セシューズ・ハイ 議員探偵・漆原翔太郎
[紹介]
急逝した父・漆原善壱の後継者として担ぎ出され、補欠選挙で当選した二世議員・漆原翔太郎。だが、偉大な政治家だった善壱に対して、政治家としては軽はずみな言動が相次ぐ翔太郎に、善壱の代から仕える公設第一秘書の雲井進は頭を抱えるばかり。そんな二人が、なぜか次々と謎に遭遇することになって……。
- 「第一話 公園」
- 市民公園をつぶしてマンションを建築するという、大物政治家の計画を止めてほしいと、公園を管理するNPO法人の代表が陳情に訪れる。支持率を上げる好機とみた雲井は、乗り気でない翔太郎を何とか説得し、大物政治家を訪ねることになったが……。
- 「第二話 勲章」
- 地元の有力な支援者が、かつて短期間ながら子供たちのために移動図書館を運営していたという理由で、叙勲を希望する。雲井の尽力で一旦は内定にこぎつけたものの、ある官僚の一声で取り消されてしまう。頭を抱える雲井をよそに、翔太郎は……。
- 「第三話 選挙」
- 内閣支持率の低下を受けて総理は衆議院を解散、選挙戦が始まったが、翔太郎の旗色はよくない。そんな中、選挙事務所に対立候補が送り込んだスパイがいるとの情報がもたらされ、実際に盗聴器が発見される。それを仕掛けたスパイは誰なのか……?
- 「第四話 取材」
- 当選した翔太郎だったが、所属政党は大敗して野党に転落することに。そんな翔太郎が取材を受けて、新総理の所信表明演説についてコメントした動画がアップされ、意外に無難な内容に雲井は胸をなでおろす。ところが、その動画にある疑惑が……。
- 「第五話 辞職」
- 地元・Z県の知事選で、善壱の代からの秘書・宇治家が推す人物が当選した。その就任式に勝手に出席するためZ県に向かった翔太郎。慌てて後を追う雲井の脳裏には、翔太郎が知事選絡みの不正を告発しようとするのではないかという危惧が……。
[感想]
第13回本格ミステリ大賞の候補作となった(*1)『葬式組曲』に続く天祢涼の新作は、雑誌「メフィスト」に掲載された「議員探偵・漆原翔太朗」をもとにした「第一話 公園」に書き下ろしの四話を加えた連作短編集で、副題のとおり国会議員が探偵役となった異色のミステリです。国会議員を探偵役とした作品は本書以前にもあります(*2)が、本書で扱われるのは普通の事件ではなく政治活動の中での不可解な謎で、『葬式組曲』と同様に“〈業界〉日常の謎”(*3)とでもいうべきものに仕上がっています。
物語は翔太郎の秘書・雲井を語り手として進んでいきますが、その雲井が単なる“ワトスン役”ではないのがユニーク。まず、各篇で雲井自身も推理をして独自の結論に到達する形になっており、各篇が(おおむね)“二重解決”の構図といえます。加えて、翔太郎が示した〈真相〉をもとに“それがどのような推理で導き出されたか”を推理する雲井は、推理の筋道を語ろうとしない翔太郎に代わって(読者に対して)探偵の推理の解説――ただしそれが“正解”なのかどうかは藪の中――の役割をも担っているわけで、本書に不可欠な“もう一人の探偵役”といえるでしょう。
まず第一話の「公園」では、半ば顔見せ的なところもあるエピソードで、政治家に付き物ともいえる陳情から始まります。何が“謎”になるのかぼんやりとしたまま、どことなくゆるいやり取りを追いかけていくと、いきなり思わぬところで足元をすくわれるのが魅力。
次の「勲章」では、支援者への叙勲をめぐる官僚との対決……かと思いきや、雲井の推理をきっかけに思わぬ方向へ転がっていくのが面白いところ。そして、翔太郎による解決が単なる真相の解明にとどまらず、“どのような形で事態に収拾をつけるか”をも視野に入れた(ように見える)ものになっているところが目を引きます。
続く「選挙」では、いよいよ政治家にとっての大舞台(?)である選挙戦に突入する中、スパイ探し――オーソドックスなミステリに近い形のフーダニットが展開されます。犯人を特定する手順と手がかりの配置がよくできていますが、これまた翔太郎による“謎解き+収拾”の解決が秀逸です。
