無題 | ||||
菅茶山 |
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早掃梅邊雪, 衡門手自開。 今朝是人日, 應有韻流來。 |
早 に梅邊 の雪を掃 き,
衡門 手自 ら 開く。
今朝 は是 れ人日 なれば,
應 に韻流 の來 ること 有るべし。
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◎ 私感註釈
※菅茶山:江戸時代後期(化政文化期の代表的な)漢詩人、儒学者。延享五年(1748年)〜文政十年(1827年)。姓は菅波。名は晋帥(ときのり)。字は礼卿。号して茶山。通称は太仲。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現・広島県福山市神辺町)の人で、農業・菅波久助の長子として生まれる。京都の那波魯堂に朱子学を学び、後に故郷に帰って、神辺(現・福山市)に私塾・黄葉夕陽村舎を開く。塾は、後には福山藩の郷学として認可され、廉塾と名が改められた。菅茶山は、藩校・弘道館にも出講した。廉塾の門人には、頼山陽・北条霞亭など。墓所は神辺網付谷にある。
※無題:詩題は無い。この詩は、菅茶山「五言絶句」二詩の元来は屏風にしていたものを、ばらして二本の軸装にしたもの。それ故、一本(=このページの詩:右の写真)は関防印だけで署名は無く、一本は署名・押印だけとなっている。元来の右曲の軸は「関防印+『早掃梅辺雪,衡門手自開。今朝是人日,応有韻流来。』」(=このページの詩:右の写真:備後軸)であり、元来の左曲の軸は「『窓前竹虹偃,雪塢夜無声。孤燭攤書坐,時聞棲雀驚。』+署名+押印」となっている。
※早掃梅辺雪:朝早くに、梅の木の周りの雪を掃いて。 ・早掃:朝早くに…を掃く。また、朝の掃除。ここは、前者の意。
※衡門手自開:(隠者の家のような)冠木門(かぶきもん)を手ずから開けた。 ・衡門:〔かうもんheng2men2○○〕隠居所。隠者の家。本来の意は、冠木門(かぶきもん)。木を横たえて門にする意で、そまつな家の門構えで、あばらや、隠者の家を謂う。 ・手自:手ずから。≒親自。 ・手:手ずから。
※今朝是人日:けさは人日(じんじつ)の節会なので。 ・是:…は…である。これ。主語と述語の間にあって述語の前に附き、述語を明示する働きがある。〔A是B:AはBである〕。 ・人日:〔じんじつ;ren2ri4○●〕旧暦正月の第七日目(陰暦正月七日)。人の日。正月七日は、人全般の運勢を占う日であるという。日本では七種(ななくさ)の粥(=七草粥)を食べ、中国では人勝節ともいい、金銀の紙で人形などを作り、頭に飾ったり屏風に貼ったりして吉兆を祈った。呼称の由来は、正月の一日を鶏の日、二日を狗の日、三日を猪(豚)の日、四日を羊の日、五日を牛の日、六日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、七日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰を行わないこととしていた。五節句(人日(一月七日)・上巳(三月三日)・端午(五月五日)・七夕(七月七日)・重陽(九月九日))の一つ。隋・薛道衡の『人日思歸』に「入春纔七日,離家已二年。人歸落雁後,思發在花前。」とあり、晩唐・司空圖の『乙丑人日』に「自怪扶持七十身,歸來又見故ク春。今朝人日逢人喜,不料偸生作老人。」とある。
※応有韻流来:きっと風雅なこと(/人)がやってくるにちがいない。 ・応:〔おう;ying1○〕〔助動詞〕…であるべきだ。…のはずだ。…だと思う。当然…であろう。…べきである。当然…しなければならない。まさに…べし。 ・応有-:当然あるはずだ。 ・韻流:風流。趣のあるさま。 ・韻:おもむき。風韻。風流。詩賦。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「開來」で、平水韻上平十灰。なお、「梅」も上平十灰。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○●,
○○●●○。(韻)
○○●○●,
○●●○○。(韻)
平成24.7.17 7.18 |
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