日 記

(2012年1月)


<Welcome from Fukushima - Konno>

◇ 今日、月末。学生の卒業研究の提出日。ゼミは中止にして、夜の打ち上げゼミコンパ(お別れコンパ)。

 今日まで期限の「映画無料鑑賞券」があるので、勿体ないと思い午前中から映画館へ。フォーラム福島の映画館で、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」吉岡秀隆はじめの俳優、感動の映画。いつもより観客が多いが、年齢は高め。東京オリンピック(1964)の時代。庶民の幸福感、震災後ゆえか、心に滲みる。涙腺が緩みっぱなし。

 コンパは夜だから、研究室へ。簡単に終わる予定だったのだが、放送大学の面接授業のための書類送付の締切りが今日。授業内容を書いて、履歴書等を書こうとしたが、書式として送付されていたエクセルに上手く入らない。手で書いた方が早いのだが、思うように行かない。学生の代表に30分ほど送れることを連絡するが終わらず。肝腎の授業内容だけ送付して、履歴書などは後日に送付することにした。急いだが、凍結のせいか、渋滞。予告よりさらに30分の遅れ。使いこなせないと、機械に従属してしまう。

 全員(11人)出席のコンパ。12人のうち、1人はロンドン語学留学、1人は留年で、10人が卒業。地方公務員5人、民間企業3人、試験準備2人というところ。全員、同一スタートというわけには行かなかったが、すぐに追いつくでしょう。全員、よく頑張りました。下級生のいないゼミのため、2年間ゼミの主体でした。力を抜くことができなかったでしょうが。花束までもらいました。

 明日から2月。ショートステイのお迎え。寒さが厳しいので、風邪には要注意。(1/31)<9496>

 


◇ 月曜日の研究室は、特に寒い。節分あたりまで、寒さは続きそうだ。福島は、まだいいが、北陸や日本海側は大変。弘前の住人も、「夜勤で帰ってきた部屋が寒すぎて・・・」との冷ヤッコイメール。春が待ち遠しい。

 午前中は、出版社へ初校を送付。内容の書き足しが行う余裕と中身がないので、形式的なもので終わり。朱を入れたりするのでPDFにしようと思ったが、結局は、郵送されたものをプリンターでスキャン。
 PDF化しようとしてが上手くいかず、事務のプリンター(カラー)にお願いする。しかし、サイズが9MGと大きい。送られて来たPDF(白黒)は、極めて小さいのだが。この辺は、機械のせいか、技術のせいか。
 結局、そんなことで右往左往するのみで、送信。中身はよくなくても、気持ちはスッキリ。研究者的ではないが、送ると諦められるのかな。

 ふくしま復興支援フォーラムの関係で、双葉郡で頑張っている人たちとの連絡ができた。リンクの許可だが、ツイッターやフェースブックでの交流も開始できた。
 やっぱり、個人の顔が見えてくるといい。もっとネットワークを強化しないと。こちらのホームページにリンクさせてもらった。「富岡町応援支援情報サイト」(富岡インサイド)と、   ★「相双福興情報」(相双ビューロー)

 女川の復興計画について、民間レベルから産業復興に関して、提案が出されたようだ。ツイッターで、その新聞報道(「三陸河北新報」「NHK」)を教えてもらった。住民主体の復興への第一歩になればと、期待している。
 市役所で妻を乗せて、早めの帰宅。コタツにもぐって、「コタツムリ」。ああ、寒いのはいやだ。(1/30)<9486>


◇ 寒さの厳しい日曜日。日本海側は大雪です。
 午前、コープに灯油買いに。今日は、ポイントが多い日だそうです。有利な時に、買い溜めです。わが家だけでなく、販売所前は混んでいました。生活感覚の豊かな人に学ばないと。年金生活者らしいスタイルが必要。
 11時過ぎ、土湯峠の箕輪ホテル内にある、イオンセラピー「イオラ」へ。登り道は、時には太陽が燦燦と輝き、暖かかったのですが、道の駅周辺から気温が急降下。マイナス8度。
 お客が少なく、ゆったりと温泉及びイオラに浸かって、社長さんと暫くぶりの懇談。介護の話など、中高年になると共通の話題です。下山は、ゆっくり下がってきましたが、2台後ろの車が、曲がり角で、高速の追い越し。私の車の前で、クルクルと回転。幸いなことに対向車もなく、事故にはならなかったが、タイミング悪ければ対向車や私の車も巻き込まれたかなと思い、ゾッとする。マイナス8度の坂道は、無理な運転は禁物です。その後も、何もないように下ってきましたが。
 夜、孫宅では、水道が凍結して風呂にも入れないと悲鳴。マンションでも水道が凍結するのだろうか?近くに住んでいれば、何とかなるが・・・。これから「真実一路」の映画を見ることにします。明日まで必着の初校は、明日、メールで済ませましょう。(1/29)<9462>


◇ 午後からの「ふくしま復興支援フォーラム」の準備のため、大学へ。雪は多いが、駐車場はすっきり。
 次回フォーラムの案内文、さらにニュースを作成して、市内の会場へ。

 11月末に開始して2ヶ月だが、4回目のフォーラムを迎えた。総論から各論に移りつつある。今日は、丹波先生に「双葉郡8町村住民実態調査について」の報告。問題の性格もあり、新たな顔ぶれも見える。
 基本的にはメールのみで案内しているが、35名の参加。50名以上の参加経験者になっていると思う。具体的な双葉郡への帰還を巡って、より具体的なまちづくりや産業・雇用の回復の論議が出た。除染の進行とまちづくりの並行の必要性が強調されている。
 第5回、第6回を2月中に行う(20日、25日)。広範な市民を巻き込みながら、市民の知恵を結集して行きたいものだ。市民の力による復興の実現である。

 終了後、友人たちと喫茶店へ。溜息ばかりでなく、どう復興を実現していくか、熱っぽい議論が継続する。元通りになることだけでなく、市民の力による復興で、民主主義の力が強化されることを期待している。中央政権が東北を差別化(植民地的に)してきたのは事実だが、それを住民主体に切り替える力も弱かったのではないか。この復興作業は、 民主主義の復興でもなければならないのだろう、と思う。(1/28)<9449>


