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雨後江上綠, 客愁隨眼新。 桃花十里影, 搖蕩一江春。 朝風逆船波浪惡, 暮風送船無處泊。 江南雖好不如歸, 老薺遶牆人得肥。 |
江南の春
雨後 江上 の綠,
客愁 眼に隨 ひて新 たなり。
桃花 十里の影,
搖蕩 す 一江の春。
朝風 は 船に逆 ひて波浪 惡 しく,
暮風 は 船を送るも泊 る處 無し。
江南 は好 しと雖 も歸 るに如 かず,
老薺 は牆 を遶 りて 人 肥ゆるを得 。
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◎ 私感訳註:
※陳与義:南宋の詩詞人。字は去非。号して簡斎、無住。洛陽の人。また、汝州葉県の人。ともに現・河南省。1090(元祐五年)~1138年?(紹興八年?)。政和三年に進士に及第するが、靖康の変に遭って南遷する。襄漢、湖湘へと移るが、召されて兵部侍郎となり、臨安に到着し、中書舎人に掌内制を兼ねた。
※江南春:江南の春。漢民族の故地・中原を離れた中国南部での(中原への帰郷を想起させる)春。 ・江南:中国長江下流地帯の南部。梁朝・柳惲の『江南曲』に「汀洲採白蘋,落日江南春。洞庭有歸客,瀟湘逢故人。故人何不返,春花復應晩。不道新知樂,只言行路遠。」とあり、北宋・寇準に『江南春』「杳杳煙波隔千里,白蘋香散東風起。日落汀洲一望時,柔情不斷如春水。」
がある。 *なお、詞牌にこの四十八字のこの形式の填詞がないか調べたが、無いようだ。
※雨後江上緑:雨あがりの川の畔は、(望郷の念を起こさせる)緑は。 ・江上:(長江など中国南部にある)川の畔。また、川の水面。ここは、前者の意。 ・上:ほとり。場所を指す。この用例には、金・完顏亮の『呉山』「萬里車書盡混同,江南豈有別疆封。提兵百萬西湖上,立馬呉山第一峰。」や盛唐・岑參の『與高適薛據同登慈恩寺浮圖』「塔勢如湧出,孤高聳天宮。登臨出世界,磴道盤虚空。突兀壓神州,崢嶸如鬼工。四角礙白日,七層摩蒼穹。下窺指高鳥,俯聽聞驚風。連山若波濤,奔走似朝東。靑松夾馳道,宮觀何玲瓏。秋色從西來,蒼然滿關中。五陵北原上,萬古靑濛濛。淨理了可悟,勝因夙所宗。誓將挂冠去,覺道資無窮。」
や中唐・白居易の『送春』「三月三十日,春歸日復暮。惆悵問春風,明朝應不住。送春曲江上,拳拳東西顧。但見撲水花,紛紛不知數。人生似行客,兩足無停歩。日日進前程,前程幾多路。兵刃與水火,盡可違之去。唯有老到來,人間無避處。感時良爲已,獨倚池南樹。今日送春心,心如別親故。」
や中唐・張籍の『征婦怨』「九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。」
や元・楊維楨の『西湖竹枝歌』「蘇小門前花滿株,蘇公堤上女當?。南官北使須到此,江南西湖天下無。」
がある。現代でも張寒暉の『松花江上』「我的家在東北松花江上,那裡有森林煤鑛,還有那滿山遍野的大豆高粱。我的家在東北松花江上,那裡有我的同胞,還有衰老的爹娘。」
がある。 ・緑:ここでは、草木の若葉を指す。春になって草が緑色になる頃、生え揃う緑の草を見て、旅先にいる者が望郷の念を起こす、その誘因となるもの。『楚辞・招隱士』「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,
蛄鳴兮啾啾。」や王昭君の『昭君怨』(『怨詩』)「秋木萋萋,其葉萎黄。有鳥處山,集于苞桑。養育羽毛,形容生光。既得升雲,上遊曲房。離宮絶曠,身體摧藏。志念抑沈,不得頡頏。雖得委食,心有徊徨。我獨伊何,來往變常。翩翩之燕,遠集西羌。高山峨峨,河水泱泱。父兮母兮,道里悠長。嗚呼哀哉,憂心惻傷。」
や、盛唐・王維の『送別』に「山中相送罷,日暮掩柴扉。春草明年綠,王孫歸不歸。」
