Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye



          



          知青之歌

其一

詞曲:任毅

深沈、緩慢、思念家郷的





 
******

現代語の雰囲気を出すため、簡体字を使ってみました。下記のものが、旧来の繁体字です。


                  知之歌

           
深沈、緩慢、思念家ク的
藍藍的天上,
白雲在飛翔,
美麗的揚子江畔是可愛的南京古城,
我的家ク。
,彩虹般的大橋,
直上雲霄,
斷了長江,
雄偉的鍾山脚下是我可愛的家ク
告別了媽媽,
再見家ク,
金色的學生時代已轉入了春史册,
一去不復返。
,未來的道路多麼艱難,
曲折又漫長,
生活的脚印深淺在偏僻的異ク。



                  知青の歌
               
その一

           
荘重に、ゆっくりと、故郷を偲んで
青い大空に,
白い雲が飛んでいる,
美しい揚子江畔こそは、愛しの南京古城,
わたしの故郷。
ああ,虹のような大橋が,
真っ直ぐに 大空に上り,
長江をぎっている,
雄々しい鍾山の足もとこそ 我が愛すべき故郷で お母さんに別れを告げた,
さようなら ふるさと,
金色に輝く学生時代は すでに春の歴史の一頁となってしまい,
一たび去って 復
(ま)た再びとは 返ってこない。
ああ, 将来の道程は いかに困難なことか,
曲折して はるかに長い,
生活の足跡は 辺鄙な異郷に 深く刻み込まれてしまった。

      **********

◎ 私感注釈:

※知青之歌:『知青之歌』は、文革初期のもの。一九六九年、“知青”(“知識青年”の略:高卒以上の学歴を持つ若者)として、江蘇省江浦県に配属されていた南京五中の知青である任毅が作り、知青たちに唱われたものである。『南京知之歌』『我的故ク』ともいう。現在、『南京,我的故郷』という題ででも唱われている。
  “知青”の運動は、一九五三年に「人民日報」が「組織高小畢業生參加農業生産勞動」という社説を発表し、五五年に毛沢東が『中國農村的社會主義高潮』で、「農村是一個廣闊的天地,在那裡是可以大有作爲的。」と言ったことなどが発端となって、共青団が開墾運動を始めたもの。それが知青運動の来源となり、展開していった。特に、六八年以降は、文革による大学の新入生の募集中止や工場などの生産の停滞による人員の不採用による高卒者のだぶつきが生じた。また、紅衛兵運動の鎮静化をもにらみ、“上山下ク”の下放運動が一層強く繰り広げられた。そのために学業半ばで、都会を離れ、農山村、荒蕪地に渡った知青は、数え方によっては、千六百万から三千万人にのぼった。そのため、“知青”は、一つの社会的な階層のようになっている。中国では、居住地選択の自由はないので、「農村戸籍」の者は農村生活を送らねばならず、社会的、経済的、文化的な差異は開く一方である。その辺の想いを「生活的脚印深浅在偏僻的異ク」というところや第四章でよく表している。これは、そこでの歌声である。この作品は『春的浩劫』の中の「北大荒的“地下文學”」より採録した。

※深沈、緩慢、思念家郷的:荘重に・ゆっくりと・故郷を偲んで。なお、現代中国語文の「、」(頓号)は、列挙を表し、日本語文での「・」(中ぐろ)に相当する。蛇足になるが、日本語文の「、」は中国語文では「,」となる。

※藍藍的天上:青い大空(に)。 *この時代流行の『草原上昇起不落的太陽』に「藍藍的天上,白雲飄。」というくだりがある。北朝齊民歌、斛律金の『敕勒歌』「敕勒川,陰山下。天似穹廬,籠蓋四野。天蒼蒼,野茫茫,風吹草低見牛羊。」と似た趣がある。 ・藍藍:形容詞の繰り返す用法。AA型。一音節の形容詞で、連体修飾の場合、後に“的”を附け、“藍藍的+〔名詞〕”という風に使う。 ・的:…の…。…な…。【“的”+〔名詞〕】で、名詞を修飾する。

※白雲在飛翔:白い雲が飛んでいる。 ・飛翔:空を飛びまわる。「在飛翔」で、飛んでいる、の意。「在-」は、【在+〔動詞〕】として動詞の直前に使う場合、「…している、…しているところだ、しつつある」といった、持続状態を表す。