◇ 雪が降って、寒い朝です。
 ショートステイに、義母を送って、帰ってきました。介護施設は、こんな寒い日には暖かくて、安心です。
 昼食を済ませ、夜間の講義のため大学へ。授業の準備のためというよりも、前回提出していただいた質問票などのタイプとコメント。結構、勉強になります。個人的に解答して返すのではなく、受講者全員(提出者)の感想等へのコメントを通じて、授業の不足を補っています。延べ人数で500人程。

 試験前最後の授業は、早足の講義ですが、授業アンケート調査(匿名)の中でも、多くの学生が褒めてくれました。なかには、眠い講義とか、声が小さいとか(マイクを使っているのですが)、あまり納得できないものをありましたが、まずまずでしょうか。

 今日も、質問票などを提出してもらいましたが、多くはこちらの努力を認めてくれたようです。
 「最後に、約半年にわたる講義、お疲れ様でした。先生の丁寧なコメントのおかげで、感想を書く甲斐がありました。先生も、お体を気を付けて、仕事に励んでください。」
 「今日は、雪がひどかったので、先生がいらっしゃるかどうか心配でしたが、良かったです。・・・・先生、半年間ありがとうございました。コメントもいただきうれしかったです。」
 「本当にお疲れ様でした。質問にたくさん答えていただき、ありがとうございました。教科書の勉強だけでなく、様々な年齢や職種の違う受講生の思いや、待遇などを知り、その答えを見て、生きた勉強ができ、とても有意義でした。お体を大切に、いつまでも現役でいてください。」
 「私も今日転びました。手をぶつけて痛いです。先生は、しゃべり方がおっとりしていて、金曜のしめくくりの授業で、なんというか癒されました。」
 「いつもコメントありがとうございます。先生の御講義を受ける機会が、本日で最後になってしまい、少し寂しいものがあります。半年間、大変ありがとうございます。」等など。

 不思議と、これは全て女性受講生。男女半々ぐらいなのですが、やっぱり優しい気持ちの表現に長けているのかな?お世辞でも、うれしくなりますね。

 夜10時半頃の帰宅。積雪・凍結の道路を恐る恐る、走ってきました。録画予約していた、石巻の「のど自慢」をテレビで見ています。何か出演者の眼差しが、共通に、悲しみと決意を込めたような眼差しに見えます。私もそうなっているのでしょう。休むことにしましょう。(1/27)<9440>


◇ 午前中、二本松市市民交流センターまで行き、浪江町の復興検討委員会を傍聴。
 狙いは、児玉龍彦教授(東京大学アイソトープ総合センター長 )の講演を聴くこと。講演の第1部は「放射線による健康被害」、第2部は「除染」。かなり具体的な話で、何か希望が持てる話だった。
 日本の科学技術を総動員することによって、復興を実現していくべきでしょう。紹介のあった島津三條工場での迅速計測器の完成は、具体的な動き。「世の中をかえる研究というのは、純粋な心から生まれるものなのです」という猿橋勝子博士で、締めくくり。現地から、研究者の心を動かす発信と情熱が必要です。

 卒業生予定者の卒業研究についての個別相談、そして歯医者へ。痺れるような寒さです。
 震災直後に生まれた孫の、10ヶ月目のお誕生日(?)。一人で立ったようです。次から次へと、できることが広がっていく過程が羨ましい。こちらは、できていたことが、次々と出来なくなる悲哀。
 教育学部時代の教え子のFacebook。娘の19歳の誕生日とか。時代の歯車が、回っている。(1/26)<9420>


◇ 夜の飯舘村弔慰金審査会の予定があるが、昼間は研究室での作業。

 元同僚で、台湾の語学学校、そして日系の企業で働いているWさんが寄ってくれた。旧正月の休みによる帰省。
 日本人所長ー現地の上司ー労働者である台湾の方々と日本企業の方針との板挟みの苦労が絶えない様だ。日本で、常識的と考えていたことが、なかなか通用しないジレンマ。しかし、元気でやっているようで何より。英語・中国語・日本語を駆使(?)する能力をもち、専門大学院も出ているのに、もう少し、能力を生かす働く場があるとは思うが、無駄な経験ではないだろう。

 土曜日のフォーラムに向け、双葉郡8町村の議会事務局と何とか連絡が取れた。なかなかネットワークがつくれない。上手い方法はないのだろう。足で稼ぐだけ。
 夜は飯舘村の審査会。ビデオの早戻しのように、それぞれの苦難を遡る。故人や遺族の悲しみを思うと、胸が痛くなる。(1/25)<9401>


◇ 3日連続の仙台通いで、久し振りの大学。先週に続いて、外部講師の講義。飯舘村の菅野村議。
 青年時代から、村の青年会の活動、そして牛の飼育。着々と進んでいたなかの原発被害。息子さん夫婦は孫を連れて、北海道に避難。描いてきた夢が破壊されたことを、たんたんと話す。

 年限を決めて、戻るか戻らないかを迫るのではなく、段階的に、戻れる条件をいかにして作るか、そして時間がかかっても戻りたいという気持ちを大事にする、避難している人たちに対する支援。10年、20年かかるかもしれないが、かなり現実的な路線。もちろん、この際、戻る気持ちを捨てて、全く新しい土地での生活にかける人がいても、その人の判断。

 被災地にいるせいか、被災地からの声を取り上げるということで、原稿が依頼されることが多くなってきた。まずは、被災地の雇用問題、復興のなかでの雇用問題。季刊労働法(発行済み)に続いて、憲法研究者のよびかけでのの共著(初校段階、3月11日発売)。そして法律時報の特集号(6月号)。また、秋の社会保障法学会のシンポジウムでの報告(準備の研究会が3月末)。まだまだ、ストンと落ちるような研究に到達しないので、反省しながらの試行錯誤。外部講師の話も、何か得られるものないかとの焦り。研究力には限界があるが、まだやるべきことが押し寄せてくる(少なくとも被災三県の労働局のヒアリングは必要)。

 テレビでは、税と社会保障の一体改革の首相の施政方針演説が報じられているが、郡山市での社会保障の講演(担当職員研修)があり、そこでは研究者としての問題の整理と展望を勉強して、話したいと思う。2月17日だからもうすぐ。

