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管理人のつれづれ15

 

管理人は結構文章を書くことが好きである。
そしてつまらないことをとってもつまらなく書くことが大好きである。
そして私的なこと、思ったことを書きたいが為にこのページを作ってしまいました。
書くことに自己満足する為だけのつまらないページです。
おそらくどうしようもない事を書いていると思うのでここで引き返されることをお勧め
します。

 

無駄な時間  (2003/5/12)

 

最近の新しい映画を見ていると無性に腹がたつ。どうしようもなくつまらないのである。一体無駄な
時間をどれ位潰されたのかを考えただけでめまいがしてくる。最新の映画ではなくスカパーTVで
1年半程度経ってからの作品ばかりではあるが、こんな映画が映画館でかけられたと思うだけで
本当に腹が立つ。最近見た映画「ムーラン・ルージュ」二コール・キッドマン主演の最悪のミュージ
カルであり、映画と名前を付けるのがもったいない位の超駄作である。「ハリー・ポッターと賢者の
石」くだらない。幼稚で中味のないゴミのような作品である。この映画は何と2時間半も無駄な時間
を費やさせてくれた。こんな映画が大ヒットしたかと思うと日本人の知能の低レベル化が進んだの
か、子供が見に行っただけで大人は我慢して見たと信じたい。「地獄の黙示録完全版」書くのも
鬱陶しいからパス。「ポワゾン」ひどい映画である。ヒロインに全く魅力がないし、ラストのもって行き
方が最悪である。「ソード・フィッシュ」CGをふんだんにつかった犯罪映画。やたらと爆発させて盛り
あげようと失敗している。ラストのオチも最悪。「スパイ・ゲーム」CIA中心のスパイ映画。これも作品
としてなっていなくてアクビの連続。ラストにも無理矢理の感強く、折角ロバート・レッドフォード使って
いるのに勿体無い作品。最近見た映画を抜粋したが、思い返すだけでも腹が立ってしょうがない。
こうして毎週無駄な時間を提供してくる新作映画は、映画好きな私を殺すつもりであろうか。
最新映画のコマーシャルを見ても、全く映画館へ足を運ぶ気持ちにならない。見なけりゃいいのにと
仰る方もいらっしゃるでしょうが、小さい時から映画が好きな私には止めようがない。とにかく無駄で
も映画を見てしまう。いつかいい作品に出会える日が来ることを。悲しい時間である。

 

 

魚の骨  (2003/5/2)

 

魚の骨が私は超苦手な人間である。しかし当家では二日に一度近くは魚がメニューとしてあがって
くるので、魚と闘わざるを得ない。小さい頃に魚ののどが長い間取れずにいて、死ぬような思いを
したことがあった。ブリやシャケ等の骨がない切り身ならいいのだが、毎日そういう訳にはいかない
のである。とにかく骨に当らないように、魚専用の箸まで使っているのだが、なかなかうまくは食べる
ことが出来ない。毎食必ず一度は喉付近でひっかかってしまうのである。そういった時は口に入れた
御飯と一緒に吐き出してしまう。(あまり格好のいい話ではない、失礼。)
ところで最近骨なし魚なるものが売上をグングン伸ばしていると伝え聞く。病院食や高齢者、子供等
向けに需要の高まりが今後も認められるとのこと。そういえば小学校の給食で骨のついた魚を食べ
た記憶がない。だからといってへそ曲がりの私は骨無し魚に安直に食いつこうとは決して思わない。
やはり魚とは苦労して食べる故に、旨みがあるのではないだろうか。骨の多いサンマの美味しい時期
には解体作業から食事は開始することにしている。小骨が非常に多いので、先にほぐして骨を全て
除去してから食することにしている。非常に時間はかかるのではあるが、その後にゆっくりと安心して
魚を食べることが出来るのだから個人的には正解だと思っている。実は弟も解体作業派なのである
が、両親はそうした食べ方は美しくないといって嫌がっています。魚は美しく、こまめに骨を取りながら
姿を乱さないままに食べるべきだとのたまうのである。ともあれ今日も魚の骨との格闘は続く。

 

 

さえずり  (2003/4/18)

 

