日 記

(2011年12月)


<Welcome from Fukushima - Konno>

◇ 遂に今年の大晦日になりました。
 孫一家が、桑折町の友人宅に来るというので、その前に、国見IC近くで落ち合って、 おせち料理や味噌煮込みうどん、アップルタルトなどを届けました。娘の高校時代からの友人の家族同伴の昼食会のようです。母親は、話に夢中だし、夫君は大変だろうなと同情。子どもたちも楽しんだでしょう。

 机にむかったっり、うとうとしたりの一日。早くなった紅白歌合戦。今年は震災ですので、とくにそれを感じさせます。福島も猪苗代湖ズ、や西田敏之が、福島の思いを伝えてくれました。その他の歌も、ふるさとや人の絆・愛を大切にする歌が多かったような気もします。

 大変な1年も終わろうとしています。反省すること、悲しいことの多い1年でしたが、苦しい中でいろいろな人々との交流もできました。来年は、地に足をつけて、進みましょう。ありがとう2011年。(12/31)<8941>


◇ さすがに今日は、机に向かっています。原稿締切り、尻に火がつきました。
 津波被害と原発被害を双方睨んで、そのとき働く人に何がおきていたのかの現地報告の位置づけです。津波被害は女川のみにします。ある会社で、殆んど全員が亡くなったところで、生存と労働契約上の義務、津波てんでんこが、実際は機能しない場面の問題が関心の一つ、そして同じ町で、中国人研修生を全員助けて以降、専務が犠牲になった佐藤水産の問題を取り上げたい。理論化が難しいが、思いが先行する。

 私の一日後に、女川に入ったツイッターの仲間。父母が行方不明です。テレビは、津波の報道を繰り返していますが、先ほど、ツイッターに書いています。
「挨拶回りから帰って来てすぐ、姪がTVのスイッチON。私と義姉さんと【寒いね〜】って言いながら、荷物を車から降ろしていたら【おかーさーん。おばちゃーん】と姪っ子達の大慌てで呼ぶ声。何かあったのかと慌てて家に戻ったら・・・・津波の映像・・・家族全員固まった。・・・酷い・・・・キツイ。
 おじーちゃん子だった姪っ子の一人が、声を殺して泣き出した。子供ながら私と兄(お父さん)に気を使っていたのだろう。兄が無言でチャンネル替え。私は車に戻り荷物を降ろしに・・義姉さんが無言で近ずき背中を摩ってくれた。その優しさに堪えていた涙が溢れ、雪のチラつく中涙が止まるのをまった。
 戻ったらまたTVが津波映像が・・・お姉ちゃんが【見たい】と言って回したという。泣いてる妹も兄(お父さん)の側に座ってた。やっぱり二人にとっては大切で大好きなおじいちゃんおばあちゃん。私には耐えられず台所に義姉さんと入った。この幼い子供達にはどう写っているんだろう。」

 丁度、娘からも、テレビ放映に悲しくなるとのツイート。まだ、身内を亡くしてるものには冷静に見れないね。静かに、焦らないで、年を越しましょう。明日は、大晦日。<12/30>(8928)


◇ 今日は一日自宅。研究室は空いていません。途端に行くところが無くなります。
 風邪の症状、少し緩和していますが、鼻水、少々の頭痛、腰痛、・・・いろいろ出てきます。基本は、眠くて仕方が無い。夜何度も起きるのがいけないのでしょう。朝食後、またベットに戻り、11時頃までウトウトしながら休んでました。これでは、家庭の役に立っていない。粗大ゴミ状態。

 灯油が割引の日なので、買いに行き、本屋に頼んでいた週刊誌を取ってくるついでに、来年の手帳を買ってきました。(2013年3月までの)。生活スタイルが変わるので、手帳も必要かなと思いましたが、日常的に覚えている力が衰えてくるので、白紙だけでも必要かな。今度は、誰かに決められる予定ではなく、撮影に行くとか、旅行に行くとか、温泉に行くとか、茶道や詩吟や謡をやるとか、・・・・という記載になるのかな?、そう考えるといろいろ楽しいね。「ソンガンコウ」(孫の顔を見に行く)とかの記載も出てくるかも。

 一日、自宅に閉じこもっているのもよくないので、買い物がてら、義母も連れ出して、日用品の買物。義弟の送ってくれた味噌うどんを、美味しそうに食べている義母を見て、息子を思い出しているんだろうなと。

 5時半に夕食を食べて、また夕寝。午後8時前に起きて、すこしは調子が回復。孫二人に、元旦に間に合うかどうかは分らないが、女川の中学生の絵葉書で、年賀状。というよりは新年の挨拶。明日投函。一般には、すでに、喪中の挨拶状を書いているので、年賀状書き(年末の大仕事)はない。年末恒例の、忙しさ(新年を迎えるうれしい忙しさ)は、特にない。
 年明けまで猶予された原稿締切り。体調回復して、頑張るぞ〜。(12/29)<8919>


◇ 風邪はスッキリ治りません。鼻水が詰まって、夜中に3度ほど目が覚め、睡眠不足。自動車運転、気をつけないと。昨夜、同行する一人S.浩さんが、38度2分の高熱で見合わせました。結局、コープあいづの吉川さんと二人。
 順調に走行、着く直前に仙台の彪さんから電話。何事かと思ったが、仮設マリンパルで逢う。グッドタイミング。店を開いている甥の雅浩さんとも立ち話。ネットでお馴染。どうして、私が女川に来ることを知っていた?と聞いたら、この日記。久し振りに会えてうれしい。
 どんこ汁の昼飯を姪にお願いして、丁度、姪が事務所を借りている大家さん(とはいっても、私の1年先輩の的場さん。最近、世話になっているベネッセの的場さんのお母さん。)。話は、弾む。楽しかった。昼食後、開設した事務所に立ち寄る。次女が送った額縁が掲げられている。事務所名「きんもくせい」が、織り込んである。「もちまっすぐ げきな笑顔を  ちまえの強さで なんのりこえ いいっぱい歩み え光のみらい 輝く夢へ 倖せ招く」。頑張っているんだなと、うれしくなる。
 約束した時間、新町長にお逢いできました。40歳直前の若い町長。絵本館に続き、女川町に図書館を。女川高校廃校後の特別支援教育を街づくりに生かして欲しいこと、また研究機関の誘致、水産試験場の展開、そして恒常的な女川との連携のための「特別町民制度」。ソフトの部分ですが、要望しながら、また鉄道の話など、積極的な対応。原発立地自治体として、福島の関係自治体の実態に大きな関心を示されていたので、一度、案内したいものである。
 午後2時半からの水産業者との懇談。厳しい漁業の実態を教えられるが、女川と会津の結び付を期待している。農業とともに、漁業はきびじい。
 帰りの運転は、疲れ果てたので、菅生PAから運転を交替してもらった。早く休んで、風邪をなおそう。(12/28)<8897>


