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風のように

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第1章

 梢を揺らし、葉っぱをくすぐったいたずらものの風が、まるでご馳走の匂いにつられたように開いた窓から飛び込んできた。
 皿の上にかがみこんで料理の盛り付けに熱中していたチチは、ふと顔を上げ、窓の外を見上げた。
「悟空さ……?」
 人の気配はなく、かわりに葉ずれの音がさやさやと鳴るばかりだ。
「気のせいだか」
 チチはまた続きにとりかかった。
(悟空さはこれ、覚えてるだかな……)
 トマトの皮を薄くむき、くるくる巻いて作った真っ赤なバラを、スライスしたローストビーフの横に飾る。ご馳走の最後の一品を並べ終え、チチは満足そうにテーブルの上を見渡した。
 これらの他にも台所にまだたっぷりと料理が用意してある。サイヤ人父子がたらふく食べるのに充分なだけの量を、手早くおいしく作れる腕前を彼女は自負していた。

「お、うまそうだな〜。今日はずいぶんご馳走じゃねえか」
 今度は本物の悟空が外から帰ってきた。さっきまでドラゴンボールを探して世界中を飛び回っていたので、我が家の食卓につくのは数日ぶりだ。
「おかえり、悟空さ。そろそろ帰って来る頃じゃねえかと思ってたんだ。悟飯ちゃんは一緒じゃねえのけ?」
 悟空の後を覗き込むようにしてチチが言った。
「あ、ああ。オラが集めたドラゴンボールを持って神殿へ行ったら、まだデンデと遊んでるって言うから置いてきた。ま、いいじゃねえか。そのうち帰って来るって」
 ちょっと慌てて悟空が答えた。
 悟飯を一度家に連れて帰ったら―――チチのことだ、セルゲームに出場するなんてとんでもないと言いだすのは目に見えていた。このまま明日まで神殿に置いておいた方がいいに決まっている。

「それじゃ、今日の夕飯は悟空さとおらと二人っきりけ?」
「ああ、そうだな」
「そんなこと何年ぶりだべ。新婚以来じゃねえけ?」
「そっか?」
「そうだべ……」
 別に何の感慨も見せない悟空をよそに、チチはほんのり頬を赤らめて胸をときめかせていた。
(それじゃ、結婚して初めて作った料理を何となく作りたくなったのは、虫の知らせみたいなもんだっただかな)
 チチはローストビーフに目をやり、思わずあっと叫んだ。今まさに悟空がトマトのバラもろとも、3、4切れまとめて口の中に頬張るところだったのだ。
「ご、悟空さ……おめえは!!」
「ん? 手なら洗ったぞ。んめえな〜、これ」
「お、おらがせっかくきれいに飾り付けしたのに……食っちまう前に、『きれいだな〜』とか、『食っちまうのがもったいないな〜』とか、言うのが思いやりってもんだべ!!」
「ん? ん? そ、そうか。き、きれいだな〜、この肉」
「ちがーーーーうっっ!!」
「悟空さのバカッ」と叫んでチチが台所に駆け込んだ。
「お、おい。どうしたんだ、チチ?」
 何が何だかわからずに後を追った悟空が、エプロンで顔を覆ったチチの肩に手を置くと、チチはちょっと顔を上げて泣きまねをした後で楽しそうに笑った。
「覚えてねえだか? おら、あの時こうやって泣いただよ」
「え……?」
 チチの顔を見つめていた悟空が、しばらくして「あ……」と声をもらした。
「思い出しただか?」


 
話は11年前にさかのぼる。
 天下一武道会でピッコロとの壮絶な闘いに勝った悟空は、約束通りチチと結婚し、パオズ山で新婚生活を始めた。
 牛魔王が用意してくれた家に着くなり、チチははしゃぎながら家中を見て回っている。悟空はそんな彼女を横目に見ながら、何となく手持ちぶさたで、ぼんやりと立ちつくしていた。
「ハラ減ったな〜」
 奥の部屋からチチが憤然と出てきた。悟空が「チチ、メシ……」と言いかけると彼女は、「それどころじゃねえだっ」と言い捨てて、足音も荒々しく電話に飛びついた。

 険しい顔のまま受話器を耳に当てていたが、相手が出るやいなや猛然と噛みついた。
「おっ父、何だこの家は。欠陥住宅だべ! 風呂がついてねえだぞ」
 そんなバカな、と牛魔王は言ったのだろう。
「バカなのはおっ父の方だべ! また値切ったんだろ。そんなことすっから品質の悪いもんをつかまされるだよ」
 大事なひとり娘の新居を値切るわけがなかろう、とでも相手は答えたに違いない。
「じゃ、田舎モンだと思って足元を見られたんだべ。とにかく、取り替えてけれ。今時風呂がオプションの家なんてあんまりだべ! 新婚早々ケチがついちまっただよ」
 まだ何かまくし立てようとするチチの手から受話器がもぎ取られた。チチが驚いて振り向くと、悟空が代わりに電話に出て言った。
「お、牛魔王のおっちゃんか? 家くれてサンキューな。……風呂? そんなもんいいって。オラが何とかする。……うん。じゃあな」

 電話を切った悟空にチチは不安そうな顔で詰め寄った。
「悟空さ、何とかするってどうすんだ? おめえが買って来てくれるんけ?」
「いや。オラ、金持ってねえ」
「じゃ、どうすんだべ。風呂もねえ家なんて、おら絶対いやだからな!」
「ま、ちょっと待ってろって」
 片目をつむって見せると、悟空はあっという間に外へ飛び出して行った。
 ややあって、大きなドラム缶を抱えて帰って来るなり、目を丸くしているチチの前にそれをドンと置いて言う。
「ほらよ。風呂」
「どっ……どうしたんだ。こんなもん」
「山を降りたとこのゴミ捨て場に置いてあった。まだあったぞ。もう一個取ってくっか?」
「こ、これが風呂だってか? 冗談じゃねえだ。だいたい、こんなもんどこへ置けばいいだ」
「外に置けばいいじゃねえか」
 何を決まり切った事を、という顔で悟空が言った。
「悪ふざけもたいがいにしろ! おらはぜーーーったいこんなもんに入らねえからな。悟空さひとりで入ってればいいだ」
「そりゃ一度に二人は無理だぞ。一人ずつでねえと……おい、チチ? どしたんだ?」
「おめえと話してっと、おら頭痛がしてくるだよ!」
 チチはカンカンに怒って寝室に入ってしまった。


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