讀杜牧集 | ||
絶海中津 | ||
赤壁英雄遺折戟, 阿房宮殿後人悲。 風流獨愛樊川子, 禪榻茶煙吹鬢絲。 |
赤壁の英雄 折戟を遺し,
阿房宮殿 後人 悲しむ。
風流 獨り愛す 樊川子,
禪榻の茶煙 鬢絲を吹く。
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◎ 私感註釈
※絶海中津:南北朝時代から室町時代にかけての臨済宗の僧。建武三年/延元元年(1336年)〜應永十二年(1405年)。夢窓疏石について受戒、正平二十三年/應安元年(1368年)、入明する。帰国後、等持寺、相国寺などの住持を歴任した。津野氏の出身。字は要関。蕉堅道人と号する。土佐の人。絶海中津という呼び方は、夢窓疏石のもとで剃髪して中津と異名を取ったことと、明・中竺寺での絶海との授号とによる。
※讀杜牧集:杜牧の詩集を読む。この作品、杜牧の詩題(とその内容)を並べて作った。 ・杜牧:晩唐の詩人、八○三年(貞元十九年)〜八五二年(大中六年)。字は牧之。京兆(府)萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。淮南節度府掌書記や宜州團練判官となって江南を行く。杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。李商隠と共に味わい深い詩風で有名である。杜牧の作品群はこちら。
※赤壁英雄遺折戟:(英雄豪傑の跋扈した)三国時代に赤壁で天下の覇権を争った者達は戦闘の跡を遺して。 *晩唐・杜牧に『赤壁』「折戟沈沙鐵未銷,自將磨洗認前朝。東風不與周カ便,銅雀春深鎖二喬。」がある。 ・赤壁:三国時代の赤壁の戦いがあったところ。呉の孫権、周瑜、蜀の劉備、諸葛亮が火攻め(自軍の船に薪や油を積んで火焔船とし、連結させて停泊していた敵船隊の中に突っ込ませた)で、魏の曹操の軍船を撃ち破った場所。湖北省嘉魚県の東北。長江の南岸。三国時代に呉の周瑜が対岸の烏林で魏の曹操を破ったところ。もっとも、杜牧が刺史として赴いたのは黄州(現・黄岡県)で、その近くにある赤壁とは蘇軾たちも勘違いした赤鼻の方で、ここでは、赤鼻磯の方のこと。 ・赤壁英雄:魏・曹操、呉・孫権、周瑜、蜀・劉備、諸葛亮等、三国時代に赤壁で天下の覇権を争った者達。 ・折戟:折れたほこ。嘗て戦闘があったことを言う。
※阿房宮殿後人悲:(天下を統一した秦・始皇帝の宮殿である)阿房宮の跡は、(曾ての栄華を偲ばせ)後世人の涙を誘うものがある。 ・阿房宮:〔あばうきゅう;E1pang2gong1(A1pang2gong1,A1fang2gong1)◎○○〕西安の西15キロメートルのところにあった秦の宮殿。杜牧に『阿房宮賦』がある。
※風流獨愛樊川子:(それにひきかえ、私人として充実した人生を送った)優雅・好色な杜牧さんは。 ・風流:優雅な趣き。風雅。また、好色をも謂う。ここでは両者を指す。 ・樊川子:杜牧さん。杜樊川さん。 ・樊川:〔はんせん;Fan2chuan1○○〕杜牧のこと。樊川は杜牧の号で、陝西省長安県の南にある彼の別荘近くを流れる秦川の別名・樊川の名に由来する。 ・−子:…さん。
※禪榻茶煙吹鬢絲:(晩年、)禅寺で、お茶を茶を沸かす煙を白髪頭に受けながら(静かに余生を送っていた)。 *杜牧に『題禪院』「觥船一棹百分空,十歳青春不負公。今日鬢絲禪榻畔,茶烟輕颺落花風。」がある。 ・禪榻:〔ぜんたふchan2ta4○●〕坐禅用の腰掛け。禅寺。お寺。清・王士モフ『悼亡詩』に「藥爐經卷送生涯,禪榻春風兩鬢華。一語寄君君聽取,不ヘ兒女衣蘆花」とある。 ・茶煙:茶を沸かす煙。 ・鬢絲:両側の髪の毛に交じった白髪。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「悲絲」で、平水韻上平四支。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○◎●○,
◎○○●○○○。(韻)
○○●●○○●,
○●○○○●○。(韻)
平成22.6.1 6.2 |
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