今週末は土日共に雨だとのこと。本当にいい加減にしてほしい。ようやく春の渡りのさえずりが
楽しめると思っていたのにである。春の渡りは多くの野鳥のさえずりが聞くことが出来るから何と
いっても嬉しい。さて、今日は某中継番組を見ていた。滋賀の奥地の滝の中継だとのことである。
まだ雪が残っていたが、後ろではオオルリとミソサザイのさえずりが頻繁に聞こえていた。しかし
その中継ではこんな会話が「○○さん、後ろから鳥の声が聞こえますね。」「そうです、確かに聞こ
えております。」「ヒバリのさえずりが聞こえます。」(へッ?)「そうですね確かにヒバリの声がしてい
ます。それとさえずりがまだ下手なウグイスが鳴いていますよ。」標高550mの場所だそうなので
まだ下手なウグイスはいるかもしれないが、それでもヒバリの声は私が番組を聞く限りはなかった
。第一こんなに標高の高い場所にヒバリが存在するのであろうか。(図鑑の説明では山地の草地
にも存在するとのこと。)野鳥に興味のない方には何でもヒバリやウグイスといったメジャーな野鳥
の名前に直結してしまうのだろうか。耳を澄まして番組を見ているとヤブサメのさえずりも聞こえて
きた。野鳥好きでとくにさえずりが大好きな私にはちょっとショックであった。考えてみれば野鳥に
興味のない方々の方がメジャーで興味を持つ我々の方が極めてマイナーな位置に存在すること
を認識することができたような気がする。さえずりは来週末にまでお預けのようだが、最低でもオオ
ルリとキビタキのさえずりを聞くことと、そのお姿だけは拝見したいものである。

 

 

CGと最近のアメリカ映画 (2003/4/12)

 

最近の映画、特にアメリカ映画にくだらない作品が多くて、いい加減に腹が立つ。私の場合はご存知
のようにスカパーTVのスターチャンネルという局で封切り後1〜1年半後程度の作品を見ることに
している。映画館は人が多くて出向く気にならないし、1作品につき1800円は今の私にはとても払え
ない金額である。(毎月の病院代、薬代でいっぱいいっぱいである。)それにすぐ見たいという気も
ないので、封切り後ある程度経ってからの方がゆっくりと見れる。アメリカの映画が何故面白くなった
のかをご説明しよう。@CG(コンピューター・グラフィック)の乱用による現実性の希薄さ。とにかく今
ではどんなストーリーもCGでアクションに仕上げられる。爆発や人間等の動きを実際に行わずにパ
ソコンの画像処理だけで映画のシーンとして対応できる。だが、見る側にとっては現実的に映画とし
て没入して拝見することが出来ない。A脚本のお粗末さ。90年代のCG利用と比例するように脚本
がひどくなってきた。話の無理な持って行き方、ディテールのミスの多さ。ラストの無理矢理な作り方。
最近は余りにひどいので、頭から湯気を立ててカッカしながら見ている。(くだらん映画を見せられた
無駄な時間を返してくれ!と同時に映画館に見に行かなくて良かったという安堵の気持ちもあるが。)
B映画音楽の無個性。80年代まではまともな映画音楽作曲家が数多くいたのだが、最近は映画
音楽の重要性を判っていない無知な監督が多いようで、ここ数年一つとして満足出来る映画音楽に
は出合っていない。個性のないバックグラウンドミュージックとして我慢して聞くことにしている。
とにかく悲しいくらいにつまらない。今はアジア映画の方がずっとレベルが高い。(但し、日本映画は
除く。)映画館に行く気も起こらないのはかつての映画狂であった私には悲しい事実である。

 

 

旅行  (2003/4/5)

 

今は全く旅行する気にはならないが、学生時代は友人といろいろと回ったものである。金沢に行った
時は温泉とお鮨を楽しんだ。長野の戸隠に行った時には友人が私の趣味に付き合ってくれて撮影に
出かけた。また違う友人の実家に遊びに行った時にも温泉やいろいろな観光地(鳥取砂丘に出雲
大社、宍道湖)にも行くことが出来た。最初で最後の海外も卒業旅行に出かけることができた。友人
三人と17日間で20万の費用で7カ国を巡った。ギリシャではポストカードでしか見たことのないエーゲ
海のクルージングや白い建物が並ぶ町並み。イタリアではコロッセウムや色々な美術館を巡って
楽しみました。電車に乗ってフィレンツェへ行き、ドウォモに感激。スイスではシャモニーの雪山に登って
風景を楽しんだ。ドイツでは古い町並みでゆっくりと時を過ごした。ここで飲んだカフェオレは忘れられ
ない。フランスはパリのみであったが凱旋門やエッフェル塔にものぼり、ルーブル美術館にも行った。
スペインではプラド美術館でゴヤやベラスケスに感激。ピカソのゲルニカを見にも出向いた。最後は
イギリス。当時私と香川君はトラッドにはまっていたので、その関係の店めぐりをして、ネクタイやシャツ
等いっぱい購入した。また、ビートルズで有名なアビ−ロードにも出かけたっけ。とにかくあの旅行は
楽しかったな。社会人になってからは全く旅行に行かなくなった。行きたくなくなったというのが正解か
もしれない。旅行は間違いなく思い出をいっぱい作ることが出来る。どこかに行けたらなあと、ふと思う。

