八幡公勿來關圖 | ||
藤森弘庵 |
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誓掃胡塵不顧家, 懸軍萬里向邊沙。 馬上殘日東風惡, 吹落關山幾樹花。 |
誓って 胡塵を掃 はんとして 家を顧 みず,
懸軍 萬里 邊沙 に向かふ。
馬上殘日 東風惡 しく,
吹き落とす關山 幾樹 の花。
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◎ 私感註釈
※藤森弘庵:江戸時代後期の儒者。 寛政十一年(1799年)〜文久二年(1862年)。播磨・小野藩士の子として、江戸に生まれる。名は大雅。字は淳風。通称は恭助。号して弘庵。別号に天山。 長野豊山、古賀穀堂らに師事する。播磨・小野藩、常陸・土浦藩に仕え、弘化四年、江戸で私塾を開く。ペリー来航の際、『海防備論』を著し、『芻言』を徳川斉昭に建白した。勤皇家と交流し、安政の大獄で江戸追放となる。
※八幡公勿来関図:八幡太郎義家公が勿来の関(なこそのせき)(に訪れた)絵。 ・八幡公:通称八幡太郎といった源義家のこと。平安時代後期の武将。長暦三年(1039年)〜嘉承元年(1106年)。源頼義の長男。幼名を源太、八幡太郎。前九年の役の武功により出羽守に任ぜられ、永保三年(1083年)、陸奥守兼鎮守府将軍となり、後三年の役を鎮定した。後三年の役の鎮定後の帰途、勿来の関にさしかかり、「吹く風を勿来 の關 と 思へども 道もせに散る 山櫻かな」(『千載集』)と詠じたことでも有名。
※誓掃胡塵不顧家:(我が)身内のことは顧みることなく(必死の意気込みで)、かならずや夷狄の起こした騒乱をはらい清めよう(と)。 *陳陶の『隴西行』に「誓掃匈奴不顧身,五千貂錦喪胡塵。可憐無定河邊骨,猶是春閨夢裏人。」とあり、後世、江藤新平は『逸題』で「欲掃胡塵盛本邦,一朝蹉跌臥幽窗。可憐半夜蕭蕭雨,殘夢猶迷鴨麹]。」と使う。 ・誓:誓って…する。ちかって。かならず。たしかに。 ・掃:〔さう;sao3●〕はく。はらう。すっかり除く。はらい清める。 ・胡塵:異民族が攻めてきて起こす戦乱のほこり。ここでは、前九年の役・後三年の役での源氏と、奥州の豪族・安倍氏、清原氏との争いを指す。「前九年の役・後三年の役」といった「役」字の使用される内容を「胡」字で表した。作詩当時の時代意識が伝わる語。 ・不顧:かえりみない。 ・家:自分の家。家族。
※懸軍万里向辺沙:本拠地を離れて、非常に遠く敵地に攻め入った軍隊は、辺疆の地の荒れ地に向かった。→辺疆の地の深くまで攻め入った。 ・懸軍:味方の軍を離れて、深く敵地に攻め入った軍隊。 ・万里:非常に遠い距離。 ・辺沙:辺疆の地の荒れ地。国境地帯の荒れ地。
※馬上残日東風悪:馬に乗って戦場を駆け巡る日々の春風は、にくらしいもので。 ・馬上:馬に乗って戦場を駆け巡る時の意として使う。本来は、馬の上。馬に乗っていること。 ・残日:沈もうとしている太陽。入り日。蛇足になるが、「ゆうひ」を表す語は多い。語感や平仄で決まる。「殘日」「落日」「夕日」また「落暉」「殘陽」「夕陽」。これらのなかで、「殘日」は●●とすべきところで使われる凄まじい語感の語。 ・東風悪:春風がにくらしい。南宋・陸游の『釵頭鳳』「紅酥手,黄縢酒,滿城春色宮牆柳。東風惡,歡情薄。一懷愁緒,幾年離索。錯,錯,錯。 春如舊,人空痩,涙痕紅浥鮫綃透。桃花落,閑池閣,山盟雖在,錦書難托,莫,莫,莫!」とある。
※吹落関山幾樹花:(勿来(なこそ)の)関(せき)にある数本の(桜の)木の花を、吹き落としている(ではないか)。 ・吹落:吹き落とす。 ・関山:関所となる山々。ここでは、勿来の関(なこそのせき)を指す。盛唐・杜甫に『登岳陽樓』「昔聞洞庭水,今上岳陽樓。呉楚東南坼,乾坤日夜浮。親朋無一字,老病有孤舟。戎馬關山北,憑軒涕泗流。」とあり、中唐・戴叔倫の『關山月』に「月出照關山,秋風人未還。C光無遠近,ク涙半書間。」とある。 ・幾樹花:数本の(桜の)木の花。桜はと、前出・「吹く風を勿来 の關 と 思へども 道もせに散る 山櫻かな」(『千載集』)から推断できる。また、我が国の古典では、中古の中期以降は「花」とは桜を謂うことにも因る。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「家沙花」で、平水韻下平六麻。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○●●○,(韻)
●○●●●○○。(韻)
●●○●○○●,
○●○○○●○。(韻)
平成23.10.9 10.10 10.11 |
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