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風のように

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第14章

 チチはいつもと同じように家事をこなしながら悟空の帰りを待った。食器を拭いてしまっていると、カタカタと小さな揺れが来て、彼女はあわてて食器棚を両手で押さえにかかった。
 地面の中に大ナマズでも潜んでいるのか、このあいだの夜から毎日のように強弱取り混ぜた地震が起こる。だいたい悟空が修行で留守の昼間に起こるので、チチはひとりで不安に耐えなければいけなかった。
 北の谷でもひどく揺れているのだろうか……。チチは悟空が飛び去った方角の空を窓越しに見上げた。
(悟空さ、地震きれえだから、今頃怖がってるんじゃねえか)

 悟空はその日の夜遅くに戻ってきた。道着はあちこち擦り切れてドロだらけ。トゲのある葉っぱやひっつき虫が背中や膝のあたりにいっぱいくっついている。顔も髪も腕もどことなく薄汚れて埃っぽかった。
「いってえどうしただ。こんなになるまで―――」
 チチが悟空の腕に触れようとすると、悟空は身を引きながら荒々しく言った。
「触んな!」
「悟空さ……?」
 悟空はちょっと眉を寄せ、口元に薄く笑いを浮かべた。
「すまねえ。オラ、ちょっと疲れてんだ。風呂沸いてっか?」
「あ、ああ。待っててけろ。今、沸かし直すだ」
「いい。オラがやる。焚きながら入る」

 頃合いを見計らってチチがパジャマを持って行くと、悟空は湯船につかって放心したように昇って来たばかりの月を眺めていた。月は満月を過ぎて下弦に向かい、西の方から欠けはじめている。
「悟空さ、着替えここに置いとくだよ」
 遠慮がちに声をかけ、脱衣籠にパジャマを置こうとして、チチは汚れた道着の陰に光るドラゴンボールを見つけた。悟飯じいちゃんの形見の四星球かと思った。が、よく見ると星が六つついている。
「六星球? 悟空さ、おめえ、これを探しに北の谷まで行ってたんけ?」
 悟空は湯船の中から頭を巡らせてチチを見た。
「そうじゃねえ。そいつはついでだ。偶然見つけたんだ」
「ついで? じゃ、おめえ、北の谷までいってえ何しに行ってただ?」
「筍茸を採りに行ってた」
「タケノコダケ?」
「うん。北の谷の奥深くにめったに人の入らねえ竹林があって、そこには一本だけ黄金に輝く竹が生えてるんだ。その筍の根元に生えるっていうキノコが筍茸だ。手に入れるのにすっごく苦労したけどな」
 ざぶっと両手で顔に湯をかけて悟空は言った。
「そんで、その筍茸がどうして必要になっただ?」
 悟空はそのまま立ち上がる気配を見せた。湯船から出るつもりだ。チチは息を飲み、あわてて家の中へとって返した。

 風呂から上がった悟空は、飾ってある四星球の隣へ六星球を無造作に置くと、汚れた道着を洗濯機へ放り込む前に、帯の中から筍茸とやらを取りだした。
 見たところ普通の椎茸と変わらないそれを、手で細かくちぎると、あらかじめ用意してあった小鍋の中へ全部放り込んだ。そしてひたひたになるくらい水を入れ、火にかけた。
(これから何が始まるだ?)
 チチが固唾を呑んで見守っていると、出し抜けにまた地震が起きた。今度は電灯のカサが小さく揺れ、結婚式の晴れ姿を入れた写真立てがパタンと棚の上で倒れた程度のものだった。
 揺れがおさまってから悟空を見ると、彼はガスコンロの火を点け直してけろりとした顔をしている。
「おさまったみてえだな」
(悟空さ、地震こわかったんじゃねえんけ?)
 チチは頭をひねった。あの夜の悟空は恐怖のあまり顔がこわばっていたではないか。心臓だってチチの耳に大きく響くくらい激しく打っていた。なのに、今夜の悟空ときたら、平然と鍋の火を止めるくらいの余裕があるのだ。地震が小さかったからか? 自分の家にいるという安心感からか?
「チチ、先に寝ててくれ。オラはこれをキノコが溶けるまで煎じ詰めなきゃなんねえんだ。一晩はかかる」
「なんだってそんなことするだ?」
 チチの問いに、悟空はしばしためらうように黙り、また口を開いた。
「ちっちぇえ時、オラ、谷に落ちて頭を強く打って死にかけたことがある。そん時にじいちゃんが北の谷まで行って、これを採ってきてくれたんだ。そして一晩かけて煎じて、その汁を飲ませてくれた」
 チチの表情を見て、悟空は小さくうなずいた。
「万病に効く薬だ」
「悟空さ、病気なんけ?」
「たぶんな」

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