 

 

4月と残念  (2003/3/24)

 

スカイパーフェクTVも4月より大幅な編成変更があった。中でも3局あった80年代ビデオクリップ
を流していたうち2局が番組の終了を告げてしまった。本当に残念無念である。私の今の唯一の
楽しみであったのだが、これで80年代のビデオクリップも新たに拝見することが不可能になって
しまった。番組やコマーシャルでやたらと使われるようになった洋楽80年代ポップスなのにである。
残り1局も番組時間を変更し、私が起きることが不可能である深夜となってしまった。(病気の薬
に眠剤が入っている為。)それ故に番組をタイムリーに見ることが不可能になったのである。超個
人的な話で誠に申し訳ないのだが、余りのショックでここに書かずにはおられなくなったのである。
これで弊ホームページにあるビデオクリップの紹介も今後はほとんどなくなるのではないかと危惧
しております。(エッ!誰も見ていないって?そりゃまた失礼致しました。(^^ゞ)
4月という月は様々に変化が見られる時期である。季節も当然変るし、テレビ等の番組だけでは
なく多分野に渡る変化を誘うのである。私の体の調子も4月になれば何とか元に戻ってくれたらと
切に願っています。未だに変化を見せない自分の体に、心があせるばかりです。(-.-)
桜が私の心を癒してくれるのではないかと、密かに期待しております。そう4月は残念な時期でもあり
、期待が膨らむ時期でもあるのです。皆様方の4月とはそれぞれどんな意味を持つのでしょうか。

 

 

アメリカの傲慢さと日本の卑屈さ  (2003/3/20)

 

起してはいけない戦争が始まりを告げた。国際連合の意義は格段に落ち込み、一人(アメリカ)と
一匹(イギリス)の傲慢さによって崩壊寸前まで追い詰められることとなった。一体アメリカはベトナム
戦争から何を学んだのであろうか。あれ以来多くの国の紛争に介入し、戦争を各地で撒き散らして
いる。アメリカは言わば世界の癌と比喩しても間違いないであろう。特にひどくなったのはブッシュが
薄汚い選挙で勝った時から始まったものである。イラクは湾岸戦争以降、13年にわたって経済制裁
を敷かれている故、武器の新規調達もまともに出来ないほど弱体化している。海軍や空軍を含め全て
が圧倒的にアメリカ優勢であると伝えられている。それでは何故今回戦争を起す必要があったか。
答えは単純明快である。あのニューヨークでのテロ攻撃に脅えたチンピラ大統領がアフガニスタンに
戦争を起して政権を変えてしまった。このことでチンピラのブッシュはアメリカだけが行う事それ全て
が実は正義であり、自分の支持率アップにまで及ぶことを学習したのである。今回のイラクは確かに
独裁者フセインの国ではあるが、アフガニスタンの時のように人民が困っている、開放を望んでいる
とはとても思えない。世界で唯一空爆を行われていない国(いや日本だけが行ったのだが、あれは
ハワイであって本当の本土とは呼べない。)の傲慢さがここにも現れている。自分の国が一番だと
思い上がっているアメリカ国民が、いつか手痛いしっぺ返しをまた受けることとなるであろう。それが
とても心配である。テロほど許せない行為はないが、アメリカが今回起した戦争はテロを呼び起こす。
しかし、日本政府の卑屈さと言ったら恥しくて穴があったら入ってしまいたいと思う態度である。我が
国日本は最大の国連への支出金国(注)であるのに、常任理事国の地位も与えられない。それのみか
アメリカの言うがままに行動しているざまは恥辱に等しいと感ずるのは私だけであろうか。私は日本
がまだアメリカに占領されたままだと強く感じている。確かに経済は成長したが、それ以外はアメリカ
の言いなりである。日本として今回は戦争反対を一つの独立国として、立派にアメリカに意見する事
が出来なかったのかという怒りがある。与党の腰抜けどもは何等抵抗もすることなく、旧態依然として
アメリカの影に脅えている。私はアメリカが嘗ては大好きであった。7、80年代に素晴らしい音楽や
映画を我々に与えてくれたから。(最近はひどいものが多いが。)私は今のアメリカは大嫌いである。
そしてその傲慢さが許せない。人間の盾としてイラクに出むかれた日本人の安否が心配である。
注)国連への支出金分担はアメリカに次ぐが、実際は傲慢なアメリカは支払いを遵守していないのだ。