第四話の「取材」はやや趣が違って、翔太郎その人に降りかかった疑惑が主題となっています。“〈推理〉する雲井/〈真相〉を示す翔太郎”という図式は大筋で維持されながらも、翔太郎自身が当事者であるがゆえにその中身が変容しているのが、注目すべきところでしょう。
そしてそれを受けた「辞職」では、最終話にふさわしく(?)翔太郎がとんでもない騒動を引き起こすことに。その中で、雲井の危惧――〈推理〉を、翔太郎がどのように超えてくるのかが見どころとなるわけですが、物語のあちらこちらに巧みに配された伏線の数々を生かして、思いのほか大きな〈真相〉をなかなか意外な形で裏付けていく解決は圧巻で、作者の手腕が光ります。
大群衆を前にしての堂々とした解決には、さすがは政治家と思わせるところがあります(*4)が、翔太郎が単純にヒーローとして描かれるのではなく、雲井らの口を借りて翔太郎の政治家としての危うさ――探偵の追求すべき“正義”と政治家のそれとの差異――が指摘されているあたり、作者のバランス感覚のようなものがうかがえて好印象。政治という題材をユーモラスな雰囲気に包んで親しみやすい形で描いてみせた、“政治本格ミステリ”の快作といっていいでしょう。おすすめです。
*2: 例えば霞流一『オクトパスキラー8号』・『ウサギの乱』など。
*3: あくまでも個人的な分類(?)ですが、事件性の薄い謎が扱われるという点でいわゆる“日常の謎”風ではあるものの、(あまり一般的でない)特定の〈業界〉の日常をその基盤としたものです。
*4: 後に政治家となるベンジャミン・フランクリンを探偵役とした、シオドア・マシスン『悪魔とベン・フランクリン』を思い起こさせるものがあります。
2013.03.05読了 [天祢 涼]
【関連】 『都知事探偵・漆原翔太郎』
跡形なく沈む Sunk without Trace
[紹介]
父を知らずに育ったルース・ケラウェイは、母の死後、スコットランドの小都市シルブリッジに渡り、父親への復讐のための周到な計画に着手する。一方、人生を立て直すために故郷シルブリッジの役所に勤めるも、同棲相手との荒んだ生活に憔悴するケン・ローレンスは、同じ職場で働くことになったルースに興味を惹かれるが、彼女が見知らぬ父親を探しながらも、同時に数年前の選挙での不正を探っていることを知る。やがてルースの行動は町の人々の不安を煽り、ついに殺人事件が発生する。元婚約者で同僚のジュディとともに、事件に巻き込まれたケンは……。
[感想]
本書はD.M.ディヴァインの生前に発表された最後の作品(*1)で、謎解きという点では若干物足りない部分もないではないものの、ディヴァインの持ち味が存分に発揮された作品であることは間違いなく、傑作とまではいえないにしても、十分に楽しめる作品といっていいでしょう。
まず「プロローグ」、主役の一人であるルース・ケラウェイが、亡くなった母が隠してきた秘密をもとに“ある計画”を練るところから、物語は始まります。母親との長年にわたる反目、そして見知らぬ父親への復讐心と、不穏な空気に満ちた幕開けが、波乱に満ちた展開を予感させるのが見事。かくして、ルースが父親の住む小都市シルブリッジに持ち込む危険な“火種”が、物語を大きく動かしていきます。
主な舞台となるシルブリッジでは、それぞれにくせのある人々が、狭い範囲で入り組んだ人間関係を構築しており、挫折からの再起をなかなか果たせずにいるケン・ローレンスの視点で主に進んでいくこともあって、そこはかとなく息苦しい雰囲気に包まれている感があります。そこへやってきたルースの行動は、シルブリッジの人々の間に少しずつ波紋を広げていき、ついには殺人事件が起きるわけですが……。