◇ 風邪気味で、昨夜は8時頃に大事をとって就寝。 3時前に目が覚めて、そこに地震。震源は宮城県沖、震度1〜2。飛び起きるような震度ではありませんが、やはり、無意識に体が構えます。携帯を眺めると、5〜6人の方々から、ツイッターやメールでお見舞い。風邪気味で早く休むと呟いたので、心配かけました。しばらく、ベットのなかで、3月の日記を読み、思い出していました。走馬灯のように、様々なことが脳裏を過ぎります。

 昨日26日は、午前中、研究室へ。もう冬休みモードです。私は、先週、人間ドックと県議会の関係で専門演習ができなかったので、今日27日、卒研報告をしてもらいます(締切りは1月末)。研究室にイギリスに語学留学しているゼミ生のクリスマスカード(私&ゼミ生宛て)を頼まれたと学生が立ち寄りました。(それぞれに送ると郵送料が高いので、友人にまとめて送り、配達を頼んだようです。しっかり、勉強しているようです。ロンドンのストライキの多さ、デモの多さに驚いているようです。日本では珍しい体験をしているようです。何よりも元気がうれしい。)

 午後、ショートスティへのお迎えのため、早めの帰宅。途中まで(南部)は全く雪がなく、道路は乾いているのですが、自宅に近づくと積雪が多くなり、自宅の前で妻は除雪作業中。福島の南北問題かな(福島市の公的観測は積雪7センチですが)。雪道を、さらに北側の施設まで。夕食前に、眠気と悪寒がするので、ダウン(?)。締切り原稿に、ファイトが出ないのが原因か?

 ただ、12月の27日というのは、私の風邪日(?)。以前、気がつかなかったのですが、近くの医院(今は閉院)にいくと、決まって、昨年も27日でしたねと言われました。カルテが残っているというか、近くの医院には風邪の時に行くと決めていたからか。多分、公務員の28日は御用納め。27日になると、ああ、もう終わりだ。安心して(?)風邪が引けると体が反応していたのかな?体内時計というのは聞いたことがあるが、私のは「体内カレンダー」(?)かもしれない。なんと言うことも無い、気が緩むと風邪を引くだけ。「タレカ」か(?)

 今年は、27日の今日は、歯医者の予約と学生の卒業研究最終報告日。明日28日は女川町日帰り(往復運転)。休んでられません。3人で行きます。姪に頼んでいた、どんこ汁の昼食。そして新町長にお逢いし、その後、女川の(若手)水産業者とコープあいづの仲介。話し合い。取引は、すぐには実現しませんが、顔つなぎだけでも出来ればいいと思っています。

 夕方、厚労省の食品安全基準の厳格化と農業生産の問題について、相談のメール。確かに、厳格化は歓迎されるが、その基準を満たすための作付け制限は、現状の除染活動の状況を見ると厳しいかも。除染を経て、復興を目指す取り組みにとっては不可能に近いかも。産業のために健康をないがしろにはできないのは当たり前だが、今まで以上に基準を厳格にすることの産業の影響も考えざるを得ないのであろう。3.11以前ではなく、3.11以前より厳しくということなのか。子どもをかかえる父母の顔、そして眉間に皺を寄せて農地に佇む農民の顔、二つの顔が重なり合って、心が痛い。(12/27)<8868>

 


◇ 孫たちは、朝9時過ぎに帰りました。台風一過のようです。
 近くの電気店に出かけ、デジタルカメラのSDカードを買ってきました。カメラを持ち歩く首架けのバックも買ったのですが、レンズをつけるとカメラは入りません。そのうちに、カメラに合わせて買いましょう。早速、テスト。パソコンへの取り込みも、何とかできました。かなり精巧ですが、ホームページにアップするには、重すぎるので、20%に縮小してテストアップ。まあ、今後、勉強していい写真をとることにしましょう。
 昼食を挟んで、高校駅伝のテレビで見ていましたが、福島県代表の学法石川高校は、なかなか実力を発揮できなかったようです。青森山田は健闘していましたが、期待された仙台育英は最後の挽回は効かなかったようです。東北の高校への応援をしていましたが、成績はともかく、頑張っていました。

 年末・年始の締切り原稿が気になり、大学へ。クリスマスの日曜日なのに、研究棟の研究室の多くに電気が点いていました。みんな頑張っているんだなと、少しピリッとします。丁度、女川の元木先生(図書館づくりの中心)から、携帯電話に。メールに気付いての連絡です。 以心伝心ということでしょうか。本当に助けられます。
 昨夜とは打って変わっての静寂ですが、テレビで、フィギュアスケートを眺めながら打っています。(12/25)<8844>


◇ クリスマスイヴ。 雪の気配だが、昨日、再開したはずの土湯峠の箕輪・イオラへ。昨日から来ている孫一家と、7人で1つの車で行ってきました。
 心配した雪も、それほどではなく、子どもたちを中心にスキー客で一杯。イオラから出て、昼食のレストランは満杯です。それでも、前回は、震災前ですから、すでに9か月は過ぎたでしょうか。入り方を忘れてしまったようです。社長も元気でしたが、久し振りなので、案内も、まだ調子が出ないようです。体が、解体と言うか、解れました。

