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贈梁任父同年 

                        黄遵憲
寸寸山河寸寸金,
離分裂力誰任。
杜鵑再拜憂天涙,
精衞無窮填海心。


    **********************
        梁任父同年に贈る

寸寸の山河  寸寸の金,
(くゎり) 分裂  力(つと)むるに 誰(たれ)にか 任せん。
杜鵑
(とけん)に 再拜して  天を憂ふるの涙,
精衞
(せいゑい)は 窮り無し  海を 填(うづ)むるの心に。
             ******************


◎ 私感訳註:

※黄遵憲:1848年(道光二十八年)〜1905年(光緒三十一年;明治三十八年)。字は公度。別号は人境廬主人(この別号は陶淵明の『飮酒二十首』・其五の「結廬在人境」から取っているのだろう)。広東嘉応州(現・梅県市)出身。清朝の衰退期に、富裕な官僚地主家庭に生まれる。二十歳代末に挙人となり、外交官僚として、明治維新後の日本に渡る。そこで、当時の日本の諸多改革を目の当たりにし、日本の近代化や資本主義の発展を具に体験した。そこから生まれた日本の朝野の人士との交流を深めて通じての豊かな日本についての知識、幅広く、歴史から風俗に亘り、大量の資料に基づき、研究を深めた。同時に日本に対して、中国の古代文化の紹介にも努めた。黄遵憲は、近代中国の日中文化交流の巨人である。1885年(光緒十一年)の八月、彼が日本滞在期の資料に基づいた『日本國志』、詩集『日本雜事詩』がある。なお、本サイトには黄遵憲が日清戦争に題材をとった七言古詩の大作『度遼將軍歌』も収録している。

※贈梁任父同年:梁啓超同輩に(詩を)贈る。この詩或いは顧炎武の『精衞』「萬事有不平,爾何空自苦。長將一寸身,銜木到終古。我願平東海,身沈心不改。大海無平期,我心無絶時。嗚呼君不見,西山銜木衆鳥多,鵲來燕去自成窠。」の影響をうけてはいまいか。秋瑾にも同様の詩詞が多い。 ・贈:詩を作って贈る。 ・梁任父:梁啓超のこと。任父(任甫)は号になる。 ・同年:(科挙の)同期生。黄遵憲は1848年生まれで、梁啓超は1873年生まれであり、二十五歳もの年齢差があり、科挙の同期生ではない。ここでは、黄遵憲が梁啓超に対して尊敬の意を表したもの。「同輩」「同志」などの用法に似るか。

※寸寸山河寸寸金:いづこの僅かな国土と雖も、同量の貴重な金と同じである。 ・寸寸:どのわずかな…も。「一寸一寸」。“一寸光陰一寸金”という成語の言い回しがある。 ・寸寸山河:いづこの寸土と雖も。 ・山河:祖国の山河、国土の意。 ・金:貴重な物の意として使われる。

離分裂力誰任:祖国が分割され、分裂していくのを誰の努力に任せられようか。(その人は。貴君・梁啓超同志である)。 ・離:〔くゎり;kua1li2○○〕(国土を)分割する。 ・:〔くゎ;kua1○〕離絶のさま。正しくない。 ・分裂:合わさっていたものが分かれていくつかになること。『三國演義』のはじめには「話説天下大勢,分久必合,合久必分。周末七國分爭,併入於秦」とある。 ・力:努力して…する。努める。ほねおり。 ・誰:だれ。反問・反語的な使い方。 ・任:まかせる。

※杜鵑再拜憂天涙:悲しげな鳴き声の古代中国の帝王の魂が化した鳥と謂われるホトトギスに再び逢えば、憂国の涙が流れる。 ・杜鵑:〔とけん;du4juan1●○〕ホトトギス。蜀王・杜宇(望帝)の魂が化してこの鳥となったという。「杜鵑」は、その鳴き声から、血を吐くような強い哀しみの表現であるが、この場合は帝王の魂に思いを致す意に使う。杜甫の『杜鵑』「我昔遊錦城,結廬錦水邊。有竹一頃餘,喬木上參天。
杜鵑暮春至,哀哀叫其間。我見常再拜,重是古帝魂。」『杜鵑行』「君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。寄巣生子不自啄,群鳥至今與哺雛。」の用法に同じ。 ・再拜:「再拜杜鵑」のことで、古代の(漢民族の)聖王の魂に再び拝礼する。 ・憂天:天命を憂い、国を憂う。また、天子を思う。「憂天」といって、「憂国」といわないのは、前者は○○となり、後者は○●となるため。ここは○○とすべきところ。また、杞国の人が天の傾くのを憂える。杞憂。ここでは、前者の意。

※精衛無窮填海心:東海で溺れ死んだ炎帝の娘の女娃の魂が精衛鳥となって、ずっと西山の木石を銜えて運び、東海を埋めようと尽きることなく努力し続けている(ように、わたしは志している)。 ・精衛:〔せいゑい;jing1wei4○●〕發鳩之山にいるカラスのような想像上の鳥のことで、模様のある頭に白い嘴、赤い足で、啼き声は自分で自分の名を呼んでいるような鳥のことである。精衛鳥は、実は炎帝の娘の女娃の魂で、東海で溺れ死んだ女娃は、その魂が精衛鳥となって、ずっと西山の木石を銜えて運び、東海を埋めようとし続けているという。決意を固め、犠牲を恐れず、万難を排して、活動し続けること。或いは、及ばないことを企て、徒労に終わることを謂う。『山海經』(せんがいきゃう;Shan1hai3jing1)に基づく“精衛填海”(深いあだをむくいること。困難を恐れず最後まで頑張って目的を達すること。或いは、及ばないことを企て、徒労に終わること)の神話。このことは、『山海經・北山經』に「發鳩之山,其上多拓木。有鳥焉,其状如烏,文首,白喙,赤足,名曰精衛,其名自叫;是炎帝之少女名曰女娃。女娃游於東海,溺而不返,故爲牙ハ,常銜西山之木以堙於東海。」『述異記』にある。愚公、呉剛の類である。炎帝そのものは漢民族の象徴的存在で、秋瑾も「寶劍歌」で「炎帝世系傷中絶,茫茫國恨何時雪?」と歌い上げている。秋瑾に『精衛石』「余也處此過渡時代,趁文明一線之曙光,擺脱範圍。稍具智識,毎痛我女同胞處此K闇之世界,如醉如夢,不識不知,雖有學堂而能來入校者、求學者,寥寥無幾。試問二萬萬之女子,呻吟伏於專制男子之下者不知凡幾。」という作品がある。蛇足になるが、民国の汪兆銘の号、精衛も、日中両国の間に横たわる溝(東海)を埋めようと努力する意から来ていようか。 ・無窮:尽きることがない。窮まりがない。終わることがない。 ・填海:海を埋める。東海で溺れ死んだ炎帝の娘の女娃の魂は、精衛鳥となって、ずっと西山の木石を銜えて運び、東海を埋めようと努力し続けていること。前出「精衛填海」のこと。





◎ 構成について

韻式は「AAA」。韻脚は「金任心」で、平水韻下平十二侵。次の平仄はこの作品のもの。

●●○○●●○,(韻)
○○○●●○○。(韻)
●○●●○○●,
○●○○○●○。(韻)

2005.10.26
     10.27
     10.28
     10.29完
2006. 2.25補
2009. 4.21

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