 午後、最後のゼミ。卒研報告は、まずまずの成果。1年間、就職活動と共に、よく頑張りました。(1/24)<9379>


◇ 昨日に引き続き、仙台の告別式へ。

 朝、8時20分発の新幹線。朝のラッシュにもあい、うまく進みません。何とか駐車場に車を置いて、いざ、駅舎へ。
 それ程の凍結ではないのですが、二人の女子高校生の前で、滑って、尻餅をついてしまいました。お座りした感じ。あれっ?何で滑ったんだろうと、独り言。照れ隠しかな。高校生が受験生でなければいいが。「滑った」なんて縁起でもない。新幹線には、ゆうゆう間にあいました。

 仙台駅から仙山線に乗り換え、北仙台駅で降りました。タクシーで葬儀場へ。
 タクシーの運転手と、原発事故の話。警戒地区から避難してきた高齢者の話、福島の物産販売に協力していること等の話。こうした働いている人にも支援を受けて、ありがたい。

 10時半からの告別式、そして予習法要を済ませて、12時に出棺。
 12時半からの火葬(葛岡斎場)。1時間半ほど、震災の事など話しながら待ちました。
 あまり話す機会のない甥や姪との話し合い。孫として、故人に可愛がられてきたことがよく分ります。ストレートに出てくる悲しみの気持ちに、故人は幸せだったなあと思います。惜しみなく愛されてきたこと、愛してきたことが、手に取るように分ります。

 再度、葬儀場に戻り、法事の会食。故人のご兄弟の関係者との懇談。10年前ほどに亡くなった故人の夫君。二人とも秋保村の同級生。終戦の頃が成人の世代、故人は看護職を勤め上げました。
 帰宅して育児をし、また夜勤に出かけざるを得ないが、家庭をしっかり守りました。私の娘の家庭と同じかなと想像しますが、今以上に大変な時代だったと思います。

 甥に北仙台駅まで送ってもらい、福島に戻りました。土曜日ー日曜日ー月曜日と続きました。お見舞いがお悔やみに変わり、そしてお通夜、今日は告別式・火葬・法事と。
 悲しい気持ち、張りつめた気持ち、そして緊張が解けて、疲れが出てきました。
 ゆっくり休むことにします。故人の人生を思い出しながら、明日から日常に戻ります。(1/23)<9350>


◇ 日曜日。義弟の義母のお通夜があるということで、仙台へ。3時からの納棺に間にあるように出かける。若い女性の納棺師、映画「おくりびと」以来、知られるところとなったが、手さばきも鮮やか。化粧っけのない、仕事一徹の故人だが、うっすらと化粧。何か、気持ちが落ち着く。
 先方の孫、私の孫たち。賑やかですが、次に続く子どもたちの元気な声が、悲しみを和らげます。
 お通夜、そして会食を終え、北仙台から乗り、新幹線へ。連絡が悪く、構内で40分ほどの待ち時間。福島に10時過ぎの到着。明日も、告別式に出かけます。(1/22)<9335>


◇ 土曜日。定期的に行っている病院での定期診察。思い切って、運動不足の解消と食事に気をつけないと。
 午後の仙台での研究会に向けて、早めに行って、病院で見舞いを予定。11時12分の新幹線に乗る。すぐに、義弟夫婦に病院に行くとメールで連絡。すぐに返信が来たが、直前に亡くなったとのこと。
 仙台駅からタクシーで病院へ。お見舞いがお悔やみになってしまった。本当に残念です。88歳とのことですが、本当に孫たちを可愛がって、そして最近はひ孫とも会えました。遺体を葬儀場に運ぶのを見送って、研究会の会場(川内)まで送っていただく。

 午後の研究会。2件の判例研究と事例報告。人数は少なかったが、充実した報告と議論。夕方、研究会の新年会。途中、長女から電話あり。明日・明後日の葬儀などに参列できないので、今からお悔やみに行くとのこと。私は、出直して、明日の夜のお通夜に参列しましょう。9時頃の新幹線で福島に帰る。仙台の雪混じりの雨、福島の雨混じりの雪。傘を持参しなかったので、濡れながら帰ってきました。

 思いがけないお悔やみとなってしまったが、子ども、孫たちが集い、安らかな眠りについた。本当にありがとうございました、ご冥福をお祈りしています。合掌。(1/21)<9322>


◇ 朝6時、起きる寸前、寝床の電話の子機が鳴って目が覚める。義弟の嫁さんのお母さんが危篤ということで、家族が仙台に移動するとのこと。その後の連絡では、一応、安静状態とのこと。長年、看護婦長さんで活躍してきたが、何とか快方に向かうことを祈るしかない。
 NHKのニュースは、東京都心で本格的雪、今年の初雪とのこと。福島は降っていないが、東京のお天気キャスターを見ると寒さが伝わる。今日は、デイサービスもないので、午前中、妻の仕事の間、自宅待機。

 午後、大会議室での災害復興研究所主催の研究会に出席。報告者は、(社)日本原子力産業協会参事の北村俊郎氏。テーマは、「原発推進者の無念<避難所で考え直したこと>」。北村氏は、私と生年が同じだが、慶応大を出てから、日本原子力発電(株)に入社。東海村、敦賀市で原発の建設、運転(主に労働安全、人材育成、地域対応)に従事。1999年に福島県富岡町に移住、今回の原発事故で避難している。原発自体に関わってきた経歴から、事故の原因と背景を、内部の視点から描き出している。アメリカ・韓国の原発と比較して、メンテナンス体制の比較に興味を持った。特に、日本の場合、電力会社の下に、メーカー社員があり、その元に多層的な下請体制が特徴らしい。原発労働者問題を、このような体制との関係で、具体的に調べてみたい。最近出された著書「原発推進者の無念」(平凡社新書)を、生協に注文した。具体的かつリアルで、いい話だった。

 女川で絵本や図書館づくりで先頭にたっているAさんのFacebook。「とうちゃんのトンネル」という絵本。「6年生への餞のおはなし会で読む予定の絵本です。昨年、石巻家の容子さんらと一緒に練習したけど、震災で…今年リベンジします。」。あっと思い、私も反応。「姪・容子のためにも、いい集いにしてください。」と。そして「はい、私は容子さんに誘われてこの会に入ったので…がんばりますね^^」と。姪は、こうして友人たちの心の中で生きている。

