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漢江 | |
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唐・杜牧 |
溶溶漾漾白鷗飛,
綠淨春深好染衣。
南去北來人自老,
夕陽長送釣船歸。
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漢江
溶溶 漾漾 として白鷗 飛び,
綠淨 く 春 深くして衣 を染 むるに好 し。
南去 北來 人自 づから老 ゆ,
夕陽 長く送る釣船 の歸るを。
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◎ 私感註釈
※杜牧:晩唐の詩人。803年(貞元十九年)~852年(大中六年)。字は牧之。京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。李商隠と共に味わい深い詩風で、歴史や風雅を詠ったことで有名である。
※漢江:〔かんかう;Han4jiang1●○〕漢水のこと。長江の支流。陝西省の秦嶺山脈に源を発し、陝西省南部を東に流れて湖北省襄陽、沔陽を経て、漢口(≒武漢)で長江に注ぐ。長さ1532キロメートルの大河。 *この『漢江』詩は朗誦された時の美しさを強く意識した、滑らかな詩である。
※溶溶漾漾白鴎飛:(波は)ゆらゆらと揺れて、白いカモは飛び。 ・溶漾:〔ようやう;rong2yang4◎●〕波のゆらゆらするさま。形容詞の重ね型(=AABB型)の表現では「溶溶漾漾」となり、この状態形容詞では、強調されて具体性を帯びた生き生きとした描写に使われ、リズミカルな表現となる。 ・溶溶漾漾:ゆらゆらと。 ・鴎:〔おう;ou1○〕カモメ。白い水鳥。拘束されずに自由に飛び交う水鳥の意として盛唐・杜甫の『江村』に「淸江一曲抱村流,長夏江村事事幽。自去自來梁上燕,相親相近水中鴎。老妻畫紙爲棊局,稚子敲針作釣鈎。多病所須唯藥物,微躯此外更何求。」とある。『列子・黄帝篇』に「海辺の人で、カモメがすきな者がいて、毎朝海辺へ行って、カモメと遊んでいた。集まってくるカモメの数は百に止まらなかった。そこで、その者の父親が、『わたしは、カモメがお前に付き随って遊んでいるという噂を聞いているが、お前、そのカモメを取ってこい。わたしがあそんでやろう』と言った。そこで、息子は翌朝海辺へ行って(言われたとおりに捕まえようとしたが)カモメは降りては来なかった。」『列子・黄帝篇』「海上之人有好鴎鳥者,毎旦之海上,從鴎鳥游。鴎鳥之至者,百住而不止。其父曰:『吾聞鴎鳥皆從汝游,汝取來,吾玩之。』明日之海上,鴎鳥舞而不下也。」とある。以下の例は池等を詠ったものに出てくる「鴎」。東晋・陶潛の『 遊斜川』に「開歳倏五日,吾生行歸休。念之動中懷,及辰爲茲游。氣和天惟澄,班坐依遠流。弱湍馳文魴(オシキウオ。トガリヒラウオ。淡水魚) ,閒谷(谷間)矯鳴鴎。迥澤散游目,緬然睇曾丘。雖微九重秀,顧瞻無匹儔。提壺接賓侶,引滿更獻酬。未知從今去,當復如此不。中觴縱遙情,忘彼千載憂。且極今朝樂,明日非所求。」
とあり、両宋・李清照の『如夢令』「嘗記溪亭日暮,沈醉不知歸路。興盡晩回舟,誤入藕花(ハスの花)深處。爭渡,爭渡,驚起一灘鴎鷺。」
や、同・李清照『雙調憶王孫』「湖上風來波浩渺,秋已暮、紅稀香少。水光山色與人親,説不盡、無窮好。 蓮子(スイレンの実)已成荷葉(ハスの葉)老,淸露洗、蘋花(うきくさ)汀草。眠沙鴎鷺不回頭,似也恨、人歸早。」
等がある。
※緑浄春深好染衣:(岸辺の)緑は清らかで、春は(色濃く)深まっており、衣(ころも)を染めるのに、ちょうどよい。 *「緑浄春深好染衣」の句の「緑浄春深」の部分は【主語・述語+主語・述語】(=「主語(緑)・述語(浄)+主語(春)・述語(深)」)となっており、それが後半に対しての主部となっている。 ・浄:きよらかである。 ・好:…にいい。…て(も)いい。動詞の前に置いて【「好」+動詞】として、「…してよい」の意。その動作がし易い。結果が満足であることを示す。