 自宅に戻ってきても、何か、昼寝のようなうたたね。続く、孫たちのクリスマスのケーキづくり、夕食、騒然としています。大人は、長女が持参したワインを、美味しく頂きました。
 いつも老人家庭なので、幼児にとって安全な住居環境でないので、孫たちにケガをされるのではないかとヤキモキ。行動力もついているので、そう簡単ではありません。二つ目の人間には、3人の行動監視は難しい。年齢のこともあるかも、いずれにしろ慣れていないので、気疲れします。こうやって大きくなるのでしょうか。
 私は、ただ孫の動きを見るだけですが、夕食の世話等をする妻は疲労困憊ですね。早めの就寝です。孫が赤ちゃんのときは、大人同士の静かな茶飲み話もありましたが、そういうタイミングを作るのは難しくなりました。それができるのは、暫く時間が必要でしょう。

 慌しく、クリスマスイヴも過ぎようとしています。愛用のコンパクトカメラを、どこかに置き忘れ、がっかりしていたら、二女がクリスマスプレゼントとして送ってくれました。一眼レフということで、少し、芸術的な写真を撮ろうかなと思っています。(12/24)<8831>


◇ 昨日は、夜遅い帰宅もあり、日記の更新を忘れていました。今日は天皇誕生日、祝日です。

 昨日の夕は、第2回目の「ふくしま復興支援フォーラム」。駅近くの「AOZ(アオウゼ)」(旧さくらの百貨店)を借りたのですが、参加通告が十数人で、少し寂しいかなと心配。結局、新聞記者も来てくれて、35人。第1回の32人を超えました。ゆったりした会場なので、気持ちのいい会合です。
 真木先生に「原発災害と地域社会」というテーマで報告して頂きました。頭が整理されるような、説得的な報告でした。いろいろ課題が出されました。どう納得していくか、今後の検討が必要です。
 終了後、事務担当の3人で、遅めの夕食をしながら歓談。10時半の帰宅です。

 祝日の今日。ゼミ卒業生で愛媛大学教員の鈴木さんが、福島県から愛媛に避難している方々の一時帰省の支援をしていましたが、福島県に要望書を出したいというので、私も仲介しました。16時間かけて福島に到着。子どもさん2人を含む十数人。
 対策本部のある自治会館に到着しているので、駆けつけましたら、報道関係者が多数。驚きました。懇談では、民間借り上げについての要望が出されていましたが、遠く離れて、切実な課題です。県の担当者も丁寧な回答をしているようで、よかったです。

 帰ってきて、義母をショートスティに送り、孫たち一家が、到着するのを、今は待っています。賑やかな夜(クリスマス?)になるでしょう。(12/23)<8815>


◇ 久し振りの大学へ。途中で、先日開催した国際交流協会の評議員会の議事録署名の押印のため、立ち寄る。震災時における外国人との関係などで懇談。大学へ。

 明日のフォーラムの関係事務など、やることは少なくない。
 今日は、歯医者の予約をしていたが、また別のところが痛い。左下の歯痛を治療すると、右下の歯痛、さらに右上の歯痛、そして今日は左上の歯痛。ネズミを追いかけるように、次から次へと痛さが移る。
 確かに、見てもらうと、それぞれ原因があるんですが、一つが痛くなると連動して痛くなる。
 まあ、一回りをしたから、もうないと思うが、それぞれを治療しているので、並行して治療中。まあ、効率的ともいえるが、全般的危機の感。でも痛さは、今のところはない。

 愛媛大学に勤めているゼミ卒業生が、愛媛に避難している福島県民の一時里帰りの支援。大学関係者などが支援してくれて、ふるさとへの一時帰省が実現する。有難い取り組みである。
 23日、福島までマイクロバスで来る。卒業生も同乗してくるが、大学駐車場の利用依頼があり、事務関係者に依頼する。

 28日に、女川に行くが、役場訪問とともに、水産業関係者とコープあいづの関係者との懇談、できれば、女川名物(?)「どんこ汁」を、女川で食べる算段。女川在住の姪が店を探してくれるという。楽しみ。
 「どんこ」って本当の名前は何なのという疑問が、ツイッターで話題になった。えっ?、「どんこ」は正式名称ではないのかと思っていたが、心配になったので、調べてみた「どんこ汁」。

 <宮城県人が親しみを持って呼ぶ魚「どんこ」とは、イソハマアイナメのこと。旬は10月中旬から2月下旬で、南三陸近海で採れる庶民の魚だ。大根と豆腐、葱と一緒に味噌仕立てで味わう「どんこ汁」は家庭の味。見た目はグロテスクだが、白身の脂ののったその味は寒い冬には最高。小ぶりのものは丸ごと、大きなものはブツ切りにして大胆に煮込む。食通は肝を好み、丸ごと汁の中に入れて味わう。この「どんこ汁」、南三陸沿岸にある食堂やレストランで味わうことができる。>

 「イソハマアイナメ汁」が正式(?)。なんか美味しくなさそう。やっぱり、「どんこ汁」の名前がいい。(12/21)<8788>


◇ 二日ぶりに自宅に戻ってきました。昨日は、人間ドック初日で、大きな検査は「大腸カメラ」。
 前日からの検査食・下剤で準備をして臨んだのですが、午前中一杯、さらにお腹を空っぽにするための準備。
 実際の検査は30分ほどでしょうか。安定剤を使っていないので、時間が長くかかります。
 偶に見える腸内のカメラ。小さなポリープはありましたが、ほぼ大丈夫のようで、また来年ということになります。
 時間は、かかりましたが、他の検査は、あまりしんどくありません。

 夜は、本を読んだり、金正日の急死のニュースを見ながら、ボーっとしていました。
 読むべき本は持って行きましたが、いつもながら、それほど読めません。

 今日は、腹部エコーや、肺のX線撮影、CTなどですが、早めに終わりました。
 10時半には、病室で逢うことになっていたコープあいづ関係の皆さん。女川の魚の取引の可能性について話しました。
 年末には、女川町役場に行く機会に、女川の業者と逢ってもらいます。
 正直、コープふくしまとの橋渡しをしましたが、女川の漁獲はそれほどではなく、ほとんど進んでいないようです。
 まあ、それでも、どんこ汁が食べられたらいいなあと思っています。