 震災直後に、避難所にいる子どもたちを集めて、3日後には授業再開。また、NPOの支援で「女川向学館」を、使えなくなった小学校での開催を支援してくれたのは、女川の教育長・遠藤定冶さん。自ら被災者でありながら、子どもたちの心を救ったと思っている。奥さんは、私たちの同期生ということもあり、特別の親近感を持っていました。12月末で3期12年の任期満了を迎え退任のご挨拶状をいただく。残念ですが、その文面は感動的です。
 <東日本大震災の女川町の被災率は8割、人的被害1割弱、住家被害は7割を超える流出全壊。町は壊滅的打撃を受けました。
 子ども達はこのように表現しました。「今、女川は何色に見えますか」「天国と地獄の境は何処ですか」「ただ今と聞きたい声が聞こえない」、辛く悲しく痛ましい心の叫びでした。
 だれもが生きることが精一杯。生き抜く力が求められました。震災から10ヶ月、子ども達は「止まっていた女川の時間動き出す」「笑えてるお帰りなさいもとの自分」「あの時は無理だと思った文化祭」と表現し、学校は日常性を取り戻しました。子ども達は震災と向き合い、震災を乗り越えようとしています。
 町は国内外の温かい支援をいただいて、災害復興に向けて取り組んでいます。ガレキの処理、地盤の嵩上げ作業は進んでいます。女川の復興元年はスタートしました。>

 遠藤教育長さんは、成城大学のご出身ですが、名城大学のホームページの「育て達人」および「名城大学きずな物語<第8回 教育の再開なくして復興はない>」で、人となりが分ります。教育熱血漢ですね。この時期に、遠藤さんの教育長で、女川の子ども達は幸いでした。

   研究会、歯医者、夜間の授業。忙しい日でしたが、充実した日でした。(1/20)<9308>


◇ 今日は昼頃まで研究室で、学生の質問票に対するコメントを打っていました。口で話すのは、比較的曖昧ですが、文章化してプリントすることにすると、少し気合が入ります。
 しかし、かなり個人的な感想も返します。自分の学生時代と比較すると、現実的というか、素直というか、建前論ではない傾向があります。女性は、やはり結婚・出産するので、平等にはできないのではないかと、ためらいもなく書かれます。使用者の立場に立てば・・・と。常識を疑うことから学問が始ると云っているのですが、疑うことは無関係です。育ちがいいのかな?

 午後、県の委員会と新年会。遅めの会議の開始です。いろいろと、体系もなく意見を出している事項を丁寧に拾い、対応していこうという真摯な態度には感心します。普通は、まあ、聞き置くだけというのが多いのですが。そうならば、こちらも一生懸命に考えないと。労働強化をもたらさないようにして。
 新年会といっても、華やいだ雰囲気はありません。大変な昨年を振り返りながら、何とか、無事、年が過ごせたらいいと思います。そして堅実に復興の足取りを進めて。8時半には帰宅。品行方正です。
 いかなる組織も、焦点は担い手の質。職員の力が、組織を高め、難題も解決するでしょう。どんな職員も、持てる能力を発揮できて、働き甲斐がある職場であれば、不祥事もなくせるでしょう。もぐら叩きを、いかに強めても、根元を見つめない限り、繰り返されるのではと思います。
 特に、同僚同士の助け合い、時には批判が必要でしょう。それができなくなっている状況を、直視する必要があるでしょう。相互の、横の連携が弱まっているのではと思います。「絆」の重要性が指摘されましたが、職場内の「絆」も、もう一度見直す必要があるのでしょうか。

 昼休み、思いがけなく「ふくしま復興支援フォーラム」に、東京の友人と二人で出てくれるという話をもらいました。メールだけでの呼びかけなので、続くかどうか心配でしたが、30数名参加が2回続いて、前回は20名ほどの参加。参加者数で決められませんが、自主的に参加できる輪を広げるためには、テーマと報告者を広げていかなければなりません。次回の「双葉郡8町村住民実態調査」に引き続いて、仮設在住者が考える復興のあり方、教育問題、医療問題、損害賠償問題、除染問題、漁業問題、食品安全問題、地方自治問題、雇用問題など、丁寧に取り上げて行きましょう。「オール福島」を市民の側から作っていく必要があると思います。夢は大きいが、その実現は、地味な一歩一歩の歩みでしょう。ということで、今日は休むことにしましょう。(1/19)<9287>


◇ 日差しも多い水曜日。一日中、自宅滞在。
 少し長めのショートスティから帰ってくる義母を迎えに、施設へ。帰りに、病院に寄って診察(クスリが切れてきたため)。患者さんは少ないようですが、予想より長く時間がかかり、午後2時頃まで。

 アマゾンに頼んでいた本(生島淳『気仙沼に消えた姉を追って』・文芸春秋)が到着。何か、半分自分の感情も投入、読んでいます。気仙沼は、規模は大きい市ですが、女川と同じ様な雰囲気のよう。
 宮城県の三陸側は、地図を見ると近いが、なかなか交流が少ない。合併が進んだが、北から、気仙沼ー南三陸(志津川など)−石巻(雄勝など)−女川ー石巻(牡鹿)と並ぶが、道路はあるものの、鉄道が南北には繋がってなく、気仙沼や南三陸に行く機会は、あまりありません。しかし、今度の津波惨事で、この繋がりを意識しました。

 石巻や仙台といかに結びつくかという発想が強いのですが、女川の魅力は離半島部と思っている私は、繋がりも牡鹿(石巻)−女川ー雄勝(石巻)の繋がりを重視したまちづくり、防災を考えるべきではなかろうかと考えています(ある首長さんは、O-O-O連合と呼んでましたが)。
 大きな石巻に入って、隣町の雄勝町、牡鹿町(鮎川)の魅力のアピールが控えめになっているような気もします。女川の再生・発展は、雄勝や牡鹿の魅力、離半島部の魅力を、取り込めるかにかかっているような気もしますが、これは少数意見ですね。
 こんな発想は、町外の無責任な考えかもしれません。住んでいる人は、当面の生活のためには、石巻・仙台との距離をいかに短くするかと考えるのが常識的。迷惑がられないように、口を出さない支援に努めることにしましょう。(1/18)<9259>


◇ 1月17日は、阪神・淡路大震災の日。17年になります。5時46分、朝のテレビニュースが大地震を伝えているを偶然見ていました。画像は届きますが、見ている方は揺れていないので、何か、映画を見ているようでした。あれほどの犠牲者を出した地震と分ったのは、大分後のこと。(それにしても、東日本大震災の地震は午後2時46分。なにか不思議な偶然です。)
 17年経っても、悲しみが続いている神戸の方々。2ヵ月後に1年を迎える東日本大震災。悲しみは消えることがないでしょうが、生きている者の役割を果たして、復興させないと・・。神戸と東北、2つの被災地の支え合いを大切にしながら。

