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風のように

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第2章

(ブルマもよく怒ったけど、チチもいつも怒ってんな。あんな怒りっぽいやつと、オラ、これからずっと一緒に暮らすんか)
 もしかすると結婚ってすごく面倒くさいものなのかもしれない……。悟空は軽はずみな約束を少し後悔した。

 彼の胃袋は今や家中に響きわたる音量で盛大に鳴り響いている。
「ハラ減ったな〜。クマかトラでも獲ってくっか」
 腹を押さえてそう呟いたとたん、奥の部屋のドアが開いてチチが顔を出した。まだちょっとすねたような口元のまま台所に向かうと、一心に料理を作り始める。
 包丁のリズミカルな音と共に彼女は言った。
「おっ父が食料を揃えておいてくれて助かっただ。こんだけありゃ一週間は買い出しに行かなくて済むだな。せっかくの新婚初日だべ。つまんねえことで腹立てて台無しにしたくねえもんな。後でおっ父にも電話でありがとうって言っとくだよ」
 機嫌を直したチチは白い湯気の向こうから微笑みながら振り返った。悟空は幼い日に見た悟飯じいちゃんの姿を思い出した。
(誰かがオラのためにメシを作ってくれるなんて久しぶりだな……)
 結婚ってなかなかいいものなのかも知れない。悟空の胸の中はさっき後悔したことも忘れて、ちょっとほんわかした。

 いつも家で食事の支度をし慣れているせいか、チチの手際は鮮やかなものだった。わずかな間にいくつもの料理が食卓を埋め尽くしてゆく。
 それも、悟飯じいちゃんの素朴な料理とは違い、多彩な食材を使い、飾り切りや型抜きをした野菜で美しく盛りつけた手の込んだものだった。
 チチは花嫁になる日を夢見て、何ヶ所もの料理学校に通って腕を磨いていたのだ。最も得意なのはやはり中華だが、最近覚えたのは西の都の有名なシェフじきじきに教えてもらった本場仕込みのローストビーフだ。これに湯むきしたトマトの皮を使い、バラの花を作って飾る。
 まるで本物のミニバラのように美しく、シェフが作るのを初めて見た時は溜息が出たものだ。いかにも新婚の初めての晩餐にふさわしい華やいだ一品だった。
 エプロンを外そうかと思ったが、つけたままの方が何となく若奥さんという感じがして、チチはそのままいそいそと席についた。

 夫と差し向かいで初めての食事……見交わす目と目……自分だけに向けられる悟空の優しい微笑み……そして……そして……。
「いっただっきま〜す!!」
 うっとりと夢見るチチの想いを押しのけるようにして悟空が大きな声を張り上げた。
「うひょ〜っ、うまそう〜っ」
 チチは嬉しそうに両手を頬に当て、「そうけ?」とはにかんだ。
「一杯食べてけろ。悟空さのために、おら思いっきり腕を振るっただよ。遠慮しねえで……え……えん……遠慮……ちったあ遠慮しろっ、悟空さ!!」
「ん?」
 一杯頬張った口からエビフライのシッポをはみ出させたまま、悟空の手がようやく止まった。食卓の上はまるでブルドーザーが通った後のようだ。
 ハート型に抜いた人参も、花のように切ったゆで卵も、チチが心を込めて飾り付けた全てのものが、見るも無惨に蹴散らされ、哀れな残骸を留めている。
 その中にひしゃげたトマトのバラを見つけてチチは愕然とした。
「ご、悟空さ……おめえにはデリカシーってもんがねえんけ?」
「でり菓子? オラ、まだ食ってねえぞ」
「でりかしいだっ! 結婚生活には無くてはならねえもんだぞ!!」
 立ち上がって叫ぶと、チチはエプロンで顔を覆って、また寝室へ駆け込んでしまった。