 

 

週間天気予報  (2003/3/17)

 

2月に入ってから週末の天気は本当に全滅に近い。アマチュア・カメラマン殺すにゃ刃物はいら
ぬ、土日傘マークがつけばいいといったところでしょうか。特に野鳥を撮影している人たちに
とっては致命的であるといえます。だから週間天気予報の変化には常にドキドキしてしまいます。
結局は金曜日には週末の天気が明らかにされるのですが、それでも水曜日あたりになると週末
の予報が気になってしょうがありません。しかしこの2月から3月にかけては毎日のように週間
天気予報の内容が変ってしまうので、それを見る度に一喜一憂せざるを得ないのです。プロであ
るなら天気予報に左右されることなく撮影場所に出向いて、いい天気をのんびりと待つことも出
来るでしょうが、我々週末カメラマンの場合はそういう訳にはいきません。とにかく天気が良くな
る事を神仏に祈って週末までをイライラしながら待つのです。しかしこの週間天気予報は誰が
一体考え出したのでしょうか。確かに便利なことは便利なのですが、あまり信頼できない週間
予報を毎日出す必要があるのでしょうか。(夏は晴れマークと気温が高だけで簡単でしょうが。)
いい日和が週末に来ることをとにかく信じていながら、週間天気予報に踊らされる馬鹿なアマチ
ュアカメラマンがここに一人おります。(もちろん、私!)今週末は今のままでは土日の天気がま
たも芳しくない予報が出されております。日本中の野鳥アマチュアカメラマンの為にも今週末の
天気が良い方へと変っていくことを希望するのみです。気象庁さん、何とかならへんの!ホンマ

 

 

髭(ヒゲ)  (2003/3/10)

 

学生時代は考えたこともなかったが、今になるとヒゲを思いっきりはやしたくなるのである。出来
れば上条恒彦さんのように豪快にはやしてみたい。サラリーマンでは対顧客といいう関係上に
おいて不可能である。だからゴールデン・ウイークや年末年始だけはヒゲを伸ばし放題にして
楽しんでいたのだが、今は諸事情で無精ヒゲが伸び放題になって来ている。一時は仙人のよう
にあごヒゲを伸ばして、ヤギの心境にもなったのだが慣れていないので布団に入って眠ろうと
すると擦れて困ってしまう。だから今は口ひげを中心に伸ばすことにしている。この口ヒゲも
なかなか不便である。特に食事する時には口の周りが不衛生になってしまう。食後にティッシュ
でふき取るのだが、余り気分がいいものではない。それでも口ひげは昔からの憧れであった。
映画俳優であるチャールズ・ブロンソンが大好きで、彼の口ひげに憧れたものだ。コマーシャル
で「ウ〜ン、マンダム」と叫んでいたのを思い出す。ヒゲをはやしてみると結構人相が変るもの
である。私は平素はサングラスをかけているので、極めて人相が悪くなってしまう。部屋で鏡を
見ていると、しゃべらへんかったら怖く見られるやろなと一人ほくそえんでしまうのである。たまに
バスや電車に乗ると、対面のお客さんにはどうしても顔をそらされてしまう。こんなに心優しい私
でも外見上は今はひどいものである。ヒゲにも白髪が混じるようになってきた。年を感じてしまう。

 

 

人見知りと人間不信  (2003/3/6)

 