 午後の専門演習の前に、学際科目「小規模自治体の実践から学ぶ地域づくり学」に非常勤講師として来られた飯舘村の渡邊とみ子さん(「かーちゃんの力・プロジェクト」コーディネーター)の講義を聞きました。農村における女性起業、そして原発災害、その中からまた、立ち上がっています。「風が強いほど、凧は高く舞う。」といい、「あきらめないことにしたの!」と。
 資料として配布いただいた渡邊さんの年賀状のメッセージも、感動的。 「 希 望 / 暗闇の中から僅かの光を探してきました / ずっと、道なき道を歩いてきました / つらくて、悔しくて、沢山泣きました / あきらめないで小さな一歩を踏み出しました / そしたらね / いつの間にか大きな和が生まれたの / だから、頑張っていくことにしたの 」

 専門演習で「卒研」の補足報告をしてもらい、専門演習は、残すところあと1回。31日は、卒研提出の最終日ですが、その夜、ゼミコンパ。下級生もいないので「追い出しコンパ」にもなりませんが、「解散コンパ」かな?。専門演習の後、卒研指導のみの学生と研究室で打ち合わせ。帰宅。

 テレビの歌謡コンサート。娘にはいい曲だったと聞いたが、入浴のため聴けなかった紅白の一つの歌。秋川と夏川の「明日という日が」。「大空を 見上げて ごらん / あの 枝を 見上げて ごらん / 青空に 手をのばす 細い枝 / 大きな 木の実を ささえてる / いま 生きて いること / いっしょうけんめい 生きること / なんて なんて すばらしい / あすと いう日が あるかぎり / しあわせを 信じて / あすと いう日が あるかぎり / しあわせを 信じて・・・・」いい歌だなあ。
 仕事はスランプだが、何か心が洗われる日。いい一日だった。(1/17)<9247>


◇ 大学入試センターのため入構できず、3日ぶりの大学です。元役員で一緒の永倉さんから連絡あり。大学に用事があって来たようです。研究室に寄ってくれて、昼食を一緒。懐かしい話、近況。全くの同世代だし、同じ釜の飯を食った間柄。
 丁度、食堂で、監事の田原先生が同席。偶然。1時半からの会議のために宇都宮から。いろいろ役員会の様子など、伺いました。本当に大変な時期に、いろいろ指導をして頂きました。有難いものです。

 期限付きの県職員の採用情報を知っていると思ったら、係も委員会も先生も知らなかったようなので、ホームページ・募集要項を紹介した。あまり役に立たないかもしれないが、募集人数も多いので、意欲的な学生の応募を期待したい。
 今週は、2回の新年会。体に要注意!(1/16)<9227>


◇ 昨夜は、塩竃の孫宅に泊まったので、先ほど(昼前)に帰ってきました。
 昨日の午前中は、日頃お世話になっているディサービス利用者の家族会に出席する妻を送って、帰り生協のスタンドで灯油を買ってきました。ポイントが多い日らしいので、行きましたが、結構、混んでました。ポイント制というのは、機能しているんだなと感心。

 生協系列のガソリンスタンドの帰り、コープふくしまの本部に寄りました。ガソリン用のグリーンカードの相談ですが、食品安全委員会が出した、食品中の放射線物質の新たな基準値(案)についての、放射線審議会でのコープふくしまの佐藤理事の説明について、聞いてきました。現地としての切実な意見を表明して、大きな議論をよんだようです。
 消費者団体の生協が、地元の農業などをも守る立場から、この改正案に異議を差し挟んでいます。コープふくしまの専務が答えている基本的立場は、「我が国の放射線防護の基本的な考え方は、現存被ばく状況にある地域で経済活動を成立させ、住み続けられることを実現することのはず。」と。今後、復興に向けて、消費者と生産者を守る立場から丁寧な議論が必要です。

 2時半過ぎ、東北道経由で塩竃へ。震災後に生まれて孫の成長振りに驚きます。大きくなると、成長の度合が見えませんが、長い眼で見ると成長していることは確実です。もう少し、広い場所で育って欲しいとも思いますが、「狭いながらも、楽しい我が家」なんでしょう。孫たちがダウンして、一緒に就寝。そして朝。長い時間、ふとんの中にいた割には、少々睡眠不足。慣れないからなのでしょう。
 日曜日の今日、受験生はセンター試験第2日。ペースを回復して、明日からに備えましょう。(1/15)<9200>

 昼食を食べて、久し振りに土湯峠のホテルプリミエール箕輪内の「イオラ」(マイナスイオン全身浴)に行ってきました。行きはよいよい、帰りはマイナス5度の道路、さすがに緊張します。社長と話して、経営の大変さを教えられました。せめて常連の方々と、ネットワークをつくって、小企業といえども盛り立てたいね。常連の方々と連絡取るのは、むずかしいですが。

 帰ってくると、女川の姪から写真添付のメール。女川町の写真復活プロジェクトで見つけてきたようです。懐かしいね。行方不明の実姉の写真もあります。いろいろ想像しながら、思い出に浸っています。写真っていいもんですね。
 二女は、東京の学会から新幹線で弘前に辿り着いたようです。長女は、今日は、200名の前で報告する予定だったようですが、知らないで押しかけ、イビキで迷惑をかけたが、何とか乗り切ったのでしょう。悪いことをしたな。まあ、高齢者だから仕方ないね。(1/15)<9207>


◇ 自宅閉じ籠りの連休・第一日。午後、家族を車で送っただけ。後は、パソコンに入力。運動不足になるね。
 送ったついでに、スポーツクラブに寄る。ウォーキングが一番いいとは思うが、自制心に自信がない。一定のお金を支払って、勿体ないから行くという関係を作らないと。今日はパンフレットをもらうだけ。中年を中心に、結構、人の出入りがある。この世界は、全くの新入り。検討して、又くることにして、帰る。
 大きなニュースは、野田改造内閣の発足。そして広島の刑務所からの脱走囚が捕まる。所持金10円。刑務所に帰りたいと。大きな犯罪を犯されなくてよかった。
 突然、二女から東京の学会に来ているとのメール。福島をスルー。孫宅に行こうかと言ったら、長女は土日勤務。まあ、孫はいるから行くことにしようか。明日・明後日はセンター試験。家族の中に受験生がいると、張りつめた前日。わが家にとっては思い出になってしまったが、明日の受験生を抱える家庭は、大変だろう。緊張しないで、風邪を引かないで、ベストを尽くして欲しい。(1/13)<9176>


