Huanying xinshang Ding Fengzhang de wangye

                            


堤上行


中唐・劉禹錫

酒旗相望大堤頭,
堤下連檣堤上樓。
日暮行人爭渡急,
槳聲幽軋滿中流。




                                            
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堤上(ていじゃう)(かう)                                  

酒旗 ()ひ望む  大堤(だいてい)(ほとり)
堤下(てい か )には 連檣(れんしゃう)  堤上(ていじゃう)には 樓。
()れて 行人(かうじん)  渡るを(あらそ)ふこと(きふ)に,
槳聲(しゃうせい) (かす)かに(きし)りて  中流(ちゅうりう)に滿つ。

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◎ 私感註釈

※劉禹錫:中唐の詩人。772年(大暦七年)〜842年(會昌二年)。白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。 *多端な人生を送り、永貞元年(805年)に政争に敗れて地方の連州(広東省連州市)刺史に左遷され、更に朗州(湖南省常徳市)司馬に左遷されて、あしかけ12年ぶりに都へ呼び戻されたとき(元和十一年:816年)、『元和十一年自朗州召至京戲贈看花ゥ君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩を作った。それが政敵に知られることとなり、「表現内容が、朝政を嘲弄しており、不穏当」とのことで、再び地方へ飛ばされる原因(口実)となった。いわく付きの詩。やがて、その詩作のとき(元和十一年:816年)から、更に十四年後の太和二年(828年)、再び都へ呼び戻された。その時の詩作『再遊玄キ觀』とその序に、その間の事情が説明されている。序に「余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。居十年,召至京師,人人皆言,有道士手植仙桃,滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。旋又出牧,今十有四年,復爲主客カ中。重遊玄キ觀,蕩然無復一樹,唯兔葵燕麥動搖於春風耳。因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。」(余(よ)貞元二十一年(805年:徳宗崩=貞元年)屯田員外郎 爲(た)るの時,此の觀 未だ花 有らず。是(こ)の歳 連州に出でて牧(=地方長官)す,尋(つ)いで 朗州の司馬に貶(へん)せらる。居ること十年,召されて京師に至る,人人 皆な言ふ,道士の仙桃を手植する有りて,滿觀 紅霞の如しと,遂(つひ)に 前に篇し以て一時の事を志(しる)せる有り。〔すなわち、この詩「紫陌紅塵拂面來…」〕旋(たちま)た又た牧(=地方長官)に出づ,今に 十有四年(826年:敬宗崩),復(ま)た主客郎中 爲(た)り。重ねて 玄都觀に遊び,蕩然として復(ま)た一樹も無く,唯(た)だ兔葵(いえにれ)燕麥の春風に動搖する耳(のみ)。因(よっ)て再び二十八字(七絶)を題し(『元和十一年自朗州召至京戲贈看花ゥ君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」の詩),以て後遊を俟(ま)つ,時に 太和二年(828年)三月。)。なお、同・劉禹錫の『與歌者何戡』に「二十餘年別帝京,重聞天樂不勝情。舊人唯有何戡在,更與殷勤唱渭城。」とある。

※堤上行:堤(つつみ)の上の歌。これは『堤上行』三首之一。 ・堤上:堤(つつみ)の上。作者(劉禹錫)の詩に『踏歌詞』「春江月出
大堤平,堤上女カ連袂行。唱盡新詞看不見,紅霞映樹鷓鴣鳴。」がある。 ・-行:(…の)うた。楽府の題。