私は極度の人見知りである。簡単に知らない人を受け入れる能力が全くないし、とても気軽に
話す事も出来ない。人への警戒感は人一倍あって、なかなか仲良くしようなどとは思わない。
それには一つの大きな出来事が要因として上げられる。
それは大学一年生のアルバイトの時に起こった悪夢である。四流で倒産寸前のスーパーDエー
で私は他の電池販売会社の依頼により、その吹田店でお客対応の応援に行かされたのである。
当時も私は人間自体が好きではなく自身でも合っていないなと思うものの、アルバイト先の電池
販売会社への義理もあり出向いた。配置された場所はビデオテープ販売コーナー。そこで何の
指示ももらえないのでボーッと立っていた。そこにお客さんが来たので、声をかけなければ仕事
にならないと思い、「何かをお探しですか?」と声を普通にかけたのである。するとその男のお客
は「見てるだけじゃい!何か文句あるのか!」と叫び、挙げ句には「担当者呼んで来い」と叫び
出したのである。こちらは何の非もないと思っていたところに、Dエーの社員が。話を聞いて仲裁
してくれるかと思うきや、私の首を掴んで床に引き倒し、首を押さえつけて土下座させたのである。
「ほら、あやまらんか!」完全に事態を把握できない私は「ごめんなさい。」と詫びを入れさせられ
たのである。その男の客は納得したようで、他の場所に行き、私を土下座させたDエー社員は何
も私に説明することもなくその場所から事務的に去っていった。アルバイトだから時間までは我慢
して呆然としながらも後の時間を必死に努めた。帰りの電車の中でその悔しさに、我慢できず当り
憚らず号泣した。その日から私は全くの人間不信となってしまったのである。今でもあのDエー社員
の行った行為は許せず、今でもひたすらDエーを呪うのみである。土下座させられた屈辱は一生
忘れられない悪夢であり、人間不信は決定的なものとなった。
しかし先日、ひょんなことから知り合った方とお会いして話をすることが出来た。こんな人間不信の
塊のような私が二度目の対面にも拘らず、自分の今の心情を隠すことなく吐露することができた。
その人に会えたことで少しだけ人間が信じられるようになるかもというかすかな希望をもった哀れ
な人間がここにいる。

 

 

サボテン  (2003/2/25)

 

私の部屋には小さなサボテンが4種類ある。これは仕事で仲良くなったお客さんから頂いたもので
ある。その方は家に1000を越えるありとあらゆる種類のサボテンを集めるマニアであった。京都
のお客さんで、最初は少し気難しかったが能天気な私が仕事以外の話ばかりするものだから、気
に入ってもらえたようだ。サボテンの会なるものもあって、全国大会まで催されるようで何回か出席
されて楽しまれているようである。とにかくそのお客さんはサボテンの話になると終らないほどに
大好きであったようだ。それが話のついでで、どういう訳か私にサボテンを無償で譲って下さるという
話になった。実は話半分に聞いていたのだが、次回に出向くと早速4種類の可愛い植木鉢に入った
サボテンを私の為に用意したくださっていた。今ではそのお客さんと接する機会は全く失ってしまった
が、4種類の可愛いサボテンは今でも大事に育てている。それが何と言う名前のサボテンかは知ら
ない。が、とにかく眺めているだけでとても嬉しくなってしまうのである。あの刺刺しい厳しい風貌の一
方で、暖かい雰囲気を醸し出すサボテンは眺めていると時が止まってしまっているようにさえ感じる。
あのお客さんは元気でいらっしゃるだろうか、もう一つの趣味がマラソンであったけれど元気に走っ
ておられるだろうか。私は営業マンとしては失格であったが、お客さんを大切にする心は誰にも負け
てはいない。サボテンはそんな私の大切な宝物の一つ、いや四つである。本当に可愛い。

 

 

浩之と裕之  (2003/2/21)

 