◇ ヒヤー、寒いね。夜間の講義が終わって、帰ってくると車外気温ー4度。凍結はないが、寒い。
 午前中は、義母をショートスティへ送る。定期的な環境変化である。元気になっていくので、施設のヘルパーさんも驚いている。
 昼過ぎ、研究室へ。みなし金曜日の今日は、夜の講義。いろいろと準備があるが、ペースが遅くて、昼食・夕食が、なんとかごまかす。
 予約している蓬莱の歯科に行く。なんと歯科の前の喫茶店から出て来たのは、箱木先生夫婦。お二人とも定年後の悠々自適の生活なのか、ちょっと立ち話。同年退職組なので、懐かしい(?)。何よりもお元気そう。
 夜の講義は、持参したつもりのレジュメが見えず、まあ何とかこなしたが、進度が心配。年を越して、少し疲れ気味か。講義もあと2回。まとめは、きちっとしたい。明日から、センター試験休暇(?)。研究室に行けないだけだ。少し、4月以降のことも考えよう。(1/12)<9158>


◇ 寒い一日です。研究室で、夕べのフォーラムの準備。NHKの記者からの電話での問合せ(取材?)。雇用保険が切れる段階での雇用の課題。仮設住宅での取材を通じての疑問のようだ。やはり具体的に動いている者は、焦点が定まっている。

 昼食は、自動車の中で、パンと野菜ジュース。その後の宴会を気にしての抑え目の食事。
 市内のホテルでの、コープふくしまの定例理事会。順調な経営状況。2時間ほどの会議の後の、新年会。
 いろいろと理事の話を聞いていると勉強になる。コープで力を入れているポイント制度が、どれだけ販売に影響を与えているのか。疑問だったが、かなり買物のインセンティブになっているようだ。やはり、たまに買物する人間には、有り難味がわからないのだろう。それにしても、最近、買物すると、ポイントカードお持ちですかと聞かれること多い。やはり、生活感がないと、だめだ。

 夕方、「ふくしま復興支援フォーラム」の第3回目。根本敬氏の農業分野での損害賠償問題。少し参加者が前回、前々回よりも少なく、20名ほど。寒さのせいかな。農業での具体的な話を聞くと、切実な課題が多い。終了後、よびかけ人で、夕食という「反省会」。帰宅は10時半。明日は、夜間の講義(みなし金曜日)。(1/11)<9141>


◇ 久し振りの出勤。午後からのゼミ、年末まで提出してもらった卒業研究の追加・補正報告。それぞれ、力作なのだが、最後の「考察」「私見」のところが不十分なのが共通点。勿体ないので、来週・再来週のゼミの時に、追加報告してもらうことにした。

 珍しく、講演の依頼。担当者だが、社会保障の展開方向。野田内閣が社会保障の一体改革を提起している時期。いい機会、勉強してもらうことにする。

 帰りしな、同僚に、4月以降は女川に帰るんですか、と聞かれて、いや全て流されてと。流されてなくても、三男坊なので、もともと家も墓もないが。
 福島に自宅を持っているから、何も心配することはないが、確かに、大学院も含めて自宅以外のところに専用の机があって、それに通うことに慣れきっていた45年。そうした生活にピリオドを打つことになる。
みんな定年退職とはこういうことなんだろうなと実感。講義・講演ではいつも言っているが、定年後の生活を新しい人生も歩むつもりで。まずは、体力が必要、ウォーキングにするか、ジムに行くか。明るい夢をみよう。(1/10)<9115>


◇ 三連休・最終日。成人の日です。昨日の続きで、研究室通い。夕方までかかって、ようやく2本の原稿を送りました。 8000字と2500字の原稿ですので、大原稿ではありませんが、書きなれない(書くのを忘れたのか)ので、ドタバタ。延ばす締切りを、今日中と自己申告したものですから、それを待って打ち切りかな。2本を送信してホッとしています。充実感はありません。ただ、解放感はあります。

 あとは、1月中の授業、そして卒研。研究室の整理を急ピッチで行います。「立つ鳥跡を濁さず」。孫娘が、母親に励ましのメッセージを書いた写真をフェースブックで見る。字になっている、文章にもなっている。たいしたもんだ(爺馬鹿)。1年後の小学校入学、大丈夫ついていけるかな?同居してれば、爺が特訓するのに。(1/9)<9095>

 


◇ 三連休中日。研究室へ。女川図書館の夢の原稿をほぼ書いて、震災の中での労働問題の原稿について、分量減らしますが、問題は中身のメリハリがついていません。とにかくやれるだけやるしかありません。
 帰りしな、明日、東京サテライトの説明会に行くという学類長と立ち話。多くの方々が集まるといいね。TwitterとFacebookで宣伝しておきましたが、効果はあるのかどうか。大相撲の初場所も始りました。あとは「平清盛」を見ることにします。(1/8)<9081>


◇ 土曜日、三連休の初日。今年は、9日(月)が成人の日。毎年、成人式の日が変わるので、15日をその日としてきたので、なかなか身に着きません。できるだけ、休みを連続してということですが、一週間に一回の講義の場合には、月曜日が犠牲になります。
 それで、別の日を「みなし*曜日」にしています。来週の金曜日の講義は、翌日からのセンター試験の準備の為に、休講。それで、前日・木曜日が「みなし金曜日」として、出講となります。なかなか身につきませんが、気をつけてないと無断欠講となりますので、要注意です。

 残っている宿題(原稿締切り)のために、研究室へ。三連休にも拘わらず、出勤している同僚も少なくありませんが、大体は、原稿締切り。年末の締切りを、少し延ばしてもらって、この連休がデッドロックでしょうか。連休が終われば、本当の新年と言うことになるでしょうか。

