◇ 忙しい一日が終わりました。明日の午後の講演の準備がまだ出来ていませんが、眠いので早朝起きて準備することにしましょう。
 義母を病院に送迎(インフルエンザ予防注射)後、ショートスティへ。車の定期点検の費用を、銀行で下ろし、支払い。バックのモニターカメラが、点いたり消えたり。ディラーにより、一度、取り外して点検してもらうことにした。そろそろ限界かな?
 大学で出版社の編集者との打ち合わせ。共著への寄稿。12月末〆切なので、まだストンと落ちていない課題を追い続けてみよう。
 近隣自治体のFM設置の橋渡し。管掌している役所からも云われたが、自治体に方に強い要望があるのかが肝腎といわれ、以前、接触したという役場職員に電話するも、その要望がまとまっていない。執行部の思いつきか?。少し必死さがあってもいいと思うが、それが実態かも。必要があれば、可能な限り協力することにしよう。少し徒労感。
 おながわFMのO氏から連絡があり、女川町出身者の支援活動についてインタービューしたいとの申し出。「元気を送る会」の責任者に転送して繋いだ。要は、繋ぎ・繋ぎの役回り。焦りがストレスになる。あまり焦らないで「川の流れに」に任せよう。
 夜の講義、男女平等の問題に時間を掛けすぎてしまったようだ。女川町の新町長に須田氏(新人39歳)。任期途中で亡くなった元町長の次男で、県議をしていた。女川の動向にも関心。さて本当に、休むことにしよう。(11/4)<7992>


◇ 文化の日。休日でも、デイサービスは休みではありません。
 大学研究室に行って、慣れないパワーポイントを作成していました。昔は、いろいろ遊んだのですが、あまり関心がなく、結局、レジメの柱だけのシンプルなものです。まあ、それでもあった方がいいのでしょう。送信するためのパワーポイントを先行して、あとは来週の当日まで、内容を詰めることにしましょう。短時間に何を話すか、話せるかと試行錯誤しているいうちに、何か固まり始めます。パソコンを思考する為の道具といっていた学者を思い出しました。
 娘・孫一家は、女川・尾浦に、天ぷらの炊き出し。何とか迷惑をかけながらも、喜んでもらったようです。料理も教えてもらいながら。仮設の人々には、関わり続けることが重要なのでしょう。
 女川向学館(支援:カタリバ)で、冬場を控え、灯油のカンパ募集がありましたので、何か出来ないかと思っていたので、送金しました。寒さに負けず、頑張って欲しい、女川の子どもたち。カンパと打ったら「寒波」と出ました。これオジサンギャクの1つだな。明日の病院とショートスティへの送り、東京の出版社が来室、夜は授業ですが、明後日は、午後・講演。過密の週末です。(11/3)<7976>


◇ 自家用車の1年定期点検をお願いし、自動車整備工場から代車を借りて大学へ。乗り慣れない小さな車なので、ヒヤヒヤしながら運転。帰りに、取りに行ったら、7万円近くの請求。油断したので、支払は金曜日に。プラグの交換と、リヤディスクパットの脱着(後ろのブレーキが減っていたようです。)。女川を往復しているうちに、塩分が付着したのかもしれません。油断しないで、日常的に点検をしないと駄目だね。

 午後、大学の災害復興研究所の定例研究会。わざわざ遠方からの研究者、県内自治体の職員なども参加、盛況な研究会。1つは、双葉8町村住民調査の中間報告。約28,820世帯中13,563ケース(約47%)の回収。帰還の意思がないのは26.9%だが、3町では3分の1。その理由で多いのは、「除染が困難」、「国の安全レベルが心配」、「原発の収束に期待できない」。復興に向けた今後の課題としては、「双葉地方全体の復興計画づくり」、「若い世代の雇用確保などの産業振興」、「高齢者施設や医療施設の充実」が多い。双葉地方の連携のために動こうと思っているが、時間がとれない。なんとか11月中旬に実現しよう。

 第2報告は、大阪市大の除本理史(よけもとまさふみ)准教授の「福島原発賠償問題について」の報告。水俣病や大気汚染の被害実態を踏まえ、補償・救済問題の研究者。@福島原発事故と従来の公害事件〜共通性と異質性、A戦後日本の公害問題の教訓、B福島原発事故の被害構造と全面補償の課題、C補償財源をめぐって〜原賠支援機構法の問題点からなるが、特に、地域社会の受けた被害の本質は、地域の持つ諸機能が解体され、住民が、それらの間で理不尽な選択がせまられところにあるとした点に感銘。自治体存亡の危機に立たされるような事態は、戦前の足尾銅山鉱毒事件の谷中村の例を除きなかったと。この原発事故問題は、後世の歴史の中で、どう位置付けられることになるのだろうか。これからの実践にもよるが。
 2つの研究報告は、研究者が、さらに解明すべき実践的課題を提起してくれた。

 明日は、文化の日。休日だが研究室で、宿題の後始末。なかなか進まない。(11/2)<7964>


◇ 11月に入りました。霜月です。今年も、あと2ヶ月。希望の年にしたいものです。
 姪が女川に居宅介護支援事業所を、今日、開設しました。娘たちが開設祝に花を送ると言うので、共同としました。6畳一間の事務所ですが、頑張って欲しいと思います。
 今日の夕方の7時のニュース、トップに女川の写真が出てきました。土地の路線価格が80%下落とのこと。相続税の対象で、固定資産税の対象ではないようですが。他方、高台の土地は値上がり。狭い女川の中で、下落と高騰が同居。暫く、大変な状況、心が痛みます。
 今日の朝日新聞の「ニッポン 人・脈・記」に、親友の鈴木浩さんが掲載されている。福島県の復興ビジョン検討委員会の座長として、「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会」を打ち出したが、女川の復興計画策定委員会の会長としても活躍いただいた。また、同紙の「耕論 これが自民の生きる道」に、近くに迫った女川町長選挙に立候補を予定している須田氏が登場。女川も将来に向けて、歩み始めたようだ。
 金沢の知人から、金沢でのシンポでの話をとの電話がきたが、日程が重複。残念です。災害FMの問合せについて、仙台の管轄している官庁と連絡が取れ、具体的に動き出せそうですが、実現できれば避難でバラバラになっている住民との連携が強まると思いますが。
 午後の専門演習を済ませ、早めの帰宅。焦らないで、一歩一歩、前に進みましょう。(11/1)<7942>



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