私には二つの名前があった。高校三年生までは「裕之」を使用。大学以降は「浩之」で今まで通して
いる。いずれも名前は「ひろゆき」と読むのではあるが、それには理由があった。私が小さい頃に
名前占いの人に調べてみると戸籍上の「浩之」は、余り良い人生が送れないかもしれないと言われ
たのこと。心配して両親は小さい頃から「裕之」を私に覚えこませていたのである。当然のことなが
ら「裕之」という名前に愛着があったのだが、大学に入る際に初めて戸籍上の名前「浩之」という名前
を知らされた。ある意味でショックであった。今まで愛していた「裕之」という名前は、一体何だったん
だろうかと。親に大学への申し込みをどちらにするかと問われて、悩んだ末に今の「浩之」を選択し
たのだが、占い師が言ったように今の名前になってから碌なことがなく、寂しい、悲しい、厳しい人生
を歩んできたのである。しかし。戸籍上の名前を今さら変えるわけにもいかないと考えて、甘んじて
受け入れるのしかないのかなとも思う。人にとってはそれぞれ親によって大きな意味を持たされてい
ると思う。それぞれの名前には親の愛情がたっぷりと含まれていると考えてしまう。だから、私は今後
も「浩之」という名前を死ぬまで引きずって行こうと思っている。ただ、それを知らずに「裕之」という名
で大学生以降の人生を歩んできたら、もう少しはましなものになったのかもと思わずにはいられない
のである。私には人生の岐路で翻弄された、二つの名前がある。

 

 

動機  (2003/2/17)

 

辞書で引いてみると、意味は「人間がある状況の元でその行動を決定をする意識的・無意識的な
原因。」とある。こんなことを書きたくなったのは昔のテレビドラマ「刑事コロンボ」を、現在集中的
に見ているからである。殺人の動機はさまざまである。人に弱みを握られたり、人に裏切られたり
、邪魔者は消えて欲しいと考えたりと見ているだけでワクワクする。名刑事コロンボがいかに殺人
の動機や殺人方法を解いていくかを見ていると感心させられることが多い。ハタネズミのように気
の弱い私でも、何度かは潜在的に人を殺してやりたいと考えたことがある。(あくまで想像するだけ
で、実施しようなどとはしなかった。)そうであったとしても、そこにも明確な動機が発生している。
その動機の引き金を引いた人間が殺人を犯すのであろう。それとも遺伝的にそうした傾向に走る
とも考えられる。今や、開戦は必至と見られている対イラク戦争を考えてみてみよう。アメリカの動
機は@石油市場の支配A古い武器の償却と更なる国内の武器市場の拡張B世界の警察を見せ
つける為の他国への恫喝Cブッシュの大統領選挙への布石ぐらいではないだろうか。何れも国際
的な表面的理由とはかけ離れている。対して、アメリカの忠実な犬に成り下がったイギリスはどう
であろうか。もう一つ動機に欠ける。国内世論では反対意見が圧倒的に多く、孤立化している馬鹿
なブレア首相のアングロサクソン系による世界の警察化の一翼を担いたいのが理由であろうか。
笑止ではあるが、考えられなくもない。とにかく対イラク戦争に国際的に認められる動機はない。

 

 

懸賞  (2003/2/14)

 

私の弟は懸賞マニアである。とにかく機会と時間さえあればその事に労力を惜しまないでいる。
結果はというと、最高でパソコンにズワイガニの詰め合わせといったところだろうか。小さいも
のはストラップから、防犯グッズまで多種多様である。私は懸賞と言えば、たまに出すことはある
がまともに当ったためしがないのである。宝くじも無駄に購入するだけでかすったこともない。
そんな私が先日気まぐれにインターネットで懸賞に出したものが、初めて当選したのである。
500円の図書カードと商品としては大した物ではないが、それでもやっぱり嬉しいものである。
懸賞マニアの弟に言わせると、懸賞はこの当った瞬間の充実感がたまらない気持ちにさせてくれ
るそうである。それからは暇にあかして鬼のようにインターネット上の懸賞に応募してはいるが、
結果は芳しくないようでそれきりである。ハガキの応募と違って面倒ではなく、インターネット上に
書き込むだけでいい。弟に言わせると、その簡便さが応募する人間を急激に増加して当りにくく
なっているようである。豪華プレゼントには自動車が当る懸賞が多くあるのだが、生憎私は車を
全く持つ気がないので興味のある方は一度チャレンジしてみては。
懸賞の商品で残念なのが、一眼レフ関係のものがほとんどないこと。それに比べてデジカメが
懸賞品になっていることの多いことといったら。やはり世の中は確実にデジカメの時代になってしま
ったのであろうと、少し悲しい。(一眼レフの売上が前年比30%以上も落ちているとのこと。とても
ショックな数字である。)先週は、弟が懸賞で当ったプリンをご馳走になった。こんなに美味しいもの
を食べられるなんてと考えると、懸賞に益々興味が湧いてきてしまう私がいる。

 

 

書けない  (2003/2/8)

 

あれほど泉のように湧いて出た文章が、今は全く頭の中に浮んでこない。何かを書かなければと
は思うのだが、嫌なことばかりが思い出されて一向に書き込むことができないでいる。嫌なことを
書いてもいいのだが、皆さんにとっては読まされてもはた迷惑な話ばかりである。病気のことを書
くことも出来ずに、本当に困ってしまう。特にここ一週間はつれづれなるままには完璧に浮んでは
こない。困った時の辞典頼みで書こうかとも考えるのだが、全くその気さえ湧いてこない。こうして
書けないことをこのつれづれに書いて誤魔化そうと私はこうしてパソコンの前に向っている。今迄
のつれづれを読み返す事が最近は多い。よくもここまでうだうだと書いてきたものだと我ながら
ある種の感心を自分に与えてしまう。ああ、明日は天気が良さそうである。なのに撮影には出向く
ことが出来そうもない。今の私に出来ることは辛うじて掲示板への返信を書くことが精一杯なのか
もしれない。ああ、書きたいのに書けないジレンマはいつまで続くのであろうか。真っ白な原稿用
紙の前に苦しむ三流小説家のような気分と言えば、この気持ちを判っていただけようか。
そうこうしているうちにこの文章も無理矢理終りに近付けている。あと三行弱埋めてしまえば、当分
は書かなくていいのかもしれない。以前のように嬉々として書き込むようになればとひたすら願う
のみである。が、「書けない」を表題にしてしまうと、次は・・・・・・・頭が痛い。

 

 

献血  (2003/2/1)

 

現在、血液が圧倒的に不足しているという。私は献血自体が嫌いではないので、病気になる前に
は頻繁に通っていた。先日、血液センターに出向いたところ、「薬を飲んでいる人は駄目です。」と
言われてしまった。400mlを献血しようと勇んで出かけただけにショックであった。
献血は学生時代から始めている。注射針といったものには全く恐怖感がなく、逆に刺されるところ
を見るのが大好きな変な人間である。(今でも。)人の役に無償で立てる事に一種の誇りがあった
のだが、当分はお預けとなってしまった。冬は特に血液が不足する上に、今年はインフルエンザ
が猛威をふるって必要な血液が大きく不足している。皆さんに無理強いするつもりはありません
が、注射針が怖い方は除いて是非協力してあげてください。その時は必ず献血車ではなく、最寄
りの血液センターに出向いてくださることをアドバイスします。そのメリットは@ものすごく短時間で
終了する。(個人差はあるが)Aものすごくリラックスするチェアに坐らされて快適である。Bもの
すごくたくさんのおみやげが待っています。特にこの冬は献血する人間が少ないので、こんなに
もらっていいのかと思うほど、たくさんの商品やチケットが頂けます。それとCジュース飲み放題と
いうのもいいですね。献血車と違って寒くもなくて、アラッと思っている間に終ってしまいます。人を
助けると思って、是非一度考えて頂けませんか。自分がいつ輸血を必要とする立場に変わって
しまうかは神(仏)のみぞ知ることであって、そうした善行がいつか役に立つと思ってほしいですね。
献血は今、多くの人々を必要としているのです。(血液センターの回し者ではありませんよ(^.^))

 

 

英語の歌詞  (2003/1/27)

 

私ははっきり言って英語が全く書けないし、読めない。だからといって今さらに英会話教室に行く
つもりなどサラサラないのである。が、それでも英語を理解したいという欲求は日を追うごとに
強くなってきている。それは私がホームページにも作ってある通りに映画や洋楽が大好きな為で
あろう。映画での会話は字幕での補助があるので、最近ようやく半分くらいは聞き取れるように
なってきた。話すスピードも映画の場合は概して短く、自分で何とか訳して字幕で確認出来るよう
にはなってきた。字幕の訳し方にも日本人に判り易くされていることも判ってきた。しかしながら
もう一方の80年代洋楽ポップスの歌詞が未だに聞き取れないでいる。私の場合はビデオクリップ
で見聞きしているので、もう一つ集中力に欠けてしまう。画面を見ながら映画よりもずっと早い歌詞を
聞き取ることは、現在においては全く不可能である。その為に、今はヘッドホンで歌詞を聞くことに
集中している。それでもリズムに乗って聞こえてくる歌詞を理解することが出来ないでいる。80年代
当時はリズムさえ自分にあっていれば歌詞などどうでもよかったのである。しかし、この年になって
何を彼らは歌っているかを漫然と聞くことが許せなくなって来ている。ビデオクリップも歌詞を反映
した作成作りをしている筈だから、理解できるようになったらその楽しみ方も倍増となるであろう。
しかし、歌手によって聞き取り易い歌手と逆の場合がはっきりしている。(マイケル・ジャクソンは
とっても難しい。)また、前にも書いたように歌うスピードにとても追いつけないのだ。しかし例え時間が
どのくらいかかろうとも独学で理解できるようになりたいと頑張っています。録画したビデオクリップも
もうすぐ千曲を越えようとしています。やはり歌詞を理解しなければなと考えてしまう私であります。
(誰かいい方法があるなら、教えてちょんまげ。(^.^))

