Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye


陶淵明
陶潜
           
                    
              東晉 陶潛
挽歌詩
其一
有生必有死,
早終非命促。
昨暮同爲人,
今旦在鬼録。
魂氣散何之,
枯形寄空木。
嬌兒索父啼,
良友撫我哭。
得失不復知,
是非安能覺。
千秋萬歳後,
誰知榮與辱。
但恨在世時,
飮酒不得足。



******

挽歌の詩
                        其の一

生 有れば  必ず 死 有り,
早終は   命の 促さるるに 非ず。
昨暮  同
(とも)に 人 爲(た)りしに,
今旦   鬼録に 在り。
魂氣  散じて 何
(いづ)くにか 之(ゆ)き,
枯形   空木に 寄
(をさ)まる。
嬌兒   父を索
(もと)めて 啼(な)き,
良友   我を撫
(な)でて 哭(な)く。
得失  復
(ま)た 知らず,
是非  安
(いづく)んぞ能(よ)く 覺(さと)らんや。
千秋  萬歳の 後,
誰か  榮 與
(と) 辱とを 知らん。
但だ 恨むらくは  在世の 時,
飮酒  足
(た)るを 得ざるを。

*****************


◎ 私感註釈

※陶潛:東晉の詩人。隠者。

※挽歌詩:葬儀の歌。葬送の車を挽(ひ)く歌。霊柩車を挽(ひ)く時の悲しみの歌。自分の臨終の場から始まり埋葬に至るまでの葬儀の情景を歌った絶命詩。三首からなるが、これは其の一になり、息を引き取った瞬間の描写である。読み下し文では、必ずしも対句にできていないが、多くの聯は、対句で構成されている。『輓歌詩』、『挽歌辭』ともする。漢魏の繆襲の『挽歌詩』「生時遊國都,死沒棄中野。朝發高堂上,暮宿黄泉下。白日入虞淵,懸車息駟馬。造化雖神明,安能復存我。形容稍歇滅,齒髮行當墮。自古皆有然,誰能離此者。」に影響を受けていよう。

※有生必有死:生があれば、必ず死というものがあり。張華の『壯士篇』「天地相震蕩,回薄不知窮。人物稟常格,
必有。」に基づいていよう。  ・〔有…(必)有…〕:因果関係を表す文型。「有生必有死」の「有」と、後出「今旦在鬼録」「在」は、ともに「あり」と訓むが、「有」:もっている。保有するの意で、〔有+所有物〕という文型で表現される。「在」:ものが、そこにあるの意で、〔在+場所〕という文型で表現される。

※早終非命促:早死には、命がせきたてられて縮められたものではない。それも寿命である。(長生、長寿も定命であれば、)夭逝も定命である。死とは、その訪れる時期にかかわらず、天命である。 ・早終:早死に。 ・非:…ではない。名詞(句)を打ち消す。 ・命:いのち。 ・促:促す。せきたてる。ここでは、促される。せきたてられる。縮められる。催促される。

※昨暮同爲人:昨日の宵は、同じように生きていた人が。 ・昨暮:昨日の宵。 ・爲人:(生きている)人。

※今旦在鬼録:今朝は、もう鬼籍に入っている。 ・今旦:今朝。 ・鬼録:鬼籍。死者の仲間。

※魂氣散何之:魂は、散って、どこに行くのだろうか。 ・魂氣:たましい。 ・散:ちらばる。 ・何:どこに。 ・之:行く。

※枯形寄空木:屍体を棺桶に収める。 ・枯形:死んでしまった肉体。屍体。 ・形:肉体。陶淵明は、『形影~序』(貴賤賢愚)、 『形贈影』(天地長不沒)、 『影答形』(存生不可言) で、肉体の意で使っている。
 ・寄:宿る。仮住まいをする。ここでは、(棺桶に)収める。「寄」を:「収める」の意で使う用例はよく分からないが、前後の語句の並びからの判断。 ・空木:棺桶。また、冬になって葉の落ちてしまった樹木。「空木」を棺桶の意で使う用例はよく分からないが、これも前後の語句の並びからの判断。

※嬌兒索父啼:愛児は父をもとめて、涙を流して、声をあげて泣き。 ・嬌兒:愛児。愛する子。現代語では、甘ったれ子。 ・索:もとめる。 ・啼:涙を流して、声をあげて泣く。

※良友撫我哭:友人は、わたしの体を撫でて、死を悲しんで声をあげて泣く。 ・良友:よい友だち。善友。 ・撫:なでる。 ・我:死者になった作者自身の姿。 ・哭:大声をあげて泣く。人の死を悲しんで泣く礼。李白に『哭晁卿衡』(日本晁卿辭帝都)があるが、後者の用例になる。