 昼食後、急いでネクタイをして、病院から県議会へ。一般質問の一日ですが、役職で出席しました。
 先日の選挙で選出された新議員で、みなさん張り切っているようです。
 除染・健康調査が主ですが、全体として、復興の問題が中心です。終了は5時過ぎ。

 そこから、ある自治体の弔慰金審査会へ。
 この震災の最中に亡くなった方々について、震災に関連したものかどうかの審査ですが、該当・不該当の違いはあれ、人の死は心が痛みます。

 大学も暫く行っていない感じ(2日だけ)ですが、また、年末に向けて頑張りましょう。(12/20)<8772>


◇ 日曜日、冬らしい寒い朝です。風邪気味なのか、とても寒く感じます。明日からの人間ドックの為に、今日一日、検査食。大腸を空にするためには、やむを得ません。

 午後、弁護士会と大学・法学研究者との研究会、東電損害賠償問題の研究会です。寒く、遠いのか、弁護士4人、研究者5人の少人数です。しかし、相当因果関係論の理論系譜と実際の損害賠償事例の検討。いろいろと難しい。
 産業復興・事業復興の観点から、損害賠償問題が、その意欲を萎えさせているのではないかとの心配があります。困難な中、津波浸水被害のみのところでは、事業復興の足取りが聞こえてくるのですが、原発被害地域では損害賠償問題が、逡巡させています。
 損害賠償の法理論と現実の産業・生業復興の課題が、連携して進むといいのですが。

 明日からの週は、1日半病院収容、残る半日、県の会議と、村の会議(夜)。あっという間に2日のみ。クリスマス・年末へまっしぐら。仕事を越年させないようにしたいものですが。(12/18)<8741>


◇ 土曜日。ほぼ月一の定期的検診です。尿と血液検査、そして問診で終わりますが、忘年会が重なりましたかね、といわれた。そんなことはないが、少し注意をしないと。
 月曜日・火曜日は、一泊二日の人間ドック(癌ドック)。明日は、いただいた検査食の日。何年前か思い出しました。丁度、こんな日に、山形で会議があり、美味しそうな弁当を皆さんが食べている時に、検査食を食べていたっけ。凄く損した気分だった。

 昼過ぎの新幹線で東京へ。「女川に元気を送る会」の世話人会。車中は、連絡取り合っていましたが、出張で福島にきていた阿部さんと同行。埼玉在住の阿部さんは、お父様が女川出身(元日弁連会長の阿部三郎さん、女川町の名誉町民)。女川の産業復興の為に、「おながわ復興ファンクラブ」をつくり頑張っています。
 女川で製造始めた女川産品を、通信販売などで買い・広げることが、今出来る最大の支援という。もっと、現地からの発信を強化すべきだろうということ。女川の全国各地でのイベント等を、ネットワークで繋ぐことができればと思います。

 東京駅から有楽町、そして地下鉄で新富町で降りて、世話人会の会場へ。11月20日に女川で行った「ウェイアウト東京ビッグバンド」の公演の報告、そして、女川在住者との懇談会。来年2月3日の女川一中の「立志会」への協力要請に対する検討等、募金から、さらに特に教育文化の面での協力を開始しています。
 物資の支援から「思い出になる」支援へ、様々な女川支援組織のネットワークの形成、千葉の中学校との中学校同士の交流等など、話は尽きません。
 銀座に繰り出しての忘年会は、石巻港直送の寿司屋でした。その場でも、女川の観光大使の問題等など、もっと強力な組織的な発信の必要性が出され、いい雰囲気でした。不幸な災難ですが、何かこうした知らなかった女川出身者同士の交流ができて、心が温かくなります。
 帰りの新幹線では、福島の復興フォーラムの日程調整をして、あっという間の帰路でした。駐車場に置いた車の車外気温はー1度。寒くなってきました。(12/17)<8725>


◇ 金曜日、冬らしく雪が舞っている。午後のコープ理事会と夜の講義があるので、講義準備は午前中と考え、研究室業務。

 午後のコープふくしまの理事会。前月の収支状況報告が中心だが、まずは黒字の状況。しかし、大きな負債からの回復は、まさに長期的課題。単体としてやっていけるのか、激動も予想される経済情勢のなかで楽観的にはなれない。しかし、生協は単なる企業ではないのだから、組合員の生活を守る視点を貫くことにしか展望は見えてこない。ある店舗の改修問題で、めずらしく様々な観点から議論が出た。面白かった。もっと、実質的な議論がなされるべきだと思う。

 夕方、研究室に戻り、講義の準備。そして年内最後の講義。帰路は冬の雪道。雪道は久し振りなので、凍結は無いものの、恐る恐るの坂道降下。我慢強い冬の心のあり様に変えないと。(12/16)<8714>


◇ 今朝は、9時半の歯科予約だったので、ディサービスのお迎えを待たず、こちらの車で送ることをお願いして出かけました。歯科予約も間に合いました。いろいろ数年前のやり残しが、表面化したようだ。4回ほど通院が必要ですが、後残すところの3ヵ月半でなんとか、終結としたい。

 なかなか書けなった論稿が掲載された雑誌が送られてきた。今年はゼロかなと思っていたが、何とか1本間に合ったが、内容は不満が多い。季刊労働法235号(2011/冬)に掲載した「東日本大震災と労働法」。女川の津波被害と原発事故について書かせてもらった。研究活動の再開が、心の痛む震災。被災者ではないが、その渦中にいると冷静に自己分析ができず、感情を抑えることは難しかったが。まあ、論文を書いたというよりも、「恥をかいた」のだが。
 ただ、年末年始にかけて、図書館職員の機関紙に、女川への図書館づくりの思いを書くこと、また憲法学者とともに『3.11と憲法』への寄稿(「3.11、働く場で何が起きたのか」)の締切りが迫っている。夜、鹿児島大の紺屋さんから、3月の「被災地の復興と労働政策」に関するフォーラムへのパネラーの要請。まあ、研究活動の締め括りとして、逃げないで対応することにしたい。非力さは変わらないが。

