Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye


      



戊辰作
              前原一誠 

干戈未定事如麻,
身委艱難不思家。
默斬姦臣數暦月,
十年永負故山花。




******

戊辰 ぼ しんの作

干戈かんくゎ いまさだまらず  こと あさの如く,
 艱難かんなんゆだねて  家を思はず。
もくして姦臣かんしんを斬りてより  暦月れきげつを數ふれば,
十年 永くそむく  故山の花に。

        *****************





◎ 私感註釈

※前原一誠:(まえばら いっせい)萩の乱の首謀者。長州藩士。政治家。松下村塾に学び、倒幕運動に参加。戊辰戦争では北越軍参謀となる。参議を経て兵部大輔となったが、病気のため辞任してに萩に帰る。不平士族の指導者となり、萩の乱を起こし、敗れて処刑される。天保五年(1834年)〜明治九年(1876年)。

※戊辰作:戊辰(ぼしん)年に作った詩。 ・戊辰:〔ぼしん;wu4chen2〕「つちのえたつ」。ここでは、1868年(慶応四年/明治元年)のことになり。同年に始まり翌年までの討幕派と旧幕府軍の戦争・戊辰戦争を謂う。作者は北越軍参謀となって従軍した際の作。戊辰の役。 *「戊辰」とは十干と十二支の組み合わせで、一番目の「甲子」から数えて第五番目。十干とは、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸のことをいい、十二支とは子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥のことをいう。干支は、この十干と十二支の組み合わせによる序列表示をいい、十干のはじめの「甲」、十二支のはじめの「子」から順次、次のように組み合わせていく。甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、(以上、10組で、ここで十干は再び第一位の「甲」に戻り、11組目が始まる)甲戌、乙亥、……(ここで、十二支は「子」に戻り、13組目は)丙子、丁丑…となって、合計は以下の60組になる。蛇足になるが、幕末・明治初頭の「戊辰」年は1868年(慶応四年/明治元年)だが、その前後の戊辰年としては、六十年前の戊辰年は1808年(文化五年)、逆に六十年後の戊辰年は1928年(昭和三年)である。更に近くは1988年(昭和六十三年)。 *『前原一誠就縛始末』(藤村家・福性寺蔵) に「戊辰ノ役東征ニ從フ詩アリ曰ク」とあり、そこでは、「干戈未定事如
」ではなくて、「干戈未定事如」としている。ここは韻脚なので「床」ではなく、「麻」の誤写。(この七絶の韻脚は「麻・家・花」で平水韻下平六麻)。

※干戈未定事如麻:戦争の帰趨は、いまだ定かではなく、大いに乱れて麻のようであり。 ・干戈:〔かんくゎ;gan1ge1○○〕戦(いくさ)戦争。本来は、干(たて)と戈(ほこ)といった武器。南宋・文天祥の『過零丁洋』に「辛苦遭逢起一經,
干戈寥落四周星。山河破碎風飄絮,身世浮沈雨打萍。惶恐灘頭説惶恐,零丁洋裏歎零丁。人生自古誰無死,留取丹心照汗青。」とある。 ・未定:まだ定まらない。 ・事:事件。出来事。ここでは、戊辰戦争の中、北越戦争を指している。 ・如麻:あさのごとく(乱れている)。大変乱れている。江戸時代・篠崎小竹の『讀太平記』に「元弘皇紐乱如麻,誰意忠良萃一家。輦下疾風無勁草,山中晩節有黄花。東魚西鳥天心應,前虎後狼人事差。當日攝河張陣地,空使志士憶褒斜。」とある。