事件は今ひとつはっきりしない様相を呈し、捜査もなかなか進展を見せないまま、疑心暗鬼が渦巻く状態。ディヴァインの作品ではしばしば、事件そのものの捜査/謎解きもさることながら、発生した事件が関係者に与える影響を描くことに重点が置かれているように思いますが、本書では特にそれが顕著で(*2)、人々の恋愛関係や家族関係といった人間模様はもちろんのこと、ルースが火をつけた不正疑惑もあって、町の政治にまで余波が及んでいくのが見どころです。
中盤以降、事件の捜査と不正疑惑の調査、さらにそれらによって大きく動かされる人間関係や政治状況と、“何が起こったのか”とともに(あるいはそれ以上に)色々なことが“どうなっていくのか”が重視された巧みなプロット、さらにその中で真相に迫っていく探偵役コンビが放つ不思議な(?)魅力に、引き込まれずにはいられません。そして突然訪れるクライマックスから、ついに犯人が明らかになり、事件が印象に残る決着を迎える場面は圧巻。その後の見事な「エピローグ」も含めて、個人的には大いに満足です。
*2: その反面、殺された被害者の扱いが相対的に“軽く”感じられてしまうきらいが、なきにしもあらず。
2013.03.16読了 [D.M.ディヴァイン]
人形パズル Puzzle for Puppets
[紹介]
時勢ゆえに戦争に駆り出され、海軍中尉となったピーター・ダルース。ようやく取れた休暇を愛妻アイリスと一緒に過ごそうと、サンフランシスコまでやってきたが、慣れない土地でようやく宿が見つかったのも束の間、ピーターが大事な軍服を盗まれる羽目に。さらに、当地在住のアイリスの従姉ユーラリアを訪ねてみると、何者かに殺害されていた上に、ピーターを犯人に擬する工作が。短い休暇を警察の取調べで終わらせるわけにはいかないと、折りよく出会った気のいい私立探偵コンビ、ハッチとビルの助力を得ながら、人目を忍んで真犯人を探すピーターとアイリスだったが、さらに別の人物の身に危険が迫り……。
[感想]
『迷走パズル』・『俳優パズル』に続く〈パズル・シリーズ〉の第三作で、『呪われた週末』の題名で「別冊宝石65号」(1957年)に掲載された作品の新訳・初単行本化。これでめでたく〈パズル・シリーズ〉の全作(*1)が比較的入手しやすい状態となったわけで、興味がおありの方はあまり予備知識を仕入れずに第一作から順番にお読みになることをおすすめします。
さて物語は、新婚にもかかわらず戦争のあおりを食って離れ離れとなったダルース夫妻が、ようやくの休暇を二人で過ごそうとしたところで事件に巻き込まれるというもので、ピーターとしては相変わらずの踏んだり蹴ったり。もっとも、前二作とは違って本書でのダルース夫妻は、本来であれば事件とはまったく無関係だったはずの部外者であって、完全に巻き込まれ型サスペンスの様相を呈しているのが目を引くところ。とりわけ、誰が関係者なのかすらほとんどわからない状態で事態が進行していくあたりが、これまでの二作とはだいぶ趣を異にしています。
つまるところ、軍服の盗難やユーラリア殺害といった一連の事件を束ねる背景――全体として何が起きているのかがなかなか見えてこないのが本書の眼目で、その意味ではまず“ホワットダニット”に重点が置かれているといってもいいかもしれません。ダルース夫妻は、事件の背景となる事情がさっぱりわからないまま、いわば上位のレベルで全体像を見通す犯人に対して後手後手に回る状態で、原題の『Puzzle for Puppets』で示されている(*2)ように、まさに犯人の“操り人形”として思うがままに翻弄されている感があります。
その中でダルース夫妻は、ハッチとビルの私立探偵コンビの力も借りながら、事件の鍵を握ると目される怪人物“ひげの男”がすっかり酩酊した状態で残した、“白い薔薇と赤い薔薇”
や“象は忘れない”
といった暗号めいた言葉を手がかりに、犯人の尻尾を追いかけていくことになります。この“ひげの男”のトリックスターぶりも本書の見どころの一つではありますが(苦笑)、物語が進むにつれて、それら謎の言葉の意味するところが少しずつ明らかになり、事件の全容がおぼろげに見えてくるのがやはり面白いところです。
やがて終盤、ついに相まみえた犯人をダルース夫妻らが追い詰める、迫力十分の追跡劇は圧巻。そしてそこから先、事件の背後に横たわっていた過去の出来事の詳細がようやく明らかになる箇所は……ピーターの視点による叙述ではなく、あるテキストの引用という体裁を取っていることもあって、本書の中でやや浮いてしまっている印象もあります(*3)が、私見ではこれはやむを得ないというか、この形がベストかと。とまれ、全体としてなかなかよくできた作品だと思いますし、とある“粋な計らい”も含めて後味のいい結末が魅力的です。
2013.03.23読了 [パトリック・クェンティン]
【関連】 『迷走パズル』 『俳優パズル』 『悪女パズル』 『悪魔パズル』 『巡礼者パズル』 『死への疾走』 『女郎蜘蛛』
美人薄命
[紹介]
大学生の礒田総司は、福祉をテーマにしたレポートを書くために、一人暮らしの老人向けの弁当宅配サービスのボランティアに参加することになった。当初はあまりやる気がなかったものの、そこで再会したあこがれの元同級生を目当てに何とかボランティアを続けていくうちに、総司は配達先で出会った一人の老婆――片目の視力を失い、孤独でつましい生活を送りながらも明るさを失わない内海カエに、親しみを覚えるようになる。そんなカエがふと語ったのは、出征を見送った許婚を戦争で失い、そこから苦労を重ねた悲しい過去。思わず胸を打たれた総司だったが……。
[感想]
深水黎一郎の長編としては久々に感じられる新作は、『ジークフリートの剣』の冒頭に登場した不思議な老婆・内海カエに焦点を当てたスピンオフ的な作品(*1)で、『ジークフリートの剣』と同様に“一般小説に擬態させたミステリ”となっています。物語の主役が老婆ということで(?)、老婆にちなんだ“オヤジギャグ”が章題として目次に並んでいるのはご愛嬌ですが、そこは一筋縄ではいかない作者のこと、企みに満ちた作品に仕上がっているのはいうまでもありません。
旧仮名遣いで記されたカエの回想を時おり挟みながら、物語は大学生・礒田総司の視点で進んでいきます。ボランティア、ひいては老人福祉という社会派的な題材を扱った作品ではありますが、あまり乗り気ではなかった総司自身の姿勢(*2)やその人柄のせいもあって、過度にシリアスな雰囲気を帯びることなく、あまり肩肘張らずに読むことができます。そしてもちろん、総司とカエの間で交わされる愉快なやり取りが、いい感じに力の抜けた味わいをもたらしているのが魅力です。
『ジークフリートの剣』と同様に、“謎”はその気配すら見せることなく、いわば(ボランティア業界の)“日常のドラマ”(*3)が描かれていきますが、その中で登場人物たちの“もう一つの顔”――というのは少々大げさかもしれませんが、総司がとらえた第一印象とは異なる一面が次々と現れることで、物語に厚みが加わっている感があります。主役のカエもまた例外ではなく、読者にはあらかじめ示されている、しかし普段の明るい様子からはうかがい知れない過去を総司に語る場面は、本書のクライマックスの一つといえるでしょう。
カエの悲哀に満ちた過去に圧倒される総司ですが、さらに物語は終盤にきて急展開を始め、総司は予期せぬ事態に翻弄されることになります。と同時に、いよいよ本書の“ミステリとしての顔”があらわになるわけですが、まず明らかにされる驚愕の事実それ自体が、そのまま大きな“謎”――“なぜ?”――となって総司(と読者)の前に立ちはだかってくる趣向が秀逸。そしてそこで解き明かされる真相――複雑で微妙な心理の綾が一つ一つ解きほぐされていく様には、胸を打たれずにはいられません。
探偵役による謎解きが終わった後、結末に至る流れもまた実に見事で、鮮やかな幕切れとともに一連の出来事を経た総司の“成長”した姿が強く心に残ります。社会的なテーマや恋愛など様々な要素が盛り込まれた一般小説に擬態しつつ、巧みな融合を果たしたといっても過言ではない、傑作です。
