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風のように

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第6章

 その日は朝から夏を思わせるような気候だった。雲一つない空から強烈な日射しが容赦なく降り注いでくる。
「洗濯物がよく乾きそうだべ」
 チチは額の汗を右手の甲で拭い、左手で洗濯籠を小脇に抱えながら、干し終えたばかりの洗濯物が風にはためくさまを見て、満足そうにつぶやいた。
「さて、掃除するだか」
 修行に行っている悟空が昼食に戻るまでの間、彼女は毎日くるくるとよく働いた。悟空が修行をし、チチが家事をし、夜は仲良くベッドを並べて早めに眠る――――そんな生活パターンが生まれつつあった。チチが望んだ新婚生活とはだいぶかけ離れていたが……。

(焦ることはねえだ)と、チチは思った。(時間はたっぷりあるんだ。いくら悟空さが修行にしか興味ねえったって、あれでも男だ。男のはしくれだべ。一緒に暮らしてたらいつかきっと……。それまで気長に待てばいいだ)
 自分に言い聞かせるようにそう考えたのは、チチもいざとなると未知の世界に足を踏み入れるのが怖かったのかもしれない。

 午前中にやるべきことはすべて終え、チチはぶらりと散歩に出かけた。このところ、新居の周囲を探索するのが彼女の日課になっている。これからずっと暮らしていく、このパオズ山という環境に早く慣れたかった。
 きのうは東の方へ行ってみた。大きな岩がゴロゴロした断崖絶壁ばかりで、小型恐竜たちの巣とでも言ったほうがふさわしいようなところだった。のどを鳴らすようなグルグルといううなり声や、ギャアギャアと耳をつんざくような雄叫びが遠くから聞こえてくる。あんな奴らとたったひとりで遭遇するのはゾッとしない。チチは早々に引き返した。

 そんなこともあり、今日は昨日とは反対に西に足が向いた。
 神話の世界のような鬱蒼うっそうとした森の中を歩いて行くと渓流にぶつかった。透き通った水の流れは川底に敷き詰められた砂利を川幅の中程に至るまでくっきりと見せている。
 向こう岸はかなり深いのか、岸辺の樹木が深緑の影を落としたあたりはさすがに底が見えない。川岸に近づいて覗き込むと、すばしっこい魚たちがつい、ついと逃げて行った。太陽の位置が高くなっていくにつれて気温は上がり、日なたでじっと立っているのが苦痛になってくるほどだ。汗は引きそうにない。目の前の清流に飛び込んだらどんなに気持ちがいいだろう。
(こんなとこまで村の者は誰もこねえべ)
 決断すると、チチはあっという間に服を脱ぎ捨て、全裸になってそっと流れに足を浸した。
「ひゃあっ! つめてえだ。でも、気持ちいいだな」
 徐々に体を水の中に沈めて行く。水に触れた瞬間は飛び上がるほど冷たいが、じきにそれは心地よさに変わって行った。
 チチは水面で踊る木漏れ日に目を細めながら川の中程まで歩いた。深さはちょうど彼女の腰のくびれのあたりまである。何気なく顔を上げたチチはギョッとしてその場に棒立ちになった。いつのまに来たのか、悟空が川岸に立ってこっちを見ていたのだ。
 彼女は反射的に両手を上げて胸を隠した。悲鳴こそ上げなかったが、なぜかこの場から逃げ出したいような衝動に駆られた。
 修行を終え、帰宅するところだったのか、悟空は大きな魚を三尾、先に葉の繁った細い枝に通して肩にかついでいる。上流で昼食用に獲ってきたらしい。彼はいつもの無邪気な表情とは打って変わって真剣な顔でじっとチチを見つめている。こんな表情は天下一武道会でピッコロと闘った時以来だ。
 黙って肩から魚を滑り落とすと、彼は服のままざぶざぶと川に入ってきた。
「ご、悟空さ……」

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