※身委艱難不思家:我が身は、苦難(の境遇にある)にまかせて、(我が心は)故郷の家(の甘い思いで)を思ったことはない。 *この句「身委艱難不思家」の構成は、「
『身』『委・艱難(=公)『心』『不思・家(=私)」となっている。 ・委:まかせる。ゆだねる。 ・艱難:〔かんなん;jian1nan2○○〕苦しみ。難儀。困難な目にあうこと。つらい目にあうこと。苦労をすること。盛唐・杜甫の『登高』に「風急天高猿嘯哀,渚C沙白鳥飛廻。無邊落木蕭蕭下,不盡長江滾滾來。萬里悲秋常作客,百年多病獨登臺。艱難苦恨繁霜鬢,潦倒新停濁酒杯。」とある。 ・思家:故郷の家を思う。家郷を思う。盛唐・杜甫の『恨別』に「洛城一別四千里,胡騎長驅五六年。草木變衰行劍外,兵戈阻絶老江邊。思家歩月C宵立,憶弟看雲白日眠。聞道河陽近乘勝,司徒急爲破幽燕。」とある。 ・思:両韻で「おもう(動詞)」は〔し;si1○〕で、「おもい、心、意志(名詞)」は〔し;si4●〕(現代語では前者に統一)となる。「不思家」といった用法では前者・〔し;si1○=動詞〕になる。なお、作者のこの詩の平仄の配列から考えて、ここ以外は絶句として適正なので、或いは、作者が勘違いをしたのか。

※默斬姦臣數暦月:(思い起こせば、脱藩した頃、)心の正しくない家来(=俗論党の者)を黙って斬って捨てたが、(あれから)月日が(どれほど経ったのかと)数えてみれば。 ・默斬:黙って(刀で)斬る。暗殺することを謂う。後出・「十年長負故山花」から見て、戊辰(ぼしん)年(1868年:慶応四年/明治元年)の十年前(1858年頃)のことになる。作者が吉田松陰の松下村塾に入門した頃か。或いは、脱藩前後のことで、対幕府恭順派・俗論党との争いの頃のことか。 ・默:喋喋たるを要せず、と謂うこと。 ・姦臣:〔かんしん;jian1chen2○○〕心の正しくない家来。=姦臣。作者の側からいうと俗論党側の政権のメンバー。 ・數:かぞえる。動詞。 ・暦月:孟春、仲春、季春…、また、一月、二月、三月…といった暦(こよみ)の上の月。

※十年永負故山花:十年もの長きに亘って、故郷の山の花に、背を向けたままだった。 ・十年:(「黙斬姦臣」の時より数えて)十年(経っている)。 ・永:ながく。「長」ともする。 ・負:背中にする。背中になる。せおう。おう。そむく。=背。 ・故山:ふるさとの山。故郷。



               ***********





◎ 構成について

韻式は、「AAA」。韻脚は「麻家花」で、平水韻下平六麻。この作品の平仄は、次の通り。

○○●●●○○,(韻)
○●○○●○○。(韻)
●●○○●●●,
●○●●●○○。(韻)
平成22.9.18
      9.19
      9.20完
平成30.10.3補



xia 1ye次の詩へ
shang 1ye前の詩へ
『日本漢詩選』メニューへ
    ************
shici gaishuo詩詞概説
唐詩格律 之一
宋詞格律
詞牌・詞譜
詞韻
唐詩格律 之一
詩韻
詩詞用語解説
詩詞引用原文解説
詩詞民族呼称集

Huajianji花間集
李U詞
Huajianji婉約詞:香残詞
李C照詞
Xin Qiji ci陸游詩詞
Xin Qiji ci辛棄疾詞
唐宋・碧血の詩編
Qiu Jin ci秋瑾詩詞
Huajianji毛澤東詩詞
先秦漢魏六朝詩歌辭賦
Huajianji陶淵明集
Huajianji玉臺新詠
Huajianji唐宋抒情詩選
Huajianji竹枝詞
Huajianji陽光燦爛之歌
shichao shou ye天安門革命詩抄
Qiu Jin ci扶桑櫻花讚
Huajianji読者の作品
zhuozuo碇豐長自作詩詞
漢訳和歌

参考文献(詩詞格律)
cankao shumu(wenge)参考文献(宋詞)
本ホームページの構成・他
Riyu:zhiciわたしのおもい
hui shouye
トップ
huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye