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 これは井古先生で、読み下しも井古先生になります。
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  琵琶湖舟遊

乘晴與友上輕舟、
舟趁孤雲出渡頭。
遠指伊吹山頂雪、
孟冬已到自江州。

 
晴れに乗じ友と 軽舟に上る、
舟は孤雲を趁ひて 渡頭を出づ。
遠く指さす 伊吹山頂の雪、
孟冬 已に江州より到る。

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※ 藤井竹外玉作『花朝下澱江』に次韻した実景。参照:「尋藤井竹外居蹤」

 <私見>わたくしは、京都や奈良とともに琵琶湖のある滋賀県の風景が好きで、時々R1すなわち国道1号または、R171西国街道で琵琶湖方面に、車を走らせて いる。特にR171の高槻を過ぎて、秀吉と光秀との天王山の合戦で有名な、山崎あたりでは視野も開けて、京の東山連峰が遠望できる。
  車を運転しながら、竹外の玉作を暗唱し詩中の比良山は何処かと、前方を見渡しても見ることは出来ない。(ちなみに比良山は存在しない。正式には比良山地である。)なぜならば京と江州とは山脈で分断されていて、その一番低い逢坂山をR1と、鉄道が峠またはトンネルで滋賀県へとつながっている。
  比良山は逢坂山から遙かに北の方角で見えない。

  今まで十数回この道を通って、疑問に感じたこともあった。竹外はなぜ見えない「比良山」を、あたかも見えるが如く詩中に詠じたのかと。以下にその疑問に私見をもって述べてみたい。
  まず、玉作の転句、「雪白比良山一角」はその当時近江八景のうち「比良の暮雪」で人口に膾炙されていて、平仄の合う「比良」を使用した。
 次には、例年この季節では、江州の山々の残雪の状態の風聞を耳にしたことを詩中に詠じた。
  さらにわたくしは、次のことを考えた。この手法は非才わたくしも、教えられたわけではないが使用している。すなわち詩の作者が造化主の気持ちとなって、その地点より上昇して俯瞰することである。さすれば現実には見えない遠方でも(気持ちのみだが)見える。この手法は唐の王之渙の「登鸛雀樓」にもあり、またわが国では江戸時代の高野蘭亭作「月夜三叉江泛舟」の結句に「浮雲一片落扁舟」にもこの手法が用いられているように思はれる。
  このように考えれば竹外のこの名作も、あながち虚構とは言えない。藤井竹外の師である頼山陽にも見えないものを詠じた「本能寺」があり、この手法を竹外が教わったのではないかと思うが、今はここまでといたします。




2007.11.12




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