※得失不復知:利害得失の判断を下すことも二度とはなく。死んでしまえば、全ての判断力や知覚が無くなってしまうということ。 ・得失:得ることと失うこと。利害得失の判断を下す。後出の「是非」も同義。 ・不復:二度とは…ない。再びは…ない。後出の「安能」も似たような意味になる。 ・知:分かる。知覚する。後出の「覺」も同義。

※是非安能覺:善悪の判断を下すことも、どうしてできようか。死ねば、一切の判断力が無くなってしまうということ。  ・是非:善悪の判断を下す。前出の「得失」に同じ。 ・安能:どうして…できようか。いづくんぞ よく…や。 ・覺:感じられる。知覚する。分かる。前出の「知」に同じ。

※千秋萬歳後:遥か後世では。「千秋萬歳後,誰知榮與辱。」(遥か後世では誰も(わたしの個人的な)栄辱のことが分かろうはずがない。) ・千秋萬歳後:阮籍『詠懷詩』八十二首之十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。
千秋萬歳後榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」に基づく。また、『己酉歳九月九日』(靡靡秋已夕)の「千載非所知」に同じである。

※誰知榮與辱:いったい、誰が栄辱を知ろうか。誰が(わたしの個人的な)栄辱が(を)分かろうか。誰も(わたしの)栄辱が(を)分かろうはずがない。ここは前出『詠懷詩』八十二首之十の青字部分「榮名安所之」に基づく。それを根柢として解釈すれば、「(後世の)毀誉褒貶の評価を誰が関知しおおせようか」の意となる。 ・誰知:だれが知ろうか。誰も知るまい。だれが関知(でき)ようか。 ・榮與辱:栄誉を受けることと、はずかしめられること。栄辱。

※但恨在世時:ただ、うらめしく思うのことは、この世に生きていた時には、酒が充分に飲めなかったことである。 ・但恨:ただ、うらめしく思うのは。 ・在世時:この世に生きていた時に。

※飮酒不得足:(飮酒が)充分ではない。「但恨在世時,飮酒不得足。」の聯は、『形贈影』「適見在世中,奄去靡歸期。」 『影答形』「此同既難常,黯爾倶時滅。身沒名亦盡,念之五情熱。立善有遺愛,胡爲不自竭。」『游斜川』「吾生行歸休。念之動中懷、前出「從古皆有沒,念之中心焦。」、『遊斜川』「開歳倏五日,吾生行歸休。念之動中懷,及辰爲茲游。氣和天惟澄,班坐依遠流。弱湍馳文魴,闥J矯鳴鴎。迥澤散游目,緬然睇曾丘。雖微九重秀,顧瞻無匹儔。提壺接賓侶,引滿更獻酬。未知從今去,當復如此不。中觴縱遙情,忘彼千載憂。且極今朝樂,明日非所求。」 とうたった彼にしては、いささか無理をした冷静さにも感じるが…。 ・不得足:充分ではない。

               ***********




◎ 構成について

一韻到底。韻式は「aaaaaaa」。韻脚は「促録木哭覺辱足」。後世の平水韻で見れば、入声一屋(木哭)、沃(録足辱促) 、三覺(覺)になる。この作品の平仄は次の通り。

   
●○●●●,
   
●○○●●。(韻)
   
●●○○○,
   
○●●●●。(韻)
   ○●●○○,

   ○●●○○。(韻)
   ○○●●●,
   ○●○●●。(韻)
   ●●●●○,
   ●○○○●。(韻)
   ○○●●●,
   ○○○●●。(韻)
   ●●●●○,
   ●●●●●。(韻)

2003.7.19
     7.20
     7.21
     7.22
     7.23完
     7.24補
2005.4.15
2007.4.26

漢詩 填詞 詩餘 詩余 唐詩 

xia 1ye次の詩へ
shang 1ye前の詩へ
陶淵明集メニューへ
       ************
shici gaishuo詩詞概説
唐詩格律 之一
宋詞格律
詞牌・詞譜
詞韻
唐詩格律 之一
詩韻
詩詞用語解説
詩詞引用原文解説
詩詞民族呼称集
shichao shou ye天安門革命詩抄
Qiu Jin ci秋瑾詩詞
碧血の詩編
李U詞
Xin Qiji ci辛棄疾詞
李C照詞
Huajianji花間集
Huajianji婉約詞:香残詞
Huajianji毛澤東詩詞
zhuozuo碇豐長自作詩詞
漢訳和歌
参考文献(詩詞格律)
cankao shumu(wenge)参考文献(宋詞)
本ホームページの構成・他
Riyu:zhiciわたしのおもい
guanhougan
メール
hui shouye
トップ
huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye