Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye



  唐  杜牧

   泊秦淮
煙籠寒水月籠沙,
夜泊秦淮近酒家。
商女不知亡國恨,
隔江猶唱後庭花


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秦淮に泊す
煙は 寒水を籠め  月は 沙を籠む,
夜 秦淮
(しんわい)に泊して  酒家に近し。
商女は 知らず  亡國の恨
(うらみ)
江を隔てて 猶
(なほ)(うた)ふ  後庭花。

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◎ 私感註釈

※杜牧:晩唐の詩人。803年(貞元十九年)〜852年(大中六年)。字は牧之。京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。李商隠と共に味わい深い詩風で、歴史や風雅を詠ったことで有名である。

※泊秦淮:建康(金陵。現・南京)の歓楽街である秦淮に泊まる。この作品は岑參の『山房春事』「梁園日暮亂飛鴉,極目蕭條三兩
庭樹不知人死盡,春來還發舊時花の影響を受けた。後世、更にこのページの詩作の影響を受けて、元・潘音の『聞鵑』「子規聲切月輪斜,起望諸陵憶流家。婦女尋芳渾不解,鬢雲爭插杜鵑花。」が生まれた。 ・秦淮:建康(現・南京)を貫流して長江へ注ぐ古代の運河。詩詞によく詠い込まれている。この一帯は遊覧の地でもあり、秦淮といえば、その方の意味もある。古来い多くの詩人が古都金陵を詠う。劉禹錫『石頭城』「山圍故國週遭在,潮打空城寂寞回。淮水東邊舊時月,夜深還過女牆來。」、孫光憲の『後庭花』其二「石城依舊空江國,故宮春色。七尺絲芳草碧,絶世難得。」、唐・韋莊『金陵圖』「江雨霏霏江草齊,六朝如夢鳥空啼。無情最是臺城柳,依舊烟籠十里堤。」、欧陽炯『江城子』「晩日金陵岸草平,落霞明,水無情。六代繁華,暗逐逝波聲,空有姑蘇臺上月,如西子鏡,照江城。」、南唐後主李Uの『浪淘沙』「往事只堪哀,對景難排。秋風庭院蘚侵階。一任珠簾閑不卷,終日誰來。   金鎖已沈埋,壯氣蒿莱。晩涼天靜月華開。想得玉樓瑤殿影, 空照秦淮。」、朱敦儒の『相見歡』「金陵城上西樓,倚清秋,萬里夕陽垂地、大江流。   中原亂,簪纓散,幾時收?試倩悲風吹涙、過揚州。」、宋・王安石『桂枝香』「金陵懷古」「登臨送目,正故國晩秋,天氣初肅。千里澄江似練,翠峰如簇。歸帆去棹殘陽裡,背西風酒旗斜矗。彩舟雲淡,星河鷺起,畫圖難足。念往昔,繁華競逐。嘆門外樓頭,悲恨相續。千古憑高,對此漫嗟榮辱。六朝舊事隨流水,但寒煙衰草凝香B至今商女,時時猶唱,後庭遺曲。」、辛棄疾の『念奴嬌』「登建康賞心亭,呈史留守致道」「我來弔古,上危樓、贏得闖D千斛。虎踞龍蟠何處是?只有興亡滿目。柳外斜陽,水邊歸鳥,隴上吹喬木。片帆西去,一聲誰噴霜竹?却憶安石風流,東山歳晩,涙落哀箏曲。兒輩功名キ付與,長日惟消棋局。寶鏡難尋,碧雲將暮,誰勸杯中香H江頭風怒,朝來波浪翻屋。」、明・高啓の『登金陵雨花臺望大江』「大江來從萬山中,山勢盡與江流東。鍾山如龍獨西上,欲破巨浪乘長風。江山相雄不相讓,形勝爭誇天下壯。秦皇空此黄金,佳氣葱葱至今王。我懷鬱塞何由開,酒酣走上城南臺。坐覺蒼茫萬古意,遠自荒煙落日之中來。石頭城下濤聲怒,武騎千群誰敢渡。黄旗入洛竟何,鐵鎖江未爲固。前三國,後六朝,草生宮闕何蕭蕭。英雄乘時務割據,幾度戰血流寒潮。我生幸逢聖人起南國,禍亂初平事休息。從今四海永爲家,不用長江限南北。」、現代では『知之歌』「 「藍藍的天上,白雲在飛翔,美麗的揚子江畔是可愛的南京古城,我的家ク。,彩虹般的大橋,直上雲霄,斷了長江,雄偉的鍾山脚下是我可愛的家ク 告別了媽媽,再見家ク,金色的學生時代已轉入了春史册,一去不復返。,未來的道路多麼艱難,曲折又漫長,生活的脚印深淺在偏僻的異ク。」などある。

※煙籠寒水月籠沙:もやが寒々とした冬の川にたちこめて、月光が河の砂州辺りを明るくしている。 ・煙籠寒水:もやが寒々とした冬の川にたちこめ。 ・煙:霞(かすみ)や靄(もや)等の白くかすむ天然現象。 ・寒水:寒々とした冬の川。ここでは、冬の秦淮河を指す。 ・月籠沙:月光が河の砂に射している。 ・籠:たちこめる。 ・沙:砂州。

※夜泊秦淮近酒家:夜、秦淮河の畔(の歓楽街)で、酒家が近くにあるところに泊まった。 ・夜泊:宿泊する。船旅が多い時代で川沿いに発達した宿所に泊まる。張継の『楓橋夜泊』「月落烏啼霜滿天,江楓漁火對愁眠。姑蘇城外寒山寺,夜半鐘聲到客船。」と同じ。杜牧は、歌声が聞こえて来て、張継は、鐘の音が響いて来て、それぞれ感じ入ったわけである。 ・酒家:酒屋。飲み屋。蛇足になるが、現在の台湾にある酒家は、高級な個室のレストラン。なお、南方では現代でもホテルのことを“酒店”ともいう。

※商女不知亡国恨:妓女は(陳の、また南朝の)亡国の哀しいできごとを知らないので。 ・商女:妓女。歌い女(め)。 ・不知亡國恨:商女のような庶民は〔嘗てここに都を構えていた南朝の陳の(陳)後主が酒色に耽り、〕国を亡ぼしたという、故事を知ることが無く(顧慮することもなく自分も酒色に耽っているが、)。陳後主、諱は叔寶で『南史卷十・陳本紀下第十・後主』に「後主愈驕,不虞外難,荒于酒色,不恤政事,…。…君臣酣飮,從夕達旦,以此爲常。」とある。このため、後に『後庭花』は、「亡国」の意味合いを持つようになった。下記『後庭花』参照。蛇足だが、陳後主は、高い教養の人物ともいわれ詩作も残っているが、亡国の君主ゆえ、史書は先朝に厳しい。

※隔江猶唱後庭花:川向こうより、(歴史の悲哀を省みることもなく)なおも淫靡な亡国の歌曲である『玉樹後庭花』を唱っている(歌声が聞こえてくる)。 ・隔江:川を隔てて。川向こうから。 ・猶唱:(歴史の悲哀を省みることもなく)なおもうたっている。 ・唱:うたう。同じ意味で少しずつ違うものには、ご存じの通り「歌謡吟嘯謳…」、また、「誦詠…」など多くあるが、「唱」は演劇用語や白話としても一番一般的なもので、日本語での「歌」の動詞としての使い方に匹敵する。 ・後庭花:淫靡な、亡国の響きのある歌。『玉樹後庭花』。南朝の陳の後主が作った淫靡な詩(本来は音楽)。『南史卷十二・列傳第二・張貴妃』に「其曲有玉樹後庭花・臨春樂等。其略云:璧玉夜夜滿,瓊樹朝朝新。…張貴妃髮長七尺,K如漆,其光可鑑。特聰慧,有~彩,進止閑華,容色端麗。」とある。詞牌でも後庭花はある。 なお、『隋書』の記述とその意味は、ここを参照
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◎ 構成について

 平韻一韻到底。韻式は「AAA」。韻脚は「沙家花」で、下平、六麻。この作品の平仄は次の通り :
 
   
○○○●●○○,(韻)
   ●●○○●●○。(韻)
   ○●●○○●●,
   ●○○●●○○。(韻)

2001. 8. 5完
     11.11補
     12.21
2002. 1.14
      7.14
2005. 5. 3
      5 .4
2007. 8.22
2017. 3.23

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