 ベッドに突っ伏してさめざめと泣いた後、チチは起き上がってエプロンで涙を拭いた。
(悟空さがあんな大ざっぱな性格だったなんて知らなかっただ。そういやおらとの約束だって、けろっと忘れてたくらいだもんな。思ってたよりいい男になってたから、おら、すごく嬉しかったのに……)
 天下一武道会での悟空の勇姿を思い出して、チチは両手で胸を抱くように押さえた。子どもの頃言い交わした神聖な約束を一途に守り続けた彼女だったが、本当を言うと、婚約者がどんな男に成長しているのか、期待よりも不安の方が大きかったのだ。
 だが、その不安も悟空を一目見るなり消し飛んでしまった。いい男で、その上、めっぽう強い。
 さすがおらの選んだダンナだ―――チチはあの時悟空に一目惚れしたようなものだった。
 それなのに……。
 さすがに性格までは見ただけではわからないものだ。
(おら、あんなダンナとこれからうまくやって行けるんけ?)

 ふと見ると部屋の隅にまだ解いていない荷物が置かれてあった。そのうちの一つを開けると、チチの服と一緒に黄ばんだ一冊の本が入っていた。
(おっ母の本だ……)
 父親と暮らした家を出るとき、彼女は荷物の中に母親の形見の本を入れた事を思い出した。

―――これはおめえのおっ母が結婚する時に持ってきた本だ。
 結婚式の前夜、父親はそう言って彼女に本を手渡した。表紙に「結婚の心得」と書いてある、かなり古そうな本だった。
―――チチよ、おらがおめえに教えてやれることは何もねえ。代わりにおっ母の本をやっから、これ読んでいい嫁っこになるだぞ。
 母親なら女同士のよしみで何でも話せるものを、男親ゆえに踏み込めないもどかしさを感じていたのだろう。母の形見に想いを託した父の親心が温かくチチの胸にしみた。

(そうだった……おら、もう悟空さの嫁になったんだ。娘っこみてえに小せえことでいちいち泣いてる場合じゃねえべ)
 チチは鏡を覗いて目をこすってから、笑顔を作って食堂へ出てきた。
 するとそこには、小さめの恐竜らしい骨を床に積み上げ、肉の最後の一片にかじりついている悟空の姿があった。テーブルの上にはまだ山のようにチチの手料理が残されている。
 さっきの決意もどこへやら、チチは一目見るなり、逆上して叫んだ。
「ご、悟空さ……おらがせっかく作った料理を残して、そんなもん食ってるだか!?」
 悟空は目を白黒させて口の中のものを呑み込むと、ドンドンと拳で胸を叩きながら慌てて言った。
「だ、だってよ。オラ、あんだけじゃとても足りねえから、こいつを獲ってきて腹の足しにしただけなんだって」
「足りねえって、まだこんなに残ってるだぞ」
 チチは5人分はありそうなテーブルの上の料理を見て言った。
「だからよ、それはおめえの分だ。まだ全然食ってなかっただろ?」
「え……おらの?」
 おらの分、取っといてくれたんけ……チチは口の中で小さく呟いた。

「さあて、と。やっと人心地ついたな。腹7分目くれえだけど、その方が健康にいいもんな」
 ふーっと溜息をつくと、悟空は椅子から立ち上がってテーブルからスープの皿を取った。
「すっかり冷めちまったな。あっため直してやっから、チチは座って食え。うめえぞ」
「うめえのは当たり前だべ。おらが作ったんだからな」
 チチはふふっと笑って悟空の手から皿を取って言った。
「おらがやるから悟空さも一緒に座って食うだよ」
「おめえの分、なくなっちまうぞ。いいんか?」
「おらひとりでこんなに食えねえだ。相撲取りじゃねえもん」
「そっか? あれでもオラの10分の1くれえなんだけどな。女ってあんまり食わねえからな。わかんねえや」
 チチは吹き出して言った。
「悟空さ、おめえが食い過ぎるんだべ。改めて見ると、よくもこんだけ食っただな。明日は街まで買い出しに行かねえとなんねえだ。家にあるだけじゃとてもじゃねえけど1日持たねえだよ。おらもこれからもっとたくさん作るようにするだ」
 おらたち、お互いのことまだ何も知らねえんだもんな……チチは心の中で呟いた。 

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