とあり、王維の『山居秋暝』で「空山新雨後,天氣晩來秋。明月松間照,清泉石上流。竹喧歸浣女,蓮動下漁舟。隨意春芳歇,王孫自可留。」
とある。崔顥の『黄鶴樓』「昔人已乘白雲去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡洲。日暮鄕關何處是,煙波江上使人愁。」
や、温庭
の『折楊柳』に「館娃宮外城西,遠映征帆近拂堤。繋得王孫歸意切,不關春草綠萋萋。」
、晩唐・温庭
の『菩薩蠻』に「玉樓明月長相憶。柳絲
娜春無力。門外草萋萋。送君聞馬嘶。 畫羅金翡翠。香燭消成涙。花落子規啼。綠窗殘夢迷。」
とあり、晩唐・韋荘の『淸平樂』に「春愁南陌。故國音書隔。細雨霏霏梨花白。燕拂畫簾金額。 盡日相望王孫,塵滿衣上涙痕。誰向橋邊吹笛,駐馬西望消魂。」
や、また、詩題や詞牌の『王孫歸』
『憶王孫』
『王孫遊』(南齊・謝
)「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」
としてよく使われる。
※客愁随眼新:(草の緑は)旅愁の思いで見るに随(したが)って新たなものとなっていく。 ・客愁:旅先でのわびしい思い。旅愁。盛唐・孟浩然の『宿建德江』に「移舟泊煙渚,日暮客愁新。野曠天低樹,江清月近人。」とある。 ・随眼:見るに従って、の意。見るにつれて、の意。見ればれば見るほど、の意。
※桃花十里影:桃の花の十里に亘っての姿。 ・影:姿。影。晉・陶潛の『桃花源記』に「晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。夾岸數百歩,中無雜樹。芳草鮮美,落英繽紛。漁人甚異之,復前行,欲窮其林。」とある。
※揺蕩一江春:(桃の花が)揺れ動いて、川全体が春となっている。 ・揺蕩:〔えうたう;yao2dang4○●〕揺れ動く。揺り動かす。ゆらゆらする。ゆすぶる。中唐・薛濤の『柳絮』に「二月楊花輕復微,春風搖蕩惹人衣。他家本是無情物,一向南飛又北飛。」とある。 ・一江:ひとつの川。また、満江。川いっぱい。
※朝風逆船波浪悪:朝の風は、船の進行方向とは逆の風で、(大小の)波が悪く(停滞しそうで)。 ・朝風逆船:朝の風は、船の進行方向とは逆の風で。
※暮風送船無処泊:夕方の風は、船の進行方向に順(したが)っての風で船を送るが、泊まるところが無い。(流浪と漂泊をしてしまいそうだ)。 ・暮風送船:夕方の風は、船の進行方向に順(したが)っての風で。 ・無処:…ところはない。ところとして…なし。 ・泊:(舟を)とめる。とまる。舟を一時的に停(と)める。また、そこに長時間留(とど)まって泊(と)まる。ここは、後者の意。
※江南雖好不如帰:江南の地は素晴らしいものではあるけれども、(故郷の河南へ)帰ったほうがよい。 ・雖好:素晴らしいものの、の意。よいとはいっても、の意。よいけれども、の意。 ・不如:…したほうがよい。…に及ばない。…にこしたことはない。 ・不如帰:(自宅や故郷へ)帰った方がよい。また、杜鵑(ホトトギス)の鳴き声「不如歸去 」のこと。杜鵑(ホトトギス)は、蜀王・杜宇(望帝)の魂が化してこの鳥となったという。「杜鵑」は、その鳴き声から、血を吐くような強い哀しみの声であり、また、その鳴き声は「不如歸去 bu4ru2gui1qu4」((自宅や故郷へ)帰ったほうがいいよ もう帰ろうよ)と、郷愁を誘う言葉に聞こえると云う。(日本では「テッペンカケタカ」「イッピツケイジョウ」か)。盛唐・李白の『宣城見杜鵑花』に「蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。」とあり、杜甫の『杜鵑』「我昔遊錦城,結廬錦水邊。有竹一頃餘,喬木上參天。杜鵑暮春至,哀哀叫其間。我見常再拜,重是古帝魂。」『杜鵑行』「君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。寄巣生子不自啄,群鳥至今與哺雛。」とあり、晩唐・李商隱の『錦瑟』に「錦瑟無端五十弦,一弦一柱思華年。莊生曉夢迷蝴蝶,望帝春心托杜鵑。滄海月明珠有涙,藍田日暖玉生煙。此情可待成追憶,只是當時已惘然。」
