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第2部
3
現実
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ウォーターは、話し始めた。
あのとき、窓から外に飛び出して、地面に降りて、二三歩足をはこんだ。そこは芝生で、風も爽やかに、気持ちのいい風景がまわりに広がっていた。
あの生命体もどこかに消えていない。今のうちだと思い、玄関の方へ急いだ。
そして、建物の角を曲がったとき。
家は消え、まわりの風景が砂漠になっていた。
急に風景が変わることなど、バーチャルの世界では驚くことではなかった。がしかし、これが、映像でないことは、ウォーターにはすぐ理解できた。
見渡すかぎり木一本ない砂漠である。
あの化け物の世界に紛れ込んでしまったようだ。どうしたら元の世界に戻れるのか、天を仰いだり、地平線を何度も見たり、大声で叫んだりした。しかし、周囲はただただはてしなく広い砂の海や、満天の青が、いちぶの隙もなく広がっているだけであった。
バーチャルに戻ってしまったのか、わずかな望みをたくして、改めて自分を診た。そのほうが、元の世界に戻ることはたやすいのだ。頬をたたいたり、腕をつかんでみたり、気も狂わんばかりであった。しかしウォーターは、完全に、肉体を持った人間に成っていた。
とにかく歩いてみよう、真直ぐに。一直線に進めばどこかに出るだろう。
気を取り直し歩き続けた。歩いて、歩いて、心の中が無になり、空になり、肉体の存在感だけが重く確認できていた。
バーチャルのときには、知ることの出来なかった、肉体の、苦しさの中での、精神の抑揚。
心が空になって悟ったと思いきや、次の瞬間、広々とした砂漠の砂の上に落ちていた。
始めての体験だった。
歩いた。どれくらい歩いただろうか、三日目の陽が少し傾きかけた頃。草原が見えてきた。近づいてみると、小さな川の流れるのも見えた。おもいっきり走り、川に飛び込み、水をがぶがぶ飲んだ。
うまい。なんという感覚。
魚が泳いでいた。手づかみで捕り、鱗を剥いで、身を食べた。そばに、山苺の実が成っていた。むしゃぶりついた。食べる、飲む、という感覚に酔いしれた。
原始の感覚であった。
疲れきって、いつの間にか深い眠りの中にいた。
真っ赤な大きな口を開け、牙を向きだしにして、恐竜がウォーターに襲いかかってきた。彼は、食べられた自分の姿を、宇宙船の操縦席から見ていたが、助けもしないで、猛スピードでカモメと並んで飛んでいた。どんどん速度が増し、カモメが消え、宇宙船が次第に吹き消された。からだを丸めたまま飛んでいると、草むらの中で、膝を抱いて寝ている自分に気が付いた。
夢を見ていたのだ。
空が明るく白んでいた。草原の向こうの山から、太陽が今にも輝き出しそうであった。
現実であった。
これも、夢であってほしかった。
ウォーターは、からだを起こして、また同じ方角に向かって歩き出した。
大きな木がゆったりと生え、膝の高さくらいの草が所どころで群生していた。
うさぎや、りす、などの小動物が駆け回り、それを捕まえては食べ、木の実を食べ、果実を食べ、川の魚を食べ、水を飲み、数ヵ月が過ぎて行った。
もうほとんど、あきらめていた。
『俺はもうここからは出られないんだ。この自然の中で、動物のようにひとりで暮らして行くしかないんだ』
彼は、激しい孤独感の中で思った。
しかし、この間に、大きな自然に身を包まれて生きることで、ウォーターの新しく数ヵ月前に生れたこの肉体は、喜々として、たくましく成長していたのであった。そして、ときどきではあるが、肉体の喜びが、少しずつウォーターの心にとどき始めていた。それは、からだと心のなんとも素晴しいハーモニーを聞いているような気分であった。
そんな日々が続いたある日の昼下がりに、彼は、人影を見た。
百メートルほど先に、ゆっくりと歩く老人がいたのだ。草むらに隠れてようすをみながら、少しずつ近づいて行った。
『本当に、人間だ。幻でも、バーチャルでもない。まして、夢でもない。ここが原始の世界ではなかったんだ・・』
ウォーターは、喜びのあまり、草むらから飛び出していた。
「なっ、何だね君は」老人は驚き、とっさに、武道の身構えをした。若い頃に覚えたものだろう。見たところ足腰はしっかりしていた。
「あっ、すいません。変な者ではありません。驚かないで下さい」
ウォーターは、何も考えることなく、飛び出してしまったことに後悔したが、それどころではなかった。
人と話しがしたかった。この異常な体験を聞いてもらいたかった。それに、あなたは、誰で、ここは、どこなのか、早く知りたかった。
言葉が通じるのは、時代が同じか、近いかだな、と思った。〈この頃の地球は、言語もほぼ一つになりつつあった〉
ウォーターは、気持ちをおちつかせ、すがるような思いで、シュールの家の窓を飛び出したところから、老人に説明をした。
「・・・君は、何を言っているのかね。突然あらわれたんで、誰か分からなかったが、よく見ると、うちの隣のギーガんところのせがれじゃないか。勉強のしすぎで頭にきたか?それとも、わしを、からかっとんのか?ええい、ガキは早く家に帰れ!」すべてがあまりにも唐突で、現実離れした話しに、老人は、我を忘れて激怒してしまった。
ウォーターが、真面目に、なおかつ、真剣になればなるほど、老人にとっては、不愉快なのだ。
こんどは、ウォーターが驚く番であった。しかし、それ以上話しの出来る状態ではないと察し、素早くその場を離れた。
『いったい、どういうことだ、ここは』
ウォーターは、もう一度、頭の中を整理しようと努めた。今まで原始の世界だと思っていたのが、違っていて、同時代の老人に会った。そして、言葉は、同じなのに、自分の喋ることが理解されなかった。それどころか、その老人も、なにやらわけのわからないことを話していた。
逃げるように走りながら、さまざまな状況に今の状態をあてはめながら考えてみた。熱中して、足が走るのをやめて、とぼとぼと歩いていると、丘の向こうに民家が数軒並んでいるのに気がついた。
『村だ。』
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