 午後、今井教授担当の「公共政策論」の特別講義で見えられた、東京都板橋区福祉部長兼危機管理担当部長の鍵屋一氏の講義を拝聴。テーマは、「自治体の防災政策」。@東日本大震災から命を守った防災教育、A住宅の耐震化、B災害時要援護者支援、C災害時コミュニティ活動とボランティア、Dこれからの防災まちづくりから構成されたいたが、防災教育では、釜石の経験が詳しく説明されていた。
 結果的に、中学生が中心に、小学生・幼稚園児など1000名もの命を救ったといわれる。ハードには限界がある。防災に対し主体的な「姿勢」を醸成することという「姿勢の防災教育」が強調され、「脅かしの防災教育」や「知識の防災教育」に対する批判がなされた。被災3県の犠牲者の年齢構成比において、岩手県が7歳〜15歳が、他2県に比してかなり低率であることの事実には驚く。
 時間の関係で、ふれられなかったが、レジメの最後の言葉を見ながら、じっと考えている。『最も強いものが生き残るのではない。 最も賢いものが生き残るのではない。 生き残るのは変化するものである。』(ダーウィン)

   こうした外部講師による講義を、ふらっと、学生と並んで、気楽に拝聴できるのは大学の魅力。この特別講義を最後に、もう気楽には聞けないと思うと、少し残念でもある。また、新たな感動を見つけるために、前に進むしかないのだろう。植山直人著『起ちあがれ 日本の勤務医よ』(あけび書房)を入手。生活保護と医療保障問題は、関心の的。読みたい本は溜まる。(12/15)<8691>


◇ 今日は、胃カメラ検査の日。一切、飲み物・食べ物をとらず、検査に備えます。8時40分頃病院着。どこかの職場検診の方々がすでに来ています。点滴をし、私の場合は安定剤で、眠っているうちに終了。気がついてみると、2階の検査室から、1階の診察室に移されています。胃の中の違和感は、特にありません。
 いつも、このまま起きなかったらどうしよう、やり残していることがあるのにと思いつつも、苦痛は避けたいので、いつもこの方法。検査結果は、胃炎、胃ポリープ、逆流性食道炎ということで、経過観察・12ヵ月後の検査結果をみることに。他の検査は、来週の一泊二日ですが、胃については、今年は、こんな状態。
 病院の売店で遅めの朝食(昼食)をして、帰路。途中で、散髪。混んでないと思ったら、高齢者で混んでいた。考えることは同じなんだ。てなわけで、今日は、胃の検査で終了。(12/14)<8667>


◇ 火曜日です。午前中一杯、県庁での会議。 年末になると、年を越さないということか、課題が多くなります。予想に反して、時間がかかりました(私の発言をセルフセーブすれば、もっと早かったのでしょうが)。当初、予定していたゼミの前に昼食をとることは実現困難で、結局、大学に向かう途中、コンビニで海苔巻きを買って研究室のパソコンを眺めながらの食事。食事の神様に怒られそうです。

 ゼミは、3件の判例評釈の検討を行いましたが、なかなか議論が深まらず、早めの打ち上げ(3時間の予定が2時間)。議論が沸騰して、時間を延長するようなゼミをしてみたいのですが、できないのは指導力の不足のせいでしょうか。法律の場合、前提になっている制度の問題があるので、難しいのかな。社会人だと制度は知らなくても、実体験から話はできるのかもしれないが。何十年と繰り返しているが、できない。学生は毎年、変わるが。

 帰宅時間まで、研究室で22日のフォーラムの連絡。今度は、会場が50人は入るが、参加者は少ないかも。年内に、なんとか景気をつけて年を越したいが。喪中の葉書を出したせいか、心配して、心のこもった連絡や贈り物が届く。みんなの温かい心に感謝。明日は胃カメラ。暫く病院での睡眠となる。(12/13)<8647>


◇ 月曜日、好天の午前中です。自宅待機の必要な午前中、午後1時過ぎ大学へ。
 なかなか行けないでいた、駅前のコラッセにある県の商工会連合会に寄ってヒアリング。狙いは、双葉郡復興だが、統一的に事業再興をしつつ復帰するためには、8町村にある8商工会の取り組みに期待している。
 いろいろ公的補助制度があり、事業を移転して再興した方が、被災地で復興するより優遇されている実態は、事業復興のあり方に問題があるのではないかと感ずる。また、苦しいながら自活しようとする者が、結果的年末になるとには経済的保障が少ない制度が多いのには疑問だらけである。もっと、自立意欲を萎えさせないで、背中を押してくれる制度設計はできないものか。
 しばらく、現場からの事業復興・生業確立問題を、双葉郡中心に考えてみよう。

 女川の新町長が会いに来たいという日は都合悪くなったらしく、鈴木さんと女川に行こうかと日程調整をしたら、28日の線。公務員は、「御用納めの日」。今年はどうなんだろうか?疲れている職員を、せめて休ませてやりたいが。
 娘から教えられて、テレビドラマ「看取りの医者・バイク母さんの往診日記」を見る。終末医療問題として、限られた命の終わり方の感動的ドラマ。恒例の「今年の漢字」ー「絆」。いつものように今年も終わる準備をしている。(12/12)<8628>

 


◇ 日曜日は、ゆったり。風邪気味か、少しダルイので、葛根湯を1袋飲んで、臥せっていました。何とか持ち直したのですが、留守番中、小雨が降ってきたのに気付かず、洗濯物の取り込み忘れ。本当に家事労働は無能です。

 近くの公民館(学習センター)で開かれた、「笹谷・大笹生9条の会」主催の集いに出ました。今年は、原発事故と放射能に関しての講演、そして詩の朗読、合唱団の演奏。会の責任者は、長い間、篠笥先生がなされていましたが、残念ながら先日ご逝去になり、安藤先生が引き継いでいます。 私は、初めての参加ですが、いい集まりでした。合唱団の代表は斉藤勝弥先生、メンバーには長尾先生もおり、蝶ネクタイの服が似合っていました。元同僚3人が出演、本当に身近な集いでした。(12/11)<8604>


◇ 土曜日。退職者の会の忘年会で、昼前に駅前のコラッセに行く用事と11時に訪問看護が来るので、早めに出かけようと、まずは、大学近くの歯医者へ。痛いと思っていた右の下歯の痛みの原因がわからないでいたが、昨日、昼食の際、右の上歯がカムと激痛と確認。先週は、まだ隠れていたのが表面化したのでしょう。歯が縦に割れていて、そこに埋め込む応急処置でまずは落ち着く。暫く行かないでいた歯科。残された歯を大切にしよう。しばらく歯科通院が続くが仕方がない。大学の研究室によってコラッセへ。

 退職者の会の「2011年度忘年懇親会」は、30人ほどの退職者の集まり、最近の退職者は少なく残念。吉原会長の挨拶、来賓の入戸野学長と藤原組合執行委員の挨拶。そして渡邊明副学長の講演。予定を変更して、乾杯を講演後にしたものだから、ご馳走を眺めて真面目に講演を聴く。テーマは、「3.11原発震災と福島大学」ということで、この間の大学の対応について、さらに原発関連の研究活動や地域連携活動の進展について、詳細に話された。いろいろ大変。何か、1年前に任期終了・逃亡のようで、うしろめいたい。高齢社会なんだから、退職者の会も、もっと趣味などを生かす場があってもいいね。

 ご馳走をフルスピードで食べて、中途退席。黒岩の青少年会館で開催している日弁連の反貧困の集会。日本弁護士連合会及び福島県弁護士会主催の「貧困問題対策全国キャラバンinふくしま」。テーマは「被災地から貧困を問うー『人間の復興』を」実現するために」。少々遅れての到着だが、基本的には拝聴できた。まず日弁連の猪俣弁護士の報告(「貧困問題と日弁連の取り組み」)、シンポジウムでは、丹波先生が基調報告(「東日本大震災に伴う福島の現状と課題」)、そして丹波さんを含めて4人のパネリスト(福島労働局佐藤総務部長、しんぐるまざーず・ふぉーらむ福島代表の遠野馨さん、倉持弁護士)。それぞれ具体的で本質的な問題提起である。基調は、「人間の復興」、インフラ復旧・施設復旧重点ではなく、地域での生業や生活の復旧の必要性を強調。(コーディネーターの渡邊純弁護士の適切なまとめで締めくくられた。)。住民をどのように地域の主体として据えられるか、労働意欲の萎えや原発警戒地域での事業復興の難しさなど、課題は大きいが、基本を抑えて前進が必要だろう。いい勉強になった。

 夜は、昨日の講義の質問票をタイピング。学生の率直な意見、随分、現実追随的な意見もあるが、こうした意見を説得できるかどうかが肝腎。2枚ほど、授業では扱わなかった問題への感想。多分、私のレジメを見て、意見らしいものを書いて、さっと帰ってしまったかのかなと残念な気持ち。出欠を取っているのではないと念を押していても、出席していなくても、出席したというアリバイを作ったのかなと、そんなことをしなくてもと、同情する気持ちと老いぼれ先生は、誤魔かせると思われたかも。ただ、ほとんどの学生は真面目に聴いてくれているので、それが中心だと考えて、気持ちをおさめることにしましょう。(12/10)<8588>

 


◇ 金曜日の夜は、夜間主の講義。自宅から夜出かけてもいいのですが、準備が必要なので、大学へ。前回の質問票は打ち込んでおいたのですが、それへのコメントが未だなので、打ち込んでました。同僚には、大変ではないかと、同情されますが、実質40人ほど(受講登録生は約70人)ですので、だいぶ楽になり、またコメントを書きながら、楽しみながら勉強になります。

 大学に着いて控え室に立ち寄ったら、久し振りに会った女子職員のKさんから、「風邪は治りましたか?」と聞かれて、びっくり。ああ、この日記を読んでくれたんだなと赤面。歯痛がしつこいが、娘たちからは「心筋梗塞の前兆のこともあるから」・「副鼻腔炎」と心配されたが、Kさんも歯痛が、結局「副鼻腔炎が原因」だったとの話。とにかく、右下⇒左下⇒右上⇒左上と、痛い場所が移転するので、困ったもんです。明日・土曜日、予約なしだが歯医者に行こうか。不思議と、2週間前も、金曜日に腹痛で点滴、先週は土曜日に歯医者。何か、金曜日にいつも起こる。夜の授業への拒否反応か、疲れの蓄積か。

 午後、銀行の奨学会(大学進学する目的を持って成績はいいが、経済的な困難な家庭の高校生が対象)の理事会に出席。(本来は、学長退任の際に替わる予定だったのですが、組織替えで解散する目前の為に、延長になっていました)。特に、新たな義捐金があり、震災被害の高校生に給付する審査です。もっと、様々な公的資金を使っても、給付型の奨学金がふえるといいですね。

 妻が会議で外出するというので、時間差はありましたが、自宅待機で見守り。大学に再度、出勤したのは6時半過ぎ。急いでプリント等の準備をして、授業へ。終了後に質問票を出す女子学生は、外は雪ですよと教えてくれました。既にニュースで水戸市も雪なのに、福島は未だかなと思っていたので、驚くに足りません。公開授業で受講している社会人の方の質問票。「今日は会社の忘年会を欠席して来ました!今の私には、この講義の方が有用と感じたので。」うれしいね。満足したかどうかは、分りませんが。

 帰りは、雪の中、少々小吹雪。道路が見えなくなるほどではありませんが、慎重な運転で帰ってきました。アニメ(宮崎駿作「天空の空ラピュタ」)を見、昨日の残りのワイン(貴婦人)を飲んで、一日の終了。(12/9)<8578>


◇ 真珠湾攻撃で日米開戦の日、どうしてか歯痛が続いて不快な日ですが、会議中は不思議と起こりません。

 大学には行かず、街なかでの会議の連続でした。午前中は、デイサービスを見送ってのち、県庁での会議、。午後も、別の会議が続くので、委員の先生方と昼食。普段、会議では話していない諸々のこと、率直に話し合いました。環境も、職業も、立場が異なりますが、話していて楽しい。何か、みんな介護する高齢者を抱えており、その合い間の会議です。みんな同じようにやっているということが、何か連帯感を生み出し、自分だけではないんだとの励まし。