※美麗的揚子江畔是可愛的南京古城:美しい揚子江畔は、愛すべき南京の(歴史ある)古い街並みだ。 ・美麗的揚子江畔:美しい揚子江畔。ここの“的”は、“〔形容詞〕+的+〔名詞〕”という形で、連体修飾・形容詞と名詞を繋ぐ働きをする。(敢えて現代(日本)語に置き換えればその部分は「美麗
揚子江畔」のような感じになるか?)。 ・揚子江:長江下流域の部分名称。南京あたりの長江の名称。 ・是:…は…である。これ。主語と述語の間にあって述語の前に附き、述語を明示する働きがある。陳述が“是”以下に述べられた状態であること。〔A是B:AはBである〕。これ。 ・可愛(的):愛すべき…。“可愛”という対象は、現在の日本語の場合とは些か異なり、祖国の山河や愛情を注ぐべき戦士などにも使われる。“…的”は連体修飾の場合の用法。 ・南京古城:南京の古い街(並み)。昔からの街並み。古来い多くの詩人が古都金陵を詠う。劉禹錫『石頭城』「山圍故國週遭在,潮打空城寂寞回。淮水東邊舊時月,夜深還過女牆來。」、唐・杜牧『泊秦淮』「煙籠寒水月籠沙,夜泊秦淮近酒家。商女不知亡國恨,隔江猶唱後庭花。」、孫光憲の『後庭花』其二「石城依舊空江國,故宮春色。七尺絲芳草碧,絶世難得。」、唐・韋莊『金陵圖』「江雨霏霏江草齊,六朝如夢鳥空啼。無情最是臺城柳,依舊烟籠十里堤。」、欧陽炯『江城子』「晩日金陵岸草平,落霞明,水無情。六代繁華,暗逐逝波聲,空有姑蘇臺上月,如西子鏡,照江城。」、南唐後主李Uの『浪淘沙』「往事只堪哀,對景難排。秋風庭院蘚侵階。一任珠簾閑不卷,終日誰來。   金鎖已沈埋,壯氣蒿莱。晩涼天靜月華開。想得玉樓瑤殿影,空照秦淮。」、朱敦儒の『相見歡』「金陵城上西樓,倚清秋,萬里夕陽垂地、大江流。   中原亂,簪纓散,幾時收?試倩悲風吹涙、過揚州。」、宋・王安石『桂枝香』「金陵懷古」「登臨送目,正故國晩秋,天氣初肅。千里澄江似練,翠峰如簇。歸帆去棹殘陽裡,背西風酒旗斜矗。彩舟雲淡,星河鷺起,畫圖難足。念往昔,繁華競逐。嘆門外樓頭,悲恨相續。千古憑高,對此漫嗟榮辱。六朝舊事隨流水,但寒煙衰草凝香B至今商女,時時猶唱,後庭遺曲。」、辛棄疾の『念奴嬌』「登建康賞心亭,呈史留守致道」「我來弔古,上危樓、贏得闖D千斛。虎踞龍蟠何處是?只有興亡滿目。柳外斜陽,水邊歸鳥,隴上吹喬木。片帆西去,一聲誰噴霜竹?却憶安石風流,東山歳晩,涙落哀箏曲。兒輩功名キ付與,長日惟消棋局。寶鏡難尋,碧雲將暮,誰勸杯中香H江頭風怒,朝來波浪翻屋。」、明・高啓の『登金陵雨花臺望大江』「大江來從萬山中,山勢盡與江流東。鍾山如龍獨西上,欲破巨浪乘長風。江山相雄不相讓,形勝爭誇天下壯。秦皇空此黄金,佳氣葱葱至今王。我懷鬱塞何由開,酒酣走上城南臺。坐覺蒼茫萬古意,遠自荒煙落日之中來。石頭城下濤聲怒,武騎千群誰敢渡。黄旗入洛竟何,鐵鎖江未爲固。前三國,後六朝,草生宮闕何蕭蕭。英雄乘時務割據,幾度戰血流寒潮。我生幸逢聖人起南國,禍亂初平事休息。從今四海永爲家,不用長江限南北。」、などある。 ・城:まち。“ク”(いなか)に対することば。

※我的家ク:わたしのふるさと。 ・-的:…の。ここの“…的”は、“〔名詞〕+的+〔名詞〕”の連体修飾で、日本語の「…の…」にあたる。 ・家ク:ふるさと。故郷。

,彩虹般的大橋:ああ、虹のような大橋。 ・:ああ。感嘆詞。 ・彩虹:にじ。 ・般:……のような。“A般的B”は「AのようなB」の意。 ・大橋:南京長江大橋のこと。この詩が出来た前年の1968年に完成した長江を跨ぐ橋。名称の「……大橋」は「……おおはし」と(当時の北京放送からも)読み、言う。中国の独自技術により設計・施行された自動車、鉄道両用橋梁。