※酒旗相望大堤頭:酒屋のしるしの旗が、(堤上から)見えてくる。 ・酒旗:酒屋の看板として店頭に立てた旗。 ・相望:向き合う。また、見えてくる。 「相」〔さう;xiang1○〕は、動作が対象に及んでくる時に使う。「…てくる」「…ていく」の意。「相互に」の意味はここではない。盛唐・王維の『竹里』に「獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。深林人不知,明月來
。」、白居易の『勸酒』「昨與美人對尊酒,朱顏如花腰似柳。今與美人傾一杯,秋風颯颯頭上來。年光似水向東去,兩鬢不禁白日催。東鄰起樓高百尺,題照日光。」李白に『把酒問月』「天有月來幾時,我今停杯一問之。人攀明月不可得,月行卻與人。皎如飛鏡臨丹闕,拷喧ナ盡C輝發。但見宵從海上來,寧知曉向雲陝刀B白兔搗藥秋復春,娥孤棲與誰鄰。今人不見古時月,今月曾經照古人。古人今人若流水,共看明月皆如此。唯願當歌對酒時,月光長照金樽裏。」や、陶潜の『飮酒二十首』其一「衰榮無定在,彼此更共之。邵生瓜田中,寧似東陵時。寒暑有代謝,人道毎如茲。達人解其會,逝將不復疑。忽與一觴酒,日夕歡。」、陶淵明の『雜詩十二首』其七の「日月不肯遲,四時催迫。寒風拂枯條,落葉掩長陌。弱質與運頽,玄鬢早已白。素標插人頭,前途漸就窄。家爲逆旅舍,我如當去客。去去欲何之,南山有舊宅。」や張説の『蜀道後期』「客心爭日月,來往預期程。秋風不,先至洛陽城。」杜甫の『州歌十絶句』其五に「西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,趁鳧雛入蒋牙。」とある。李U『柳枝詞』「風情漸老見春羞,到處消魂感舊遊。多謝長條似,強垂煙穗拂人頭。」 、范仲淹の『蘇幕遮』「碧雲天,黄葉地,秋色連波,波上寒煙翠。山映斜陽天接水,芳草無情,更在斜陽外。   黯ク魂,追旅思,夜夜除非,好夢留人睡。明月樓高休獨倚,酒入愁腸,化作思涙。」 前出・韋莊の『浣溪沙』「夜夜思更漏殘など、下図のように一方の動作がもう一方の対象に及んでいく時に使われている。
B
もっとも、李白の『古風』「龍虎相啖食,兵戈逮狂秦」、「遠別離」の「九疑聯綿相似,重瞳孤墳竟何是。」や『長相思』「相思,在長安」や王維の「入鳥不相亂,見獸相親。」などは、下図のような相互の働きがある。
B
勿論、これらとは別に言葉のリズムを整える働きのために使っていることも詩では重要な要素に挙げられる。 ・大堤:大きなつつみ。 ・頭:ほとり。

※堤下連檣堤上楼:堤(つつみ)の下には帆柱を連ねて(船がならんでおり、)堤(つつみ)の上の高殿(たかどの)(がある)。 ・連檣:〔れんしゃう;lian2qiang2○○〕帆柱を連ねる。連なった帆柱。 ・堤上楼:堤(つつみ)の上の高殿(たかどの)、の意。

※日暮行人争渡急:日暮れになったので、旅人達が急いで川を渡ることで、慌ただしくなっている。 ・行人:〔かうじん;xing2ren2○○〕路を行く人。旅人。行客(かうかく)。 ・争渡急:渡ることを争うのが急である。これとは異なるが、〜南宋・李清照の『如夢令』に「嘗記溪亭日暮,沈醉不知歸路。興盡晩回舟,誤入藕花深處。
爭渡爭渡,驚起一灘鴎鷺。」がある。 なお、李清照のこの詞の場合: ・爭渡:どのようにして通り過ぎようか。或いは、急いで帰路をたどっていた。徐培均は「爭渡」の意味を近い音の「怎渡」ととっているが、その場合だと、「いかでか わたらん(=どのようにして 通り過ぎようか)」となる。 ・爭:いかでか。或いは、競って。「怎」は宋代以降の俗語で、古語の「何如」に当たる。現代語でも「怎」「怎様」 等として、通常よく使う。現代語の発音では爭:zheng1。怎:zen3で似ているがやや違う。この違いは、宋代でもあった。

※槳声幽軋満中流:櫂(かい)の音が、川の真ん中で、幽(かす)かに軋(きし)んでいる。 ・槳声:櫂(かい)の音、の意。 ・槳:〔しゃう;jiang3●〕かい。舵(かじ)。短い櫂(かい)。 ・幽軋:幽(かす)かな軋(きし)る、の意。 ・軋:〔あつ;ya4●〕きしる。 ・中流:川の真ん中。

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◎ 構成について

韻式は、「AAA」。韻脚は「頭樓流」で、平水韻下平十一尤。この作品の平仄は、次の通り。

●○○●●○○,(韻)
○●○○○●○。(韻)
●●○○○●●,
○○○●●○○。(韻)
2020.5.24
     5.25
     5.26
     5.27



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