※南去北来人自老:南へ行ったり、北へ来たりとあちこちに行き交う中に、わたしはいつの間にか年老いてしまった。 ・南去北来:あちこちに行き交う。あちこち。いろいろ。「南-北-」「南へ…たり、北へ…たりする。」意の互文表現。=「東来西往」「東-西-」。*互文による表現は、一方で述べたことは他方で省き、双方であい補うようにした表現法。互文表現では「あたかも…の如く」といった形容の表現に多く使われる。この「水綠山明」「S1+V1,S2+V2」という互文の互文表現を止めて、「水山綠明」や「山水明綠」とすれば、事実を述べることになる。方向詞、対義語、反義語からできている主語+述語構造のとき、その形容のための表現として、互文表現がされる。盛唐・杜甫の『詠懷古跡五首』之三に「羣山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。一去紫臺連朔漠,獨留靑塚向黄昏。畫圖省識春風面,環珮空歸月下魂。千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。」とあり、北宋・蘇軾の『鷓鴣天』に「林斷山明竹隱牆,亂蝉衰草小池塘。翻空白鳥時時見,照水紅蕖細細香。 村舍外,古城旁,杖藜徐歩轉斜陽。殷勤昨夜三更雨,又得浮生一日涼。」とあり、南宋・岳飛の『池洲翠微亭』に「經年塵土滿征衣,特特尋芳上翠微。好水好山看不足,馬蹄催趁月明歸。」
とあり、南宋・陸游の『遊山西村』に「莫笑農家臘酒渾,豐年留客足鷄豚。山重水複疑無路,柳暗花明又一村。簫鼓追隨春社近,衣冠簡朴古風存。從今若許閒乘月,拄杖無時夜叩門。」
とあり、我が国の明治初期・雲井龍雄の『釋大俊發憤時事慨然有濟度之志將歸省其親於尾州賦之以贈焉』に「生當雄圖蓋四海,死當芳聲傳千祀。非有功名遠超群,豈足喚爲眞男子。俊師膽大而氣豪,憤世夙入祇林逃。雖有津梁無處布,難奈天下之滔滔。惜君奇才抑塞不得逞,枉方其袍圓其頂。底事衣鉢僅潔身,不爲鹽梅調大鼎。天下之溺援可收,人生豈無得志秋。或至虎呑狼食王土割裂,八州之草任君馬蹄踐蹂。君今去向東海道,到處山河感多少。古城殘壘趙耶韓,勝敗有跡猶可討。參之水駿之山,英雄起處地形好。知君至此氣慨然,當悟大丈夫不可空老。」
とあり、明治・夏目漱石の『無題』に「眞蹤寂莫杳難尋,欲抱虚懷歩古今。碧水碧山何有我,蓋天蓋地是無心。依稀暮色月離草,錯落秋聲風在林。眼耳雙忘身亦失,空中獨唱白雲吟。」
とあり、清・李方膺の『題畫梅』に「梅花此日未生芽,旋轉乾坤屬畫家。筆底春風揮不盡,東塗西抹總開花。」
とあり、明治・竹添井井の『灞橋』に「水綠山明閲幾朝,古陵寂寞草蕭蕭。多情祇有風前柳,飛絮隨人過灞橋。
清末・秋瑾の『致徐小淑絶命詞』に「痛同胞之醉夢猶昏,悲祖國之陸沈誰挽。日暮窮途,徒下新亭之涙;殘山剩水,誰招志士之魂?不須三尺孤墳,中國已無乾淨土;好持一杯魯酒,他年共唱擺崙歌。雖死猶生,犧牲盡我責任;即此永別,風潮取彼頭顱。」
とある。現代では、毛沢東の『長征』に「紅軍不怕遠征難,萬水千山只等閒。」
とある。 ・人:ひと。ここでは作者自身を謂う。
※夕陽長送釣船帰:夕日が、釣舟の帰るのをずっと見送っている。 ・送:見送る。詩句中で「照」を使わずに、「送」(「送…歸」)としたのは擬人法。 ・釣船:魚を釣る舟。 ・帰:本来居るべきところ(自宅・故郷・母国・墓所)にもどる。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「飛衣歸」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●●○○●●,
●○○●●○○。(韻)
2014. 3. 4 3. 5完 2021.12.5補 |
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