 国際交流協会の評議員会に出席するため、近くの大学施設に駐車。時間があったので、旧職員会館に入居している、信稜同窓会(経済)と吾峰会同窓会(教育)の事務所に立ち寄る。会館を改造してよかったと思います。卒業生の砦になってくれればと思います。
 国際交流協会の評議員会は、財団法人から公益財団法人への移行の中で、法的に設置を義務づけられたもの。今回の会議のみの議長を任され、方針と財政関係についての審議。時間の余裕があったので、フリーディスカッションでは、いろいろ出していただきました。県町村会長副会長の新地町長と立ち話。若い頃、石巻に住んでいて、女川にもしばしばでかけたことがあるとか、息子さんやそのお嫁さんは、共に福島大学の出身とか、話は尽きません。機会を見つけて、高校同窓生の相馬市長と共に、新地町長にも、現地に訪問したいと思います。

 自宅に戻って、ディサービスの迎えにも間に合いました。今日は、協同組合関係のシンポジウムを行っていましたが、会議のため出れなかったのですが、以前、漁業復興の問題で、メールでいろいろ教えていただいた、濱田先生が来ているとのこと。世話役の小山さんに確かめて、餃子屋での懇親会に合流、挨拶ができました。懇親会は、農協関係を中心に、生協及び協働組合関係の研究者が、大勢集まっていて、シンポジウムの熱気を感じました。餃子のお土産を買ってきて、3人で食しました。そして、まほろばの里「貴婦人」のワインを美味しく飲み、眠ることになりました。

 友人の浩さんは、シンガポールから帰り、成田空港からメールを寄越しました。新しい女川の町長が復興計画策定委員に挨拶をしにくるというので、一緒の方がいいと思い、時間を調整して、連絡しました。
 女川も、ご無沙汰していますが、同級生が東京でのある団体での忘年会で、私を知っているという人に逢ったとのメール。ツイッターで、女川の図書館を夢を語った間柄。逢ったことはありませんが、世の中は狭いものという感じです。(12/8)<8564>


◇ 体調がなかなか回復しません。風邪が抜けないのとたまに襲う歯痛ですね。何とか治さないと。
 午前中、学術講演会、上智大の森戸先生の「公務員の労働基本権」の話。同席させてもらいましたが、なかなか面白い。パワーポイントも、上手くできていて、よく理解できます。
 早めの帰宅が必要だったので、福島駅まで送りながら3人で昼食。母校の後輩たちが大きな世話になっています。有難い。2時過ぎの新幹線へと送ろうとしたら、駅前での物々しい様子。パトカー、救急車等など。訓練でした。バスジャックを想定して、バスの外向けの掲示に緊急の表示、そして救急車の搬送、被害者の救出、本番さながらの訓練です。年末で、物騒な犯罪も多くなって来ています。油断は禁物です。

 ショートスティの終了で、出迎え。眠くて耐えられないので、30分ほどの仮眠。6時からの弔慰金の審査会の資料読み。5時半に出かけましたが、渋滞のせいで、数分の遅れ。申し訳ない。何とか、会議は進み、また月末です。
 遅めの夕食ですが、早めに休むことにしましょう。力が出ません。疲れのせいの歯痛・歯茎痛かな?明日も、午前、午後と、学外での会議です。夜は、シンポジウムに来られる先生と懇親が入るかもしれません。(12/7)<8544>


◇ 朝、福島駅午前6時発のバスに乗る妻を送って、自宅に引き返し、コタツでゴロゴロ。朝が早いので、コタツから出るのが辛い朝。
 午後の専門演習。最新判例の判例評釈を検討。午後5時からは、場所を福島駅前の飲み屋に移して、ゼミの忘年会。4年次生のゼミ、卒業研究と演習単位のみが残されている学生のみ。まだ、就職決定を獲得していない学生もいるが、間もなく決まるだろう。ゼミ生11名全員のコンパ参加もいい。
 4年間の学生時代の最後の年に、震災・原発事故に遭遇して、精神的ダメージも少なくないだろうが、また一回り大きくなったような気もする。卒業まであと4ヶ月を切ったが、今野ゼミの伝統(?)を承継して、きっと社会で頑張ってくれるだろう。私のゼミ生の最後でもある。今年3月卒業までの「ゼミ卒業生の卒業研究テーマ」を眺めると、いろいろと走馬灯のように、ゼミの情景を思い出させる。
 私一人のみノンアルコールだが、帰宅して一休みして、横浜から日帰りバス旅行から帰ってきた妻を福島駅に迎えに行く。午後10時。長いような一日が終わる。体調は不良だが、葛根湯のドリンクで、なんとか持った日。休むことにしましょう。(12/6)<8532>


◇ 月曜日、天候がいまひとつスッキリしません。体もスッキリしません。人間も自然の1つ。
 車で、家族の仕事の送迎。その合い間に、次回(22日)の復興支援フォーラムの会場の正式申し込み。AOZの大活動室だから50名は入る。安心して宣伝ができる。
 午後、弁護士事務所に行って、弔慰金関係の支給基準の相談。
 女川の姪が開設した、居宅介護支援事業所が地域のプログで紹介されている。ハードのみならず、ソフトの復興が望まれる。
 歯痛がまだすっきりしないので、早めに休むことにしましょう。(12/5)<8514>


◇ 日曜日、ショートスティ中なので、普段できないことをやろうと、妻と共に郡山市立美術館と塩竃の孫宅への2つの計画。

 昼前の遅い時間だったので、両方は無理かなと思いつつ出発。美術館の企画展は、没後150年記念「愉快痛快 奇々怪々 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」の展覧会。今日までの前期は、「遊」、「怪」がテーマで、化け物、妖怪がうじゃうじゃ。「天保の改革」の批判を、妖怪に書き替えて、民衆の喝采を得たようだ。ユーモアがあって面白い。