 全国高校サッカー、福島県代表の尚志高校。県初めてのベストフォー。準決勝進出です。
 残念ながら6対1で敗れましたが、健闘しました。この1点を応援団は、大歓声。
 私も思い出しました。サッカー天皇杯。私が学生担当の副学長のとき、福島大学は、なんと福島県代表。高校チームに当たって、負けるのだけは・・・という変な気持ちがありましたが、相手はプロチーム。J2の大宮アルデージャ(現在はJ1?)。
 ダブルスコアになるかと思っていたら、後半に出場した1年生選手がゴール。5対1で負けましたが、この1点のうれしかったこと。小躍りして喜びました。相手がプロだということもありますが・・・。

 己を知りながら、諦めないで最善を尽くす。いわき市でのサッカー場でしたが、温かい気持ちで帰ってきました。福島の若者が、全国で、頑張っています。きっと、福島県再建の力になってくれるでしょう。(1/7)<9076>


◇ 金曜日。新年、初の講義(夜間)。
 目覚ましのアラームが、良く聞こえなくて(耳が悪いのかも?)、6時起床が、7時半起床になってしまった。3時頃、一旦起きたが、また寝て、寝坊は珍しい。薄いふとんを一枚追加して温かくなって、熟睡したのかもしれない。
 遅刻した学生のように、バツが悪いが登校。1時間目の終了あたり。気を取り直して、夜の授業準備。昨日締切りの原稿は、最初から手をつけられないと思って、担当者にお詫びのメールと連休の9日まで、猶予してもらう。多分、来週作業をするのではと、勝手な判断だが、了解をいただいた。ということは、今度は、守らないと。

 夕方、予約していた大学近くの歯医者へ。また、来週行く。歯痛はないが、この際、治してもらう。
 7時半過ぎからの授業、私だけでなく、なんとなく正月ボケ。残すところは、そう多くない。大学で、話させてもらうことは貴重。できる限り頑張りましょう。

 帰宅は11時前。それほど凍結は酷くはなかった。コタツの上には、送付されてきた先日の人間ドックの成績表がある。胃カメラ・大腸カメラの結果の大筋は、聴いてきたので予想はついていたが、やはり運動不足と食事の改善が課題。昨年は、僅かだが休日ウォーキングをやったが、いつもの道は、福島市の中でも、放射線量が高い。子どもだけでなく、外で汗をかくのには躊躇。これは弁解だが、震災後遺症で、そうした気分にもなれなかった。
 しかし、今度こそ、意識的に体を動かし、食事に気をつけなければ。好きな甘みも抑えることにしましょう。震災直後に生まれた孫の成人を見るためには、あと19年2ヶ月。86歳。平均余命をゆうに越しているが、震災で犠牲になった71歳の姉の分まで生きるためには、頑張らないと。孫の成人を目標に、生きること自体に、挑戦する気になってくる。(1/6)<9055>


◇ 玄関前の雪かきができるほどの積雪。銀世界である。
 道路も雪で混んでいそうなので、午前中だけ研究室にいるのは勿体ないので、自宅書斎で原稿書き(今日が締切り日)。
 意外に落ち着く。やはり、勉強する雰囲気を作らないとダメだ。テレビの前で家族団欒のなかでは、頭がまとまらない(機械的な作業は別として)。孤独な作業が必要だ。家族数の割りに部屋数が多いから可能だが。しかし、狭いところでも、物置になっているところに一畳のスペースを見つけることは可能(暖房が難点だが)。
 原稿は、8000字の約束なのに、50%オーバー。原稿をダイエットすればいいというものではない。もっと内容的な詰めと本(共著)の趣旨との適合性。どう、詰めていくか、真剣に考えると、まだまだ時間が必要。一番、脳みそを搾り出すべきところ。昼過ぎにストップ。

 午後は、家族の送迎・出迎えなどで時間が過ぎる。しかし、原稿を見る気になれない。また明日、新鮮な頭で取り掛かることにしよう。
 スマートフォンは、大分慣れた。意識的にパソコンを使わないでメールのやり取り。確かに、スマートフォンは電話ではなくパソコンだ。ただ、携帯のメールではなく、パソコンのメールのgmailとbiglobeについては、受信は可能で、そのまま返信は可能なのだが、新たにメールを出す時に、連絡先(電話帳)が出てこないなど、やるべきことが少なくないが、面白い。どこまで使えるか興味津々。やっぱり老人の玩具には最適だね。

 全国高校サッカーで、福島県代表の尚志高校は、福島県初のベストフォー。山の神様も含め、福島の若手は凄い。彼らが心置きなく活躍できる福島県の復興が急がれる。これは我々世代の責任。明日は、しばらくぶりの夜の講義。9時過ぎの帰り道、凍結がないことを祈るだけ。祈っても良くなることはないので、安全運転で。(1/5)<9029>


◇ 正月が開け、 久し振りの大学出勤。ガソリンを入れ、車の汚れが酷いので洗車をして大学へ。ボックスは数枚の研究室宛の年賀状のみ。
 11日の第3回ふくしま復興支援フォーラムのチラシを作って、今まで来てくれたり・連絡したことがあるところに誘いのメールを出しました。
 2人は出席、1人は他の所用あるため欠席の返信。反応が早いですね。32人、35人と来て、3回目には何とか、減らしたくないのですが。新鮮に受け止めてくれるとこの開拓をしないと駄目ですね。来週日・月と連休の後の水曜日。少し、範囲を広げましょう。

 明日締切りの原稿、全く遅れているのですが、しがみついてタイピングをしています。量は8千字でそれほどでもないのですが、もっと考え抜いて書きたいのですが、何か、気持ちを打ち込むことにならない。もっと、やれるんだと思うのがいけないのか、やはり自分を甘やかしてるのか。悩みながら、進むしかないのでしょう。失うべきものは、何もないという思いの初心で頑張りましょう。

 9時のNHKニュースで、紅白歌合戦での西田敏行の思いを報道していました。涙で終わるのでなく、笑顔で前向きに。いい歌詞です。「あの街に生まれて」
  あの街に生まれて 西田敏行 歌詞情報 - goo 音楽

 雪が降ってきました。福島の小学生は、学校が始りました。原発事故のせいで、夏休みを長くしたことの調整です。戸外にも出れない夏休みだったのに。スマホを使って、初めて電話が来ました。電話の絵ところを押したが、ダメ。慌てました。切れたのでこちらからかけたがすぐに出ず。再度。娘から聞いて、電話の絵をスライドすることを教えられました。来ている電話なのに、スライドまでしなくても・・。と言って苦笑い。まあ、いいか。(1/4)<9005>