*2: とはいえ、わが身を振り返ると頭が下がりますが……。
*3: taipeimonochromeさんいわく、
“NHKの朝ドラでもイケるんじゃない?”(「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音楽 » Blog Archive » 美人薄命 / 深水 黎一郎」より)とも(苦笑)。
2013.03.27読了 [深水黎一郎]
見晴らしのいい密室
[紹介と感想]
2003年に刊行されたSF短編集『目を擦る女』の収録作から、「脳喰い」・「空からの風が止む時」・「刻印」の三篇を割愛し、代わりに「探偵助手」・「忘却の侵略」・「囚人の両刀論法」の三篇を新たに収録して再構成した作品集です。
完全な新作ではなく半分以上が再録という点や、先に創元推理文庫で刊行された『大きな森の小さな密室』(*1)に擬態させたような題名とカバーデザイン(*2)など、全体的にあざとさを感じさせる作りはいかがなものかと思います。が、主にSF/ホラー寄りのバラエティに富んだ作品が収録されている本書と、(一応は)ミステリに特化した『大きな森の小さな密室』とを併せて読むことで、小林泰三の“全貌”をとらえやすくなるのは確かかもしれません。
酒井貞道氏の秀逸な解説(*3)でも強調されているように、いずれの作品でも(ミステリ的なものばかりではないにせよ)作者らしいロジックが前面に出されており、SFファンのみならず(本格)ミステリファンにも楽しめるところがあるのではないでしょうか。
- 「見晴らしのいい密室」
- 超絶的な推理能力を誇る超限探偵Σ。合理的な解決が存在しないかのような難事件にのみ興味を示す彼は、今日もまた、不可能としか思えない事件を論理的に解き明かしてしまう。核シェルターに独りこもった男が胴体をねじ切られた事件に、柩に入って埋められた男が数十箇所を刺された事件――二つの不可能犯罪に対して、Σが導き出した驚くべき真相は……?
- 『目を擦る女』に収録されていた「超限探偵Σ」を改題したもの。“超限探偵Σ”が二つの密室殺人の謎を解き明かす……のですが、その真相は脱力もの。とはいえ、この作品の見どころは真相(オチ)そのものよりも、そこに至るまでのロジカルかつ奇天烈な推理にあるというべきでしょう(*4)。
- 「目を擦る女」
- 引越しの挨拶をしようと隣室を訪ねた操子だったが、そこに住んでいた女性・八美は何とも異様な人物だった。見るからに怪しげな言動を繰り返しながら、その間頻繁に目を擦り続ける八美は、自分が楽しい夢を見ながら眠っているのだといい、目を覚ますことを異常に恐れていた。目覚めかけた時に八美が目にしているらしい、“現の世界”の恐るべき姿とは……。
- ホラー色の強い作品で、まずは“目を擦る女”の怪しい言動が直接的に不気味。しかしその語る内容には奇妙に首尾一貫したものがあり、主人公が知らず知らずのうちに“説得”されて話を受け入れていくのが恐ろしいところ。淡々と、かつねちっこく続く狂気じみた描写の果てに、待ち受けている混沌が秀逸。
- 「探偵助手」
- 有名な探偵の事務所に訪ねてきた依頼人は、若く美しい未亡人だった。彼女は、資産家の夫が心臓発作を起こした際に、故意に心臓病の薬を隠して殺害したのではないかと疑われているという。探偵は早速、助手の文子とともに現場の屋敷を訪れて事件の調査を始める。しかし文子には、探偵にも秘密にしている能力――人の心を読む能力があって……。
- 比較的シンプルなネタのミステリで、事件の真相を見抜くのはさほど難しくないかもしれませんが、語り手をつとめる探偵助手に関する設定が、“助手の方が探偵より多くの情報を手にする”状況を作り出しているのが興味深いところです。そして、QRコードに絵柄を入れたQR-JAM(→「QR-JAMとは?」を参照)を用いた“語り”も面白いものになっています。