 郡山(郡山東IC)から、塩竃まで、福島を飛ばして走る。さすがに眠い。国見SAでコーヒー飲んで、辿り着く。早めの退散となったが、帰りも眠い。車が多いので、安易にSAに寄れない。少々、きつかったが何とか無事に帰宅。すこし前夜の睡眠を十分にと、かつ余裕を持った行動が必要。若くないのだから。美術館鑑賞と孫宅訪問の両立は、無理だったかな。でも、充実した一日。

 明日からは、師走の本格的出発。大晦日を目指して走りぬこう。(12/4)<8494>


◇ 土曜日、朝早く起きる人がショートスティなので、油断して、寝坊してしまいました。悪寒がするのと、歯が痛みます。買い置きの葛根湯ドリンクを一本飲んで、なんか治ったような気分。しかし、左右の歯または歯茎が痛みます。
 妻を昼食会に送りながら、大学近くの歯医者に参りました。3年以上行っていないのではないかと思いますが、役職に就いているときは重宝しました。とにかく、会議と会議の合い間に大学を抜け出して治療してもらいました。お医者さんも、こちらの状況を理解してくれて、緊急対応してくれました。診察券は、それしかりありませんので、そこに行くことにしました。
 あまり待つこともなく、治療は終わり、こちらの空いている再来週の時間に、また行くことにしました。痛いときはいつでもということですが。役職も終え、再就職での2年間、後始末で研究室を使わせてもらったので良かったのですが、来年3月からは大学から離れますので、歯医者さんも近くに替えなければならないでしょう。気にかかっていたので、挨拶して来いという歯の痛みでしょうか。
 研究室で、しばらく作業をして、昼食会と映画鑑賞を終えた妻を、拾って(?)、帰宅しました。

 夕食の後、20時半からのレイトショーを観に、映画館へ。「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(全国ロードショー開始・昔「封切」といったやつかな?)。主演は三浦友和、余貴美子です。夫が定年迎える夫婦ですが、妻が働きを再開することを巡っての物語。定年を迎える男の気持ち、それを支えた妻の気持ちと、抑えてきた妻の社会参加、介護・孫の出産等なども絡みながら、感動的な映画でした。富山の風景の美しいこと。

 私は、役職(行政職)退任と定年(教育職・研究職)が同時で、家族にきちんと感謝の気持ちも伝えてない後ろめたさが残ります。職業生活の最後が役職(行政職)だっただけで、長い間・・というには気持ちがついていっていませんでした。1973年4月に教育職(講師)に就いてから、最後に行政職ですが、この2年間、出発点の教育研究に戻ることができました。
 何か、来年の3月(震災1年ですが)、39年間の大学教員の職務を終える気持ちになるのでしょう。曲がりなりにも勤め上げられた満足感(?)と感謝を持って。既に、退官記念の集会はやってもらいましたが、妻や娘や孫たちを前に、39年間の教育職終了の最終講義(お話)をしたいものです。一番、孫が聞いてくれる話の自信はありませんが。(12/3)<8479>


◇ 金曜日、義母の病院への送迎。担当医が変わったこともあり、検査で思い外、時間がかる。続いて、11時までにショートステイに行く予定が、30分ほど遅れてしまった。いつもは、うまく接続していたのだが。検査結果もよく、ますます元気になっているようで、喜ばしい。
 午後、大学へ。夜の講義の準備をして後、避難地域で特例で操業している会社を訪問 。いろいろ話を伺う。仮設住宅からの通勤で、大変なこともあるが、操業は順調のようだ。双葉郡でも、可能なところでの事業再興が進むことが復帰を現実化するのだろう。その先例としても、貴重な事例。津波・地震で、壊れたような家はほとんどないのに、避難とは、異様な感じの中を大学に戻る。
 夜7時半からの夜間主コースの講義。受講生は少なくなったが、顔馴染みも出てくる。パートタイム労働者の雇用保険加入条件で、昨年からの改正を伝えられず、質問票で指摘があり、今回補った。社会人が多いということもあり、労働法制は、現実の問題として関わっているのだと思う。学生に教えられるのは、有難い。(12/2)<8465>


◇ 遂に、今年の12月を迎えました。大震災はじめ、歴史に残る年になりましたが、最後の月に辿り着きました。今年の師走です。
 喪中の葉書が来ていましたが、なかなかそうした気分になれず、延ばし延ばしで12月になってしまいました。妻が見かねて頼んでくれた喪中の印刷。今日刷り上るというので、いつもの印刷屋さんに取に行ってきました。今晩は、もっぱら住所書きです。こういう行事を通じて、気持ちを落ち着けていくのでしょうか。
 愛媛に避難している福島の方々が、子ども冬休みを利用して一時帰省。その際、福島県に要望書を提出するというので、仲介を頼まれた。県庁と朝から連絡を取り、何とかなるでしょう。避難者と残留者の意識の溝が心配だが、分断されないで、被害者同士の連帯が必要。そのためには、自己の選択を他に押し付けず、相互に尊重することが前提だろう。

 県の復興計画が出てきて、県民に提示される。重要なポイントは、第2原発も含めての廃炉。原発立地自治体の首長のコメントも出されているが、<相談を受けていない>、<廃炉にして雇用はどうなのか>、<今の時期にどうして決める必要があるのか>等など。住民の苦難と意向を反映しているのだろうか。
 今回の事故は、立地自治体だけでなく、60キロ離れた福島にまで及んでいる。原発事故によって地域社会は破壊されている。単純な雇用問題ではない。この後に及んで、安全神話にしがみつくのか。事故が起きなくても、廃棄物の処理が出来ない状況の深刻さを教えたのが今回の事故。立地自治体だけでなく、被害を蒙っている自治体住民の意向にも謙虚に耳を立てて欲しい。

 第2回のフォーラムは、12月22日。まさに復興のあり方が焦点になってくる。特に原発の問題。肝腎の福島が原発から脱却できずに、全国の廃炉は不可能だろう。福島の帰趨は全国の帰趨を決める。このフォーラム、市民の協働による復興が重要になってきている。
 明日は、マイナス2度の予想。そろそろ雪かな。(12/1)<8450>



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