◇ 正月3が日が終わろうとしています。クリスマス3連休に、長女の孫一家が来て、大賑わい。
 そして元日に、二女が到着して、今日3日夕方の新幹線下りで帰りました。スマートフォンを買い、初期動作の特訓を受けて、まずは携帯以上に使えそうです。
 この日記やホームページの更新だけは、パソコンです。年賀状も、喪中の葉書を出していない方々が主で、枚数は少なく、華やいだ雰囲気にはなりません。静かな正月、休みでした。
 体調は、ようやく復調しかけていますが、休み中は、コンディションは良くなく、課題の原稿も明日・明後日にかけることになります。

 箱根駅伝は、東洋大学が優勝しましたが、主将の柏原君、がんばりました。また往路5区の区間新記録で、総合優勝の原動力であることは間違いありません。1年生から4年生まで、同じ区間を最速の地位を守り続けました。問われて、「自分の苦しいのは1時間ちょっと、福島の人を考えると・・・」。福島県人としては、心が揺すぶられます。

 浜通り、中通り、会津と、3本の並立・対立で、まとまりを感じられなかった福島県。いろいろと、福島という漢字をつかわないで、ふくしまとひらがなで一致してきた福島県。今度の事故で、ふくしま、FUKUSHIMAという名前が前面に出てきて、会津までを含めて、福島全体が復興のスクラムを組みつつあるように感じます。いわき出身の柏原君が、「福島の人は・・」という時、こうした不幸な事態の中で、福島は一つになりつつあるように感じます。
 避難先として、浜通りの方々の多くは、中通り、会津に住んでいます。津波と異なり、復興には多年を要するでしょう。具体的な復興の計画を建てつつ、協力して現今の生活を守り、支えていく必要があるでしょう。

 「福島は忘れられる」、「福島は捨てられる」という危惧もあります。この前のフォーラムで、講師の真木先生は、福島の沖縄化の話をしました。
 ちょっと正確に理解しているとはいえませんが、それは一方で、沖縄の基地は日本のため(対米政策のため)必要だとしつつ、沖縄県以外に移設することの困難な国民感情。悪いけど、沖縄でガマンしてという意識が働いていないとも限らない。
 放射線も、巨額の資金を使って除染をして復帰するよりも、他の地域に移住して、新たな生活をしてはどうかと、「福島の人は故郷を失うことをガマンして」というような、「福島がガマンしてくれれば」というようになる恐れを、感じられる状況も見えてきているのかもしれません。これは、まさに「差別」構造としかいいようがありません。

 故郷に、いろいろの人がいて、故郷を持たない人もいるかもしれません。しかし、そこで育てられた人々にとっては、家のみならず、山も、川も、海も、建物も、そして多くの住民も、簡単に代替ができず、お金にも換算できません。「個人の尊厳」というとき、それは、それらのものから切り離された「弧」ではなく、自然と人間のネットワークの中心にいる「個」なのでしょう。時間がかかるかもしれないが、復興に向けたしたたかな努力を、粘り強く進めることにしましょう。強大な象のような「放射線禍」に対する、蟻のような働きかけかもしれないが。(1/3)<8990>


◇ 正月2日。穏かな日である。携帯電話の液晶画面に亀裂が入ってしまったこともあり、近くのドコモショップに、二女と出かける。
 いまの機種は、3年3ヶ月経っているようで、保険期間から既に外れている。スマートフォンにせざるを得ないのだが、今までの携帯の使用レベルに辿り着くのに、時間がかかる可能性があるので、最初から娘の使用機種と同じものにした。
 昨年の夏バージョンなので、在庫がないという。教えてもらって、他のドコモ店へ。1つだけ残ってました。ラッキー。機種は、Samsung Galaxy S U。韓国商品を使うのは少ないが、そういう時代になっただろう。しばらく、時間がかかるかも。

 ついでに、今野ゼミの卒業生(教育・経済・行政社会)を、Facebookの(秘密)グループを作る。まだ8人ほどのメンバーだが、最近、結婚の報告も多くなった。一度、メーリングリストを作ってみたが、なかなか難しい。前提になっている「社会」がないからだろう。今回は、そういうメディアを利用している者のみのもの。みんなの生き様が関心の対象。

 夕方、広告の玩具等、小さな買物を3軒。夕食後、「ジェンガ」と「噛み付き犬」(BANKEN GAO GAO)の玩具で遊ぶ。結構、大人にも難しい玩具。孫たちがどんな反応するか楽しみである。
 風邪が鼻に移り、不快感は続くが、まずは改善か。明日は、締切り目前の原稿に一歩でも進めるか。体力回復と、やる気の回復が必要だ。(1/2)<8967>


◇ 「おめでとう」というには、憚れますが、静かに新年を迎えました。
 昨年の震災の惨禍を克服し、東北人らしい粘り強い姿勢で復興を目指していきたいと思います。

 朝一番、朝までの仕事を終えて6時半頃、福島に向けて電車に乗った二女を迎えに福島駅へ。10時過ぎに到着する新幹線に迎えて、あらためて、遅めの(2回目の)お雑煮・あんこ餅。昔、子どもたちが小さい時には、お屠蘇を飲んで、正月を祝いました。
 午後、近くのイオンに、コーヒーを買いに行きましたが、買い物客の多さに、びっくりしました。何か、新しい年に対する期待の顔です。途中、強い地震に見舞われましたが、店内放送もなく、また商品が落ちるようなこともなく、意外と平静でした。

 早めに退散して、携帯電話店へ。携帯電話の液晶画面に僅かですが亀裂が入り、早晩、買い替えが必要のようです。今回は、スマホにしましょう。待ち時間60分なので、今日は難しいと思い、パンフレットだけもらって、帰ってきました。多分、機種の想定をして、明日、買い買えしてくることになるでしょう。スマホにする必然性がないのですが、世の中に押されてしまったかんじです。仕方がないですね。

 夕食後、仙台の伊藤先生から電話。年賀状の辞退をしていたから、かけてくれたのでしょう。外尾先生のご様子など、ますます執筆のペースが上がっているようで、感嘆です。また、伊藤先生の多彩の活動。伊藤先生の年齢までの10年間、どれだけ元気に頑張れるか、決意を新たにする元日の夜です。何枚かの年賀状を頂きました。喪中の葉書を出さなかった方もいるので、どうするか考えています。(1/1)<8948>

 



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