 

 

クローン人間  (2003/1/21)

 

最近、極めて怪しい新興宗教団体がクローン人間を出生させたというニュースが世界を驚かせた。
しかし、未だにその検証を拒否しているということは、宗教の宣伝に使っているだけだろうと私は信
じている。そして今後においても、クローン人間を作成することはどういう理由付けを行ったとしても
反対である。自分の意志もなく生まれる子供のことを考えると、道義的にも大きな問題がある。
私の好きな映画200でも紹介している映画「ブラジルから来た少年」はまさにこのクローンを題材に
した映画である。ヒトラーが亡くなる前にその精子をもらって冷凍保存して、それを地下に潜った
ナチス団体が世界各地にその精子を使って人工授精をさせて第二のヒトラーを生み出そうとする
壮大なる計画である。この映画は確か1980年代の作品なので、実際にクローン人間が作成され
ることに警鐘を鳴らした作品でもある。ヒトラーと全く同じ少年時代を作るために、年の離れた夫婦
を選別し、更にヒトラーの父親が亡くなった時期に照合してその夫を全て抹殺するという怖い怖い
映画であった。人間が人間を作るということはやはり許されないことである。例えば、連続殺人鬼や
テロの指導者を簡単に新たな子供として甦らせることも可能となってしまう。クローンとは全く同一の
物を作るわけであるから、使い方によってとても怖い科学の賜物である。原爆や水爆、クローンに
しても科学の発達とは、度々ろくでもないものを作り上げてしまうのである。科学はある分野において
はこれ以上の進歩を止める必要があるのではないだろうか。とにかくクローン作成は許されない。

 

 

防災の用意  (2003/1/17)

 

今日で阪神・淡路大震災発生から8年となる。この時期になるとどうしても書きたくなってしまう事
、何卒お許しください。さて防災の為の用意は皆様方は出来ていますでしょうか。最近では東海
地震及び南海地震の発生率が高いことをマスコミでもよく取り上げられていますが、その為の
防災への取り組みが進んではいないようです。あの悲惨な阪神・淡路大震災の教訓が余り生かさ
れておらず、亡くなった方たちの為にも行政には猛省を促がしたい。当時、警察・消防・自衛隊の
連携が上手くいかなかったのが、人命救助の遅れの一つに上げられた割には、相変わらず縦割り
行政の為に連携した訓練が全国的にみると実施されていないのである。その一方で我々国民一人
一人の天災への防備は一体どうなっているでしょうか。私の場合、会社から支給された防災に必要
な物が入ったバッグにいろいろと更に加えて用意している。そのバッグにはプラスティック製のスプ
ーンやフォーク、食器一式や坐る為のシートに歯磨きセット等が詰め込まれている。それにラジオ
付き懐中電灯と各種缶詰を加えています。特に缶詰類と水は賞味期限が切れるのを忘れないよう
に差し替えております。あとは必要なタオルやティッシュペーパーなど出来るだけ詰め込み、万が一
の為にいつでも持ち出せる場所に配置しております。日本は地震国であって、あくまで他人事と思っ
てはいけません。阪神・淡路大震災で何が被災者にとって必要であったかを、もう一度この日に立ち
返って皆さんに考えて欲しいと思います。そして自分が被災者となってなくては困る物を今からでも
用意されることを御薦め致します。
「天災は忘れた頃にやってくる。」当日の揺れを未だに恐怖と感じています私からの提言です。

 

 

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