思林子平事 | ||
頼杏坪 |
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北夷消息近如何, 聞道戎王詐力多。 取酒誰澆子平墓, 世間空唱六無歌。 |
北夷 の消息 近ごろ如何 ,
聞道 く戎王 詐力 多しと。
酒を取りて誰 か澆 がん子平 の墓に,
世間空 しく唱 ふ 『六無の歌』を。
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◎ 私感註釈
※頼杏坪:寶暦六年(1756年)〜天保五年(1834年)。江戸中期の儒者。漢詩人。三次町奉行を務める。名は惟柔。字は千祺、号して春草。杏坪は、後期の号。安芸の竹原の人。亨翁の四男(通称:萬四郎)として生まれた。頼山陽の伯父に該る。
※思林子平事:国防・海防の重要性を説いた林子平の事を思い起こして。 ・林子平:江戸時代中期の経世家。海防の重要性を説いた人。元文三年(1738年)〜寛政五年(1793年)江戸の人。名は友直。字は子平。号は六無斎。江戸に遊学して蘭学者と交わり、長崎に遊学して海外事情に通暁して、海防の重要性を説き、『海国兵談』『三国通覧』を表し、『海国兵談』では「江戸の日本橋より唐阿蘭陀迄境なしの水路」であると述べた。ために罪に問われた。江戸、仙台で活躍する。
明和八年
(1771年)ベニョフスキー阿波・奄美大島に漂着、ロシアの対日侵寇を警告する。 安永七年
(1778年)ロシア船が蝦夷地圧岸に来航、通商を求める。 天明六年
(1786年)ロシア人、千島に来る。 『海国兵談』を著す。 寛政三年
(1791年)『海国兵談』を出版す。 寛政四年(1792年) ロシア使ラクスマン光太夫を伴い、根室に来り通商を請う。
幕府、林子平に蟄居を命じ、『海国兵談』を絶版とする。
江戸・林子平の『無題』に「海外萬國布如星,覬覦切奪他政刑。廟堂曾無防邊策,爲説海防濟生靈。」とある。後世、明治・伊藤博文は『林子平墓前作』で「昇平三百年,擧世高枕眠。海内幾多士,君獨着先鞭。日本橋頭水,遠連龍屯天;邊防豈可忽,牢艦非漁船。精神凛如見,格言千古傳。我來弔墳墓,懷古涙潸然。」と詠う。
※北夷消息近如何:北方の異民族(=ロシア人)は、近頃、どのようであるか。 ・北夷:北方の異民族。北方の蛮人。ここでは、ロシア人を指す。「北夷」とは「北狄」のこと。「北夷」として「北狄」としないのは、「夷」は○で「狄」は●のため。この句は「○○●●●○○」とすべきであり、そのため、「北夷」とした。 ・消息:消えることと生ずること。減ることと増えること。たより。音信。消長。 ・近:近ごろ。近来。 ・如何:どのようであるか。いかん。
※聞道戎王詐力多:聞くところによると、西方の異民族の王(=ロシア皇帝)は、いつわりと武力が多いそうだ。 ・聞道:聞くところによると…だそうだ。伝聞表現。きくならく(…と)。 ・戎王:西方の異民族の王。西方のえびすの王。ここでは、ロシア皇帝を指す。 ・詐力:〔さりょく;zha4li4●●〕いつわりと力。詐欺と武力。
※取酒誰澆子平墓:酒を取り持って、一体誰が(海防の重要性を説いていた)林子平の墓にそそいで、(彼の魂を慰められ)ようか。 ・澆:〔げう;jiao1○〕(じょうろ・柄杓等で水などを)そそぐ。かける。 ・子平墓:林子平の墓。墓は、仙台市青葉区の龍雲院にある。
※世間空唱六無歌:世間は、無意味に(彼の作った)『六無歌』を唱っているだけで(、国防・海防の備えを怠っているのではないか)。 ・六無歌:作者の「親・妻・子・版木・金・死にたく」の六つの「無し」を詠った歌・「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど 死にたくも無し」で、自らの号とした歌でもある。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「何多歌」で、平水韻下平五歌。この作品の平仄は、次の通り。
●○○●●○○,(韻)
○●○○●●○。(韻)
●●○○●○●,
●○◎●●○○。(韻)
平成25.7.12 |
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