とあり、南宋・陸游の『鵲橋仙・夜聞杜鵑』に「茅檐人靜,蓬窗燈暗,春晩連江風雨。 林鶯巣燕總無聲,但月夜、常啼杜宇。 催成淸涙,驚殘孤夢,又揀深枝飛去。故山猶自不堪聽,況半世、飄然羈旅。」
に詠われている。ここは、前者の意。なおまた『漢書・禮樂志』に「古人(『淮南子』)有言:『臨淵羨魚,不如歸而結網。』」とある。 ・帰:自分の本来の居場所(自宅・故郷・故国・墓所等)にかえる。なお、作者の故郷(洛陽、汝州葉県(現・河南省))は、当時は金国の領土となっており、帰るにかえられないところ
であった。
※老薺遶牆人得肥:(北方にある故郷の春に、)(食用となる)ナズナは塀(へい)の周りに生えて、(故郷のジュンサイを食べたがった晋・張翰のように、食べた)人は(故郷の味に満足して精力が充足し、)肥える(ことだろう)。 ・老薺:薺(ナズナ)の葉の細いものを俗に老薺という。 ・薺:〔ji4〕ナズナ。食用にする。ハマビシ。ヒメビソ。ソバナ。〔qi2〕クログワイ。 ・遶:〔ぜう;rao4●〕めぐる。とりまく。かこむ。(周りをぐるぐると)回る。 ・牆:〔しゃう;qiang2○〕かき。かきね。塀(へい)。かこい。(家屋の)壁。 ・人得肥:(食べた)人は肥える(ことだろう)。 *作者陳与義は現・河南出身の北方人であるが、靖康の変で江南の臨安まで来た。その地で春を迎え、北方の金国の領土となった故郷を思い出させるものが、北方人が春を迎えて食用とした、北方の地に産するナズナである。(それは恰も、北方の地に任官した張翰が、故郷の南方の呉中の菰菜と蓴羹を懐かしがったことと好一対である)。また、ナズナを懐かしがるのみならず、それが生えている北方の故地は、既に金国の領土となっており、その喪われた地・中原の地を恢復する思いをも詠われている。『晋書・文苑・張翰』に「張翰は秋風が吹き出したのに逢って、故郷の呉中の菰菜と蓴羹と鱸魚の膾とを思い出して食べたいと思い、『人生は思いに従った生き方を尊ぶべきで、どうして故郷を数千里も離れたところで高官に就くべきだろうか』と言って、駕に乗って故郷に帰っていった。」(『晋書・文苑・張翰』「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羹、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」)。ただ、この部分だけを引用すると、張翰は隠棲を願う脱俗の士のように見えるが、そうではない。同書では引き続いて、「この後すぐに、主君は敗れた。人々は、張翰のことを機を見るに敏な人で、上手に身を引いた人だと思った」(「俄而冏敗,人皆謂之見機。」)と述べている「菰菜、蓴羮、鱸魚膾」での鱸魚(すずき)の膾(なます)をいう。菰菜(まこも)、蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)とともに張翰の辞職の口実となった故郷の味。北宋・范仲淹の『江上漁者』に「江上往來人,但愛鱸魚美。君看一葉舟,出沒風波裏。」とあり、南宋・辛棄疾の『水龍吟・登建康賞心亭』に「楚天千里淸秋,水隨天去秋無際。遙岑遠目,獻愁供恨,玉簪螺髻。落日樓頭,斷鴻聲裏,江南游子。把呉鉤看了,欄干拍遍,無人會,登臨意。 休説鱸魚堪膾,儘西風、季鷹歸未。求田問舎,怕應羞見,劉郞才氣。可惜流年,憂愁風雨,樹猶如此。倩何人、喚取紅巾翠袖,揾英雄涙。」
とある。
◎ 構成について
2014.12.17 12.18 12.19 12.20 12.21 12.22 12.23完 12.26補(薺) 2015. 1.19 |