※直上雲霄:真っ直ぐに大空に昇り。 ・直上:真っ直ぐに昇る。 ・雲霄:大空。

※斷了長江:長江を横切って。 ・斷(了):横切って。 ・-了:…た。動詞などの後に附き、動作や状態の完成を表す。

※雄偉的鍾山脚下是我可愛的家ク:壮大な鍾山の膝元が、わたしの愛すべきふるさとだ。 ・雄偉:壮大である。勇壮である。雄々しくて立派である。自然や建築物などの形容に使う。「雄偉的-」で、「壮大な…」「雄壮な…」の意。 ・鍾山:南京の長江畔にある山の名。毛沢東も七律『人民解放軍占領南京』で「
鍾山風雨起蒼黄,百萬雄師過大江。虎踞龍盤今勝昔,天翻地覆慨而慷。宜將剩勇追窮寇,不可沽名學覇王。天若有情天亦老,人間正道是滄桑。」と詠い上げる。 ・脚下:足もと。膝許。お膝元。

※告別了媽媽:お母さんに別れを告げる。 ・告別:別れを告げる。別れる。 ・媽媽:お母さん。

※再見家ク:さようなら、ふるさと。 ・再見:さようなら。またおめにかかりましょう。“再見”も“再見”も基本的な意味は同じだが、後者は、懐かしさ、親しさの感情を表す。 ・:現代口語。一般的な意味として、動詞の後に附き、意味を軽くする。文末に附き推量、命令を表す。繁体字では、“罷”とも書き表す。

※金色的學生時代已轉入了春史册:金色に耀く学生時代は、すでに歴史の一こまとなった。 *学生時代は、過去の一頁となってしまったことをいう。 ・金色:こんじき。輝かしい意。 ・學生時代:学生時代。 *六六年、文革が事実上、紅衛兵の造反運動を起爆剤とし、熾烈に展開された。やがて、社会の安定も必要となり、六八年十二月二十二日に毛澤東は、後に「12-22」指示といわれる「知識青年到農村去……」を発表し、青年を農村に送った。その一環として、運動に翻弄されて、やがて埋没していった学生時代をいう。 ・已:とっくに。すでに。 ・轉入:移り変わる。別の状態になる。 ・史册:歴史の記録。輝かしかった学生時代も(終わりを告げ、過去の青春の)歴史の一頁に書き込まれた。

※一去不復返:去っていき、二度と引き返すことはない。戦国末・荊軻に『史記』卷八十六・刺客列傳第二十六にある「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」とあり、唐・崔(さいかう:cui1hao4)の七言律詩『黄鶴樓』に「昔人已乘白雲去,此地空餘黄鶴樓。
黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡州。日暮ク關何處是,煙波江上使人愁。」とある。 ・不復:二度と…しない。(一度だけはしたが)もう…しない。また…せず。蛇足になるが、「復不」は「また…せず」と読むが、(前回も今回も)二度ともしない意。

※未來的道路多麼艱難:将来の道程は、何と困難なのだろう。 ・多麼:なんと。どんなに。いかに。自分の感動を聞き手と共にしようとするときに用いる。 ・艱難:艱難(形容詞)。苦しい。困難である。

※曲折又漫長:曲がりくねっており、また、とてもながい。 ・曲折:曲がりくねっている。 ・又:…であり、…でもある。“又”の後に形容詞が重なって来た場合、…であり、…でもある。またも。且つ又。 ・漫長:とてもながい。時間や道路について謂う。

※生活的脚印深淺在偏僻的異ク:生活の足跡を辺鄙な異郷にしるしている。 ・生活的:生活の。生きること、世を過ごすこと。 ・脚印:あしあと。文語で云う「足跡」。 ・生活的脚印:生活の根。 ・深浅:ふかさ。程度。よしあし。 ・在:…にある。(わたしの)人生は、異郷に深く根を下ろしてしまった;生活の足跡は 辺鄙な異郷に 深く刻み込まれてしまった、ということ。 ・偏僻:辺鄙である。へんぴな。 ・異ク:異郷。他郷。






◎ 構成について:

  自由詩。表現内容と語彙重視で、平仄は顧慮していない。一韻到底らしく、-iang韻を踏んでいる。韻脚は「翔ク江ク長ク」で、詞韻でいえば第二部平聲三江と七陽。三江と七陽は通用。平水韻で云えば些か不都合で、上平三江と下平七陽になる。現代語から見れば-iang韻を踏んでいる。韻式は特になし。この作品の平仄は次の通り。

○○●○●,
●○●○○●。(韻)
●●●○●○●●●●●○○●○,
●●○○。(韻)
◎,●○○●●○,

以下省略
                    
2002.9.10
     9.12
     9.13
     9.14
     9.15
     9.16
     9.17完
     9.20補
    10. 5
    11.22
2014.3.27
     4. 4
     4.10


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