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風のように

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第13章

 避けると言ったって、口をきかないとか、一緒に食事をしないとか、そういったことではない。悟空はいつも通りごく当たり前の口をきくし、食事も普通にとっている。だが、チチからある一定の距離を保ち、そこから踏み込んで行くことも、チチが踏み込んで来ることも許さない―――そんな雰囲気があった。
 それにあの夜から彼は寝室で眠らなくなった。
「オラ、こっちの方が寝心地がいいんだ」と下手な嘘までついて、居間のソファで大きな体を縮めて窮屈そうに寝る。一体何のためにそんなことをするのかチチには皆目わからない。
 そして、わからないと言えば、時々チチのほうをそっとうかがっていることがあることだ。視線を感じてそちらに目をやると、決まって悟空は慌てて目をそらす。だが、今までこっちに向けられていたその目の中に、はっきりと自分をいぶかしむような表情が浮かんでいたことにチチは気づく。
 何かを疑っているような、不思議がっているような……そんな表情。もちろんチチにはそんな思いを抱かれる覚えはない。
(いってえ悟空さは何を考えているんだべ?―――わかんねえ男だ)
 今まで実にわかりやすかった悟空という男が、まるで見知らぬ男のように思えてくる。

 ある朝のこと。悟空は早くから起き出し、何か考えている風に家の外へ出た。朝食の仕度をしていたチチが台所の窓ごしに見ていると、彼は北の方角をじっと眺めたあと、外の水道でバシャバシャと顔を洗っている。首にかけていたタオルでゴシゴシ顔を拭きながら中に入って来たが、依然として思案顔のままだ。
「なんか気にかかることでもあるんけ、悟空さ?」
「北の谷……か」
「え?」
「確かそう言ってた。じいちゃん」
「誰が何て言ってたって?」
 野菜を炒める音で悟空のつぶやきがはっきり聞きとれず、チチは大きな声で聞き返した。しかし、悟空は自分の考えにとらわれていて、チチが話しかけたことすら気づいていないようだった。
「チチ、オラちょっと行って来る!」
「今日はえれえ早く出かけるんだな。でも朝食はどうすんだ?」
 悟空の顔に少し逡巡する表情が現れ、チチを驚かせた。修行と食事の優先度で彼が迷うなんて……。
(まるで世界が危機にひんしているみたいだべ)
「わかっただ。今、弁当に詰めてやっから、それ持ってけや。あっちで食えばいいだ」
 チチはにこっと笑って特大の弁当箱にあれこれおかずや御飯を手早く詰め込むと、カプセルに収納してそれを悟空に渡した。
「じゃ、行って来る」
 弁当のカプセルを受け取る時も、悟空はチチの手に触れないように気をつけながらそれを受け取った。
(なんだべ。まるでおらをバイキンみたいに……。悟空さ、女ギライにでもなっちまっただか? それとも、おらのこと……)
 それ以上は考えたくなかった。チチは無理に笑顔を作ると悟空を見送った。
「気をつけて行ってくるだよ。今日も山頂で修行するだか?」
「いや」
悟空は筋斗雲に飛び乗りながらチチを振り返り、言った。
「北の谷まで行って来る」
「北の谷だと!? そったら遠くまでなして?」
 チチの言葉を半分も聞かない内に、悟空を乗せた筋斗雲は空のかなたへと消えてしまった。

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