- 「忘却の侵略」
- ある日を境に爆発的に増えた事件。目撃者もいないまま、事故や通り魔で片付けられていたが、見えない侵略者が次々と人類を襲い始めたのではないかと考えていた“僕”は、片思いの相手・裕子とともに侵略者に襲われてしまい、辛くも難を逃れる。そこで侵略者の秘密の一端をつかんだ“僕”は、その正体を突き止めようと、単身で敵に立ち向かい……。
- 冒頭から展開されるおかしな会話にニヤリとさせられ、いきなり侵略ものに転じてからも妙にロジカルな“僕”の態度に少々調子が狂いますが、侵略者との対決にあたっての、一見すると意味不明なところのある奇妙な戦略が非常に秀逸。その狙いが明かされてみると、侵略者の特殊な性質をもとに論理的に組み立てられた戦略となっているのに脱帽です。
- 「未公開実験」
- 二十年ほど疎遠になっていた私たち三人の旧友を呼び出した丸鋸遁吉は、突然の爆発音とともに現れた。宇宙服のような“時間服”身に着けた丸鋸は、独自の理論に基づいた開発した“ターイムマスィ――ン”(筆者はポーズをとった)の実験を一同に見せるという。すでに歴史の改変にも成功したにもかかわらず、誰もそれに気づいてくれないという丸鋸は……。
- 骨格は典型的なマッドサイエンティストもので、“ターイムマスィ――ン”(筆者は再びポーズをとった)という愉快なネーミングをはじめ、主役のマッドぶりを際立たせる演出が楽しい作品。その理論をめぐる丁々発止のディスカッションも愉快ですが、それを推し進めて導き出される結論/結末はなかなか強烈です。
- 「囚人の両刀論法」
- 地球から遠く離れたアケルナル系にたどり着いたイデアルは、そこで出会ったアケルナル系人の社会に魅了される。アケルナル系人は、イデアルが信奉する理想――“囚人の両刀理論{ジレンマ}”における協調戦略に基づく利他的な社会を体現していたのだ。イデアルはその“幸福”を地球にも伝えようと、アケルナル系人とともに帰還したが、そこには……。
- ゲーム理論の「囚人のジレンマ - Wikipedia」をお題に、人類とは異なるロジックによって動く異星人とのファーストコンタクトを扱った作品。主人公イデアルの地球での過去を描いたパートと対比されることで、人類をはじめとする地球の生物とは別の戦略をとっているアケルナル系人の異質さが際立っています。二つの文明が直接対峙するラストは、色々な意味で(*5)印象的。
- 「予め決定されている明日」
- 来る日も来る日も算盤を弾き、果てのない計算を続ける算盤人。その一人であるケムロは、禁断の読み書きのスキルを密かに身に着けて、計算の意味を知ることになった。その結果として、ケムロは算盤の代わりに電子計算機を使うことを夢見るようになり、やがて計算の内容に密かに干渉を加え始める。計画はうまくいったかと思われたのだが、ある日……。
- 算盤というローテクと、それを用いて行われる計算の途方もないスケールとのギャップが、脱力とともに鮮烈な印象を与えます。計算の意味もさることながら、ケムロの行動が引き起こした結果、さらにはそれを受けての冷徹きわまりない結末には、圧倒されるよりほかありません。
*2: 『大きな森の小さな密室』と本書(リンク先はいずれも出版社のページ)。ちなみに、イラストはどちらも丹地陽子氏によるものですが、画像検索してみるとおわかりのようにその画風は幅広いので、あえて似たようなイラストが発注されたと思われます。
*3: 特に、作品の配列に関する考察にはうならされます。
*4: 恥ずかしながら、初読時には読み方を間違えてしまった感があり、同じく“超限探偵Σ”が登場している「更新世の殺人」(『モザイク事件帳』/『大きな森の小さな密室』収録)を経たことで、ようやく楽しみ方をつかめたように思います。
*5: 最後の一行の意味するところも含めて。
2013.03.29読了 [小林泰三]